世の中

   

今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~

「世の中」
70近いけど、毎日早起きして頭の体操をしたり、その後ジョギングしたりと、体に悪いことばかりしている(最近、健康番組を見ていたら、その両方とも老人には命取りになりかねないのやて。娘からも、「やめとき」とラインが来た)。
ほんまかいなと思うけど、体のことでは、血圧、コレステロールなども含めて善悪がころっと変わるから心配はしてへんけどな。血圧は150でも心配はないし、コレステロールなんかは高いほどええゆう研究結果もあるらしい。そのうち、たばこは健康によいと言いだすかもしれんで。
それはええのやけど、玄関を出ると、顔がビリバリ、ビリバリとなる。あれぐらい気色の悪いもんはない。山を切り開いた町にいるから、山の横を走るのやけど、そのときもビリバリ、ビリバリや。
クモの糸や。山から垂れ下がっている木の枝と街路樹の間に作るんやろ。ベロン、ベロンとめくりながら走る(子供のとき、竹藪に入った時ほどではないけどな。あの時は、女の人がするパックを取るぐらいやった)。
クモにしたら、食べものを取るためにやっているのやから、「こらっ!何してくれるんや」と怒鳴っているやろけど、しゃあないな(昔クモの糸を人工で作る研究をしている人がいると新聞で読んで、けがをした象を運ぶために太い糸を作る童話を書いたことがある)。
とにかく、顔から糸をはがしたり、口に入ったのをペッペッと吐きだすのやけど、糸にも細いのから太いのまであるのがようわかる。
もう少し寒うなるまでこんな調子やろけど、人間が作ったクモの糸は年がら年中貼りついている。
ただし、それは毎朝顔にひっつくクモの糸ではなくて、意味はクモの糸で、WEBとゆうやつや。WEBは目にも見えへんし、顔にもくっつかへんけど、社会を覆っている。
これを気色悪いと思うて払いのけることはできるけど、生活は不便になる。
ラインもできへんし、アマゾンで物も買えへん。
それでも、そんなもんいらんわいと、WEBを払いのけることはできる。テレビがあるから世間知らずにはならへんけど、手持無沙汰にはなる。
それに自分のことを聞いてもらえなくなる。これが一番痛いのとちがうか。
テレビもプライバシーの切り売りの番組ばっかりや。製作費が安いけど、テレビ離れの原因や。
しかし、他人のことをしたくて仕方がないもんがいて、「美しき夫婦愛、家族愛」で注目されている歌舞伎役者のブログは年間3億円の収入があるらしいな(広告で)。
最近は、その病気の嫁はんまでやりはじめたそうやから、すごい収入やろ。
やらしいことはええとして、世界はWEBというクモの糸にべっとり覆われている。それを気色が悪いと思わなくなった。
そして、その流れに乗って生きるのがフツーで楽や(物やブライバシーを売って金儲けもできる)。
昔は、自分のことをベラベラしゃべるなと言われたもんやけど、今はベラベラしゃべるのが当世風となった。
ぼくがこんなことをゆうのはなんやけど、自分のことをいうのが嫌いや(「あなたは、自分のことをまったく言わないね」とゆわれたことが何回もある)。
それは劣等感などが強かったからと思うけど、自分を隠すことが習い性になった。
自分のことをベラベラしゃべることはできないし、そんなことをするやつは嫌いでもあるし、うらやましくも感じるけど、世の中はこんな風に流れていく。
居心地悪くてもしゃあない。払いのけて生きていくだけや。
明日の朝もまだクモの糸があるんやろか。

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