温故知新(2)

   

今日も、ムーズがやってきた~きみと漫才を~
「温故知新」(2)
昔から、ようゆうゆわれているけど、まぐろのすしを、人に頼まんと食べるのは、えらい手間や。まず船の免許がいる。船を借りる。釣って、持ってかえる。さばかんとあかん。すしめしも炊いてや。
人がやってくれるから、一皿100円ですむわけやな。一貫(ぼくは、30過ぎまで、この言葉を知らんかった)2000円でも安い気がするわ。
そこまでいかんでも、昔は、米や野菜だけでなく、みそや醤油も、家で作っていた。
着物は、ほどいてから、洗い張りして、また縫う。服も、戦前までは、生地を買うてきて、家で作るのが普通やった。
それまでは、買いたくても、どこにも売ってなかっただけやゆう話もあるけど、おばあちゃん、おかあちゃんがおらんと、生活がでけんかった。生活必需品を、人に頼む(買う)ようになってから、家族・家庭の存在価値が減ってきたんやろか。
今は、ほとんどのもんを頼めるようになった。
商売人のなかには、「わしが、まぐろを取ってきます」ゆうて、いわしやたこを取ってくるのがいる。それで、これしか取れませんでしたとあやまる商売人もいるし、いわしやたこを、まぐろやとだます商売人もいる。
しかし、悪いことはなかなか続かん。ほとんどのもんの「下心」(?)には、良心がある。「わしほど、悪いやつはいてへん」と、自分に言い聞かせても、こいつが、ひょいと顔を出す。せやから、無理して悪いことせんでもええ。松下幸之助も、儲けるのが、商売人や。儲けへん商売人はあかんゆうている。せやけど、商売しているうちには、いろいろ問題が出てくる。自分が見えなくなる。それやったら、自分に「温故知新」して、自分が商売を始めたときのことを思い出すしかない。ええことして儲けて、妻子を幸せにしようとゆう気持ちに満ちあふれていたはずや。
最近、「ITとは、『いつも天国』の略や」と思うていたやつも、地獄に落ちはじめた。
IT事業は、バーチャル店を持っていない人から、「しょば代」とゆう手間賃を稼ぐことやゆうことを忘れてしもたんやな。
としよりも、自分らは厄介もんやゆうて気兼ねせんでもええ。自分らのおかげで、仕事ににありつけているのがいっぱいいる(これで儲けたろと思うて、当てが外れたところも多いけど)。介護保険ができるときなんか、不況のどん底やったけど、失業者には、「介護でも」させとけば、失業問題なんかなくなると、国はゆうとった。でも、介護も、適性がいる。いや、介護ほど、むずかしいもんはない。自分の人間性が試されるんやから。
としよりも、いわしやたこやなく、「ほんまの介護」ゆうマグロを取ってこいと大きな声で言いや。ところで、世界一古い職業とゆわれている、あの職業は、何の手間賃をもらっているんやろか。

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