祇園
今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~
「祇園」
盆休みで東京から帰ってきている長女と梅田のホテルのビアガーデンへ行った。
ビアガーデンは久しぶりや。若いときは、夏ゆうたらビアガーデンやった。大阪では富国生命ビルのビアガーデンが一番人気あった(大ジョッキー7杯飲んでひっくりかえった)。
その後、人気も急激に落ちた。料理はええかげんやし、うるさいゆうことやろか。
最近はなかなかおしゃれになって、ホテルのシェフが作った料理を売りもんにしているビアガーデンも増えた。
せやけど、ビールの消費量が下がるいっぽうらしい。みんなが集って、「お疲れ。かんぱーい」ゆう状況やないからやろ。
まあ、ぼくら親子はどんなことがあっても飲みまっせ(仕事で来られんかった次女とも来週飲む。息子2人はあんまり飲まんけど)。
とにかく、乾杯したあと、たまたまいた娘婿が(そんなことないか)、「夕べはホームランでしてね」と話してきた。
前日に高校野球を見にいくゆうていたから、それかと思うていると、「お父さんに、京都へ行くんやったら、祇園をぶらぶらしてこいとゆわれたから、そうしたらホームランでした」とゆうことや。
詳しく聞くと、二人で歩いていると、うしろで、「さっきの店はタバコが吸えんで困ったな」とゆう声が聞こえてきた。
振りかえると、おっさん2人がいた。娘婿が、「ほんと辛いですね」とかなんとか愛想をすると、「きみら時間があるか。いっしょに飲もうや」となってついていくと、お茶屋やった(お茶屋ゆうても喫茶店とちがうで。芸妓や舞妓がいるところや)。
3時間ほど、飲んだり食べたりした。お茶屋遊びを教えてもらったそうや。
ぼくは京都に6年間いた。「目ぃつぶって歩いてたら、電柱柱にぶつかるぐらい詳しいで」とゆうているけど、貧乏学生やったので、そんなとこへ行ったことない。
名刺を見せてもらったが、不動産屋でもIT関連でもない。地味な会社の会長とその友だちのようや。
会社を始めて余裕ができてもそんなとこへ行かなかったなあ。お茶屋ゆうもんは代々引きつがれていて、客もそうやと思うていた。せやから「一見の客」はお断りや(今はだいぶちがうらしいけど)。
バブルのときこんなことがあったそうや。景気のええ不動産屋が、贔屓(ひいき)の芸妓を指名したけど、あいにく、その日はある客につくようになっていた。不動産屋は、なんぼでも出すゆうたけど女将が断った。
その客は、今は調子悪いけど、おじいさんにはかわいがってもうたからとゆう理由やったそうや。
そういえば、大石内蔵助も、「あほう浪士」とゆわれながら、お茶屋で遊んだのは有名や(祇園の一力やのうて、伏見の笹屋らしいけど)。今のクラブとはちがうんや。
それやったら、鬱々した生活をしているぼくのほうがと思うが、20代の2人にはええ経験やったやろ。
本来は、それを教えるのがぼくやったけど、会長らが教えてくれた。
単なる暇つぶしやったかもしれんが、この不況で、1人5万近くかかったやろ。
「どこのどなたかしりませんが、この恩は一生忘れません」と、親として思わんとあかん。
調子のよいときでも、見ず知らずのアベックなんか眼中になかった。
「今度は、前みたいに、よそのネーちゃんをなんとかしたろなどと考えてばっかりおらず、よそのアベックを大事にしますから、神さん、もう一度チャンスをください」てか。
困っているもんがいれば、別荘を貸したるから6日間姿をくらませ、その間に髪の毛を切れゆうとはゆわへんけどな。
残り時間は少なくても、粋な大人になるようにがんばる。
長女には、その会長に東京から何かおいしもんでも送っておけとゆうといた。また、何かあるかもわからんからな。