山田くん、例のものもっつください

   

今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~

「山田くん、例のものもっつください」
「湯上りの王子様」の低音の江戸弁はもう聞くことができなくなった。
丁稚の貞吉も、座布団運びの山田くんもさぞ悲しいことやろ(もっとも山田くんは、「まだ笑点は卒業しないの」とからかわれても、生活がかかっているからやめられへん。しかも、すぐにあきられる芸能界でしつこく生きのこっているのは、「存在感がない」とゆう存在感があるのやろ)。
ところで、「笑点」の大喜利は、すべて番組ライターが作っているとゆうことや。みんな自分の担当を落語家らしく答えるだけなんやな(突発事故は、木久翁が忘れることぐらいか)。
最初からそうやったのかはしらんけど、それがテレビ番組では正解やったのな。
その円楽も、前の立川談志も、「こんなのインチキじゃねえか」などとは言わなかった。
「これはテレビ番組や」とゆう大人の判断なんやろ(実際40年も続いている)。
「水戸黄門」や「遠山の金さん」てな番組も、何時何分に印籠が出るとか茶化されるけど、そのワンパターンがええのやな。
この前、久しぶりに「刑事コロンボ」を観たが、最後、弟かだれかを殺したワイン工場の経営者がコロンボに追いつめられた挙句、「さあ、警察に行きましょう。家庭より刑務所のほうが自由ですから」で終ったけど、あのエスプリは、毎週観ていた若いときにわからなかった。
最初の10分ぐらいで犯人はわかっているし、人が殺されているのに、ウフッとなるワンパターンが、また来週となるのや。
NHKは、ネタ切れになったから、「プロジェクトX」をやめたんやろけど、新しい番組も、「だれそれは悩んだ」式のもんばっかりや(この不況に「プロジェクトX」が残っていたらなあゆう気持ちありありや)。
観るほうも、作るほうもワンパターンをめざすのや。
そうゆうわけで、テレビでも何でも悪口をゆうときは、「ワンパターンやなあ」ではなく、「ワンパターンやのに」ゆうべきなんや。
せやから、「自分の生活はワンパターンや」と思わんほうがええで。ワンパターンやから、安心できるのやから。
枕が変わらんと寝られへん体質やったらたいへんや(枕とゆえども、なんぼ金があっても足らんようになる)。
また、マンネリゆう言葉があるやろ。ワンパターンよりもっと窮屈な感じで使われるけど、
それかって悪いことあらへん。それどころか、自分が「大化け」する契機になるかもしれへん。どんなときでも、「551があるとき」と思うたらええんや。
「山田くん、例のものもっつください」は聞くことはでけんようになったけど、今は、「お代わりください」が気に入っている。
ギャル曽根で有名になった「大食い大会」に出てくるのが、次を要求する言葉や。
みんな45分で、ハンバーグ30個、40個食べる(ギャル曽根も、最初絶対そんなに食べられへんと思われていたが、こう次から次へと大食い女が出てきたら認めんとしゃあないやろ)。
口のまわりを、三波伸介のドロボーみたいにソースで汚したうえに、鼻水まで垂らして、「お代わりください」と冷静にゆうギャプがおもろい。
「お代わりください」の「い」を上げるとこに、ライバルより一つでも多くハンバーグ、ラーメンを食べたるとゆう静かな闘志が感じられる。
これこそワンパターンの極地や(「ばっかり食いしたらあかん」と叱られへん)。
もう「就括」や「婚活」をせんでもええけど、ワンパターンでも、マンネリでも生きていかんとあかん。これが、ほんまの「生活」や。オチがついたところでお開きです。

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