
今あるもの
{ }
復活ノート
「今あるもの」
パナソニックが、本社機能をマレーシアに移すと決めたのは、日本や世界の経済状況を反映したものでしょう。同業他社は、パナソニックがどうなるか注視しているはずです。
それは、他の業界も同じことで、ドコモが、ケータイの上級シリーズを廃止し、スマホに本腰を入れたり、トヨタが、ダイハツという子会社があるにもかかわらず、「軽」を販売したりするのも、社会の動向や、自分の業界の同業他社を見ての決断です。
ケータイは、スマホが主流になるようですが、自動車は、どうなるのでしょうか。
ハイブリッド、高燃費のガソリン車、電気自動車と出てきているのも、化石燃料にかわる決定的なものがないからでしょう。
企業にとって、屋台骨を揺るがすような決断を、次から次へとしなければならない時代です。
ということは、磐石と思われていた大企業が、破綻することも増えるのではないでしょうか。だから、プライドなど構っておれなくなっているのでしょう。
国そのものもそうです。外国から、「日本のようになるな」と揶揄されていましたが(その前は、「イギリス病にかかるな」でしたが)、その外国は、震災に会わなかったにもかかわらず、リーマンショックから抜けだせません(「我が世の春」を謳歌している中国も、鉄道事故などを見ていますと、足元をすくわれる要素がかなりあるようです)。
中小企業の場合は、その大波をまともに受けてしまいます。特に自動車産業の下請け企業については、ニュースで報道されている通りです。
しかし、自分の会社しかできないことを見つける努力をしなければ負け犬になってしまいます。
まず自分の「会社に今あるもの」を使えませんか。また、「社会に今あるもの」もいいですね。向こうも困っているのですから。
たとえばテレビです。先日から、4時に起きていますが、気分転換にテレビをつければ、どこも「通販番組」です。
手っ取り早くスポンサー料が入るのでしょうが、社会的役割など言わなくとも、免許という既得権益に胡坐をかいて、「テレビ離れ(特に若者の)」に何かしているようには思えません。
私は、介護保険ができる前から(1974年創業)、「在宅介護サービス会社」をしていました。
当時、「少子・高齢化」という言葉が聞こえるようになっていましたが、テレビ局からよく連絡がありました。
「今後、としよりが増えるようだが、としより向けの深夜番組を考えているので、一緒にやろう。としよりは早く起きるのではなく、遅くまで起きているのだから」というのです。
結局話は立ち消えになりました。しかし、「少子・高齢化」は予想通り来ましたが(人口の23%が65才以上)、テレビ局は変わらず、私は消えました。
地デジになりましたが、ほとんどのとしよりは、BSやCSではなく、フツーのテレビを見ています。
深夜でも、早朝でもかまいませんが、みんなが見たくなる番組を作ることをお勧めします。
スポンサーもいくらでも手を上げます。また、休眠会社でも、廃校でも、安く借りられます。
「今あるものを」をいかに利用するかが勝負の分かれ目です。