拝啓(2)
今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~
拝啓(2)
それにしても下手な字やなあ。しかも、大きさがばらばらや。宛名を見ると、何とぼくのおばあちゃんやないか。もう20年前に死んだはずやで。
たいがいのもんが、自分が年を取ると、親が生きている間に、ああしてやっておいたらよかった、こうゆうておいたらよかったなどと思うもんや。
ぼくは、おばあちゃんに育てられたので、おばあちゃんにそうゆう思いがある。
大学の頃、親とごちゃごちゃあったので、あんまり家に帰らんかった。
親が何か送ってきたとき、ちり紙に、「これを使ってください」と書いてあって、中に1万円が入れてあった(おばあちゃんの字は、そのとき初めて見た。母親の字は、最後まで見たことなかった)。
今から20年以上前やけど、おばあちゃんが寝ついたとき、テレビを買うてやった。
日本橋で、リモコンつきか、そうでないかで迷い、結局リモコンつきでないほうを買うて送った。わずかなちがいやのに、何でそんなケチくさいことしたんやろと今も悔やんでいる(甘いもんがない時代で、台所で、ざらざらした指についたサッカリンをなめさせてくれたり、炊きたての麦飯のおにぎりを作ってくれたのに)。
それから、痴呆が進んで、目も見えなくっていたけど、見舞いに行くと、ぼくの手を握って、「この人は男の人やな。大きな手や」と声をかけてくれたのに、ぼくは、何にもゆわれんかった。
おばあちゃんが、ぼくのことがわからんようになっていたら思うと、声をかけられんかったんや。そのとき、子供4人いたのに、ぼくは、ほんまにアホや。
「おまえ、この頃、一人になると、『おーい、おーい』ゆうて、だれか呼んでいるんやて。
『あんたの孫、ちょっとあぶないんちゃうんか』ゆうてくれる人がいるんや。
どないしたんや。わしを呼んでいるんか(明治生まれの田舎の女は、自分のことを「わし」とゆうていた。漫才の木村栄子みたいに)。
子供のとき、おまえが、『うちは、なんでこんなに貧乏なん』と聞くから(今考えると、どっこもいっしょやった)、わしが、『おまえががんばったらええんや』と答えると、大人にって、えらいがんばったやないか。
地元で一番成功したとゆわれたもんやから、おまえのおとうちゃん、近所で自慢ばっかりするからえらい嫌われていたで。
ところが、おまえは、全国展開や世界進出やと調子に乗りすぎた。
それに、女や車に金を使いすぎたな。車なんかに見栄張ってもしょうがないやろ。あんなん動いたらええんや。女かて玄人を相手にしといたらよかったんや。
貧乏人の悪いところは、金の使い方を知らんことや。ほんまの金持ちは質素な生活をしているのを見てきているやろ。
せやけど、子供のときの夢を追いかけているのはええことや。うまくいくかどうか知らんけど、やったらええがな。
テレビのことは、リモコンがついていても、どうせ見んかったから、気にせんでもええ。
おまえも、60を越したけど(それは「数え」や。来年や)、わしのところへ来るのは、まだ早いで。
もうちょっとしっかりしませう」
自分で75才の自分に手紙を出さんでもよかったようや。せやけど、どこがこんなサービスをはじめたんやろ。