京都
今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~
「京都」
「木を見て森を見ず」とゆうやろ。「小さいことに心奪われて、全体を見ない」とゆうことや。
それでわからんもんは、「おっぱいを見て顔を見ず」やったらわかるやろ。
やっぱりおかしいな。大きなおっぱいやから。でも、このまま行くか。
NHKの午後9時時からの「ニュースウオッチ9」の青山さんが一生懸命ニュースを読んでいるのに、話をちょっとも聞かずに青山さんのおっぱいばっかり見ているもんはおらんか(9時ぐらいになると、夕刊や7時のニュースで、大体その日のニュースはわかっているけどな。
それと、今日どんなことがあったか教えたがるもんがいるやろ。三波春夫は、朝食のときに家族に新聞を読みきかせるのが日課やったらしいな。それで、息子の豊和は慶応大学に行けたんやろか)。
そうゆうやらしいやつは、天気予報を担当している半井さんのおっぱいも見ているやろ(人の二倍ほどの腰回りやけど、ああゆう体質やからゆうたらあかん)。
7時のニュースで天気予報をしている山本さんも人気があるらしいな。
こちらは松田聖子似のスレンダーやから、顔以外見るとこはないけど、けっこう気が強いようや。
この前、新聞のインタビュー記事が、4,5日間載っていたけど、半井さんを意識にしているのやろか、自分がいかに番組のことを考えているか、プロデューサーとうまくいっているかの一点張りやった。
本番中に地震があったとき、プロデューサーとアイコンタクトをして、急遽地震速報を入れて後、ぴったり時間どおりに終ったんやて。
それに、「スチュワーデスをしている友だちが、わたしの天気予報はわかりやすいと褒めてくれます」とのことや(もっとも、気象予報士でも、マスコミの場合は気象庁の発表通りゆうだけやけどな)。
挙句、「私はプロデューサーの僕(しもべ)になります」やて。
「おまえは奥村チヨか」とつっこみたくなるけど、これくらいやないとやっていかれへんのやろな。
・・・それにして、なんでこんなことをゆわすねん。この前、久しぶりに京都に行ってきたことゆいたかったんや。
四条川原町で人と会うことになっていたけど、まだ時間があったので、京都駅から歩くことにした。
京都は、浪人から大学5回生まで6年いたので青春の町やな。
酔うて窓ガラスを全部叩きこわした下宿が東本願寺と西本願寺の間にあった。3,4年前にもそこらへんに車で行ったことがあるけど、ぶらぶら歩いていった。
一歩、二歩入った狭い路地(ろーじ)は、こじゃれた料理屋などができているけど、昔とそう変わってへん。
外人や観光客が紛れこんでいるのは一緒や(おっちゃんやおばちゃんが、ケータイしながら自転車に乗っているのはびっくりしたけど)。
ここやったか、前田美波里の、例の「夏の浜辺の大きいポスター」を夜中に盗んだのはとか、北山修を見たのはこのへんかなどと思いだしながら歩いた。
その後、「油小路(あぶらのこうじ)、油小道」と探したが、うろうろしすぎてわからなくなったもうた。別にこれが最後やないからと、北に向かった。
裏通りでも、何百年も立っているような由緒ある家や今風の大きな家がある。それらを見ていると涙が出てきた。
事業は失くしたけど、幸い家はあるので、別に泣かんでもええのに、40年程前、「早うこんな家に住めるようになりたいなあ」と思うたビンボー学生のころを思いだしたんか。
それより、40年前と同じ「ものほしそうな顔」をして歩いていることが悔しかった。
事業をしているときは、「なんでも手に入る身分になられて、うらやましいですわ」とゆわれると、「いやいや、そう見えるだけですわ」とか答えながらも、心では、人の三倍働いてきたもんね~と思うていたのは確かや(今は慢心と増長の結果や)。
でも大丈夫。まだ時間はあるし、ほんまにやりたいことが見つかっているから。
結局、一生懸命見てきた木は、ぼくにとって、ほんまの木やなかったんやろな。
これからは、その木を見て、森も見るようにする(ダンテは、「人生の半ばに」森に迷いこんだけど、こっちは、「人生の終り」やから、森の中には入らんようにするけど)。
山本さんは、オッパイがなくてもがんばっているんや。男のぼくは・・・。