或阿呆の一生
今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~
「或阿呆の一生」
この前、急にぬくうなったことがあったやろ。
もう春やなあと思うて歩いていると、セミの大群が鳴きだした。それはないやろとあたりを見ると、店の駐車場の古いセメントを切っている音やった(うそやと思うたら、いっぺん聞いてみ。夏山に入りこんだようになるから)。
前にゆうたけど、そこは、どんな店ができるのやろかと脇見していて、工事のライトバンのバックドアに頭を打った場所や。
今度は、その一角にコンビニを作るようや。最近は、あちこちのコンビニが閉まるやろ。
ぼくの親戚もやっていたけど、もう飽和状態やし、内外の万引きはすごいらしいで(親戚は、レジの下に、西部の「お尋ね者」みたいに、似顔絵を描いていた。そいつが来たら、スタッフがずっと横にいるのや。そして、そのスタッフもまた・・・とゆうのやな)。
そんなふうに世の中は移ってゆく。人も順番に変わってゆく。子供はまず大人の世界に入るのやけど、そこには、今より厳然たる壁があったように思う。
子供の時、川原なんかに、肌色のヘンテコなもんがよう落ちていた。赤ちゃんがチューチュー吸うような形をしているけど、あれが不思議でしゃあなかった。
今考えたら「イチジク浣腸」やけど、そのときはなんやわからんかった。もってかえりたかったけどやめた。そのころ、車から撒かれたビラを抱えてもってかえると(昔はセスナや車から、大量にビラをまいたもんや)、中から大きな馬糞が出てきた。便所紙になるゆうておばあちゃんに喜んでもらおうと思うたのに、「なんでもかんでももってかえりなや」と怒られたことがあったからや。
そのときは、大人になると、このヘンテコなもんがわかると思うた。
その後も、「ダイヤル110番」ゆうテレビ番組で、刑事が、「万引きしたのは、生理中の学生です」とかなんとかゆうていたので、「生理ってなんや」と聞くと、おばあちゃんに、「子供は知らんでもええ」とゆわれるとし、「肩書」も、「子供に関係ない」と来る。
大人は、秘密をいっぱいもっているようやった。
せやけど、近所の大人が助けてくれた。
「おまえら、こんなん知っているか」と、誰からもうっとうしがられているジジイが声をかけてきたことがあった。
ぼくらがおもしろがって近づくと、地べたに、木の枝で丸の中に縦線を書いて、丸の外に、お日さんみたいに放射状の線を書いてから、得意そうにこっちを見た(昔は、こんなジジイがようおった)。
また、村の上級生に、「おまえら、こっちへ来い」ゆうから、公民館に入ると、雨戸を閉めてから、「裸になって順番に重なれ」とゆわれたこともあった。
そのときも、大人はこんなことをするのやなと思うた(せやけど、みんな親には内緒にしていた。「これはゆうたらあかん」とゆう信号がどこからか来るんやな)。
そうゆうことは、昭和30年後半にはなくなった(ぼくらも、そんなことをさせたことはない)。
昔は、江戸時代みたいな「夜這い」こそなかったけど、いろいろあったようや。ぼくら団塊世代は、あんまり教えてもらわんと大人の世界に入ることになった。
爾来50年。朝(あした)に紅顔ありて夕べに白骨となる、や。
ぼくも、この世にいることはそう長くないやろ(同世代の間寛平も、前立腺ガンになったことやし)、静かにフェードアウトしたいもんや。
せやけど、父親と同い年のおっちゃんは、田舎の町長をしたこともあるけど、70ぐらいからボケてきて、外に出ては、「やらしてくれ、やらしてくれ」と誰彼なくゆうとったらしい。
おっちゃん、どうしたんやろな。仲谷昇のような顔で、やさしい人やったのに(クスン)。ぼくも、あのジジイのように、「こんなん知っているか」とゆうたり(地べたが少なくなったしな)、おっちゃんのようにはならへんと思うけど、万が一そんなことになったら、ごめんね~、ごめんね~。