「接して漏らさず」あるいはチュートハンパ考(2)

   

今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~
「接して漏らさず」あるいはチュートハンパ考(2)
食欲、性欲などは、生きていくためのものやから、強弱があっても、誰でも持っている。
物欲とか金銭欲とゆわれるものも、そのような欲望が形を変えたものかもわからん。
欲望はたいてい控えめや。人間の子供といっしょで、寝顔はかわいいけど、起きるとうるさいもんや。子供のとき、「昼寝せえ」ゆわれたもんや。外で遊びたかったけど、「昼寝したら、目覚ましに、あめちゃんやろ」ゆわれると、しぶしぶ腹巻をして昼寝をした。
ところが、欲望は寝ていても、自分の好きなもんを感じると、がばっと起きる。
テレビでうまそうな飛騨牛のステーキが映っていると食欲が起きてくる(偽装であっても)。エッチなシーンでは、別の欲望が起きてくる(最近、女性タレントの衝撃的なヌードゆうのはないな。ネットで、もっとえげつないもんを見ることができるからやろか)。
とにかく、「寝た子を起さない」ことは、それを考えないこと、それから遠ざかることや。
中学や高校で、先生から、「しすぎは体に悪い。したくなったらスポーツせい」とようゆわれたもんや。
坊主の修行も、そうゆうことを考えんように、俗世間から離れて山にこもった(それで、「なんとか山なんとか寺」とゆうらしいけど、最近は、「きれいな花が咲いているから、きれいなお嬢さんおいで」となっている)。欲望とゆう「寝た子」がいったん起きて、泣きだすと、手がつけられなくなることがある。ぼくも、金がいるので、毎回宝くじを買うている。
当たったことないけど、買うた店には、「ここで、3億なんぼでました」てなことが書いてある。「3億円もいらんけど、せめて1億あったら、事業が再開できるのになあ。当たったやつは、このおんなじ風景の中で買うたんや。そして、あのメガネをかけたおばちゃんに、当たりますようにとアイソゆわれたはずや」と考えると胸が苦しくなる。
これは、自分で「当たるかいな」と思うているのに、体の中の欲望が、「金がほしい」ゆうて泣いているからやろか(前にもゆうたけど、どうせ当たらへんのやから、次の発売まで結果を調べんといて、3ヶ月間「ひょっとしたら当たっているかもわからん」ゆう期待を持つようにしているけど、このやり方が悪いのやろか)。
それにしても、なんでも欲望のせいにするのは、われながら問題かもしれん。
それ以外の「寝た子」はすやすや寝たままや。チェックのスカートから出ている女子高生の太ももに、むらむらすることもない(久米の仙人が、今生きていたら、いや生きているやろけど、下界に出てこないのはええことや)。
だいたい、今の生活は、満員電車でOLに体を密着することもないし(今は、女性専用車ゆう世界に恥ずべきものがある)、スーパーに行けば、ボンレスハムみたいな女体ばっかりやから、当分起きることもないやろ。
食欲は、昔からあるけど、胃がついてこんようになった(ギャル曽根のような胃はいらん。高うついてしゃあない)。
しかし、いつ「寝た子」が起きてくるもわからん。そのときの対策をもう一回。

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