分類サービス

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復活ノート

「分類サービス」
自殺の原因の8割は病気だという調査について先日取りあげました。
しかし、それはそうなんでしょうが、同じようにガンになった人でも、そのことで、自分を見直して、新たな人生を生きる人もいます。
つまり、病気が原因で死ぬのではなくて、病気で気が動転してしまい、生きる気力を失う人が多いということでしょう。
それは病気だけでなく、私たちが体験してきた倒産などでも同じことです。
当時、私は、混乱の中で眠れなくなり小脳梗塞になりましたが、医者に、「(大脳などでなく)運がよかったな」と言われて、少し気が楽になったことを思いだしました。
しかし、同じ弁護士に善後策を依頼していた人は(確か電気工事会社の経営者でしたが)、弁護士事務所近くの駐車場に止めた車の中で自殺しました。
生きているかぎりは、自分が今まで経験したことのないことが目の前にあらわれます。
その度に自殺していればいくら命があっても足らないと言われるかもしれませんが、本人にとっては辛いことなのです。
ただ年を取ると、性格的なこと、体力的なこと、財政的なことなどが大きな比重を占めてしまうことがあります。昔なら何でもないことで耐えられなくなるのです。
それなら、自分を苦しめるものを敵とすれば、その敵を分断しましょう。あれもこれもと考えると立ち向かう気力が萎えます。
一つ一つに分けてしまえば、少し気分が軽くなり、それぐらいならということになります。
私は、今日無理なら、明日もう一日、それでも無理なら、明後日もやろう。3日あれば自分ならできるはずと思うようにしています(それでもできなければ、これは自分にはできない。しばらく忘れることにします)。
とにかく、年を取るにつれて、仕事のことだけでなく、夫婦を含めた家族のことなどが常に澱(おり)として残っているのですから、些細なことで、自分はだめだとなるかもしれません。ただ、それが命を脅かすような重大なことかどうかはわかりません。仏教でいうように、「妄想」なのかもしれません(単なる思い込みでしかないのに)。
そこで、人の悩みを分類したり、その比重を測ったりするサービスはどうですか。
人は思い込むとそこから逃れにくくなるものです。誰かに話をして、適度なアドバイスをもらうと、「そんなものか」と落ち着きます。
その人の実力を出せるようにすれば、絶望して命を落とす人は少なくなるはずです。たとえそれが病気だとしても。
宗教も政治も人を救えなくなっています。分類サービスを考えましょう。