教える(1)

   

今日も、ムーズがやってきた~きみと漫才を~

「教える」(1)
道歩いていたら、声をかけられることがあるやろ?
ミナミの奥まったところでは、「ええ娘(こ)いまっせ」とささやいてくるし、道玄坂では、「アンケートにご協力ください」と、高いもん買わそうとするし、原宿では、「タレントにならない?」と追っかけてくるし(若いタレントが、ようゆうとるから真似しただけや。貴気色悪いてか)、とにかく、声かけられたら、身構えてまうな。
せやけど、今は、関西のベッドタウンにいるから、誰かが声をかけるのは、100%、道をたずねるためや。
旅行先で、聞かれることもある。以前、札幌に行ったとき、ススキノで飲みすぎて、ホテルへ帰れんようになって、あっちゃこっちゃ歩いているときに、地下鉄の駅を聞かれたことがある(あそこは、一歩奥の道へ入ると、真っ暗や)、ワイキキでもある。こっちは、軽い脳梗塞起こして、ふらふらになっとるのに、日本人が聞いてきたな。あそこは、神戸と一緒で、海と山の間がはっきりしとるから、自分で判断せい。
知らんとこで聞かれると、そのとき知っているかぎりのことをゆうて、近くまで行って、そこで聞いてちょうだいとなるが、よう知っているとこは、ものすごう緊張する。
これは、ぼくだけやろか。いや、まちがいなくぼくだけやから、ちょっと聞いて(またひがんでもうた)。
もちろん、「あそこに見えてます」ゆうようなとこはええのやけど、遠いところとか、入りくんだところを教えるときは、緊張で口がこわばる。
なんとか説明して、別れると、もう一度ゆうたことを反芻する。右・左を反対にゆわへんかったやろか(これは、ぼくだけやない。車に乗って、道を教えるとき、手は、右さしているのに、「左、左」ゆう人がいる)、信号の数まちごてへんやろかと気になると、家の鍵かけてきたやろか、ガス栓閉めてきたやろかとおんなじで、また、聞いた人のところへ戻って、「もう一度説明しますわ」とゆうたことがなんぼでもある。
相手は、「そりゃ、ごていねいに」と聞いてくれるが、顔のどこかに、けったいなおっさんやゆう表情が、ちらっと出るな。
前に、子供を連れて、英語が通じへん国に行ったとき、えらい迷うてもうて、男の人に聞いたら、「いっしょにいったるから、ついてこい」とゆうことになって、助かった。
せやけど、20分近くも一緒に歩いた。向こうも、いちいち説明するのは、じゃまくさいと思うたんやろな。あのときは、愛想で話しかけることもでけへんし、心身とも疲れた。迷うても、あせらずに地図を確認して、近くまで行かんとな。
そんなに心配やったら、あのときのように、そこまで道案内するのが、自分としては、一番ええけど、若い娘はんに、「おっちゃんについてき」ゆうたら、変質者に思われるしな。
善意に自己満足が入ると、話がややこしくなるのは、世の常や。

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