方言

   

今日も、ムーズがやってきた~きみと漫才を~

方言(2)
前回は、丹波・北摂の方言は、若い子にも伝わってることを書いた。
以前、田舎の友達の家に行ったら、「父親が、まだ、『みど』ゆうてるんや」ゆうて笑わてた。その父親は、東京の大学で、長いこと、柔道を教えていたんやけど、こっちへ帰ってくると、言葉がもどってしもた。
それは、東京でもいっしょや。「ひ」と「し」が分けられへん。「『し』(火)の用心」ゆうてる。これも、「節約の法則」やな。
食べものは、年取ると、「先祖帰り」ゆうて、子供のとき食べたものが恋しくなるらしいけど、言葉も、最初におぼえたときに戻るんやろか。
実家に帰ると、隣のおっちゃんが(ゆうても、向こうは、70過ぎ、ぼくは、50半ばやけど)、「お父ちゃんとおかあちゃん(二人とも入院中)、べっちょ(別状)ないこ?お前も、たいへんやな」とゆうてくれる。「お前」と、声をかけてくれると、涙が出そうになる。
86才の父親も、この前まで、自分のおじから、「呼びつけ」で呼ばれていた。
誰でも、最初にしゃべった言葉は、心の土台になってるような気がする。
大阪や京都では、「~はる」を使うけど、子供時代を知っている間柄の場合は、「~やる」を使う。「あの子、昔から、苦労してやる」というように。
ぼくは、同じ関西でも、この文化圏に生まれてへんから、「~はる」を使っても、「~やる」とゆうてもらわれへんから、よそ者のままやけど、実家に帰ったら、「お前」と声をかけてもらえるから、うれしいわ。
なんぼ、新地のママ(?)のリリアンが、大阪名物のあの声で、「大阪の人って、ワイキキ海岸でも、『~ちゃん、こっちやで』って、大きな声で叫ぶやろ、いややわ~」ゆうても、
大阪生まれの林家ぺーが、「この前、大阪の姉ちゃんから、『あんた、父親の法事いつすんのん?』って電話かかってきたけど、関西弁好きじゃねえよ」とゆうても、「~やる」のやさしさ、うれしさを分かってるはずや。
そういえば、昔、同級生が、東京の大学に行って、夏休みに帰ってくると、もう「だってさ」ゆうてるやつがいた。当時は、みんなで、なに気取ってるんやと思てたけど、今は、その気持ちよう分かる。そいつも、子供のときの言葉を、懐かしく思うてるやろ(東京などにいて、しゃべることがなくても)。
ぼくも、「~してあげる」とゆう言葉が嫌いで、日本語やめよか思てる。
「犬に、えさをあげる」、「肝臓を休ませてあげる」、「ボールを、ライト方向に打ってあげる」(掛布の解説)を聞くだけで、「むしず」が走る。せやけど、他の言葉では、ムーズが書けへんから、考え中や。
とにかく、言葉には、言霊(ことだま)があるとゆうけど、言葉は、自分の元のような気がする。

 -