シーラじいさん見聞録

   

シーラじいさんは、翌朝早く目が覚めた。
まだ、体の節々が痛かったが、気力は萎えていなかった。早くオイデス山に行かなくてはという思いがすぐに沸きおこった。
今のうちに、空腹を満たしたかったが、まだ朝早いので、食料は、近くにはいないだろうと思った。
確かに、暗闇の中には、わずかな動きもなかった。それなら、とりあえずここを出発しようと考えた。
わたしは、なるべくシーラじいさんの邪魔をしないようにするつもりだったし、私についてきている人たちにも、そう注意していた。
しかし、シーラじいさんやその国についてのわたしの知識は、あまりにも付け焼刃で、このままでは、案内人の仕事を十分に果たすことができないような気がしてきた。
みんなの様子からも、単にシーラじいさんの言動を知るだけでは、ここまで来た甲斐がない。もっとシーラじいさんの背景について理解しておきたいという気持ちが汲みとれた。
わたしは、「今わたしが聞きますから」と目で合図を送った。
そして、わたしは、一歩進みでて、「シーラじいさん、お願いがあります」と声をかけた。
シーラじいさんは、急に声がしたものだから、体をびくっと震わせた。
そして、いつものように、やや頭を下げて、暗闇の中をうかがった。
「ああ、おまえたちか。人間だな。昨日も会ったな」
シーラじいさんは、わたしの声をおぼえていてくれたらしい。
「どうしたのじゃ」
「時間を取らせませんから、少しお聞きしたいことがあります」と、わたしは、必死に言った。
「いいぞ」
シーラじいさんは、落ち着いた声で答えたので、わたしは、すぐに、「この国はどのくらいの広さなのですか」とたたみかけるようにたずねた。
「うーむ、お前たちは、まんざら悪い連中でないようだから、教えよう」と、黒い大きな影となっている私たちのほうに向きなおって言った。
「北はマヨット谷まで、南はムワリ谷までぐらいだな。西は、何百メートルもある崖で行き止まりになっている。東は、もう少し低い崖までだ。
それぞれ、ムワリ崖とアンジュアン崖という名前がついておる。両方の崖には、大小無数の庇(ひさし)が出ているので、わしらには、安全な住処(すみか)となっている」
「どうしてですか?」
「大きい敵が入りにくいからだ」
「もう少しお聞きします。オーショネッシーさんのような国境警備隊は、何をしているのですか?」
「敵が侵入したときに、オーショネッシーたち若い兵士が、わしらに知らせるようになっている。
しかし、国境といっても、お前たち人間が決めるような厳密なものではない。
ご覧のように、ここは岩などで起伏が多いので、敵から身を守るのにはちょうどいい。だから、大勢のものが来たがる。わしらに害を与えない者なら、誰がここに住んでもかまわない。
だから、国境警備隊というより、故郷警備隊といったほうがいいかもしれん。
もちろん、食料となるものを呼び込むことも仕事の一つじゃ」
「それから、オーショネッシーたちは収集もしておる」
「収集?何を収集するのですか?」
「上から落ちてくるものだ。それを集めて、学者が調べるのだ。昨日言っただろう」
「何のためですか?」
「安穏に暮すためじゃ」
「わしらがこの世に生を受けて、4億年立つが、他の生き物と同様、多くの天変地異に巻き込まれてきた。
その都度、わしらも、生死に関わる影響を受けてきた。それで、危険を避けようとする本能ができあがったのだ」
「それは、どういうことですか?」
「わしらは、いつも『昨日とちがうことはないか』と感じるのだ。それで、奇妙なものが落ちてきたり、見慣れるものを見つけたりすれば、それは、何か悪い前兆ではないかと調査をするのだ」
「それは、どんなものですか?」
「大体、お前たち人間が作ったものが多いな」シーラじいさんは、くすっと笑った。
時間がかかっているので、気を悪くしているのではないかと気になっていたが、それを見て、わたしは、さらに聞いた。
「人間は、シーラじいさんたちまで、悪さをしているのですか?」
「人間は、地球すべてとはいわないが、地表では、我が物顔で振舞っているものな。
確かに人間の知性はすばらしい。おかげでわしらは、自分のことがよくわかった。
最近の研究では、わしらは、陸に上がった脊椎動物の祖先ではないらしい。当時、陸の近くの浅瀬にいたのにということだ。
そこで、わしらは、間抜けな顔をしている臆病者で、どこかうらぶれてさえいるという学者もいる」
「そうなんですか?」
「その後、大陸の移動のような大きな出来事があったので、わしらは、『変わらない』という決断をして、深い海に向ったのだ。
進化は、勇気でも英知でもなんでもない。ただ環境に合わすことじゃ。わしらは、そうしなかった」
シーラじいさんは、もう笑っていなかった。わたしは、もう話を終えるべきだろうと判断した。
しかし、誰かがわたしの袖を引っぱった。どうしても聞きたいことが残っているのはわたしにもわかったので、思い切って聞いた。
「お聞きしていましたら、シーラじいさんたちは、人間のような名前がついているのですが?」
「人間の英知を尊敬していると言っただろう?
名前をつけるという考えは、なかなか便利なので、軍隊で使っている。だから、軍隊に入ったことがない者には名前はない。
そして、兵士は、強さにあこがれるから、ギリシャ神話などに出てくる英雄の名前をつけたがる。
アキレウス、アレクサンドロス、アーサー王、ヘラクレス、スキピオ・アフリカヌス、レオニダス、ドレイク、ティムール、アクバル、ペルセウス、ナポレオンなどがそうだ。
三国志に出てくる英雄も人気がある。特にショカツコウメイやカンウは人気がある。
確かお前たちは日本人といっていたが、日本は遠いので、資料が少ないが、平家物語はよく知っている」
「だから、シーラじいさんは、平知盛を知っていたのね!」山田さんがたまらず叫んだ。
「じゃあ、ヤマモトは、山本五十六だわ!」高島さんも負けずに声を出した。
シーラじいさんは、あきれたようにわたしたちを見た。

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