ウグイス
今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~
「ウグイス」
今年も、卒業、入学シーズンが終わった(東京のほうは、桜が早う咲いたので、記念写真が間抜けになったが)。
会社の前は通学路になっているので、そんな春の歳時記をつぶさに見てきた。
最近は夫婦そろって行くのやな(木曜日とかフツーの曜日やから、夫婦とも会社を休んでいるのやろか)
そして、晩婚化を反映して、かなり年配の夫婦がいる。40代でも、米倉涼子のような母親から京塚昌子までいる(太りすぎが多いのも最近の傾向や)。父親も、若くても頭の薄いのがいるし、おじいさんかゆうのもいる。
どんな親も、これからたいへんや。何回もゆうたけど、父親としての現役が、今やなかってよかったと心底思うわ(お父さんは金持ちや思われたいのでな)。
子供にも、家庭でも、学校でも何事もなく、立派な大人になってくれることを心から祈りますと天皇陛下のようにゆうとくわ。
それにしても、ここで、よその家の卒業・入学を見るようになって10年立つ。
早う「復活の卒業」をしないと、「人生の卒業」を迎えてしまう。
この頃、ウグイスがものすごう早口で鳴いている。ケキョ、ケキョ、ギャー、ギャー、ケキョ、ケキョ、ギャー、ギャーとせわしなくて、うるさい。まるで、夢路いとしの「10万円、7万円、5万円 運命の分かれ道!」のようや。
性格もあるやろけど、今年は寒かったので、充分鳴けんかったんやろな。
夏、山に行くと、どこからかのんびり鳴いているのが聞えてくる。そうすると、ウグイスも、人に聞かせるとゆう使命感があるのかもしれん。
ぼくが、ええ年して、何でもかんでもゆうのは、使命感やなくて、うれしがりやからや。
前回、大腸検査をしたとゆうた。結果は2ミリほどのポリープが一つあったけど、悪性やなかった。
「ガンは治療するな」とゆう近藤誠は、大腸検査なんか「愚の骨頂」とゆうている。
ポリープは、年取ると、誰でもあるもんで、医者にとって「宝の山」らしいで。
ぼくも、もう検査を受けないつもりやけど、空っぽになった大腸を見ると、なんか気持ちよい。
それなら、洗浄だけでもしようか(映像は見られへんけど)。「洗浄」は、英語でロンダリングとゆうけど、「マネーロンダリング」するほどの根性はない。
最近できたスーパーで、「老人割引」してくれるようになって、うれしいような、悔しいような小市民やから。
ミーシャの歌に、「人と比べるしあわせなどいらない」とゆう詩があるけど、そんな人生を送りたかったな。「夢があれば、進む道ができる」てか(これをゆうたのは、誰か知らん)。ほんまにそうや。途中で先細りになるだけや。
「おまえの夢は金で買えるのか」と柳葉部長はゆうけど、こそっと買うところを見ると、誰でも、金で買う夢もあるのや。買うための金がないもんは、金で買えない夢を追い求めるしかない。
「人生の卒業」間近になってあわててもしゃあない。自分を励ますのは自分しかないで。今までサボってきたもんの未来は明るい。今から、自分の能力がどんなもんかわかるからな。
自殺したいと思うときは、ほんまは力があるはずや。生きたいと死にたいの両方のエネルギーがあるんやから。
若いもんから励まされるだけでは情けないから、60代の主張をしてやった。
せやけど、あのウグイスみたいに、早口になってもうたな。あとは、山でゆっくりするか。