権力

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復活ノート
「権力」
毎朝、ジョギングのために4時30分に起きるのですが、この数日は起きると耳を澄ませるようになりました。
春になって早起きの鳥が鳴いていますが、それを聞くためではなく(それを聞くと気分が安らぐのですが)、遠くで爆発音が聞こえないか気になってしまうのです。
兵庫県の真ん中あたりにいますが、今世界が注目する国からは遠くても、日本にとばっちりを食わないか心配だからです。
今の状況は私が中学生のときのキューバ危機に似ています。
白黒テレビにはキューバに向かうソ連の艦隊が映っていて、アナウンサーは「核戦争が起きれば人類は破滅するかもしれない」と叫んでいました。
なぜこうなったのかは聞いてもわからなかったのですが、数日はほんとに不安でした。
そう思っていたのは、世界の子供や大人だけでなく、当事者のアメリカのケネディ大統領とソ連のフルシチョフ首相もそうだったようです。
当時のドキュメントや回顧録には、2人とも不安にさいなまれていた様子がわかります。
今回も迷ってはいるようですが、「喧嘩を売っているのか」、「やるならやるで」とまるで暴力団抗争です。
しかも、その根っこには、アメリカに認めてほしいのに振り向いてもくれないということがあるようで、まさに「可愛さ余って憎さ百倍」で、何とかならないのかと思います。
ニュースを見ていると、アメリカは北朝鮮を攻撃しようにも韓国の国民にも相当の被害が出るようで、上げた手を下ろす方法がわからないようです。
「今日はこのぐらいにしておいてやるわい」と言えるシチュエーションを考えているのでしょう。
その証拠に、北朝鮮がミサイルを発射したのですが失敗したようで(空砲を打ったという話もあるようですが)、アメリカ政府の幹部は、「失敗したら別に対応すべきことはない」というようなことを言っています。さらに空母を向かわせると言っていましたが、それもしないようです。
北朝鮮としても、もう核実験はできないようになりましたが、状況が変わらなければ、まわりの不安は残ったままです。
今さらではありますが、国というものは人間の誰かが動かしています。つまり、その人間の器量(能力や性格など)で決まってきます。
最近の日本でも、「国家のため」と言いながらと私腹を肥やす人間(教育者という詐欺師。ただし、民間人)と、その話に乗って国の財産を融通する政治家がいるわけです。
権力者の及ぶ範囲を明確にしなければ、もっと言えば小さくしなければ、今回のような、これまでのような例はなくなりません。自国だけでなく、他の国も滅ぼしかねません(人類が破滅するまでにはそうなってほしいものです)。

私たちは、自分が育てあげてきた会社をつぶしたわけですが、つぶした原因は、社員でも社会でもなく、その企業の権力者である自分です。それを認めるのが大事です。
国をつぶしても自分がつぶしたとはどの権力者も言わないでしょう。
国の権力者が言わないことを中小企業の経営者が言うのは褒められるべきことです。それを忘れなかったら、必ず復活はできます(他の道に行こうとも)。