ゲーム(1)

   

今日も、ムーズがやってきた~きみと漫才を~
「ゲーム」(1)
今年も、ムーズの神が、殺伐な世の中を見捨てんことを祈るのみや。
加藤周一ら日本の知性とゆわれる人は、このままでは、世界は、あと500年、日本は、あと100年もったら、上出来やゆうてる。
こんなことになったのは、神さんのけんかが原因か。あるいは、神さんを利用する人間のせいか。
日本では、神さんは、正月しか出てこうへん。子供心にも、正月は、「ハレ」の最高のときと感じていた。
家の中のあちこちにいる神さんを休ますために、「おくどさん」を使わんかった(つまり、料理がでけへんから、おせちを作ったわけや)。
風呂にも入られへんかった。さすがに、便所の神さんには休んでもらうわけにゆかんかった。
せやけど、今は、そんなことはない。毎日、昔なら「よそゆき」の服を着て、よそで食べる料理を食べる生活をしているから、「もう、い~くつ寝ると、お正月」とゆう気分にならへん。
そして、「ハレの日」には、かるた、トランプ、すごろくなどのゲームを、何ぼしても怒られへんかった。
昭和30年代でも、「犬も歩けば、棒に当たる」みたいな、かるたやないで。
ものすごうリアルな宇宙かるたやった。小松崎茂ゆう画家(今のイラストレーターか)が、大人気やった。すぐに、宇宙に行けると思うてた。
「ハレ」でない、普通の日は、「ケ」とゆうけど、「かたぎの大人」は、質素な生活を旨とするから、ばくちやゲームはせんかった。
それから考えると、日本人は、「ゲーム」とゆう言葉に、二つの意味を与えていると思う。野球やサッカーのゲームとゆうやろ。ゲームのもともとの意味が、獲物やから、点の取りあいや。それと、「堅実ではない」、「うその」ゆう意味があるように思う。
「家族ゲーム」ゆう映画があったやろ。子供の受験や進学しか目標がない家庭の話や。
松田優作が家庭教師で、父親が伊丹十三、母親が由紀さおりやった。
長細い食卓に、家族が、横に並んで、めしを食べるから、あざといシーンやと思てたけど、よう考えたら、今は、みんな、テレビを見て、食事をするから、テレビから見たら、そういう格好や。お互い向きあうことをせえへん。
せやから、日本の家庭・家族は、ほんまの家庭・家族やないとゆいたいから、「家族ゲーム」とゆうタイトルになったんやな。「家族ごっこ」や。
それでは、「フーコンファミリー」はどうやろ。どんなときも、思いっきり笑顔を見せている家族や。誘拐されて、体がばらばらになっても、笑っている。
もっとも、夫婦と子供とも、マネキンやけど。
今日も、ムーズがやってきた~君と漫才を~

「ゲーム」(2)
フーコンファミリーは、パパはジェームス、パパはバーバラ、子供はマーキーとゆう、日本にいるアメリカ人一家や。
「ぼくは、もう家を出たくなったよ」とパパ。
「そんなこと言わないで。それじゃ、私が出るわ」とママ。
「ぼくが出るから、パパもママも、仲よくしてよ」とマーキー。
「それじゃ、じゃんけんで決めようか」とパパ。
「わたしも、マーキーも、用事があるから、やっぱりパパが出たら」とママ。
「アハハ」「アハハ」「アハハ」と、なんともシュールな一家や。
これが、ほんまの家族ゲームや。もっとわかりやすくゆうたら、毎日、家族で、「駄しゃれ大会」してるようなもんや。「自慢の鼻をバーバラにするで」、「マーキーへんで」。こんな家族やったら、外で飲まんとすぐ帰るわ。
せやけど、なんで、製作者は、笑っているマネキンを使うたんやろか。
笑顔は、心を隠す役目もあるそうや。困ったことになると、笑顔を浮かべる人がいるやろ。本人は、心を隠すために、無意識にそうしているんやて。
3人は、笑って、相手に、心を読まさんようにしているんやろか。
ところで、ゲームの要素は、「駆け引き」、「だましあい」、「足の引っ張りあい」と、まっとうな人間は、生活の中で、したらあかんと教わったことや。
スポーツは、正々堂々を旨としているけど、勝ち負けにこだわるようになると、そんなんが出てくる。
外交の裏は、戦国時代やら世界大戦とゆう古いことを考えんでも、今も、そんなんばっかりやろ。中国が、日本の大使館員に、女を近づかせて、機密を取ろうとしたんは、つい最近や。
経済、特に、株の売買や企業の乗っ取りは、100%それやな。
「『ゲームはゲーム、人生は人生』やで」とゆうのが、建前や。ギャンブラーは、「ゲームは人生」ゆう哲学を持っている。
それなら、「人生はゲーム」ゆうのはどうやろ。一か八かの生き方のように思えるけど、自分の人生を振り返る見方や。「人生ゲーム」やな。
前のムーズで、生きることは選択やとゆうたけど、結婚でも、仕事でも、自分が選択したものを、どのような方法で、手に入れたかゆうことや。
そして、これからの人生に、ゲームを入れたらどうやろ。Aを選んだら、どうなるか。Bやったら、どうなるか。そして、ゲームの要素を少々。隠し味として、「適宜」(てきぎ)。
自分の人生を、シュールにも、リアルにも、喜劇にも、悲劇にも、自由にできたら退屈せえへん。

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