シーラじいさん見聞録

   

近づくにつれて、向こうから来る波が段々大きくなってきて、なかなか進めなかった。
しかし、シーラじいさんは、力を振りしぼって前に進んだ。
すると、何か大きな塊が激しく動いているのが見えた。
胸騒ぎを感じたが、まさかこれがオリオンと関係があるとは思えなかった。
しかし、あれは何だろう。今まで見たことのないものだ。とてつもなく大きくて赤いものが回転したり、上下左右に大きく動いたりしている。
シーラじいさんは、体を崩しながらも、さらに近づくと、10本近い紐のようなもので、何かを押さえこんでいるようだ。
巨大なイカだ。その丸い目は大きく、激しい怒りで見開かれている。
そして、恐ろしいほど長い足で押さえられているのは、オリオンだ!
どうしたことだ。オリオンが、巨大なイカに捕まっている。
激しく動いているのはオリオンが逃れようと懸命にもがいているからだ。
「おーい、オリオン。わしだ。すぐに助けてやるからがんばれ」
シーラじいさんは、渦に跳ね返されながらも、大きな声でオリオンを励ました。
あっ、オリオンが何か叫んでいる。早く助けてやりたい。
シーラじいさんは、自分がオオダコに攻撃されたときのことを思いだした。
こいつらは、大きな吸盤で獲物を押さえつけてから、鋭いくちばしで攻撃するのだ。
よし、わしが食べられている間に、オリオンを逃がそう。
シーラじいさんは、くちばしをめがけて向っていった。
しかし、巨大なイカは、オリオンを絡めたまま、まだ激しく動いているので、体当たりする場所は定まらない。さらに向おうとすると、巨体に跳ねかえされるのだ。
オリオンは、必死で逃れようとしているのだ。
この現場には、倉本さん、高橋さん、多田さん、そしてぼくの4人がいたが、事態はあまりにも急激に起こったので、息を呑んで見守るしかなかった。
ぼくは、どうにかしてオリオンを助けたかったが、何が起きても、人間が、それに介入することは許されていない。
食べられる者は、食べる者の生命となるからだ。それが、海の、いや自然の掟だ。
シーラじいさんは、何回も向っていったが、その度に遠くへ飛ばされるばかりだ。
そのとき、真っ黒な煙が上がったと思うまもなく、巨大イカを包んだ。
やつが墨を吐いたんだ!シーラじいさんは、ここぞとばかりに、もうもうとしている煙の中に突進した。
しかし、何かに当たる気配はなく、ただ煙の向こうに突きすすんだだけだった。
シーラじいさんは、体を返し、もう一度ぶつかっていこうとしたが、煙は消えかかっていて、巨大イカの姿はどこにもなかった。
あたりを見ると、体から取れた足のようなものが一本くねくねと漂っているばかりだった。
さらに見まわすと、何かが上に向っていた。
シーラじいさんは、その後を追った。
すぐに追いつき、「オリオン」と叫んだ。オリオンは、返事をすることもなく、一つの物体のように浮きあがった。
シーラじいさんは、オリオンの体を調べた。あちこちに鋭い傷があり、出血している。
しかも、尾ヒレが折れている。
「苦しかっただろう。もう少しで親に会えたのに」シーラじいさんは、じっと目をつぶって動かないオリオンに声をかけた。
このままでは、やがて沈んでいくだろう。そうなれば死神のサメなどがやってくる。
シーラじいさんは、オリオンの体の下に入った。こうすれば、まだ助かる見込みがあると考えたからだ。
そのとき、「あんた、その子供を知ってなさるのか?」という声が聞こえた。
シーラじいさんは、オリオンの体の下から、声の方を見た。
紐のようにくねくねしている体は、5,6メートルはある。しかもその体は、黄色がかっていて、背と腹は、黒い縞模様で縁どられていた。
顔は、そう恐ろしい表情をしていないが、目は真っ赤で、相手を射貫くような印象がある。ウミヘビだ。その声からして、老婆だ。しかもかなり高齢のようだ。
「この子は、親とはぐれてしまったので、わしと探しているところだ」
シーラじいさんは、相手を睨みながら言った。
「そうか。ちょっと遅すぎたかもしれんな。年を取ると踏ん切りが悪くなる。お互い年を取りたくないものじゃな」
ウミヘビの老婆は、にやっと笑った。
「そうか。おまえさんがあいつを追っ払ってくれたのか。さっきの足のようなものはおまえさんだったか」
「たいしたことはしていないが、あいつの口の中に、少しお見舞いしてやったのさ」
「毒を入れたんだな。道理であわてて逃げたんだ」
「その子供にも、少しだけ入れてやった」
「えっ」
「少しなら気つけ薬になる」
「ありがたい」
「おまえさんも知ってとおり、本来そういうことはしてはいけないんだが、この子供には、何か感じるところがあったんでな」
「わしも、そう思っていたところじゃ」
「しかし、相手が悪かったな。あいつは、クジラとも戦うのだから」
「クジラですって!」
オリオンが叫んだ。

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