シーラじいさん見聞録

   

マウのやつは、オイデス山のほうへ向ったとウミユリが言っていたな。
オイデス山は、マヨット谷の方角だ。
オーショネッシーたちは、マヨット谷の半分しか捜索できなかったとしても、オイデス山は通ったはずだ。しかし、マウのやつが、山の裏手にいたら、気がつかなかっただろう。
ときどき帰ってこない調子者がいるが、マウのやつは、国境の向こうがどうなっているのだろうとか、食料を探しにとかで、ふらふら国境を出ていくような者ではない。それは断じてない。
そして、親であろうが誰であろうが、いなくなった者を探したりせずに、自分の生活を続けるのが、自分の仕事だと4億年前から言われてきている。
それなのに、わしは、オーショネッシーたちに、マウを探すように命じてしまった。
オーショネッシーたちも、内心、なぜこんなことしなければならないのかと不満をもっていたのにちがいない。
若いとき、そんなことを言われれば、わしも断っただろうし、また、そんなことを命じた者もいない。
アーサー大佐は、かわいがっていた甥っ子がいなくなったとき、とても悲嘆にくれていたが、わしたち部下に探してほしいと言わなかった。
結局、甥っ子は、2、3日後に、ほうほうの態で帰ってきたが、サメにやられたようで、傷が深くて死んでしまったが。
ところが、わしは、親友だから探してほしいと言ってしまった。ああ、なんてことを言ってしまったのだ。
耄碌(もうろく)すると、まわりを傷つけ、自分を傷つける。長生きはしたくないものだ。
シーラじいさんは、あまりにも自分が情けなくて、がたがた震えてきたほどだった。
しかし、しばらくすると、感情は、行き場を失ったかのように、少し落ち着いてきた。
ほんとはこのまま死んでしまいたいが、往生際が悪いといわれても、明日、マウのやつを探しに行こう。
最初からそうしておけば、なんでもなかったのだ。このままでは、オーショネッシーたちや奥さんに顔を合わせられない。
オイデス山をぐるっと回ってから、マヨット谷の残りも探そう。
責任は、それから取ればいいのだ。
目をつぶって、何も考えないようにしていると、オイデス山の裏手で、死にそうになっているマウじいさんが浮かんだ。
そうなら、わしが、やつを見つけても、もうどうなるものであるまい。しかし、最後の姿を目に焼きつけてやれば、やつも、安らかに死んでいける。そして、わしを待っていてくれるだろう。
今度は、子供のとき、先生に連れられて、みんなでオイデス山の山麓で遊んだときのことが浮かんだ。
そこで一晩泊まり、翌日も遊んだ。たわいもない遊びだったが、あきることなく遊びつづけた。先生は、「変わらない」ことがいかにすばらしいかをいつも話してくれたが、子供心に、それが納得できたのだった。
それでも、少し熟睡できたのか、元気を取りもどした。すると気持ちが高ぶってきた。
外を見回した。まだ太陽が顔を出していないらしく、深度700メートルの世界は真っ暗だった。ときおり、遠くで赤い光が点滅しているのは、クラゲの仲間だろう。
鰭が一つなくなってから、体を動かすことが辛い。しかも、無理をすると、疲れがなかなか取れなくなっていた。
食料を取りにきた、サメの仲間のラブカに立ち向かったとき、ラブカの鋭い歯に噛み切られたのだ。
これで、シーラじいさんの名声は絶対的なものにあった。大人も子供も、いつもシーラじいさんのまわりに集まってきた。イカやタコの仲間も、シーラじいさんを見にくることがあった。
どこかに行けば、いろいろなイソギンチャクが、その華やかな無数の触手を打ち振り、クラゲたちが、七色の光でシーラじいさんを祝福した。
今回のことでは、そこに自分の甘えがあったのでないかと自分を責めたが、今は、そういうことを考えている場合ではない。もう悩んだり、迷ったりしている時間がないのだ。
シーラじいさんは、思い切って、高台の家を出た。進んでいる間に、わずかな光が届くようになれば、誰かに見つかってしまう。
それで、なるべく町中を避けるために、裏道を行った。しかし、岩などが立ちふさがり、大回りをしなければならないときは、運を天に任せて、表の道を進んだ。
オイデス山まで二日かかるのだから。体力を温存しなければならないからだ。
幸いなことに、ちらっ、ちらっと影を見ることはあったが、誰にも見つからずに、町外れまで行くことができた。
そこで少し休むことにした。もし食料を得ることができたら、なおさらいい。深海は、真っ黒から、濃紺になってきた。小さな影があちこちで見えた。
しかし、なかなか食料を捕まえることができなかった。しばらく、様子を見てみたが、近づいてくるものがなかったので、あきらめざるをえなかった。
多少空腹をおぼえたが、ゆっくりしておれない。シーラじいさんは、そこを離れた。
そして、気になるような岩などの後ろに回りながら進んだ。
相当疲れているのがわかったが、休もうとしなかった。一度休むと体が動かなくなるような気がしたからだ。
進んでいる間に、うまく食料を取ることができた。空腹を満たすほどではなかったが、かなり大きかったので助かった。
そうすると、やはり、これ以上進む気力がなくなった。
あたりを見渡すと、また暗くなっていた。一日中探していたことになる。
ここから、オイデス山まで、あと半日はかかるだろう。
しかも、山を一周するとなると、かなりの体力がいる。シーラじいさんは、ここで一泊することにした。
体があちこち悲鳴を上げていたが、疲れがそれを上回り、すぐに眠りについた。

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