田中君をさがして(10)
パパは、門の扉を引っ張ると、ガタッと開いた。僕のほうを見た。
「パパが、この前来たことがあるからな。そのとき、かぎをはずしておいたんだ」と、小さい声で言った。道の左右を見ながら、身体を少し入れた。
「やめようよ」と、ぼくは、パパの腕をつかんだ。しかし、パパは、すっと全身を入れた。「早く来いよ」とパパは言った。
ぼくも、仕方なく入った。
突然、鳥が、キィー、キィーと甲高い鳴き声を上げて、木から飛び立った。他の鳥もバタバタと離れたので、葉や羽が、ひらひらと落ちてきた。
そのまま広場を進み、建物の玄関の方へ向かった。
半円形の踏み段があったが、ひどく壊れていた。その上にあるポーチのような屋根も、骨組みだけになっていて、さびついていた。
パパは、「ここで、ちょっと待って」と言って、横にある大きなガラスが破れたところから、すっと中に入った。
そして、玄関を開けた。まるで、自分の家のようにすばやかった。
ぼくは、玄関から、おそるおそる入った。
ひやっとした冷たさがある。そして、シーンとしている。普通の静かさではなくて、音が凍りついている静かさだ。
しかし、窓が破れているので、外から光と風が入っている。天井から垂れ下がった電線が、少し揺れている。
そこは、待合室になっていたのだろう。何十というイスが、蹴散らされ、ソファが、バリケードのように、立てられていた。
壁の近くでは、自動販売機が倒れていた。
奥のほうを見ると、通路の奥に、だれか立っている!
「だれかいるよ!」ぼくは、叫んだ。
「あれは、マネキンだ。パパも、最初は、びっくりした」と、パパは、平然としている。
「だれかが持ち込んだらしいな」。
「奥は、診察室が並んでいる。2階、3階が病室だ。階段を上がろう」と言って、パパは、は、奥のほうへ進んだ。
「もう、帰ろうよ」
「大丈夫だ。前に入院したことがあるから、なつかしい。前に調べているから、怖くはない」と、前に進んだ。
仕方がないから、僕も、パパのうしろをついていった。
二階に上がり、そのまま進むと、途中の部屋に止まった。
「ここが、パパが入院していた部屋だ」と言って、少し入った途端、何か小さいものが、飛び出してきて、パパにぶつかりそうになった。ぼくは、慌てて逃げた。
階段のところまで走り、後ろを振り返ると、パパも、ぼくの横で、慌てた顔をしていた。
「猫だよ。猫。真っ黒のやつ」と、ハァハァしながら言った。
猫は、50メートルぐらい離れた突き当りの窓から、外に出るところだった。
猫やぼくらが走ったので、廊下には、ほこりが立っていた。
「びっくりしたよ」。
心臓は、ドキドキというより、ドンドンという音がしていた。
「前には、いなかったけどな」
「もう、よくわかったから」と、パパの手を引いた。
しかし、パパは、「せっかくだから」と言って、もと来た道を戻っていった。
ぼく一人帰るわけにはいかないので、パパと手をつないで進んだ。
猫が出てきた部屋を越して、もう少し行くと、「看護婦詰所」と書いてある部屋があり、そこを、右に曲がった。
途中、中庭が見え、すぐに、隣の建物に着いた。
たくさんの部屋があり、さっきと違って、ドアがあり、ほとんど閉まっていた。
「手術室」、「検査室」という札が、いくつかあった。そこを左に曲がり、奥へ進んだ。
まるで、洞窟の奥に行くようだ。
パパは、「確か、ここで手術をしたような気がする」と言って、一つの手術室を指差したが、ドアを開けなかった。
突き当たり手前にも、階段があり、そこを下りていった。
下りたところの部屋には、「霊安室」と書いてあった。
「レーアンシツ?」と、ぼくは、思わず声に出した。
「そう、なくなった人を安置するところだ」
それを聞くと、汗が凍りついた気がした。
ぼくらは、早足で戻り、玄関の待合室に戻ってきた。
ぼくが、玄関から出て、パパは、中から、鍵をし、窓から出てきた。
そして、道の両側を見て、人がこないことを確認してから、門が音を立てないように、ゆっくり開けた。二人とも、半身で、外に出た。
パパは、門の隙間から、手を入れ、50センチぐらいの棒のようなものを、穴に差し込んだ。
「レーアンシツ」から、ぼくらは、一言も言わず、まるで、残業を終えた工員が、てきぱきと後片付けして、家に帰るようだった。
このことは、ママには言わなかった。これは、長い間、部屋に閉じこもっていたパパの気晴らしの一つだろうと思ったからだ。
これで、また、前のように、だれもしたことのない仕事に取り組んでくれたらと思うと、正直、怖かったけれど、大きな仕事をした満足感があった。