団塊の世代(2)
今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~
「団塊の世代」(2)
石原慎太郎も、十把一からげで、しかもヒステリックに、他人の悪口をゆう。
最近は自重しているようやけど、中国を、シナ、シナゆうて挑発しとった。また、フランス語を、計算がでけん言葉やとか、ババアは、日本にとって、害毒があるとか毒を吐く。
これは、以前からのクセで、40年ほど前も、戦後派の作家を、「もうだめになった作家たち」ゆうたことがあって、大江健三郎なんかがが激しく非難した。
上岡龍太郎が、大阪は、引ったくり事件は、日本一やけど、やっているのは、N県やW県の人間やゆうたのはどうやろ(これは、事実かどうかしらんけど、自分が生まれたK府は入れんかったな)。とにかく、新しい時代についてこられへん世代、あるいは、うらやましい世代が、ターゲットになるようや。
堺屋太一は、「団塊の世代」を取りあげたけど、さすが役人やったから、経済的なことしか分析してへん。
何回も書いたけど、戦争から帰ってきた兵隊は、日本中、津々浦々で子供を作りまくった。100軒から200軒ほどの家が、一地区になり、それが20地区ほどで、村になり、村が5,6個集まって、郡になるのが、一般的な行政組織やった。
ぼくの地区も、100軒ほどあったが、昭和23,24,25生まれは、男女で、50人ぐらいいた。小学校、中学校では、一学年5,6組あって、1クラスが60人ほどいた。大きい学校では、10組以上あったらしいな(高校は、それが集まるから、1学年20クラスぐらいあって、ほかに、分校が2,3あった)。
友達から聞いたけど、都会の私立高校では、バラック教室が、校庭に、どん立てられたし、教室の前から、後ろに行こうと思うたら、いっぺん廊下へ出んと行かれへんかったとゆうとった。せやから、高校・大学の門が狭いのは当然や。
教師も、兵隊帰りがかなりおったけど、「男女同権」、「民主主義」が日本の新しい方針になったから、案外みんなおとなしかった。
せやけど、女子が、調子に乗って、男子に向かって、「きみ」とか「~君」ゆうたら、女の先生に、「男女同権をはきちがえています」と、女の先生にえらい叱られとった。
最近は、若い女性歌手(アーティストゆうねんやな)は、「きみとともに歩いていこう~」ゆうてる(そして、若い男が、デートのとき、彼女のかばんを持ったりしているけど)。
ところで、宇多田ヒカルの「泣き声」は、ほんま日本人の情感にぴったりやと思う(せやから、念願のアメリカ進出に失敗したかもしれん)。ぼくは、音楽のことはえらそうにいえん。今、「団塊の世代」のことで、ビートルズ来日40周年とかゆうブームが起こっているやろ。そのとき、高校生やったけど、「プリーズ・ミスターポストマン」なんかを「読ん」で、「何じゃ、こら」ゆう気持ちを持った。あれあれとゆうている間に、すごいことになった。そのあと、「イエスターデー」や「レット・イット・ビー」が出たけど、もう手遅れや。人といっしょのことをしたくないゆう天邪鬼が心にいた。次回もよろしく。