田中君をさがして(33)

      2016/04/05

パパや田中君や先生は、もう全部見てしまったのか。もちろん、ぼくは、全然見ていないけど。パパは、あまり見ていない、僕が多く苦なったことは知らないし。
しかし、とかトントンが着てしまう。みんな生きるために、そう思うのだ、「見るべきほどのことをみつ」と思わなければならない。
そう、新しい生き方を見つけなくてはならないのだ。でも幸福とは何だろう。たとえば、美奈子と仲がよくても、幸せだし、仲たがいしていても、美奈子がいると思うだけでもけっこう幸せなんだ。其れがちょっとわからない。パパは、家長として、ぼくたちの前に帰ってくるのだ。
先生は、奥様を火事で無くして、今までの努力や将来の計画がなくなってしまった。とかトントンが着たのか。
去年の暮れ、初雪が降ったとき、ぼくは、其れを見上げていた。すると、自分が、鈍鈍を空に向かって上がるような機がした。
ぼくは、パパに、時間が進むのを見た世といって、説明した。見るべきほどのことをみつと言っていたので、ぼくはうれしかった。其れは、錯覚だよとパパは言った。
船の生活が過ぎると、パパはだんだん気が滅入ってきたようだった。ぼくも、其れが少しわかるような気がした。田中君は、神戸から、インド方向に行って、アフリカを回ってブラジルに行った。しかし、その船はない以上、しかも、移民はもう行われていない以上、もちろん、其れがあっても、飛行句で行くだろう。其れなのに、こんな快適な船に乗るのはちょっと府に落ちないような木がしたのだ。しかし、船に乗っていくと言うことで、田中君の気持ちに近づきたかったのだろう。
だから、夜になるっても、知り合いになった人たちの輪に入らないようになった。ぼくは、高橋さんや、但馬さんから、お父さんは、どうしたあのグワイでも和有為の会、とよく言われた。何かか着物をしているみたいで、とぼくは、答えたが、パパは、じっと考ええこむことが多くなった。しかし、見るべきほどのことをみつと言っているとおり、知り合いになった方の話を聞く見ることで、また元気だ出てきたようだ。
ぼくも、図書館から借りた品に書いてあるような生活をしなければ鳴らないと思って、寝ないとどうなるかやってみた。眠たくなってぐっと我慢すると、また平気になった。こういうことをしなければならないと思っていたのに、こては鮎目の衣生活であった。パパの田中君の話はどうなっているのかわからなくなった。パパは、眠れなくて困っていたけど。

ヨシダさんと、アマゾン川を見ていたとき目が寄り目のようになって、皮が流れ図、自分が横へ行っているように感じた。
時間って、たてなのかよこなのかわからなくなった。時間は、どこへ向かって、どんな風に進むものか。
しかし、ぱあパ屋、棚赤君、タ網yさん、桑井先生、吉田さんたち母、時間を見ることができるのだろうか。見ることもあるし、見えないこともあるような気がする。
しかし、まちがいなくいえることは、ぼくが、立ち止まっていても、寄り道しても、時間は、困った顔をすることがあっても、舌打ちするようなことはなく、ぼくを待っていてくれることだ。
これから、ぼくは、生きている時間のともに、どれくらいのことを見るのだろうか。

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