ごめんくさい

   

今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~

「ごめんくさい」
前回、「クセ」とゆう言葉は、「くさい」から来ているらしいとゆうた。
つまり、自分のクセを出しすぎると、まわりがくさくなるとゆうことか(なるほど、「あいつは、おれとおんなじにおいがする」とかゆうなあ)。
「沈香(じんこう)も焚(た)かず 屁もひらず」とゆうことわざがある(両方におう)。
この年になると、それもええなあと思うこともあるけど、若いときは、「破綻万丈」の人生を送りたいと思うもんや。
結局は、親や嫁はん、あるいは世間の「手の平」の上でちょこちょこ動くぐらいやけど、生きていくと、体も心もくさくなる。
50年以上前(小学2年生のとき)、藤本とゆう40代ぐらいの女の先生がしばらく休むことになった。
代わりに金子とゆう若い女の先生が来た。ぼくは、生まれつきの「女好き」のようで、「二十歳ぐらいの女」に興味があったので(どんなんや)、休み時間になると、「先生の苗字は、名前みたいやなあ」とかゆうて、べたべたくっつきにいった。
そのとき、妙なにおいがした。今から考えたらワキガやった。
ぼくのエライとこは、「先生、へんなにおいがするで」とゆうて、乙女心を傷つけんかったことや(せやけど、「いらんことゆい」で、相手を怒らしてばかりの人生やったけど)。
そうでなくても、人間はくさいもんや。挙句に、耳の後ろから「カレイシュー」とかが出てくるようになる(ポマードのにおいであげそうになるけど、老後が心配や)。
しかも、この前歯医者で「歯周病です」とゆわれた。最初、「死臭」ゆう言葉が浮かんだ。いよいよ極めつけのにおいがするようになったかと憂鬱になったけど、歯科衛生士が若くてやさしいので、るんるんで歯医者に行っている。
体のにおいは、なんとかできても、心のにおいはどうしようもない。
外では、においが出んようにおとなしくしていても、家ではそうゆうわけにいかん(よっぽど嫁はんの尻に敷かれている場合は別やけど)。
この前、100歳のおばあさんと話をした。
死んだ主人は、毎日夕方4時に出ていって、朝4時に帰ってきたそうな。主人が倒れたとき、向こうの女が来て、看病したいとゆうたけど、「いいえ、けっこうです。とっくの昔にあんたのことは知っていました。二度と来んといておくれやす」とゆうてやりましてんとのことや。
また、主人は、年がら年中ゴルフで、わたしが風邪で39度の熱があるのに、日曜日になるとゴルフに行ったとか、姑に、「あんたの嫁入り道具は少ない」とゆわれたことは死ぬまで忘れへんとか、80、90になっても、相手のにおいを忘れへん人が多い。
昔は、ケータイがなかったから、チェックされることはなかったけど、においは、心に染みついたら取れへんらしい。
パンツ一丁で、家でうろうろしていると、そのパンツは、洗濯機の中を一人でぐるぐる回ることになる。
娘がいると大体そうされるらしいけど、今は夫婦二人っきりの場合も、そうされることがあるんやて。そうしている奥さんから聞いた。
心だけでなく、パンツもくさくなるんやな。もともとパンツはくさいか。

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