帆船
今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~
「帆船」
11月27日午後6時、NHKテレビの「関西のニュース」を見ていた(神戸放送局からやけど、電波の関係か大阪南部でも神戸からやった)。
「神戸港に日本丸が来た」というニュースで、23、4の女性アナウンサーが、「帆船」を、「ほせん」と読んだ。それも3回続けた。
ぼくは、「ああ、やってもうたな」と思うけど、隣にいる30代の男のアナウンサーが、吉兆の女将よろしく、「はんせん、はんせん」とささやいて、訂正すると思うていた。
しかし、そのまま次のニュースに言った。
男のアナウンサーが、読み方を知らんかったとは思えんから、次の原稿を見ていたんやろか。それなら、スタッフがゆうたら、なんでもなかったのに。
とゆうのは、8時45分のニュースで、その女のアナウンサーはおらんかったけど、さっきの男のアナウンサーが、「今日、6時のニュースで、『はんせん』とゆうところをまちがって読みました」とあやまった。
ちょうどその朝、会社で、なんか話をしているとき、誰かが、『ほせん』とゆうたので、「それは、『はんせん』や。昔NHKのアナウンサーが、『ほせん』と読んで、大笑いされたことがあるんやで」とゆうたとこやった。
有賀さつきが、「旧中山道」を、「いちにちじゅう やまみち」と読んだとか「きゅうちゅうさんどう」と読んだとかには及ばんけど、ほんまにこうゆうことがあるのやと感動した。
そして、次の日、また6時のニュースを見ていたら、当の女のアナウンサーと男のアナウンサーが出ていた。
「この娘や、この娘や」と見ていると、最後に、「わたくし、昨日のニュースで、『はんせん』とゆうところ、『ほせん』とゆうてしまいました。心からお詫び申し上げます」とあやまった。しかも、涙目やった。
あの涙目を見ていると、なんかあったなと思うた。すると、男のアナウンサーは、「視聴者からのご連絡が多かった」とゆうた。
昨日横にいた先輩があやまったから、それですんだはずやのに、内部で、だいぶゆわれたな。
始末書を出しただけでは終わらんで、「お前が直接テレビであやまれ。わしらは知らんで」となったんやろか。
「視聴者」も、たかが読みちがいで、しかもあやまっているのにしょうもないことするな。
安もんの視聴者のくせに(この「安もん」をまたムーズしたいけど)。
ぼくは、あの涙目のアナウンサーを抱きしめて、「気にせんでもええで。おっちゃんやったら、『ほぶね』とゆうわ。それのほうが、「日本丸」にふさわしいやろ。
なんやったら、「スタッフも視聴者もあほやから、今日かぎりでやめます」とゆうたり。後は自分で考えてほしいけど」と慰めたくなった(どさくさにまぎれて、何ゆうてんねん。いつも、言葉使いがどうのこうのとしょうもないことゆうてんのにてか)。
ぼくへの非難は真摯に受けとめると、今検証すると、あの女性アナウンサーが「ほせん」とゆうた時、スタッフは気がついたけど、「このままいったれ」と考えたか、男のアナウンサーもわかったけど、当のアナウンサーに、「飲みにいかへんか」と誘うたけど断られた(それも3回も)からほっといたったのどっちかや。
そうかんぐりたくなるほど、けったいな事件やった(ぼくにとっては)。
次の日、いつも愛想のええ、ちょっと年上の女性アナウンサーが緊張していた。
「慢性腎臓病シンポジウム」とゆうとき、だいぶかんでいた。「万年」といいそうになった。そんなことゆうたら、「わしの腎臓病は、『万年』治らへんのか。そんなことゆうのやったら、金払わへんど」と、またクレームが来るんちがうかと心配したのやろか。
あほの視聴者はほっといたらええ。せやけど、やさしゅうない世間になったもんや。みんな五十歩百歩やのになあ。
そんなことより、何でそんな早うからテレビ見ているんやてか。
毎日やないけど、一服してから、また出かけるのや。世間のやさしさを探しにな。スーパーの値引き品ともゆうけど。