函館(2)

   

今日もムーズが降りてきた~きみと漫才を~

「函館」(2)
わぁー、テレビで見た通りや。新幹線で横にすわった松村邦洋以来やと思うていると、神父は、にこにこ笑って、書斎に通してくれた。75、6才ぐらいか。歩行器を使うているけど、背筋がピシッと伸びている。
「4,5年前脳梗塞を起こして、それから、小さいのを4、5回起こしてね。小さいやつの専門店で」と「つかみ」も上手や。さすが神を語って何十年か。
手足の後遺症は残っているけど、口は大丈夫だったようで、しゃべること、しゃべること。フランス語のリズムで、日本語をしゃべるから、「まあまあまあ」、「とんでもないとんでもない」となる。口をとんがらせて「ノーノーノー」とゆうフランソワーズ・モレシャンとよう似ている。
今までの印象に残る入居者をおもしろおかしゅう説明してくれたが、「コツソーショーショー」とゆいにくそうにゆうのはおもろかった。それを何回もゆうから、噴きだしそうになった(「骨祖しょう症」なんやな。大相撲の「ヒョーショージョー」みたいやった)。
「この30年間、ここで亡くなった入居者(神父は、「お得意さん」と表現していた)は300人以上いますが、病院で運ばれて亡くなったのは20人です」、「老化は、バカンスです」、「自分の好きな家具が側になければだめです」、「スーパー悪(わる)は医師会です。看護婦が輸血もできないのですから」、「日本も、外国のように『老人科』を作らなければ」、「ある人に、『天国はいいですよ。物価が安いし、神様はやさしい』と言うと、次の日死んでしまってしまったので、「今は、『物価は高いし、神様は意地悪だ』と言っています」と、最後もうまく締める。
とにかく、他人のプライバシーやからと、全部「守秘義務」で通されたら、「味もしゃしゃり」もないけど、他人のことはおもろい。
最初は、全国からいろんなもんが来るやろから、怪しいもんは、適当にあしらおうと思っていたはずや。ぼくも、5,6分挨拶をして、施設を見学させてもらったらええと思うていたけど、話は延々と3時間やで。あの「語り」具合はようわかる。だんだん熱を帯びてくる。しかも、同じ話をしないのは、しっかりしたもんや。握手した手も、ものすごうごっつかった。聞くだけでも疲れたから、施設の見学はやめて失礼することにした。
そこから、タクシーに乗ったけど、今度は40才ぐらいの運転手や。
「お客さん、どこから来たの?」
「大阪」
「大阪か。世界陸上はどう?」
「どう」ゆわれてもな(後で調べたら夏やないか)。
苦しまぎれで、「高橋は出るのか?」と聞くと、「出ないけど、もうだめだね」
そして、マラソンの話が続くから、ぼくもマラソンが趣味やゆうたら導火線に火がついた。
「タイムは?」、「練習方法は?」(もちろん、ぼくも受けて立ったけどな)。
一般にタクシーの運転手は、鬱屈したものを抱えているもんが多いので、好きなことを取りつかれたようにしゃべるもんがいる。
台湾に行ったときも、一緒に行った知りあいが好奇心の塊なので、タクシーに貼ってある顔写真と本人がちがうことに気がついて、それを聞いた。タクシーを友だちから借りているとゆうていた(台湾では違法ちがうのやろか。そんなことないやろ)その後は、そんな後ろめたさなんかほっといて、片言の日本語でしゃべるしゃべる。
おかげで、知りあいは、もう台北でタクシーのアルバイトできるゆうていた。好奇心は持つだけでなく、それを口に出さんとあかんのやろか。
せやけど、わかったことがある。「スキーシーズンや雪祭りのときは、北海道の食べもん屋は、むちゃくちゃ値上げしているで。旅費もハワイのほうが安いことがある」ゆう「道産子はがめつい」説があるけど、運転手は、「沖縄へ行くのは高い、ハワイのほうが安くつく」ゆうていたから、「おあいこ」なんやな。かにシーズンになると、観光地で、「食べ放題」とかやるけど、全部冷凍もんを出すのといっしょやな(地元のもんは食べへん)。
とにかく、ぼくは、函館で、まだ会いたいもんがいた。

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