マンション管理人(1)

   

今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~

「マンション管理人」(1)
最近は、仕事で、田舎に行くことが増えてきた。田舎生まれやから、都会生まれのように、「たんぼや山はええけど、なんか落ちつかん」ゆうことはない。
せやけど、同じ田舎でも、どこかちがうような雰囲気を感じることがある。
実家の近所でも、場所場所で、家の作りが微妙に違っているからやろか。
それから、高台に、ものすごい家が建っていることがある。こんな家は、ぼくの田舎にはない。「これは寺ちがうか」と表札を見ると、普通の家や。
塀の長さ100メートルぐらいあって、江戸時代に建ったような家を見ると、何十億円かかったとかゆわれる芸能人の家も薄っぺらく感じる(ぼくの知っている建築屋の息子は、まだ小学生やけど、今風の家は、「全部ウソの家や」とゆう。「壁を叩いたら、空っぽの音がするやろ」。やっぱり壁土の家やないとあかんらしい)。
そんな家が、あちこちにある地区がある。昔は、芦屋の六麓荘のように、庄屋などの金持ちしか住めん地区があったんやろな。
せやけど、新しい豪邸を見ることがある。木も真鍮も光っている。
これは、ぼくらの餌食や。「すごい家やな。せやけど、近所を走っている高速道路に山を売ったか、道路の拡張で市に建ててもうたかどっちかや」とスタッフと溜飲を上げる。
「げすのかんぐり」は、金がかからんし、気晴らしになる(少し自分が恥ずかしくなるけどな)。
それにしても、家を建てることは、「男の甲斐性」のシンボルやな。「家の一軒ぐらい建てんで、どうするんや」と世間がゆう。
芸能人やスポーツ選手は、「親に家を建てるのが夢でした」と誇らしくインタビューを受けているやろ(「アラカン」こと嵐勘寿郎は、何人もの嫁はんに、別れるたびに家をやって、出ていったそうやけど。バブルのときに、「彼女」にマンションをプレゼントしたもんよりすごいな)。
ふつうは、男子一生の仕事やな(今は、親子のローンがあるから、一生で終わらんか)。
昔は、家を建てたり普請したりすると、家族の誰かが病気になるとゆわれていた。それくらい、金も段取りもたいへんやったとゆうことやろな。
ぼくの叔父もそうやった。中学を出て、親戚に丁稚に行ってから独立して、50過ぎに、近所がびっくりするような家をを建てたけど、50後半で脳梗塞になって死んでもうた。
せやけど、そんな家の「守り」をするのはたいへんやで。「お宝番組」を見ていたら、九州の大邸宅に、骨董品をぎょうさん持っている人が出ていたけど、修理や植木の世話で、年間800万いるゆうていた(家は立派でも、内情は苦しい家もあるんやろな)。
ぼくの場合も、二親が亡くなって、田舎の家が空き家のままやけど、地区の経費、農道の拡張費、共聴アンテナの負担金、寺の費用などで、月3万円はいる。
それに、田舎の「人の環境」がある。ある開業医の奥さんは(高知県やけど)、近くのスーパーへ行かれへんゆうとった。近所のもんが、必ず買いものかごをのぞくんやて。それがいやで、免許がないから、病院が終わってから、主人に、遠くのスーパーに行ってもらうんやて。散髪も、給料前に行っとけとゆわれたもんや。「給料もうたから、散髪したんやな」と思われるのがカッコ悪いらしい。
最近、うちも、「草取りがでけてへん」とゆわれているらしい(親戚から連絡があった)。
それでやろか、「老後は田舎でゆっくり」とゆう考えもあるけど、田舎の家を売って、都会のマンションに移る人もいるらしい。いろいろゆわれることもないし、大病院や映画館、デパートもある。それに安全やゆうわけや。つかみができたところで、次回は、安全について。

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