のほほん丸の冒険

      2023/11/06

のほほん丸の冒険
第1章1
どこかの駅に入ると、パパはぼくを抱いて人ごみの中を進んでいった。
しばらく行くと、ぼくを降ろしてから、「ほら、向こうでおまえを見ているのがママだ。走るんだ」と言った。
ぼくは驚いてそっちを見た。確かに50メートルぐらい先で身を少しかがめぼぼくを笑顔で見ている女の人がいた。知らない女の人だった。
しかし、ぼくが夢にまで見ていたママがあの人かと思うと、なんだか急に恥ずかしくなって、その場に突っ立ったままだった。
「どうしたんだ。ママに会いたかったんだろ?」パパはそう言うと、ぼくの背中をちょっと押した。
すると、ぼくは、太陽の引力から外れた地球のように、にこにこ笑っている女の人のほうに走りだした。
女の人はぼくが走ってくるのをじっと見ているだけだったが、顔の表情がどんどん変わっていくのが分かった。ようやく女の人のそばに行くと女の人はぼくを抱きあげ、ぼくの名前を呼んだ。
ぼくは、「うん」と答えると、ぎゅっと抱きしめて、声を上げずに泣いた。
顔を見ると涙でくしゃくしゃになっていた。しかし、その後どうなったかはまったくおぼえていない。これは3才ぐらいのことで、自分にとって一番古い記憶だ。
そうそう。その日家を出るとき、いつもの靴を履こうとすると、パパはママが送ってくれた白いサンダルを履くように言ったことも覚えている。
どうしても白いサンダルを履かせたかったのは、ママに見せるためだったかもしれない。
しかし、その女の人がほんとにママだったかはわからないのだ。それまでママの顔を知らなかったし、10才になった今でもママの写真を見たことがないからだ。
パパにも聞くことができない。パパはその後外国に行ったままで日本に帰ってこない。その間、ぼくはあちこちたらいまわしされてきたのだ(もっともぼくのほうに非があるからだが)。
ぼくはママの顔を思い出そうとした。そのとき、「ぼく!」という声が聞こえた。
新宿駅までぼくを迎えに来た叔父さんかと思い、居眠りからすぐに目を覚ますとぼくの顔のすぐそばに女の人の顔があった。
「ぼく、お願い。これを30分ほど持っていてくれない。すぐに取りに来るから」
それは茶色い小さなバッグだった。ぼくは女の人の顔とバックを見た。
「これに大事なものが入っているの。ちょっと用事ができたので預かってくれる?」と早口で言った。
「いいですよ。親戚の叔父さんと待ち合わせしているのは3時ですから、大丈夫です」
「ありがとう。ここにいてね。それと、絶対他の人には渡さないで。お願い」と念を押した。
「わかりました」ぼくが答えると、女の人はコンコースを走っていった。
ぼくは時間を確認するために改札口のほうに行った。2時30分だった。ぼくはここに着いたのは、2時10分だったから、ここについてすぐに居眠りをしたようだ。駅の雑踏を見ていると、昔のことを思い出し、その喧騒が子守唄になってしまったようだ。
新潟からくる叔父さんはほんとはパパの叔父さんであって、ぼくのおじさんではないが、ぼくの後見人みたいなことをしてくれている。
おじさんは田舎で一人暮らししているようで、他にぼくを迎えにくる人間がいないので、仕方なくぼくを迎えに来たのだ。昔新宿に住んでいたので、新宿まで行くという連絡があったのだ。本来施設まで迎えに行かなくてはならないが、おじさんは断った。施設としては早くぼくを厄介払いしたかったので、それを了承したらしい。
とにかく、荷物を預かったからにはもう居眠りはできない。ぼくはリュックサックを背負っていたが、預かったカバンは尻に敷いていた。手に持っていたらひったくかれるかもしれないからだ。ぼくは雑踏を見ていた。
すると、左から3人の男が走ってきた。そして、「坊主。今女がここへ来ただろう」と大きな声で言った。
「はい来ました。『南口はどこか』と聞いたので、『そちらです』と教えました」と言った。
3人は女の人と反対のほうへ走っていった。ぼくはどこかへ行きたかったが仕方がない。30分までは後10分ぐらいだろう。とにかくこのバッグ返せば仕事は終わる。後は初めて会う叔父さんからパパやママの情報を聞くだけだ。ただし、新潟まで一緒に帰りたくない。
「おい、坊主。ほんとにこっちに行ったのか」顔を上げると、さっきの男3人がぼくを見ていた。
「はい。まちがいないです。ホテルのほうに行くと言っていたような気がします」
「ほんとか」一人の男が疑わしそうに聞いた。
「ほんとです」ぼくはすぐに答えた。
別の男が、「おまえのリュックを見せろ」と怖い顔で言った。
ぼくは、「わかりました」と答えながら、バッグを持って逃げた。

のほほん丸の冒険
第1章2
3人の男は、「逃げたぞ」、「捕まえろ」とあわてて叫んだ。かなり離れたはずだが、このままではすぐに捕まる。ぼくはどこに逃げたらいいか前を見た。向こうから小学生の集団が来る。何百人もいそうだ。そこに紛れ込めば逃げられるかもしれない。集団は50メートル先を右に曲がるようだ。しかも、そこは細い通路になっている。
よし。ぼくは集団の最後尾まで走った。そこにいた教師の隙を見て、集団の中に入った。ぼくを見て、誰だという顔をする子供がいたが、かまわず集団の中ほどまで進んだ。
集団は細い通路に入った。通路に沿って工事用のテントがかかっていた。
男たちは走りにくいと思ったが、通路が狭いので動きが遅い。これでは追いつかれてしまうかもしれない。
案の定、「あいつだ!」という声が聞こえた。ぼくは声のほうを振り向かずに真っすぐ前を見て歩いた。
後のほうでざわつく声がした。教師もそれに気づいたのか、笛を鳴らして、「止まれ!」と叫んでいた。何も知らない教師は、集団に怒った男たちを先に行かそうとしているのか。
これはまずい。ぼくは徐々に左に寄った。一か八かテントの中に入った。テントの中は板塀が続いていた。これは誤算だ。
前に進むべきか。戻るべきか。一瞬迷ったが、戻ることにした。あの女の人が戻っているかもしれないからだ。
やつらはぼくがテントの中に入ったことを知ったようだ。あちこちテントが開くが、集団の子供たちもいるので確認しづらいようだ。
ぼくは板塀の中に入れないか走りながら必死で探した。すると、板塀に出入り口のようになっているのを見つけた。そこに力を込めて押した。開いた!
工事中でものすごい音がする。あちこちで多くの作業員が働いている。ぼくを見つけた一人が、「ここへ入ったちゃいかん。すぐに出なさい」と大きな声で言った。
ぼくは、「人に追われているんです。助けてください」と答えた。その声に大勢の作業員が手を止めてぼくを見た。
近くにいた作業員が、「何かあったのか?」と聞いた。「男がぼくのカバンを取ろうと追いかけてきています」と答えたが、ぼくが泥棒と思われているかもしれないとすぐ思った。
作業員が、「それじゃ、駅員さんに言いなさい」と言ったとき、「いた!」という声とともに、男3人が入ってきた。
ぼくは、道具や板などの間を縫って逃げた。男たちも、「待て!」と追いかけてきたが、何かひっかけて転んだものがいるのか、「痛たた!」大きな声が聞こえた。
「危険です」、「出てください」作業員も声を上げている。
ぼくは奥に逃げた。板のようなものが積まれていたが逃げ場がない。ちょうどそのとき、壁の一部が開いた。そこもドアになっていたのか。
ぼくは電光石火の勢いでドアの中に入ったが、体が宙に浮いた。暗くて見えなかったが、階段になっていたのだ。すぐに宙から落ちたが、そのまま階段を転げ落ちた。体が止まると無我夢中で立った。目の前は行きどまりだったが、ノブのようなものを見つけると、それを回した。外に出た。
外に出ると光と音楽が溢れていた。人もゆっくり歩いている。両側には店が並んでいる。アーケードのようだ。そこを走ったが、体が徐々に痛くなってきた。もう歩けないほどだ。
どこかにドアがないか見ながら走った。エレベータの横にドアがあるのを見つけた。
開けると通路があった。「ここなら大丈夫だ。逃げ切れる」と思った。
誰にいない通路を進んだ。途中年輩の男の人が部屋から出てきた。ぼくに気づくと、「ぼく。どうしたんだ?」と大きな声で聞いた。
ぼくは、「集合時間に遅れてしまったので、みんなに追いつこうとしたのですが、迷ってしまって」と泣きそうな顔で答えた。
「ほんとか。それはたいへんだ」
「そうなんです。急におなかが痛くなって、『トイレに行ってくるから、先生にそう言っておいて』と友だちに言って走っていきました。駅員さんに事情を話して特別に改札口から入れてもらいました。
終って改札口を探したのですが、迷ってしまいました。みんな待っていてくれたらいいのですが」
「駅のどこにいたのかわかるか」
「出口を出て、集合していたときです。観光バスに乗るところでした」
「バスに乗るのか。それなら西口だな」
「そうです。そうです。西口です。そう言っていました」
「それじゃ、ぼくが一緒に行くよ」
「ありがとうございます。みんなに迷惑かけちゃって」
「新宿駅はギネスブックにも載っているぐらい乗降客が多い駅なんだ。駅も複雑だからね。おじさんもぼっとしているとまちがうからね」
ぼくは、頭の中で、西口か。ぼくが待っていたのは南口だったはずだ。西口から南口まで行くのはどうしたらいいのだろうか。あの女の人が待っていてくれたらいいがと考えた。
「とにかく急ごう」男の人はそう言うと、速足で歩きだした。ぼくも小走りでついていった。

のほほん丸の冒険
第1章3
両側に事務所が並んでいる通路を突き当りまで行き、左の階段を下りてまたアーケードに出た。ぼくは男がいないか後ろを見ながら、男の人についていった。
男の人も話好きのようだが、ぼくを早くみんなに合わせなければならないと考えたのか一言も言わずに走るように急いだ。
そからも階段を上がったり下がったりしてようやく駅の外に出た。「西口に着いたよ。どこにいるか覚えているかい」とぼくを振り返って聞いた。顔は汗だらけだ。
ぼくはそこから見える広い場所を指さして、「あそこだったと想います」と言った。
「誰もいないな」男の人は独り言につぶやくと、「ちょっと聞いてくるよ。ここから動かないでくれ。小学校の名前を教えてくれないか」と聞いた。
ぼくは、おじさんやパパの出身地である長野県の小学校名を適当に答えた。
「長野県松本市の松本第三小学校だね」男の人は確認すると、駅の中に急いで入った。
ぼくは用心のために数軒並んでいるレストランの間に行った。そこは少し引っ込んでいて、しかも、ショーウインドウの横ガラスから通る人が見える。そこから左右を見ていて、もし男が来たら店に逃げ込めばいい。
5分ほどすると男の人が戻ってきてぼくを探している。あたりを見てからそちらに行った。
「今小学生が行方不明になったという届けが出ていないか聞いてきたんだ。でも、出ていなかったな。どうしたんだろう?」
「多分今までここにいたけど、ぼくが戻らないので、他の生徒はバス乗り場に行き、残った先生が今探しはじめたばかりだと思います」
「そうか。それならわかる。どうしようか?」
「すぐにバス乗り場に行きます。そうしたら、バス乗り場にいる先生が、ぼくを探している先生に連絡すると思います」
「なるほど。きみは冷静だ。すぐにバス乗場に行くか。一緒に行くよ」
男の人は、そう言いながらも連れていくかどうか迷っていりようだったので、
「いえ。ここから近いと聞いています。もう大丈夫です。ありがとうございました」
と言った。
「でも、10分はかかるし、ややこしいよ」
「大丈夫です。迷ったら聞きます」
「工学院大学の前が観光バスの乗り場になっているんだ」
「工学院大学ですね。わかりました」
「ここを渡って京王プラザホテルを聞くんだ。そこに工学院大学がある」
ぼくはもう一度礼を言って、道を渡った。男の人がぼくの後ろ姿を見送ってくれているのがわかったのでバス乗り場のほうに急いだ。それから曲がり角から駅のほうを見ると、男の人はいなくなっていた。
すぐに西口に戻ることにした。男の人と別れた場所に戻り、人に南口を聞いて急いだ。
時計を見るとバッグを預かってから2時間近くたっていた。大事なものなら、あの付近にいるだろう。もちろん男たちに見つからないようにして。とにかくあの女の人にバッグを返せばぼくの仕事は終わる。
ようやく南口に着いた。幸い大勢の乗客が行き来しているからその中に紛れ込める。
ぼくは改札口まで行き、また戻る。それらを数回繰り返したが。女の人はいない。
顔をあまり覚えていないが、ママに似た声だった気がする。もっともママの顔も覚えていない。
これからどうしたらいいのだろう。おじさんが迎えに来てくれただろうが、おじさんはぼくと会えなくても気にはしない。どうせ気が変わってどこかに行ったのだろうと考えて、帰ったはずだ。
おじさんはほんとはパパのおじさんだが、若いころから好き放題に動いて、約束なんか守ったためしがないとパパは言っていた。そのパパも研究者が今どこの国いるか分からない。その血統を受けついでいるぼくが何をしてもみんな驚かないだろう。その時、目の端に何かが映った。ぼくはそれとなく見た。男がきょろきょろしている。男たちの一人だ。
ぼくは、改札口を出る大勢の大人の間に交じって南口の外に出た。
そして、目の前の道を見た。歩行者信号が点滅している。ぼくは急いで道を渡った。
危なかった!ぼくは駅のほうをちらっと見た。横断歩道で待っている人の中にさっきの男がいるようだ。またか!ぼくは体の力が抜けそうになったが捕まるわけにはいかない。
まだかなり離れているが、あいつが仲間に電話するはずだ。早く逃げなければならない。ぼくはとりあえず駅から離れようと決めた。

のほほん丸の冒険
第1章4
新宿駅のほうを振り返って、今見えている形を覚えた。東西南北がわからないし、また駅に戻らなければならないので、この方法が確実だ。それから、駅を背にして、まっすぐ進んだ。
10分以上たったので、もう大丈夫だろうと思って少し歩いた。すると、ものすごくおなかがすいていることが分かったので、コンビニでおにぎりとお茶を買った。
近くに小さな公園があったので、中に入った。子供連れが数組いたが静かだ。
あたりを見てから、木の陰のベンチで食べた。少し落ち着いてきたので、少し考えをまとめることにした。
女の人にバッグを預かってと頼まれたのは、ママの夢を見ていた時だった。女の人の声が聞こえたとき、ママだ!と思って目を開けた。
しかし、目を開けると、顔が引きつった30才ぐらいの女の人が目の前にいた。
「ぼうや、ごめん。すぐに戻ってくるからこれを持っていて。絶対人に渡さないで」と言った。突然のことで返事をしないうちに女の人とは走っていった。それで、バッグを隠すために、背中のほうにおいた。トイレでも行ったのかと待っていると、3人の男が走ってきたのだ。それから、逃げる羽目になった。
こんなことにならなかったら、今頃どうなっていただろう?おじさん、パパのおじさんだが、二人で電車に乗っておじさんの家に向かっていたはずだ。
しかし、おじさんは駅まで来ただろうか。パパが言っていたけど、おじさんは若いころから突然家に帰ってこないことがよくあったそうだ。それも、何か月も音信不通だった。それが何回もあるので、家族はほっておいたそうだ。
パパは、「おまえもそうだな」と笑っていたが、パパもそうだ。実際今もどこにいるか分からない。ヨーロッパのどこかの国と聞いているが、連絡もない。
確かに、ぼくもすぐどこかに行きたくなるが、それはどこかに閉じ込められたからだ。
ママは入院していたらしいがどこに入院していたかもしれないし、見舞いに連れていかれたこともない。
パパもいなくなるので、パパの友だちの友だちの家とか、知らない家とか、施設に預けられた。
窮屈な生活をしていると、体がだんだん動かなくなってきたような気がして、動ける間にどこかへ行こうと思うのだ。
そして、海や山で寝泊まりしていると、誰かが世話をしてくれた。そういう人は、警察などに連絡せずに自分の子供のように扱ってくれた。
しかし、おせっかいな人に当たると、大げさなことになってしまう。「おまえの行動は自分勝手だ。邸宅やホテルのような施設で暮らせるのは恵まれている。何回もこんなことしていいと思っているのか。考えを改めろ」と警察で何度も怒られた。
しかし、今はそんなことを思いだしている暇はない。おじさんは、新宿駅でぼくと出会えなかったといって、警察や今日の朝までいた施設に連絡するような人ではないから、早くバックを返すことだけを考えたらいいのだ。
一番早いのは交番に落とし物として届けることだが、あいつらが、バッグを落としたと言ってすでに交番に行っているかもしれない。もちろん、交番で自分のことが聞かれるのも心配だが。
女の人は、「待っていて。必ず来るから」と言ったのだから、そうしなければならない。
ぼくは立ち上がって公園の中を歩いた。そして、大通りに出て、また先に進むことにした。コンビニで時計を見た。新宿駅を出てから1時間たっている。
一度駅に戻ろうかと思って、どこかの道を左に行くことにした。しかし、そのまま歩いていると、大きな公園が見えた。その公園を越してから、次の道を左に行くと決めた。
「あっ、あそこにいる!」と言う声が聞こえた。振り返ると三人の男が走ってくる。あいつらだ。ぼくはすぐに公園の中に逃げ込んだ。駅から離れたのにどうして見つかるのか。泣きそうになりながら走った。
後ろから走ってくる音が聞こえる。ぼくはでたらめに走ってやつらをまこうちした。
すると、「おい。坊主、どうした?」と言う声が聞こえた。ベンチにいる男だ。
「追われています」と走りながら答えた。
「そうか。こっちへ来い」男は立ち上がってぼくに言った。ぼくは、「はい」と答えた。男は走り出したので、ついていった。
しばらく走ると、青いビニールテントが見えた。「こっちだ!」若い男は叫んで、ビニールテントに向かった。
ぼくは男を見た。「大丈夫だ。早く入れ」と叫んだ。そしてビニールをめくってぼくを押し込んだ。

のほほん丸の冒険
第1章5
ぼくは何かにけつまずいて倒れこんだ。「坊主。こっちへ来い」というが聞こえたので、頭を上げると奥で白いひげを伸ばしたおじいさんがすわっていた。
言われるままにそちらに行くと、おじいさんは自分が使っていた毛布のようなものを広げて、「入れ!」と言った。
外で何か叫び声がしている。ぼくは思わず頭から飛びこんだ。
「誰じゃ。おまえは」とおじいさんが怒鳴った。その声でぼくの体が震えるほどだった。
「子供を探しているんだ」男の声が聞こえる。「ここにはおりゃせん。おまえは知らんのか」誰かに言っている。
「ベンチにすわっていたとき、目の目を走っていきました。そう言っているのに信じないんですよ」ぼくをテントに押し込んだ男の声だ。
「早く行かないと見失うぞ」おじいさんが言うと、男は出て言ったようだ。
しばらく静かになった。ほっとして息を吸い込んだ。すると、ものすごいにおいが鼻に着いた。思わず咳き込むところだった。手で口を押えて我慢した。
ようやく、「坊主。出てこい」という声とともに、毛布が払いのけられた。
ぼくは咳き込んでから、「ありがとうございました」と礼を言った。
「何があったのじゃ?あの男から何か盗んだか?」おじいさんはそう言って、ぼくのリュックサックとバッグを見た。
「そんなことはしません」と言ってから、今までのことを話した。
出入り口を背に、おじいさんに話していたのでわからなかったが、話が終わって振り返ると、5、6人の男がすわっていた。においには徐々に慣れてきたが、ときどき違うにおいがすることがあった。多分、そのとき人が入ってきたときだろう。
ちらっと見ただけだったが、若い男も、かなり年を取った男もいた。みんな無精ひげとぼさぼさの髪の毛だった。
おじいさんや男たちの様子を考えると、ホームレスと言われている人たちに違いないと思った。
とりあえず早くここを出ようと思って立ち上がると、おじいさんは、「どこへ行くのじゃ?」と聞いた。
「新宿駅に戻って女の人にバッグを返そうと思います」と答えて、テントを出ようとした。
「それはやめたほうがいい。3人の男がいると言ったな。おまえが駅の近くにいることがわかったので、あいつらもまだうろうろしているじゃろ。つまり、おまえが女の人に会いたがっていることが分かったのじゃ。
それにしても、おまえが預かったバッグはなんじゃろ。その女の人が男から奪ったものか、女の人のものを男が奪おうとしているのかわからないが、よほど大事なものと見える」
「ぼくにはまったくわかりません」
「それなら、交番に届けたらどうじゃ。それで、おまえの責任は果たされたことになる。そうしなさい」おじいさんはそうぼくに説得した。
しかし、ぼくは、「いいえ。ぼくが自分の手で返します」と答えた。そして、「助けていただいてありがとうございました。それでは失礼します」と言ってテントを出ようとした。
「ちょっと待ちなさい」おじいさんは慌てて言った。「おまえの気持ちは分かった。それでは、若いものをつけてやろう」すると、男が全員立ち上がったようだ。
「5人も行くと目立つ。テツとリュウ。二人で行け」
「わかりました」テツと言われた男はぼくをこのテントに入れてくれた男だ。リュウは小柄な男だった。
3人で出かけようとすると、「待て。その恰好じゃ職質に会う。そこから、旅行者のような服を選べ」とおじいさんが言った。
二人がシャツとズボンを着替えたので、すぐに三人でテントを出た。

のほほん丸の冒険
第1章6
テツとリュウの二人はぼくの前と後ろに分かれてついてきてくれた。それはいいが、駅に向かう歩行者はとにかく速足なのであまりガードマンとして役に立たないのだ。
二人は急いで歩くことはないようなので、すぐに遅れる。それで、慌ててついてくるが、息切れをするので、また遅れるのだ。
とにかく何事もなく新宿駅に近づくことができた。ぼくは二人を待って、「これからどうしたらいいのですか」と二人に聞いた。
テツは、「おまえの近くにいるから、女の人を探せばいい」と言ってから、リュウに、「坊主が女の人を探してい間、おれたちは坊主に近づいくる男に気をつけるんだ」と指示を出した。
「来たらどうしますか」リュウは聞いた。
「すぐにリュックサックをひったくるから、後ろから羽交い絞めをしろ。三人いるということだから、後二人がおまえを攻撃したら、おれが三人を叩きのめす」テツは作戦を失明した。
そうだ。ぼくの私物や問題のバッグはおじいさんに預けてきたのだ。少し迷ったけど、あいつらに奪われることを思うと、それがいいと判断したのだった。そして、女の人と会えば、テントまで来てもらえばすむことだ。
「坊主。それじゃ、駅に入れ」作戦は開始された。
「ありがとうございます。それじゃ、お願いします」ぼくはそう言って、まず一人で入っていった。
相変わらず大勢の人が行き交っていた。あちこち見ていて、何度もぶつかりそうになった。
ぼくが居眠りをしていた場所をそれちなく見たが、女の人も男たちもいない。
これじゃ、いつまでたっても状況が変わらない。そこで、わざとその場所に立ってみようと思った。女の人もぼくを見つけやすいし、男たちもそうだ。
もし女の人だけがぼくを見つけたら話は早い。また男だけでも、両方でも二人に任せたらいいのだ。どちらにしろ、もうあれほど逃げつづけることはないのだ。
ぼくはテツとリュウをさりげなく見てからそこへ行った。そして、立ったまま人のう往来を見た。
二人も、誰かを待っているかのように、時計を見たりあちこち探したりと演技をはじめた。
ぼくはじっと立っていた。しかし、構内はさらに人であふれてきたが、何事も起こらない。
気がつけばもう午後8時近かった。もう1時間過ぎたなと思っていると、テツが近づいてきて、「坊主、どうする?」と聞いてきた。
「誰も来ませんね。ぼくが待っていますから、お休みください」と答えた。
「そんなことを言っているのじゃない。これだけ来ないのなら、今日はいったん引き上げたらどうかということなんだ」
「そうですね。それがいいかもわかりません」」
「これからおまえはどうするのだ。家には誰もいないと言っていたな」
「そうです」
「今晩はどこで寝るんだ」
「ぼくの荷物と預かっているバッグを返してもらってどこか公園で寝ます」
「ホテルは?」
「そうしたいのですが、子供一人は断られますから」
「それなら、じいさんのテントはどうか」
「ありがたいですが、迷惑ではないですか」
「そんなことはない。じいさんは子供が好きだから喜ぶよ。それに、毎日3,4人の若い者が泊まっている」テツが言うと、リュウも口をはさんだ。「みんな金がなくなると来る。食いものも酒もあるからね。金があるときは、じいさんに渡すが、じいさんは使わずに、そいつが金欠病になると返す。ただ、においに耐えられるか。
おれは長時間は無理なので、金がないときは仲間の」
ぼくはあのおじいさんがどんな人か興味が湧いてきたので、もっと聞きたかったが、テツが、「とにかく腹が減ってきたので、何か食おう」と話題を変えた。
ぼくは、「お世話になったので、ご馳走します」と答えた。
「それはできない。おれたちにもプライドというものがあるからな」テツはきっぱりと断った。
「それじゃ、コンビニで何か買います。ぼくもお腹がすいて」
それは了承してくれたので、三人でコンビニに行った。そして、公園で食べることにした。

のほほん丸の冒険
第1章7
弁当3つとお茶3つ、お菓子を3種類、それにテツとリュウの二人には缶ビールを公園にあるテーブルに広げた。
「こりゃ、すごいぜ。ビールを飲むのは3か月ぶりだな」リュウが叫んだ。
リュウが、コンビニでビールが並んでいるケースをちらちら見るので、ぼくが「ビールはどうですか」と聞いたのだった。
テツもテーブルを見て、「そう興奮しなさんな。しかし、これは宴会だな。ぼく、ありがとうな」と上機嫌だ。
それから、3人とも一言も言わず弁当を食べ、おやつを食べた。二人はビールをうまそうに飲んだ。
「ごちそうさんでした。うまかった。しかし、リュウ、あれだな」とテツが口火を切った。
「何ですか?」リュウが聞いた。
「この子のように、知らない人から頼まれたことを自分を犠牲にしてやるなんてことはおまえにはできないだろう」
「できませんねえ。もっとも、大事なことをおれに頼もうとする人はいませんけど」「確かにそうだ」テツはビールで赤くなった顔をさらに赤くして笑った。
「しかしだ。相手が慌てていておまえのことを観察しないで、おまえに頼んだとしよう」
「今日はからみますねえ。何を頼まれるんですか?」
「この子のように、何か預かってくれと頼まれるんだ」
「1時間ぐらいは待ちますよ。しかし、警察には行きませんよ。おれは何回も捕まっているので、おまえが盗んだんだろうと疑われるのはまちがいないですから」
「それは確かだ。しかし、おまえの手には預かったバッグがある」
「攻めてきますねえ。バッグを開けて手がかりがないか調べます」
「それはありだな」
「きみはどう思う」テツは、お弁当のせいか、ぼくを丁寧に呼ぶようになった。
「そうですね。次どうするかまだ考えられないです。今は預かったものをそのまま返したいだけです」
「そうだろうな。きみは真面目そうだ。お父さん、お母さんがいないと言っていたな」
「はい。パパはどこか外国で生きていると思います。パパの友だちがパパからの伝言を連絡してくることがありますから。しかし、ママのことはまったくわかりません」
「エリートの家もたいへんだな」
「エリートじゃないです。ほとんど施設で暮らしてきました」
「おれもそうだよ」とリュウが言った。
「おまえは親に捨てられたんだろう」テツがからかった。
「まあ、そういうことになりますね」
「親は帰ってこなかった」
「よくご存じで」
「100回は聞いたぞ」
「結局両親は捕まっていて、名前も住所も言わなかったようです。親戚中たらい回しにされましたが、中学を出るまでの6年間は施設です。施設を出てからは何回も捕まったけど、じいさんに拾ってもらって今に至るです」
「それはおれも同じだ」テツも身の上話をはじめた。
「父親はむしょぐらしだし、母親はあちこちの温泉場で働いて、家にはほとんど帰ってこないし、まあ、おまえと同じ境遇だな」
「それからどうしたんですか?」
あまり年上の人の境遇を聞くことがないためか、ここぞとばかりに聞いたようだ。
「おれか? おれは中学を出ると、鉄工所で一生懸命働いたさ。
しかし、住み込みの先輩が悪かった。昼間はまじめに働くが、夜になると人間が変わる。
ばくちがとにかく好きで、しかも、時々おれについてこいというのだ。ある日、先輩がばくちの途中で体調がおかしくなったことがあった。しかし、胴元がやめさせてくれないので、おれが代わりにすることになった。ばくちのことはよく見ていたので、その日相当勝ってしまった。ビギナーズラックというやつだな。
おやじがばくちで人生や家庭をつぶしたので、ばくちは絶対しないと決めていたが、勝ったので、先輩がおれを離さなくなってしまった。
しかし、最後には負けが込んできて、先輩に顔向けできなくなり、鉄工所を辞めざるをえなくなった。
それからあちこち務めたが、先輩運が悪くてどこも長続きしなかった。それからはおまえと同じコースだな。じいさんに助けてもらわなかったら、今どうしているか分からない。あっ、9時だ。じいさんが心配している」テツは公園の時計を見て叫んだ。

のほほん丸の冒険
第1章8
すっかり暗くなっていた。お互いの身の上話で時間を忘れたのだ。3人で弁当の容器などをかたづけて、おじいさんのテントに急ぐことにした。
しかし、帰り道も、誰かが何を言うと、誰かが聞くことになり、途中で立ち止まることもあった。年齢も違うし、知り合ったのも2時間ほど前だったのに以前からの友だちのような気分だった。
ようやくテントに近づいたようだ。テントがある一角は明かりがないので、ぼくにはわからなかったが、二人は歩道から空き地に入った。
テツは、「じいさん。遅くなりました」とテントの入り口を開けた。後ろから見たが、小さなランプがついているだけなので、暗くてよく見えない。
「帰ってきたか」という声が奥から聞こえた。テツが、「じいさん。子供を泊めてくれますか」と叫んだ。
「お安いことじゃ」じいさんもすぐに答えた。「早く上がれ」
リュウはぼくにも上がるように言って3人でテントの中に入った。確かに臭いが、少し慣れてきたようで、吐き気はしなかった。しかし、布団があちこちにあるので、リュウの手をもって摺足で進んだ。
おじいさんの前まで行きすわった。そして、「結局誰も来なかったんです」テツが報告した。
「そうじゃったか。それは気の毒だったな」
「この子は休むことなく探したんですが、女の人も、男らもいませんでした」
「おまえら何か食べたのか」
「実はこの子におごってらったので、それを食べたので、帰りが遅れてしまったわけです」リュウが報告した。
「そんなことまでしてくれたのか」影法師となったおじいさんはぼくに言った。
「いや。こちらこそ助かりました」
「ビールまでおごってくれました」リュウが止まらない。
「どうせおまえがせがんだな」
「そんなことはしませんよ。ちらっと棚を見たかもしれませんが」
「それがせがんだことじゃ」
「いらん気を使わせてすみません」リュウはおどけた調子でぼくに謝った。
「とんでもありません。公園では楽しかったです」
「疲れたじゃろ」
「いや。二人がぼくを守ってくれていたので、疲れていません」
「まあ、ゆっくり休め」
「今日は、サトシ、マサ、アキラが来るんですね」テツが聞いた。
「よくわからんが、誰かが来るじゃろ」
「それならおれたちは帰ります。明日すぐに来ますから」
「もっとゆっくりしていけ」
「変なのがいっぱいいると、この子が落ち着いて休めませんよ」
「そうかもしれん」
テツとリュウは、テントの奥のほうで何かしていたが、すぐに出ていった。
おじいさんは、「二人が今布団を敷いてくれたので、そこで寝なさい」と言った。
ぼくは礼を言って、自分のリュックを横において、預かったバッグを胸に抱いて横になった。
「おじいさんの世話をする当番が決まっているのか。それにしても、このおじいさんは何者で、リュウやテツなどの若い人も何者なのか。とにかく、悪いことをする人ではないようだ。明日は返せるだろう。それから、叔父さんに連絡を取ったほうがいいだろう。叔父さんの家に行くかどうかはわからないが・・・」
そこまで考えたが、一気に睡魔が襲って来たようで寝てしまったようだ。
「おじいさん」という声が遠くで聞こえた。
「静かにしろ。客が寝ている」という声も聞こえた。「わかりました。上がります」
サトシ、マサ、アキラか。リュウぐらいの年か。仕事はしているのか。リュウは時々すると言っていたが。
「子供じゃないですか」誰かが聞いた。
「どうしたんですか。迷子ですか」
「違う。知らない人から預かったバッグを返そうと一日新宿駅を探しまくったが、結局相手はあらわれなかった。おまえたちはそんなことできないじゃろ?」
「たいしたものではなかったじゃないですか」
「そういうことではない。早く寝ろ」若い男たちは自分の場所を作って横になったようだ。ぼくもすぐに寝てしまった。

のほほん丸の冒険
第1章9
どこかで、「ぼく、ぼく」という声が聞こえる。慌てているようだ。声のほうに走りだした。
多くの人が行き交っているが、助けを求めているような人はいない。思い切って、「探していました。預かっていたバッグを返します」と大きな声で叫んだ。
しかし、誰もぼくのほうを振り向かない。「どこにいますか!」と何回も叫んだ。
また、男らが出てくればやっかいだが、仕方がない。
あっと思った。「ぼくを呼んでいたのはママかもしれない」
ぼくは、「ママ、ママ」と叫んだ。今度はぼくをちらっと見る人がいたが、すぐに歩いていった。
ママに会ったのは、7,8年前だ。その時、どこかに一緒に行った記憶がないから、そのままプラットホームですぐに別れたかもしれない。それでか、ママの顔は思いだせない。ママもぼくの顔は覚えていないかも知れない。写真は持っているかもしれないが。
今もママはぼくを探しているのだろうか。ママに会いたい。しかし、どうしてこんなことになってしまったのだろうか。
駅だけでもなく、街でも、家でも、人は急ぎ足で行きかう。ぼくを知っている人でも、ぼくをおいてどこかに行ってしまう。ぼくは行きかう人の流れの中で一人取り残されているのだ。涙があふれてきた。
身体がたまらないほど熱くなってきた。体の上にあるものを取ろうとした。しかし、まだ熱いので、服も脱ごうとした。その時、目を覚ましたようだ。目の前にあるのは闇だ。薄暗い。
しばらく様子を見ていたが、自分がどこにいるのかわからなかった。
それで、頭の中を駆け巡った。すると、必死で逃げたことが浮かんだ。雑踏やビルの中を逃げまわった。すると、その記憶から、ベンチにすわっていた男に青いテントの中にかくまってもらったことを思いだした。
そうだ。ここはおじいさんが住んでいる青いテントの中だ。目を凝らして様子を見た。左で寝ているのがそのおじいさんだ。暗くてよく見えないが、向こうに寝ているのは後から来た3人の若い男だ。
テツとリュウもいたはずだが、どうしたんだろう。そうか。「明日来る」と言って帰っていったのだった。
そこまで思いだしたが、頭はもう働かなくなっていた。頭の中も暑い。まるで身体の熱が頭に燃え移ったようになっていた。
何かの拍子に自分の手首につないでいる紐を引っ張った。二つのものが近づいてきた。
それを胸の上に乗せた。一つはぼくのリュックで、もう一つは小さなバッグだ。分かった。「すぐに帰ってくるので、それまで預かっていてくれる。でも、誰か来ても絶対に渡さないでね」と知らない女の人に頼まれたものだ。それがどうしてここにあるんだ。すぐに返しにいかなければならない。ぼくは慌てた。
起きようとしたが、体に力が入らない。何回も小さく唸ったがどうにもならない。
何かにつかまろうとしたが何もない。頭を回して暗闇を見ると、少し闇が解けはじめたためか細い棒のようなものが立っているのが見えた。このテントを支えている棒だ。
それで、肘を使ってそこまで体を動かした。苦しくなったが、どうにか手が届く距離まで近づいた。
少し休んでから、身体をうつぶせにした。それから、棒を両手でつかんで、身体を起こそうとした。少し身体が起きたので、膝で立った。手に力を入れて立ち上がろうとしたとき、棒がズルッと動いてテントにギィという音が響いた。
「おい。どうした。テントが倒れるぞ!」誰かが叫んだ。ばたばたという音がしたかと思うと、男たちが集まってきて、棒が倒れないように支えた。しばらく直していたが、どうやらテントは元に戻ったようだ。
「どうしたんじゃ」と騒ぎに気づいたおじいさんが言った。3人が事情を話すと、
おじいさんは、「何かあったのか」とぼくに聞いた。
ぼくが起きることができないことを知ると、ぼくの額に手を置いた。「かなり熱があるな。しばらく寝ていなさい」とやさしくいった。
それから、「誰か水を買ってこい」と若い男たちに命じた。一人の男が、「わかりました。薬はどうしましょうか」と答えた。
「薬はいらん。あいつを呼んで来い」と言った。別の男が、「すぐに呼んできます」
と答えた。二人の男が出ていった。ぼくは、それを夢のように見ていた。
それから意識がなくなった。「あいつは、自分は名医だと言っているが、わしの腹痛も治せんかったからヤブじゃ。しかし、薬は持っているじゃろ」という声で目が覚めた。
「テントの中に病原菌がいるんでしょう」
「馬鹿言え。わしはいたって元気じゃ。腹痛は草を煎じて直したわ」
「じいさんらしい。病気のほうが退散したんでしょう」どうやらおじいさんの相手はテツらしい。
「おーい。どうしたんじゃ。こんな早くから」という声がした。

のほほん丸の冒険
第1章10
その声に、おじいさんが「いいところへ来た」と叫んだ。
すぐに、「いいところへ来たって。おまえが呼んだろう」と返事が来た。
笑い声とともに、「先生、ありがとうございます」という声が聞こえた。ぼくは目をつぶったまま聞いていたが、聞き覚えの声だ。テツに違いない。しかし、先生とは誰だろう。
「どうしたんだ?」と聞かれると、「そこに寝ている子供が起きあがれないようです」と答えたのはやはりテツだ。
「子供?」
「どうしてここにいるんだ。おまえらの兄妹か」
「いいえ。違います。昨日誰かに追われていたので助けたんです」
「ひったくりでもしたのか?」
「そうではありません」
「いいから先に見てやってくれ」とおじいさんが急かした。
「わかった」誰かが近づいてくるのが分かった。目を開けると、おじいさんと同じぐらいの老人がぼくをのぞきこんでいた。
それから、ぼくの額に手をおいて、うーんと唸った。そして、体温計で体温を測ったり、シャツを上げて体を調べたりした。
ぼくに「どこか痛いところはないか」と聞いた。ぼくは、「どこもありません。寒いです」と答えた。
そして、「わしの病院に連れてこい。大したことではないが、こじれると時間がかかる」と言った。
テツがそばに来て、「ぼく、行くか。先生はお金を取らないし、警察にも言わないから」と小さな声で聞いた。
ぼくは、「いいえ。行きません。しばらくこのままいます」とかすれた声で答えた。
「先生。行きたくないと言っていますが」
老人は、「それもよかろう。病院に行っても風邪が治るわけがない。気休めで来てもらっても、他の患者に移すだけだからな。熱を抑える薬を出しておくから、適当に飲ませたらいい。うまいものを食わせたら大丈夫だ。数日しても治らなければ連絡してくれ」と指示した。
それから、「じいさん、薬はまだあったかな」と聞くと、おじいさんは、「まだある」と答えると、老人は帰っていった。
医者なのか。どうしてテントに中に平気で入るのだろうか。しかも、みんななじみがある。
「ということだそうです」テツはおじいさんに言った。
「それじゃ、何か温かいものを食べさせてやれ」おじいさんはそう言ったが、そこからまた眠ってしまったようだ。笑い声で目が覚めた。あはは、うふふ、わっはっはと楽しそうに笑っている。ここはどこだろうと少し頭を上げた。その拍子に頭がひどく痛くなったが、それをこらえてあたりを見るとテントの中だ。ぼくはまだここにいるんだ。
「あいつ、味を占めて毎日駅に行っているらしいぜ」
「あいつらしいな。以前は駅で知りあった女にしつこくつきまとって、警察に捕まったことがるから、今は、一人にこだわらないで、道を尋ねる女に目的の場所に連れて行んだ。そこで、電車1本の乗り過ごしたとか言って、食事やこづかいをせしめるのだ」
「お上(のぼ)りの女はいくらでもいるから、一日一人ぐらいはカモがいるようだ」
「あいつは昔から女にマメだから、天職を見つけたようだ」
駅?そうだ!思わずあっと叫んだ。そして、立ち上がろうとした。今度は少し体に力を入れることができた。体を半分起こしたとき、「おい。どうした?しょんべんか」と若い男が声尾をかけてきた。
「いいえ。外に出ようと思って」
「駅に行きたいだろう」別の男が聞いた。
「ぼく。まずこれを食えよ。それから考えよう」テツが雑炊のようなものを持ってきてくれた。リュウもお茶を運んできた。
あまり食べたくなかったが、無理してすべて食べた。それを見て、テツが、「今日は休んだらどうだ?」と聞いてきた。
「早く返さなければ」ぼくは独り言のようにつぶやいた。
テツは横にいたリュウとともにぼくを見ていた。「そうだ!いいことがある!」リュウが大きな声で言った。

のほほん丸の冒険
第1章11
みんなリュウを見た、しかし、リュウはもったいづけるためか一人でうなずいている。そして、「あいつに頼むか」と独り言のように言った。
「おまえ、何をもったいつけているんだよ。早く説明しろ」テツがリュウを叱った。
それでも、リュウはみんなが自分を見ているのを確認してから、「分かりました。説明します」と重々しく言った。
それから、探偵のように話しはじめた。「この子供の話を聞くと、その女の人は男に追われていたので、とにかく急いでいた。
そのとき、一人の子供が所在なさそうにすわっているのが目に飛び込んできた。逃げる途中バッグを持っていたら危険だと考えていたのですが、子供なら疑うことはないだろうと思って、バッグを預けることにしたのです。
その間、10秒ぐらいだったはずです。つまり、短時間だったので子供の顔を覚えていないはずです。その証拠に、この子供も、その女の人の顔を明確に言えないからです。
そして、追いかけてきた3人の男です。やつらは来なかった。この子供のことをはっきり見ています。その証拠に、追跡劇が行われている間に、子供の姿を見失うことがあっても、次に見つけたときはどの子供か特定していたからです。
とにかく、何らかの事情で女の人は取りに来なかった。その理由は二つ考えられます。一つはあわてていたのでそれをどこで渡したか分からなくなった。もう一つは、男たちがすぐに子供を追いかけはじめたので渡した場所に行ったが子供はいなかったからです。そして・・・」
「それは分かった。それでどうするんだよ」誰か苛立ってきたようだ。
リュウはそれに動じることなく、同じ調子で話をつづけた。「この事実を踏まえれば、今後どうするかすぐに答えが出てきます」
いよいよリュウが結論を言うときだと分かったので、みんなは瞬きもせずにリュウを見守った。
リュウもそれが感じたので、またみんなを見渡して、「それでは結論を言いましょう」と宣言した。
「つまり、別の子供をその場所に立たすのです。女の人は明確な記憶がないので、そこにいれば、声をかけてくるでしょうし、たとえ男たちが来ても、自分たちが記憶している子供ではないので、他の子供、つまりここにいる子供を探しつづけるでしょう」
「おまえの考えは分かった。おれも賛成だ。しかし、この子供の代わりになる子供はいるかな。それに、かなり危険が伴うぞ」テツが聞いた。
「います」リュウはすぐに答えた。
「どこに?」
「池袋の仲間の家によく来ていた子供がいます」
「サムにいつもくっついていた子供だろう?」誰かが言った。
「そうです。度胸があります」
「でも、サムは引ったくりで捕まって今はムショだろう。サムがいなくても子供は来ているのか。いつもサムのケツについていたじゃないか」」
「今はサムの手下のカズがサムのことを面倒見ています。ムショからの連絡もカズのところへ来ます。最近おれもカズとは会っていないのですが、今からカズと会って、子供のことを聞きます」リュウは頼りない話をしだした。
「それはいいけど、もしその子供に家族がいれば厄介なことになるぞ」テツが忠告した。
「そうですね。カズや子供とよく話してきます」リュウは素直に答えた。
「じいさん。お聞きのとおりですが、リュウに行かせてもいいですか」テツが聞いた。
「そうじゃな。リュウはいいことを思いついたが、思いつきだけでは世の中では通用しない。
テツ、おまえもついていって子供と話をしろ。度胸があると言ってもサムがいたからかもしれない。
それから、ここにいる子供の考えを聞くのがまず一番じゃ。必死でバッグを守って返そうとしている。自分で行くと言えば今の話はなかったことにしなければならない」
みんなのぼくを見た。すでにリュウの話を聞きながらぼくは考えていたのだ。
ぼくが、みんなに迷惑をかけるから自分でやりますと言えば、それは自分の我儘かもしれない。自分で駅に行っても、誰かついてきてくれるだろう。そこで何かあればさらに迷惑をかけることになる。どうしたらいいか迷っていた。
みんなはぼくを見ていた。頭がくらくらしてきたが、それを振り切って、大きな声で「お願いします」と言った。テツとリュウは出かけていった。

のほほん丸の冒険
第1章12
ぼくは力が抜けたようになってそこにすわっていた。ぼくの目の前で若い人がおじいさんの世話やテントの掃除などをはじめた。てきぱきとする様子は、まるで大きなお屋敷で働く使用人のようだった。
この人たちはどういう人なのだろう。特におじいさんは誰なのか。
それに、青いビニールのテントは町中で見ることはなくなったのに、おじいさんはここに堂々と住んでいて、テツをはじめ多くの人が出入りしている。まるで別の世界というか別の時代に紛れ込んだように思える。そんなことを考えていると、またうつらうつらしてしまった。
「連れてきました」という声が聞こえた。ぼくは頭を振り払ってそちらを見た。
しかし、外の光が強くてよく見えない。二つの大きな影はテツとリュウだろうが、子供の影がない。そう思っていると、小さな影が見えた。ぼくは緊張した。ぼくの代わりをしてくれる子供だと思うと緊張してきた。
テツとリュウがぼくの横を通っておじいさんの近くに行った。後ろに子供がいる。ぼくより大きいがすぐに背中を向いたので、よくわからない。
「見つかったのか」おじいさんが聞いた。
「見つかりました。最近来ていないということだったので、サムの手下に連絡して、連れてきてもらいました。大体の話は途中にしておきました」テツが説明した。
「おまえには家族はいないのか」おじいさんは子供に聞いた。
「います。でも、二人とも家にはいません」子供は妙なことを言った。
「どこにいる」
「二人とも捕まっているので」
「誰がおまえの世話をしているんじゃ」
「おばあちゃんですが、おじいちゃんが施設にいるので、そう来られません。
それで、サムが世話をしてくれていたんですが、サムも捕まったので」
「学校には行っていないのか」
「昔行ったことがありますが、ぼくは発達障害なので、学校に行っても賢くならないと思います」
「誰が言ったんじゃ」
「医者が検査したとおばあちゃんが言っていました」
「なるほど。しかし、今日おまえに頼むことはかなり危険じゃが、できるか」
「テツやリュウが守ってくれるらしいので、別に怖くありません。それに、何だかおもしろそうなので、やってみます」
「それじゃ頼むが、絶対にテツの指示に従えよ」おじいさんは子供にくぎを刺してから、テツに向かって、「女の人が来たら、おまえが話をするのじゃ。もし男たちが来るようなことがあったら、すぐに子供を連れてもどってこい」と命令した。
「分かりました。気をつけて見ています。それから、ここにいる子供がバッグを預かったんだ」とぼくを紹介した。
「お願いします」ぼくはあわてて挨拶をした。
子供はうなずくだけだった。顔は中学生のように見えたが、テツやリュウのようなジャンパーを着ているので、大人びた雰囲気だった。
3人は出かけた。こうなったら早く女の人が見つかることを祈るのみだ。
残った3人の若い人もまたテントの掃除をしたり、おじいさんの服を洗濯すると言って出かけたり、買い物に行ったりと忙しく働いた。
ぼくは何もすることがなかった。今日中にここを出るとして、出てからどうしようか考えることにした。
新宿まで迎えに来てくれた伯父さんは、ぼくと会えなかったことをどう思っているのだろうか。パパもぼくもふらっと消えることがあるので、何も思っていないかも知れないが、生きていることだけでも伯父さんに言っておいたほうがいいかもしれない。
それからどうしようか。とりあえずおじさんの家に行くべきか。あるいは、このまま自由を満喫するべきかなどと考えた。
そうしていると、3人が帰ってきた。ぼくは3人の様子をじっと見ていた。
しかし、だれもぼくに声をかけないで、おじいさんのほうに向かった。
そして、「いないですね。立ったりすわったりさせたのですが」とテツが言い、リュウも「おれは、少し離れた場所で不審な男を見ていたのですが、それらしき男はいませんでした」と報告した。
なぜ来ないんだろうと思っていると、子供が、「昼からもう一度させてください」と頼んだ。「大丈夫か」テツが答えた。
「女の人が場所を覚えていないかも知れませんから、少し場所を変更したらどうかなと思います」
「まるで魚釣りだな」テツが笑った。そして、「分かった。やろう」と答えた。
のほほん丸の冒険
第1章13
テツとリュウ。そして、ぼくの代わりをしてくれる中学生ぐらいの少年が出ていった。
3人の若い男たちもおじいさんの世話とテントの掃除がすむと、おじいさんに声をかけた。「ご苦労じゃった。わしのことはいいから、もう帰っていいぞ」とおじいさんは答えた。
3人は帰っていった。テントにはおじいさんとぼくだけになった。ぼくはテントの天井を見ながら今後のことを考えていた。しばらくするといびきが聞こえてきた。おじいさんはまた寝てしまったようだ。
青いテントが外の光で輝いている。眩しいぐらいだ。少し頭が痛いが、テントから出たくなった。近くの公園にはテツがすわっていたベンチがある。その奥には林が広がっていたと思う。そこを歩いたら気持ちがいいだろう。
そう思って立ち上がろうとしたが、待てよと思った。そうなれば、テントにはおじいさんしかいなくなる。そこへ昨日の男たちが来たらどうなるのか。テツが追いはらってくれたが、「子供が逃げ込んでこなかった」と男は疑っていたのだ。
今男たちが来たら、ぼくには太刀打ちできないかもしれないが、おじいさんを一人にするわけにはいかない。
ぼくがおじいさんを守らなければならない。そう思うと、体に力が戻ってきたのが分かった。
「おまえのおじさんは心配していないのか」という声が聞こえた。おじいさんが起きたようだ。
ぼくが新宿駅でおじさんが迎えにくるのを待っていたと言ったのを覚えていてくれたのだ。
「はい。バッグを返したら連絡するつもりです。しかし、自分が好きなようにしたらいいというと思います。今までもそうでしたから」
「何をするんじゃ」
「まだ決めていません」
「どこに行くかも決めていないのか」
「はい」
「早く決めることじゃ」
静かになった。おじいさんのほうを見なかったが、寝たかもしれない。
ぼくは、おじいさんが言うように、早くこれからのことを決めなければならないのだ。
おじいさんのそばにいる人たちが、ぼくの希望を叶えるために懸命に動いてくれている。テツやリュウも、一日何もすることはないということはないはずだ。早くこんなことを終わらせてしまいたいだろう。
今日一日ですべて終わるかもしれない。まず今晩どこで泊まるかから考えてみようと思った。
長野県のおじさんの家に行くのが一番楽だが、その前に、この人たちのことをもう少し知りたいという気持があった。それなら、この近くのホテルに泊まるべきか。そうなれば、子供一人は無理なので、テツかリュウの子供にいうように言ってもらえたら助かる。もちろん、お金は持っている。
まず目的地を決めてから、少し寄り道をするという考えはパパとそっくりだと思った。
最近は帰ってこないが、パパは、年に数回外国から帰ってきると、ぼくをよく連れだした。「今日は動物園に行こう」と言うのだが、家からまっすぐ動物園に行かないのだ。途中、「図書館にちょっと寄ろう」と言って図書館に入ってしまう。
「何か読んでおいで」と言って専門の本があるほうに行く。
30分もすると心配になって、「動物園が閉まってしまうよ。早く行こうよ」と急がせても、「もう少し待って」と言って席を立とうとしないのだ。
こんなことが何回もあった。そのときは、「パパの頭の中はどうかしている」と思ったが、今は同じようなことを考えているのかもしれない。
今おもしろそうなことをするのが自分にとっていいのだ。落ち着いてから、同じことをやってもつまらないことしか分からないのだということだろうか。
さて、今晩はどこに泊まるか。これを真剣に考えようとしたとき、テントが開いた。

のほほん丸の冒険
第1章14
どっと風と光が入ってきた。3人が帰ってきたのだ。「帰りました」テツが大きな声で言った。「ごくろう」おじいさんが答えた。目を覚ましていたようだ。
3人はおじいさんのそばに行った。「どうじゃったかな」おじいさんが聞いた。
ぼくはみんなの背中を見ながら聞いていた。「女の人は来なかったようです。しかし、怪しげな動きをする男が一人いましたね。今日ここに来た男だったかどうかはちょっと分かりません。
しばらく子供を見ていましたが、それから近づいてきて、こいつをのぞきこんでいました。おれとリュウは何かあればすぐにこいつを助ける用意をしていましたが、すぐに離れました」それから、「そうだったな」と少年に聞いた。
「そうです。おれを睨みつけるように見ましたよ。でも、おれがたじろぐと、怪しいと思われるので、『何ですか』という顔をしてあいつを見ました」と冷静に答えた。
「そりゃ上出来だ。やはり子供を探して、バッグを取りもどしたいようじゃ」
「そう思います」
「この様子なら、これからも来そうだな」
「でも、肝心の女の人はどうしたんでしょうか。まずこの人が来そうなものですが」
「そうじゃ。何か来れない理由があると見えるな」
少し沈黙が続いた。風が強いらしくテントがばたばたとはためいた。それに驚いたのか鳥が甲高い声で鳴いた。
風がおさまると、テツが、「これからどうしたらいいでしょうか」と聞いた。
「うーん。また同じことをすると、男らも、こいつまたいるとなって、手出しをしてくるかもしれんぞ。しばらく様子を見ようじゃないか」
「そうですね」テツは了承した。しかし、まだ誰も動かなった。
ぼくは、ここで楽しく暮らしている人に厄介なことを落ち込んだことを後悔した。ここで出あった人のことをもっと知りたいと思っていたが、それをやめて、すぐにでも「バッグを預かったが、取りに来ない」と交番に届けようと思った。
もしぼくのことを警察が調べてもかまわないんだ。叔父さんが来てくれたらはっきりできるのだから。
そう決めてからみんなを見ていた。おじいさんの意見に了承したはずなのに、テツやリュウはほんとは納得していなくてまだ考えているように思えた。もし何か思いついたら、おじいさんに言うのだろうか。
ようやく、リュウが立ちあがって、「それじゃ、おれがこいつを送ってきます」と言った。リュウが少年と出ていった。
テツがぼくのほうに向いて、「すまなかったな。今日こそ終わると思ったんだが」と頭を下げた。
「いえ、いえ。ぼくこそ勝手なことを言って申しわけありません」ぼくも謝った。
「今から長野県の叔父さんに電話したらどうなんだい。今日からちゃんとしたところで寝られるよ。今なら間に合う」とぼくを心配してくれた。
「いいえ。迷惑でなければもう少しここで泊まってもいいですか」とすっと口から出た。
えっ。ぼくはどうしたんだ。さっき、みんなに迷惑をかけるから、今すぐにも交番に行って、バッグを渡すと決めたばかりじゃないか。なんでそんなことを言うのだと自分に聞いた。
「ここは普通の子供がいるとこじゃないぜ。出入りしている人間もまっとうなやつは誰一人いない。じいさんには悪いが」と言った。「そうですよね。じいさん」テツはおじいさんに言った。
「どさくさに紛れてひどいことをゆうじゃないか。まあ堅気の人にはとんでもないところではあると思うがな。わしはこの子供の意思を尊重するよ」
テツは笑っているが、それ以上何も言わない。しばらくして、「ここにいて、何をやりたいんだ」と聞いた。
「少しやりたいことがあります」ぼくは、その場しのぎの言葉を言った。
「おれたちが助けなくてもいいのか」
「もちろんです。一人でやります」
「交番に行くのか」
「そうするかもしれません」
自分が嫌になった。テツは、おじいさんだって、ぼくを心配してくれているのに、木で鼻をくくるような言い方しかできない。どう言ったらいいのだろう。ぼくは泣きそうになった。
テツは、「何かあったら言ってくれ」と言って出かけていった。しばらくして、公園に行った。ときおり風が吹くが、気持ちのいい天気だった。早くどうするか決めようと思って、公園の中を歩きまわった。
夕方、テツが帰っていた。3人で、テツが買ってきたもので食事をした。
おじいさんの話はおもしろかった。夜遅く寝たが、朝早くリュウの声で起こされた。

のほほん丸の冒険

第1章15
ぼくはその声で目が覚めたが、テツはすでに上半身を起こしているところだった。テントを開けたのは誰か分からなかったが、声でリュウだと分かった。
「リュウか。どうしたんだ、こんなに早く」テツは眠そうに言った。
「すみません。別に早く来なくてもよかったですが」
「それなら起こすな」
「はい」
「いいから用件を言ってみろ」
「きのう駅に連れていった子供が行方不明なんです」
「どういうことだ。夕方まで一緒にいたじゃないか。それから、おまえが連れて帰ったな」
「そうです。カズが待っていたので、まちがいなく返しました」
「それからのことか」
「そうなんです。夕べ遅くカズがおれのとこへ来てトモが来ていないか言うんです。子供はトモというらしいです。『来ていない』と答えると、カズが、『一緒に探してくれ』言うので理由を聞きました。いつも同い年の友だちの家で遊んで寝るときにカズのところに行くのですが、来ないので、一人で何人かのトモの友だちに連絡したのですが、来ていないと言われて、おれのところへ来たんです。
「どこを探してもいなかったというわけだな」
「そうです。サムから、『おれのいない間はトモの面倒を見てやってくれ』と言われているそうで、カズはパニックを起こしているんです」
「どこかに遊びに行っているじゃないのか」
「そこも探したんです。トモのことはカズが全部知っているので、ありとあらゆるとこを調べたんです。それで、ここに来ていないかと思って」
「夕べは来ていない。今日来るとしても早すぎるだろう」
「そうですね」
「そうだ。1ヶ所探していないとこがある」
「どこですか」
「警察だ」
「なるほど。何か起こしたかもしれませんね。もしそうならカズのところに連絡が来ると思いますので、そう言ってやります」リュウは帰っていった。テツはまた寝た。
昼過ぎ、またリュウが来た。カズは思い切って警察に行ったそうだ。何か分かったら連絡をするという返事だった。
「とりあえず安心だ」テツが言葉をかけた。
「まあ、そうなんですが、カズはまだ心当たりを探しています」
それから、3日間過ぎてもトモは見つからなかった。ぼくは、迷惑をかけたくないからすぐにでもここを出ようと決めていたが、このことでそれを言い出すタイミングを失ってしまった。
それなら、テントの掃除や買いものなどをしてお礼をすべきだと考えるようになった。もっともトモのことを知りたいという気持もあったが。
おじいさんは、みんながあわただしく動くのを見ても何も言わなかった。テツもおじいさんに迷惑をかけたくなかったのか何も聞かなかった。
ある日、テツに、「ぼくも何かお手伝いさせて下さい」と頼んだ。
テツはしばらく考えていたが、「きみ」と言いだした。「きみはまだ子供だけど、責任感が強くて、そして賢い。これからすばらしい人生が待っている。誰かがきみにバックを預けるたという偶然が起きなかったら、君と出会うことはなかった。
しかし、こんなことで自分の人生を棒に振ってはいけない。バックがおれたちの誰かが拾ったと届けたらきっとその人に戻るから心配するな。
今日にでも長野のおじさんに連絡をして迎えにきてもらったらいい。とにかく、こんなとこにいつまでもいてはいけない」と強い口調で言い、「これはおじいさんの考えだ」という言葉で締めくくった。
ぼくは黙ってうなずいた。それからテツは出かけた。おじいさんは寝ている。
おじいさんを含めて、みんなぼくを厄介払いしたいのだろう。ぼくが訳の分からないことをもちこみ、それで、仲間の少年が行方不明になってしまったのだから。
このままリュックサックと預かったバッグをもってここを出ればすべて解決するのだ。
ぼくは息を深く吸い込んで、ゆっくり吐き出した。そして、おじいさんのそばに行き、おじいさんの体を少し揺すった。
おじいさんは、うんと言って目を開けた。そして、「どうしたんじゃ」と聞いた。
「ここを出る前に、一つだけやりたいことがあるんですが、認めてくれませんか」と聞いた。
おじいさんは、「それはいいが」と答えたが、「一体なんのことだ」という顔をしていた。
ぼくは、間髪を入れず、「ありがとうございます。それでは少し出かけますがかまいませんか」と聞いた。
「それはかまわないが」と答えたが、まだ納得できていない様子だった。
とにかく、おじいさんの了解を得たので、すぐに外に出た。
それから、1時間ぐらいしてテントに帰った。「ただいま」と声をかけると、おじいさんは、「おまえは誰じゃ」と大きな声で叫んだ。

のほほん丸の冒険
第1章16
「おじいさん、ぼくです。ぼくです」と慌てて叫んだ。
おじいさんはぼくをじっと見ていたが、」「おまえか。なんとゆう恰好をしておるのじゃ。おまえにはそんな趣味があるのか」相当びっくりしたのか、今にも立ちあがろうとしていた。
それは無理がない。ぼくは化粧をした上に、薄紫のブラウスと水色のスカートをはいていたのだから。それは、家族でどこかに旅行する女の子に見えるようにしていたのだ。
「趣味ではないのですが、少し必要になったので」と言いわけした。
「そんな恰好をしなければできないことなのか」おじいさんはまだぼくの様子を見ながら言った。「そうです」ぼくはすぐに答えた。
テントを出てから通りにある店を見ながら歩いていたら、すぐに子供服専門店があった。
大きなショーウインウには、4人家族のマネキンがおきなカバンをもってどこかに出かけていた。ぼくは、二人姉妹の姉の服装をしようと思ったのだ。
ぼくは店に入った。若い店員が、あらっという顔でぼくを見た。それから、「何かお探しですか」と近づいてきた。
「ショーウインドウのマネキンが着ている服がほしいのですが」
「かしこまりました。でも、誰が着るのですか」と聞くので、ぼくは、「自分で」と答えた。店員は目を丸くしてぼくを見ていた。
「だめですか」と言うと、「いえ。そんなことはないのですが、ご両親は来られますか」とさらに聞くので、「来ません。一人で買いに来ました。だめですか」と少し余裕が出てきたので、店員をじっと見ながら言った。
「それじゃ。少し待ってください」とぼくを奥に案内した。
ぼくは椅子にすわって待っていたが、その間店員がどこかに電話していた。
10分ほどすると、店のドアが開いてもう少し年上の女の人が急いで入ってきた。
そして、若い店員と何か話していたが、ぼくの前に来た。
「今日はありがとうございます。今うかがったのですが、マネキンが着ている服がご希望だということですね」
「そうです。あれなら、ぼくにでも着られるかなと思って」
「そうですね。試着されたほうがいいですね。どうぞ。試着室に。でも、あれは女の子向きですが、それでもいいですか」と店長らしき女の人は核心をついてきた。
「分かっています。それがほしいのです」ぼくは店長もじっと見ながら答えた。
店長は、「承知しました」と言って、若い店員がもってきた服を受け取った。
ぼくは試着室で裸になり、薄紫のブライスと水色のスカートを身に着けた。
「着ました」ぼくはそう言って、カーテンを開けた。二人は顔の表情を隠しながら、「よくお似合いです。どこかきついところはありませんか」と聞いた。
「ぴったりです」と答えると、店長は,ブラウスの背中のところを直しながら、「扮装パーティか何かあるの」とさらに聞く。
ぼくはどう答えようか思った。「そんなところです」と言えばこれで放免される。そう言おうと思ったが、「待てよ」と思った。女の子の服を着るだけで、ぼくが男とばれないものか。たとえば歩き方とか物の持ち方とか。
この店を出ても、それを知るためには、別の店でまた同じような気まずい思いをしなければならない。
「実はぼくの彼女がどうも他の男とつきあっているようで心配なんです。
今日そいつとデートするという情報をつかんだので、どんな男か見てやろうと計画したわけです。3時に南口で会うらしいです」
「それで、女の子の格好をするのね」二人は顔を見合わせてうなずいた。
「後1時間か。それじゃ。顔にも少しお化粧したほうがいいわ」二人をぼくの顔や頭をさわりはじめた。
20分後、顔は大理石のようにように白くなり、頬と唇は薔薇のように赤くなった。そして、頭は服に似合う紺色の帽子が乗った。
化粧品やそれを入れるバックはくれたので、締めて14800円払って店を出た。二人の「それではがんばってね」という声に送られてテントに急いだ。

のほほん丸の冒険
第1章17
おじいさんは、ぼくが女の子の服を着て顔にも化粧をしているのを見て飛び上がるほど驚いたが、こんな格好をする必要があるとぼくが説明すると、それが何か分かったようで、「誰かつけようか」と聞いてくれた。
「いや。ぼく一人で大丈夫です」と答えた。
「それならそれでかまわないが、気をつけろよ。わしのような年よりは騙せても、今どきの人間なら、おまえを男とすぐに見破るじゃろ」
「服を買った店の人にもそう言われて、少し練習してきました」
「それならいいが」おじいさんはうなずいた。
ぼくはおじいさんに例のバッグや自分のリュクサックを預けて、服と一緒に買ったピンクのバッグをもって新宿駅に向かった。
途中、女の子らしくみえるように気をつけて歩いた。特に歩き方には気をつけた。大股にならないように、また、膝を折りすぎないようにしなさいと店の人に注意されていたのだ。
若い女の人とすれちがったときは、こちらをふりかえらないかと確認した。しかし、それもなく新宿駅南口に着いた。
相変わらず大勢の人が行き来していた。ぼくが女の人に会ったときにすわっていた場所には若いサラリーマンがすわっていた。そこはベンチではなく、壁から突き出ているだけだから、普通は誰もすわらない。だから、あの女の人も、男らもすぐにわかるだろう。ぼくは反対側に行って、サラリーマンがいる場所を見た。
20,30分ほどたったが、何も起こらない。もう女の人も男らも来なくなったのだろうか。ぼくだけが何か大変なことが起きているにちがいないと思っているだけだろうかと考えて人の行き来をぼおっと見ていたが、あっと声を出すほど驚くことが起きた。
ぼくを追いかけてきた3人の男がいたのだ。まちがいない。男らはゆっくり歩いて、まだすわっていた若いサラリーマンを見ていた。それから、3人で話し合っていたが、別れてあちこち歩いた。
ぼくのことには気づいていない。ぼくは店の人が小道具としてくれたおもちゃの携帯を取り出し、友だちと話をしているようにふるまった。
あいつらが別々にどこかへ行ったらどうしようかと考えた。ここで見逃したらもう会えないかも知れないのだ。
3人とも見えなくなったので動こうとしたら一人が帰ってきた。そんなことが何回もあって、誰か一人をつけようかと考えていると、「おじょうさん」という声が聞こえた。頭を上がると、おばあさんだった。
「すみません。高島屋はどう行くの」と聞いている。乗り換えなどなら、「駅員さんに尋ねてください」と答えるようにしていたが、高島屋ならすぐそこだ。ぼくは説明する代わりに、おばあさんを連れて行った。
おばあさんは、「ありがとうね。お友だちが絵の作品展をするので、何十年ぶりに新宿に来たの。でも、ものすごい変わりようで分からなくなっちゃって」と恐縮していたが、ぼくはうなずくだけだった。
急いでいるのと、まだ女の子の声を出す練習していなかったからだ。
戻ると、3人はいない。しかし、少し探すと、3人がカフェの窓際にすわっているのを見つけた。しばらくすると、3人のテーブルに若い男が近づいた。
何か話をしていたが、しばらくすると、4人の男は立ち上がって店から出てきた。
すると、3人の男たちはどこかに行った。一人若い男だけがぼくの近くで立ち止まった。
あの男らについていくべきか迷ったが、若い男はそこに立ち止まったまま行き来する人を見ていた。ぼくはこの男を見張ることにした。
若い男は、1時間以上そこにいた。もちろん、今は誰もすわっていない例の場所にも注意していた。
ぼくも、もしあの女の人が来たらと思うと気が気ではなかった。
2時間近くなって、男は携帯を取り出して何か話をしていた。それから、改札口から駅に入った。
ぼくもすぐについていくことにした。男は中央線乗り場に行った。数本電車を乗り過ごしてから電車に乗った。ぼくも同じ車両に乗った。幸いかなりの人がいたので怪しまれる恐れはない。
いつ降りてもいいように駅に着くたびに準備した。男は降りた。三鷹市だ。
それから、タクシー乗り場に行って、タクシーに乗った。
ぼくは慌てたが、次のタクシーに急いで乗った。子供一人だと気づいた運転手は、少し驚いたようだったが、「どこへへ行きますか」と聞いた。
ぼくは、なるべく高音で、「あのタクシーを追いかけてください」と言った。
さらに驚いた運転手は、「はい」と答えたが、どうしても聞きたいことがあったようで、「何かあったの」と聞いてきた。
「あいつはママを騙した男です。どこに住んでいるか見つけたくて」と注意しながら答えた。
前のタクシーは20分ぐらい走って止まった。男が降りてきた。運転手はコンビニの駐車場に入って止まってくれた。
お金をはらうとき、運転手は、「きみね。女の子はそんなに足を広げないよ」と言った。ぼくは、「気をつけます」と言って外に出た。

のほほん丸の冒険
第1章18
急いで歩道に行くと、数人の歩行者の中に若い男がいた。急いで後を追った。30メートルほど進むと、前後をちらっと見た。それから、建物に入っていった。三階建ての地味なビルだ。少し離れて両隣りにも同じようなビルがあった。
ぼくはそこを素通りして、しばらく進んだ。それから向こうに渡るふりをして、赤信号で立ち止まって、男が入っていったビルを見た。他の出入りはない。
青信号になったので、道を渡った。車の往来はかなりあった。
うまい具合にビルの反対側にカフェがあった。外から見ると、窓側にカウンターがあって、道を見てすわるようになっていた。
ここなら、ビルを監視することができるし、スタッフや他の客と顔を合わせることもない。
携帯電話や本、それから、化粧ポーチを出した。店の人が、小道具として使ってと渡してくれたものである。これで、女の子が時間つぶしをしているように見えるだろう。
ビルは人の出入りもなく、また窓にはブラインドが下がっていた。
しかし、2時間ほどすると、3階の窓のブラインドが開けられた。二つの影がちらっと見えた。一つは大人のようで、もう一つは少し小さい。しかし、すぐに窓から消えた。
こんなビルに子供がと思うと胸が騒いだ。ひょっとして、でも、どうしてという言葉が口から出そうになったが、気持ちを抑えた。
時間を見ると、ここに3時間近くいた。客はそこそこいたが、あまり長居をすると目立つので、今日は帰ることにした。
テントに戻ると、テツとリュウが、「お嬢さんが帰ってきたぞ!」と喜んでくれた。「じいさんから全部聞いたよ。うまいこと考えたな。それによく似合うよ。昼過ぎに出ていったのに、帰りが遅いから心配していたぜ」
「すみません。ぼくを追いかけてきた3人の男がいました」
「ほんとか!」
それから、後から若い男が来て店に入って4人で話をした。それから、3人の男はどこかへ行ったが、若い男は1時間ほど、ぼくか女の人を探した後、電車に乗ったので、追いかけたことなどをすべて話した。もちろん、小さなビルや二つの影のこともだ。
2人は興奮した。「トモはまだ見つからないですか」少年のことをトモと呼び捨てにするのは少し抵抗があったが、まどろっこしい言い方になるのでそうした。
「そうなんだよ。カズも寝ないで探しているよ」リュウは顔を曇らした。
「それじゃ、おれたちもそこへ行こうか」テツが言った。
しかし、あの影がトモかどうかわかるまで一人で調べたいと思っていたので、すぐに返事をしなかった。
すると、おじいさんが、「もう少し本人の気がすむようにさせてやれ」と言ってくれた。
翌日も昼過ぎにあのカフェに行った。ランチを注文した。食事をするとゆっくり時間を過ごしせるから、不自然に思われないだろうと考えたのだ。
ビルは相変わらず静かだった。ひょっとして他のテナントはいないかも知れないと思った。
若い女のスタッフは3人いた。セルフサービスなので話をすることはないが、一人のスタッフがぼくのことが気になっているようだった。
テーブルを拭いたりするときに、ぼくのほうを何回も見るような気がしたのだ。
ぼくが男であることを見破ったかもしれないと焦った。しかし、ばれたところが気にすることはない。
カウンターの客がぼく一人になったとき、そのスタッフに声をかけた。
「すみません」「20前後のスタッフは笑顔で走ってきた。
「少し聞きたいことがあるんだけど」と声を意識しながら聞いた。
「何でしょうか」
「あのビルには誰かいますか」と聞いた。
「えっ。ビル?どうしたの」
「いや。ちょっと訳があって」
「そうなの。3階の会社に何回か出前したことがあるけど、別に変わった様子はなかったよ」
「そうですか。ありがとうございました」ぼくは礼を言って話を打ち切った。
そのスタッフは一度離れたがすぐに戻ってきた。
「今思い出した。一度出前が終わって下に降りたの。あそこはエレベータがないから階段だけど、階段で降りて、ビルの外に出たの。
そのとき、何気なく後ろを振り返ったら、さっきお金を払ってくれた人がビルの裏から歩いてきたのよ。ええっ!と思ったことがある」
「まちがいないですか」
「お金を払うのはいつも同じ人だから絶対まちがいない」
「そうなんだ。奇妙ですね」
「そうなのよ。あのときみんなに言ったら、錯覚だと笑うので忘れていたわ」

のほほん丸の冒険
第1章19
ぼくは、「そうなんだ。ありがとう」とスタッフに礼を言って店を出た。
それから、バスに乗り駅に戻り、ホームセンターを探した。幸い歩いて行ける場所にあった。
すぐに道具コーナーに行き、ドライバーセット、スパナ、バール、ペンチ、ハサミ、ハンマー、くぎ、ロープ、懐中電灯などと、それを入れるリュックサックを買った。
レジのおばさんに、「お嬢ちゃん。すごいわね。何に使うの?」と聞かれたので、「一人で住んでいるおばあちゃんから、『壁の穴からネズミが出入りするので、なんとかしてくれないか』と頼まれたので、穴を塞ごうと思って」と説明した。
「えらいわね。お父さんはしてくれないの」
「海外に行っているから、わたししかいないんです」
「それなら、ネズミが寄りつかないクスリがあるよ」
「それは買ってあると言っていました」
「そう。おばあさんのためにがんばってね」
それから、駅に戻った。ここなら、大勢の人が行き来するから、目立ちにくい。
これからの作戦を考えながら、時間を過ごした。ようやく薄暗くなってきた。食事をしてから、ビルに行くバスに乗った。
着いたときは、通りの店はどこもネオンが輝いていた。あのカフェも営業をしていて、客がかなりいた。その横からビルを見ると、玄関は相変わらず明かりがついていなくて、闇に紛れているようだった。
そして、内部からも明かりも見えなかった。カフェの若いスタッフは3階に出前したと言っていたから、ぼくが追いかけた若い男は三階にいるかもしれない。
そして、玄関はシャッタが下りているので、スタッフが言っていたように、ビルの裏に何かあるかもしれないと思った。
幸いビルがあるほうは両隣も小さなビルがあるだけで、人通りも少ない。ただし、両隣のビルには、玄関も内部も明かりがついていて、人もいるのが見える。
リュックサックはかなり重い。いざとなったら捨てて逃げなければならないから、貴重品は身に着けて、向こうに渡った。
そして、誰も来ないことを確認して、右隣のビルとの狭い隙間に入った。
ビルの裏は少し広くなっていて、木が10本近くあった。ビルに沿って左に行ったが、普通あるはずの裏口がなかった。
それなら、あのスタッフが同僚から言われたように、何かの錯覚だったのか。自分がランチを渡した男と、たまたま裏から出てきた男とまちがったかもしれない。
そうなら、あきらめざるをえないが、その前にもう一度裏側に戻った。
怪しい所はない。ここにあるのは小さな林だけだ。そこに行って木が見たが、普通の木があるだけだ。地面を懐中電灯で照らして調べた。普通の土があるだけだが、一か所だけ金属のような音がした。
慌ててそこを手で払いのけると、マンホールのようになっているのが分かった。
すぐに凹みにあるフックを引っぱって開けた。
電灯を照らすと金属の梯子(はしご)が下まで続いていた。しかし、昔マンホールから有毒ガスが出て死亡した事件があったのを思いだして、しばらく様子を見ることにした。5分ほど待ったが、頭が痛くなるようなことはない。
意を決して体を入れた。ゆっくり蓋をしてから、徐々に降りていった。すぐに下に着いた。
かがむと横に行けるようになっていた。すぐに広い場所に着いた。しかし、2メートぐらいで行きどまりになった。電灯で中を照らした。何もない。しかし、天井部分は斜めになっているようだ。
ここはどこだ。何のためのマンホールなのか。ここから出られないのか。そんなことを考えながら、電灯であちこち調べた。
すると、突き当りの下に枠のようなものがあった。隙間にドライバーを差しむとすぐに開いた。気をつけながら外を照らすと、そこはビルの中だと分かった。
そうか。秘密の出入り口になっているんだ。すると、カフェのお姉さんはまちがっていなかったかもしれない。
このビルはエレベータがないので、若い男は急いでいたので、マンホールから出たのだ。合点がいった。
そこから出ると、通路の壁に赤い明かりがついていた。消火設備だろうか。後は真っ暗だ。ずっと照らすと、自分が出てきたのは階段の側面だったのだ。
それで天井は斜めになっていたのか。ぼくは音を出さないように階段を上った。

のほほん丸の冒険
第1章20
懐中電灯の光を小さくしてゆっくり階段を上がった。気をつけてもミシミシいう音がするので、すぐに休んではあたりの様子をうかがった。ドアが開く音がしたらどうしようかと考えた。また、マンホールからしか逃げられない。
誰か出てきたら、まず上に行って相手を誘う。それから急いで1階に降りる。そこまで考えたら、2階に着いた。そっと壁から2階の奥を覗いたが、ドアが開く様子はない。
それに部屋も真っ暗で人がいる気配はない。3階に上がることにした。カフェから人影が見えたのも3階だった。
ぼくは深呼吸をしてゆっくり上がっていった。廊下は真っ暗だが、手前の部屋には人の気配があるような気がした。確かに人の声が聞こえる。
心臓が激しく打っている。懐中電灯を消して、手前の部屋のほうに向かった。
聞こえる声は大きくなった。ドアの上の窓ガラスにちらちら光が見える。
覗きたいが無理だ。声を聞くとどうもおかしい。ひょっとしてテレビの声か。しばらく聞いていた。やはりテレビだ。
その時電話が鳴った。心臓が止まるかと思った。逃げたくなるのに堪えて、次のことを待った。
男の声がしだした。何か話しているが、内容はまったくわからない。しかし、はい、ないという返事を頻繁にしている。何か命令を受けているのか。
電話をしている間は、外のことまで注意しないだろう。ぼくは奥の部屋、つまり、道路側の部屋のほうまで行った。この部屋に誰かいたのだ。
しかし、ドアの上のガラスには灯りは感じられない。それなら今電話している男の部屋に子供らしきものがいるのか。そうなると助けるのは無理かもしれない。
助けようとすれば、男を外におびきよせなければならない。その間に子供を助けるわけだが、そんなことができるだろうか。
その時、その部屋の中から咳をしているのが聞こえた。子供の咳だ。やはりここだ。
ノックしたらいいのか。しかし、一人でいるかどうか分からない。
それにノックが隣に聞こえたら元も子もない。それなら屋上に行けないか。
それで、階段のほうに戻ることにした。まだ声が聞こえる。どうやら電話はまだ続いているようだ。
懐中電灯を照らすと、5段の階段があってそこに屋上に行けるドアがあった。
案の定鍵がかかっている。ドアを開ける方法はいくつか知っている。施設にいたとき泥棒グループにいた2年年上の少年から聞いて面白半分で試したことがある。
それで、リュックから工具を出した。ノブの真ん中に小さな穴が開いていれば、六角レンチで開けることができる。しかし、それはない。
それで、ドライバーを出して、鍵穴に差し込んで何回か動かした。しかし、まったく開かない。
それを諦めて、まわりを照らした。すると、階段の上に明り取り窓があった。40センチ四方ぐらいある。ここには防犯の柵がない。ただ、ビルの外には何もないだろう。ここから屋上に行けるかどうかは分からない。
しかし、とりあえずやってみようと思った。施設いた少年は、窓ガラスはすぐに割ることができると言っていた。さすがにこれは施設で試すわけにはいかなかったのでやったことはないが。
手っ取り早いのはバールでガラスを割ることだそうだが、大きな音が出るだろう。
それから、少年が教えてくれたのはドライバーで窓枠とガラスの間に差し込んでガラスにヒビ入れる方法だった。これなら音がしない。
しかし、明り取りまでは床から2メートル近くある。ぼくは、マンホールを出て階段の出入り口までに何か道具が置いてあったような気がしたので、またそこに戻った。しばらく探すと、折り畳みの脚立があった。注意して3階までもっていった。
そして、大きなマイナスドライバーを出して、少年から聞いたように窓枠とガラスの間を叩きつづけた。
10分ほどしたとき、ガラスを調べた。すると、ヒビがかなり入っていた。それをゆっくり外していった。やがて、まったくガラス片がなくなった。
後はここから体を出して屋上に上がるのだが、どこかに体を支えるものがあるのか。
壁には何もない。上半身を出して、屋上のほうを見ると、どうも柵があるようだ。
それで、ロープを柵に通してそれをつかめば、屋上に行けるような気がした。
しかし、それがなかなかうまく行かない。ロープの先を結びにして、何十回も投げつづけた。ようやく結びが落ちてきた。
柵の強度を確かめて、それに捕まり窓枠に立った。ようやく屋上に行くことができた。
しかし、これからだ。ぼくは自分を奮い立たせた。それから、用心して道路側のほうに行った。

第1章21
ビルだから下に音が響かないだろうが、何かにけつまずかないように用心して進んだ。町はすっかり寝静まっていた。道の向こうのカフェもほとんど明かりが消えていた。もちろん人も歩いていないから、見つかることもあるまい。
ここにもフェンスがあった。フェンスを動かして強度を調べた。かなり頑丈だ。
フェンスから体を出して、屋上から窓までの距離を見た。1メートルぐらいだ。懐中電灯で桟の幅も確認した。5,6センチはある。それなら長時間の作業には支障がない。
早速頭で考えていたように準備を始めた。リュックから10メートルのロープを取り出し、50センチぐらいのところに輪っかをつけた。これは上がるときに足を置くためのものだ。
フェンスの根元にロープを括りつけた。これには自信があった。元船乗りをしていたという施設の用務員のようなおじいさんがぼくに教えてくれたのだ。おじいさんはぼくをかわいがってくれた。
ぼくはロープを垂らした。壁に足をかけてゆっくり下りた。そして、すぐに桟に足を置くことができた。ロープも大丈夫のようだ。窓には柵があった。
これは誤算だった。これを外さなければ助けることができない。
その前にカーテンの隙間から中をのぞいた。真っ暗だが、よく見ると小さな明かりがついているのが分かった。あそこに誰か寝ているのだ。
ロープを腰に巻いて両手が自由になるようにしてから中の様子を見た。しばらくすると、何かが動いたような気がした。しかし、それ以上動きはない。
ぼくは大きく息をして、次の行動にかかった。思い切って窓ガラスを叩いたのである。しかし、最初は小さく叩いた。それから反応を待ったが部屋の動きはない。
もう一度深呼吸をして少し大きく叩いた。しばらくするとまた影が動いた。
影はまちがいなくこちらに来るだろう。その影を判断してさらに次の行動の準備をした。
影は窓ガラスをはさんですぐそばにいる。少年だ。ぼくは懐中電灯を点滅した。少年はカーテンを開けた。顔を窓ガラスにくっつくぐらいまで近づいた。
すぐに、「きみを助けに来た」と大きな字で書いた紙を広げた。もちろん懐中電灯を照らして。
少年は最初それを読んでからぼくを見た。そして、大きくうなずいた。
よし。おれもうなずいた。それから、窓ガラスを開けようとしたが開かない。鍵がかかっているようだ。これも大きな誤算だ。
しかし、情けない顔をしてはいけない。少年は。これで助かるという希望をもってぼくを見ているはずだと自分に言った。
金属のこぎりを用意しなかったのは失敗だったが、方法はあるはずだ。ライトを当てると、柵の根元はネジで留めてあるだけだ。ネジは上下三か所にそれぞれ3本ずつついている。柵を何回も揺すってみたが、まったく動かない。
しかし、右側の上下二か所のネジ6本を外せば何とかなるかもしれない。さらに言えば、上下一つのネジを外して柵を揺すれば他のネジも自然に外れるかもしれない。つまり、二つのネジを外すだけだ。勇気が湧いてきた。
ドライバーは何種類も持ってきているので、その中からドライバーを選んだ。
ネジ山をつぶさないようにドライバーをぐっと押さえつけて回した。しかし、いくら力を入れても回らない。桟から足が外れそうになる。
ぼくが難渋しているのを見ると、少年は、窓ガラスの鍵を何とかしようと考えたようだ。奥に行ったかと思うと、何かで鍵を触っている。
ぼくは、ドライバーを回しては柵を揺すった。それを何十回、何百回と繰り返した。
すると、ネジが動いた。それから、また何回も揺すった。1時間ほどすると、右側の柵が外れた。
そして、少年を見るとぼくを見て笑っているように思った。よく見ると、何と窓ガラスそのものを外していたのである。
ぼくらは手を伸ばして、お互いに健闘を称えあった。少年とぼくは力を合わせて柵を広げた。それから、少年は柵から体を出した。ここからも注意がいる。油断するとそのまま下に落下だ。
少年にロープを渡して、そのまま屋上に押し上げた。今度はぼくの番だ。少年がロープを引っ張ってくれたので、すぐに屋上に戻rことができた。
「さあ、もう一息だ」ぼくは声をかけ、先に進んだ。また、窓に少年を押し上げた。
今度はぼくがロープを腰に巻き、中にいる少年が引っ張ってくれた。階段を1階まで降り、階段の横にある小さな出入り口から中に入り、マンホールから外に出た。

のほほん丸の冒険
第1章22
マンホールの前にある林から外をうかがったが、静まりかえったままだ。ときおり道路を走る車の音がするぐらいだ。
そこを出て、ビルとの間の細い隙間をのぞいた。暗くてよく分からないが、そこも何か動いている気配はない。
「ここから道に出るよ」と少年にささやいて進んだ。ビルの玄関も変わったことがない。
駅は右の方角なので、玄関を越して走っていった。10分ほど行ってから道路の反対側に渡った。もし追いかけられても、反対側には来ないだろうと思ったからだ。
それに喉がからからなので、少し止まって何か飲みたかった。うまい具合に路地に自動販売機があった。自動販売機の向こう側にいれば見つかることがない。
ぼくは水を何本も買って下に置いた。そこにすわって二人で思いっきり飲んだ。
ようやく落ち着くと、少年は初めて声を出した。「ありがとう。助かったよ。明日どこかに連れていかれることになっていたんだ。よくここが分かったな」
それで、新宿駅でぼくを追いかけた3人がいるのを見つけた。しばらく構内でうろついていた。多分ぼくを探していたが、見つからないので、構内が見えるレストランに入った。ぼくも入って、近くのテーブルに席を取った。
3人で何か話していたが。しばらくすると、一人の若い男が合流した。1時間ぐらいいたが、電話がかかってきた。電話を切ると4人は急いで店を出た。ぼくも出た。
すると、最初の3人は、若い男に声をかけるとまた急いでどこかに行った。
ぼくは追いかけようとしたが、一人残った若い男が構内にいたので、そいつを見張ることにした。そいつも、駅の中をうろついていたところからすると、ぼくを探していたかもしれない。
そこまで説明すると、「きみはあいつらの近くまで行ったんだろう?それなら、どうして・・・。ああ、そうか!そのための変装か」と大きな声で言った。
「しっ。静かに。よくわかったね。きみにぼくの代わりをしてもらったので、ぼくも何とかしなくてはと思って考えた」
「なるほど。うまいこと考えた!」
「しばらくうろついていたが、誰かに電話した後で、ぼくを探すことを諦めて、どこかに行こうとした。それで、追いかけていくと、電車に乗った。ぼくもその電車に乗って、あのビルに行きついたんだ」
顔を少年は、うーんと唸った。「よく見つけてくれた。3人組を追いかけたらぼくは助からなかったかもしれない。ほんとにありがとう」
「いやいや。きみこそ最初3人組がいなかったので、テツか誰かに、もういいよと言われたのに、また挑戦したんだろう?もう一度ぼくのためにやってくれたんだ」
「きみのためというより、なんだかおもしろくなってきたんだ」
「わかる。わかる」ぼくらは、自動販売機の光で顔を見合って笑った。
「ところで、ここはどこなんだ」
「ここは三鷹市。駅の近く」
「ここまで車でつれてこられたんだ。目隠しされて」
「どうして、あいつらに捕まったんだ?」
「不覚の至すところだ。3人組を見つけたので、もっと情報を集めよとして、どんどん近づいた。最後には靴のヒモを直す演技をしたが、『おまえ。何をしているんだ』と体を押さえつけられた。大勢の人がいたんで、誰もいないところに連れていかれた。でも、成果はあったぜ」
「すごいことをするなあ。どんなことがわかったの」
「まずきみのだけでなく、その女も探している。それから、きみと女の人は仲間であるかもしれないと疑っている」
「ほんとか」
「そうだ。女の人からバックを受けてきみが逃げる。ラグビーのようにね。まさか知らない子供にバッグを渡すとは思われないと言っていた」
「あいつらも分からないことがあるんだ」
「それに、女の人はどこかの組織から送り込まれたスパイにちがいないと言っていた」
「それはどうしてわかるの」
「向こうから近づいてきたんだ。きみは子供だからこれ以上は言わないけど」
「それじゃ。ぼくも組織のスパイと思っているかもしれないな。でも、どうして、ぼくを探しに新宿駅に来るのかな。スパイならここには来ないだろう」
「きみのことをまだ断定していないからだろう。それに、ボスが近々来るようなことを言っていた」
「すごいことになってきたな」
「そうだ。おれも最初聞いたとき、引ったくりぐらいなのに、どうしてまじめに返そうとするんだと思った」
「これからどうする?」
「もちろんどんな組織か調べたいよ。それにバッグに何が入っているかもね」
「きみがいてくれたら心強い」
「今からどうする?」
「一度テントに帰ろうよ。みんな心配している」
「まだ電車は動いていないぜ」
「いや。タクシーで帰る。それに電車ならやつらが追いかけてくるかもしれないから」
少年は黙っていた。ぼくは、「お金は持っているから」と言った。

のほほん丸の冒険

第1章23
少年は黙ってぼくを見たようだが、ぼくも何も言わずそのまま立ち上がって、路地から通りを見た。人は誰も歩いていないし、車も少ない。ただ駅に行く道なので、タクシーが通ることはあるだろうと思った。
しばらく待っていると、信号待ちをしている車はタクシーのように見えた。ぼくは、少年に「タクシーが来たようだよ」と声をかけた。
手を挙げたのが分かったようで、二人の前にタクシーが止まった。そして、ドアを開けたが、運転手はぼくらが子供だと分かって驚いていた。
ぼくらは構わずにタクシーに乗ったので、「どうしたんだ」と言った。
「お願いします」と言うと、「ほんとに乗るのか。どうしてこんなに遅くまで遊んでいたんだ」と聞いてきた。
あいつらが追いかけてくると厄介なので、事情を説明した。「そうじゃないんです。夕方『おばあちゃんが危篤だ』という連絡が病院からあったので、ママとお兄ちゃんとぼくが、いいえ、わたしの3人で病院にかけつけました。パパはアメリカに出張しているので来られません。
しかし、容体が少し待ちなおして、今すぐということではなくなったのです。
それで、ママが、『わたし一人いるので、おまえたちはいったん家に帰りなさい。もし何かあれば連絡するから』と言いました。『何もなければ、自分で用意して学校にいくのよ』とも言いました。
病院で待っているタクシーに乗ろうとしたんですが、お兄ちゃんが、『腹減ったよ。このあたりで何か食べようよ』と言いだしたので、店を探すために病院の外に出たんです。
しかし、夜中ですから、なかなかなくて、ようやくラーメン屋を見つけて食べたのですが、今度は道に迷ってしまって・・・」と一気にしゃべった。
少年はじっとぼくを見ていたが、ぼくは運転手を見ていた。
「そうだったのか。それは気の毒だったな。それじゃ、三鷹駅まで行けばいいのかな」
うまくいった。ぼくは、「いいえ。新宿駅までお願いします」と答えた。
「ほんとか」
「ママからお金を預かっていますから大丈夫です」
「わかった。それじゃ行くよ」
新宿駅に着いたときは午前3時を回っていた。運転手は、「家まで行かなくてもいいの」と聞いたが、そこで降りた。なんとなく時間がほしかったのだ。
歩いてテントに向った。少年が、「どこかで時間をつぶさなくてもいいかな」と聞いてきたが、「早く帰ったほうが喜ぶような気がする」と自分の考えを言った。ほんとは、体がくたくたで早く寝たかったこともあるが。
少年はテントで泊まったことはないと言うので、まずぼくが入ることにした。
おじいさん以外に、誰かいるのだろうから、ぼくなら分かってくれるだろうと思った。
そっと開けると、すぐに「誰だ」と言う声が聞こえた。「ぼくです」と答えると、明かりがついた。「きみか」テツとリュウが暗闇から出てきた。
リュウは、「子供が帰ってきましたぜ」と後ろを振り返って言った。
そして、テツは、ぼくの後ろにいる少年を見つけると、「トモじゃないか。みんな探していたぞ。特にカズは朝から晩まで探していた。とにかく二人ともよく帰ってきてくれた。じいさんも心配していたんだ」とぼくらをじいさんの近くまで連れていった。
おじいさんは体を起こして、「よう帰ってきてくれた。おまえがトモを助けたのか」と改めて聞いた。
「そうです」と答えてから、1時間ぐらい今までのことを話した。
話が終わると、「すごいぞ。まるでアメリカのスパイ映画みたいじゃないか!」とリュウが叫んだ。

のほほん丸の冒険
第1章24
リュウは、「カズを呼んできます」と言って出かけた。
「きみらはすごいことをしたな。とても信じられないよ」テツは唸るように言った。
それから、「ずっと引ったくりの仲間割れぐらいにしか思えなかったけど、何か組織があるんでしょうか。じいさん、どう思いますか」と聞いた。
おじいさんは、「預かっているバッグに秘密があるようだな」と答えたが、バッグをどうせよとは言わなかった。
「今回はうまくいったが、次何かしてもうまくいくかは分からんぞ。それを頭に入れておくことじゃな」
「きみら、これからどうするのか。あいつらは怒っているだろうから、これからも駅に来る可能性がある。もし捕まったら、今度は殺されるかもしれないぜ」とぼくらを脅した。
「とにかく、おまえらはここでゆっくり休め」おじいさんは助け船を出してくれた。
そのとき、リュウとカズが飛び込んできた。カズは少年を抱きしめて、「トモ。探していたぞ」と叫んだ。
「うん。この子が助けてくれたんだ」と少年はぼくを見た。
「リュウから大体聞いた。ありがとうな。きみがいなかったら、トモとはもう会えなかったかもしれない」カズは泣き声になった。
「サムも喜ぶだろう」テツが言った。
「ありがとうございました」カズは、ぼくに丁寧な言葉で礼を言い、深々と頭を下げた。
ぼくは、「いいえ。とんでもありません。ぼくの代わりをしてくれたので、こんなことになり申しわけありませんでした」と答えた。
「じいさん。トモを連れて帰ります」カズは立ち上がった。じいさんは、「ゆっくり休ませてやれ」と言うと二人は出て言った。少年は出ていくとき、ぼくのほうを見たようだった。
この間に、テツがぼくのためにテントの奥に寝る場所を作ってくれた。そこなら、人の出入りがあってもゆっくり寝られるようになっていた。
ぼくは、テツに礼を言ってから、そこで横になった。すぐに寝てしまった。
どのくらい寝ていたのか分からない。しかし、時間がたつほど、疲れが出てくるようだった。
ときどきいろいろな夢を見た。しばらく覚えていたが、あまり多すぎるので、ほとんど忘れてしまった。
しかし、あいつらに捕まり、どこかに連れて行かれた夢は覚えている。
どこかのビルの一室のようだ。そこに、女の人がいた。あの人はと思っていると、その人が立ちあがってぼくのそばに来た。「坊や。ごめんね。私がバッグを預かってもらったばっかりにこんなことになって」と謝った。
ぼくが黙っていると、「あのバッグをあいつに渡してやって。そうしたら、あなたはここを出られるから」と言った。
「でも、ここにはありません」
「警察に届けたの」
「いいえ。ある人がもってくれています」
「それなら、すぐに渡せるわね」
「そうです。でも、大事なものが入っているのでしょう」
「そうなの。悪用されたら人類が滅亡するかもしれないわ」
「ほんとですか。それは何ですか」
その時ドアが開いた。あの3人組だ。ぼくはぐったりしているふりをして、3人が近づいたとき、3人の間をすり抜けて逃げた。やつらは、「待て」と叫んで追いかけてきた。
一か八か階段を上がった。幸い屋上に行くドアは開いていた。足音が追ってくる。金網がビルの屋上を取り囲んでいた。ぼくはそれに登り外に出た。下を見た。すると、さっきの女の人らしき人がビルから走って出てきた。逃げたのだ。
後はぼくだけだ。3人は金網を揺すりはじめた。ぼくはそこから飛び降りた。
「おい。どうした!」誰かがぼくの顔をさわっている。ぼくは死んだのか。
「じいさん。大変な熱です!」誰かの声だ。テツだ。テツが助けに来てくれたのか。それなら、ぼくは生きているのか。

のほほん丸の冒険
第1章25
ぼくは、「テツ!」と呼んだ。「大丈夫だ。おれたちがいるから安心しろ」という声が聞こえた。
ぼくは夢を見ているのかと思ったが、声はすぐそばで聞こえた。ほんとに飛び降りたのだ。そうしたらここは病院なのか。
「すぐにあいつを呼んできてくれないか」という声も聞こえた。おじいさんの声だ。
おじいさんも来てくれているのか。「分かりました」とテツが答えた。しばらくすると、冷たい布が額に置かれた。そして、「少し待っていてくれよ。医者を呼んでくるから」テツが言った。
誰かがぼくを見ている。やさしそうな女の人だ。ママだ。「ママ。来てくれたのか。ビルから飛び降りた。大けがをしているかもしれない」そう叫んでも、ママはうなずくだけで何も言わない。
2才ぐらいのとき、入院していたママとどこかの駅のプラットホームで会ったときもママは抱きしめてくれたが、何も言わなかったように思う。
いや、何か言ったのだろうが、ずっとママの顔を見ていたので、記憶にないのか。
ママの声を聞きたくて、「昔白いサンダルを飼ってくれてありがとう。もう10才だから履けなくなったけど」と声を出した。しかし、笑顔でうなずくだけなのだ。そして、ママの姿は消えた。
「かなり疲れておるが、注射をしておいたので、とにかく十分寝たら心配ないだろう。起きたらうまいもんを食わせたらすぐ元気になる」という声が聞こえてきた。
目を開けると、青い光が輝いていた。ここはと考えていると、「目が覚めたか。2日以上寝たからもう大丈夫だ。うまいもんがあるから食べろ」とテツの顔がぼくの顔の上にあった。思わず、「ありがとうございます」と答えたが、ここは病院ではないことがあたりを見て分かった。
すぐにリュウがぼくの前に料理を乗せたプレートを運んできた。その時は、まだお腹のことは分からなかったが、おじいさんの知り合いの医者の忠告を守って料理を用意してくれていたのだろう。
それで、無我夢中で料理をお腹に詰めこんだ。それから、おじいさんに礼を言ってから、近所の公園のトイレで顔を洗った。
ベンチにすわって今までのことを整理していると、「やあ」という声が聞こえた。
「あれから朝晩顔を見に来ていたが、ずっと寝ていた。疲れているだけだと聞いたので心配はしなかったよ」と笑顔で言った。
「ありがとう。夢が次から次へと出てきて、起きられなかったんだ」と答えた。
「へえ。どんな夢を見たんだ」
「ぼくはあいつらに捕まってどこかのビルに連れ込まれた。すると、ぼくにバッグを預けた女の人がいた。ぼくと同じく捕まっていたんだ」
「ほんとか」
「女の人はぼくのことを覚えていて、厄介なことになって申しわけないと謝ってくれた。それから、あのバッグをはどうしたのと聞いてきたので、ある人に預かってもらっていますと答えると、『それは助かったわ。警察に届けると、あいつらが自分が落としたと言って取り返すかもしれないと心配していたの』と嬉しそうに言った。
ぼくは、思い切ってあの中には何が入っているのですかと聞いたんだ。
でも、具体的なことは言わず、『あれを悪用すると人類は全滅するかもしれないの』と答えるだけだった」
「それはほんとか!」と少年は叫んだが、「夢に出てきた女の人が言っただけだよ」とぼくは少年に念を押した。
それから、何日も、二人は朝から晩までそのベンチにすわって、お互いの生い立ちや将来のことを話しつづけた。
ある日少年は突然きみは今何か企んでいるなと聞いた。
「いや別に企んでいないよ」と慌てて答えたが、「いや。企んでいる。その目で分かる」と断定した。
すると、ぼくは、ちらっとでも考えると、どこを見ているか分からないような目になるということか。
少年は追い打ちをかけるように、「おれもやるよ。遠慮なく言ってくれ」と言った。
その時、「おーい」という声が聞こえた。リュウが走ってきて、「じいさんが二人に話があると言っているぞ」と言った。

のほほん丸の冒険
第1章26
何だろう。二人は顔を見合せた。別に怒られるようなことはしていないが、これからは余計なことはするなということだろうか。ぼくらはリュウの後を追ってテントに急いだ。
「連れてきました」リュウが叫ぶと、おじいさんと一緒にいたテツが、「こっちへ来い。じいさんがきみらに名前をつけてくれるぞ」と叫んだ。
二人はまた顔を見合わせた。これはテントの仲間に入れてもらえることだとすぐわかった。
確かに少年はトモと呼ばれていたが、それは仲間としての名前ではなく、本名の一部で、兄貴のように慕っているサムとカズがそのように呼んでいたのだ。
なぜなら、トモがこのテントに初めて来たのは2週間ほど前で、ぼくの代役として連れてこられたからだ。
テツの話では、ここでは誰も自分の姓名を言うなとおじいさんが命令しているらしい。
それぞれの名前は親が願いを込めてつけたもので、こんなところで言わせたくないということらしい。
ぼくらははおじいさんの前に正座した。すると、「おまえたちに名前をつける。その理由は、おまえたちはいつも一緒にいるので、区別したほうがみんなに便利だと思ったからじゃ」と言った。
少しほっとしたが、ぼくらは、「ありがとうございます」と答えた。
「最初に言っておく。おまえたちは今風の名前だろうが、わしは、おまえたちの気に食わない名前をつける。そうしたほうが早くここを出ようと考えるだろうからな」と言って少し笑った。
そして、少年に向って、「おまえはしゃかりき丸」それからぼくに向って「おまえはのほほん丸」と言った。
確かにその名前を聞いて呆然とした。それを察してか、テツが、「子供らしい名前ですね。でも、この子供は小さいですが大人でもかなわないほどの勇気がありますが」とぼくにつけられた名前について聞いた。
「たしかにそうじゃ。しかし、初めてここに来たとき、男に追いかけられたらしいが、平然としていた。本来のほほんとした性格と見た。それゆえ、のほほん丸。そして、しゃかりき丸は、サムがかわいがっていたらしいが、サムが刑務所から戻ってきたら、またずっとサムから離れないじゃろ。そうすると、何でもサムに頼る大人になる。今のうちに一人で生きていけということじゃ」と説明してくれた。
テツは、「そういうことだったのですか。きみたちもよく覚えておけ」と言ったが、さらに、ここぞとばかりに、「おれとリュウはどうしてこんな名前にななったのですか」と食い下がった。二人は今のような説明を聞いていなかったらしい。
「おまえたちか。テツは中学を出て長いこと鉄工所に努めていたと言っていたからな。
リュウは、いつもリュウの絵のジャンパーを着ていたのを思い出した」と得意そうに言った。
テツとリュウは二人は苦笑いしていたが、ぼくらに、「きみらも、じいさんが言うように、早くここを出るようにがんばれよ」と言った。
それから、また公園に行って、二人で名前について話した。「牛若丸のような名前で気に行ったよ」としゃかりき丸となった少年は笑った。
「そうだね。何か力がついたような気がする。それに、兄弟になったようだ」とぼくが答えると、しゃかりき丸は次から次へと自分のことを話しはじめた。

のほほん丸の冒険
第1章27
しゃかりき丸と名づけられた少年は、おじいさんからいつまでも人に頼っていないでしゃかりきに生きろいう願いで名づけたと聞いたためか、自分のことを話したくなったようだ。
その内容は、テツがおじいさんに言っていたので少しは知っていたけど、本人から聞いたのは初めてだった。
両親は昔から詐欺や泥棒などをしていたので何回も捕まったそうだが、今回は、両親とも4年近く刑務所入ることになった。それで、両親と知り合いだったサムが世話をするようになったのだ。
しkし、そのサムも何か事件を起こして刑務所に入るようになったので、サムの子分であるカズが世話をするようになった(サムについては、おじいさんのテントに出入りする仲間だったのにまた悪事を働いたということで、おじいさんはひどく怒っているようだが、改心する前のことだったようで、テツはそのことをおじいさんに説明した)。
とにかく、カズはサムの留守に少年に何かあるといけないので、まだ二十歳半ばなのに親のように少年の世話をしていたそうだ。
しかし、カズには週2、3回夜の仕事があったので、その時は、誰かに少年の世話を頼んだ。
そのころ、テツやリュウが、少年にぼくの代わりをする仕事を頼んだが、危険なので、最初カズは断ったが、1日中誰かがそばにいる生活に飽きてきた少年がやると言ったので、しぶしぶ認めたようだ。
少年はぼくより身長は20センチは高いし、時々大人びた表情をするので、中学生だろうが、どうして学校に行かないのか不思議に思ったが聞かなかった。
それに、ぼくも小学4年だけど、学校には行っていないわけだ。
テツはぼくにはっきり言わなかったが、テントに出入りする者はお互い名前や過去を聞かないようになっているのだ。
おじいさんが、こんなところにいることはおまえらもおまえらの親も望んでいないはずだから、早くここを忘れるようにしろということらしい。それで、仮の名前をつけてくれるのだ。
少年はぼくのことを聞いたとき、父親が学者なら自分とは住む世界がちがうと思ったようだけど、ぼくも、母親とは一度会ったきりでどこにいるか、あるいは、すで死んでいるかも知らないし、父親とは外国から帰ってきたときは一緒に暮らすが、もう3,4年会っていないと話したので、少しは親近感を持ってくれたようだ。
自分のことを話すと、「どんな計画なんだ」しゃかりき丸が急かした。
「まだまとまっていない。決まったら話すから」とぼくは答えた。ほんとはいつ実行するかだけだが、それを得意そうにしゃかりき丸にしゃべって、テツや、リュウ、カズに知られたら、どうなるかは分かっていた。
つまり、「敵を欺くにはまず味方から」というわけだ。もしこのことを知ったら、みんな大反対をするだろうし、しゃかりき丸は以前より強い監視下に置かれるかもしれないのだ。
案の定、こんなことがあった。おじいさんとテツ、リュウ、ぼくがまだ寝ていたとき、カズがテントに飛び込んできたことがあった。そして、「トモはいますか」と叫んだ。
「しゃかりき丸はこんなに早く来ないぜ」とリュウが眠たそうに答えた。
「どうしたんだ」とテツが聞いた。「目が覚めたらトモがいないので、どこへ行ったのかと思って」カズは小さくなって答えた。
「しゃかりき丸が来たら、おまえが来たことを言っておくから」とカズを帰らせた。
テツは、おじいさんが寝ているのを確認すると、小さな声で、「カズにも困ったものだ。責任感が強いので、しゃかりき丸を守るためにまわりが見えなくなってしまうのだな。今回のことで、それがひどくなっていると聞いている」と言った。
「申しわけありませんでした」
「そうじゃない。今回のことはおれたちが頼んで、あいつが出しゃばったことをして捕まった。そして、きみが助けてくれた。みんなきみに感謝している。誤解しないでくれよ」と弁解した。
その時、「おはようございます」という声が聞こえた。声のほうを見ると、しゃかりき丸だった。

のほほん丸の冒険
第1章28
「おい。今カズと会ったか」テツがすぐ聞いた。靴を脱ごうとしていたしゃかりき丸はその場で、「いいえ。会っていません。何かあったのですか」と驚いたように答えた。
「知らないよ。さっきあわてて来て、おまえのことを聞いていたからな」
「別に何もないと思うんですけど」
「だろうな。カズは24時間おまえがそばにいないと淋しいんだろうよ」
「何もありません。昨日サムから手紙が来たので、それでぼくのことが心配になったんでしょうか。でも、大したことは書いてなかったですけどね」
「それじゃ、何か用事があるのか自分で聞いておけ」
「わかりました。気持ち悪いからちょっと帰ってきます」しゃかりき丸は出ていった。
「しゃかりき丸も分からいようだ。きみも気にする必要はない。ちょっと買いものに行ってくるから留守番頼むよ」テツも出かけた。
おじいさんは寝たままだった。ぼくは、しゃかりき丸に自分から計画を話さないほうがいいなと思った。
テントは少し揺れているが、光が溢れている。今日もいい天気だろう。
テツが帰ってきたら、しゃかりき丸が来なくても公園に行こうと決めた。もちろん、毎日そこで一日を過ごしているわけだが。
その時、「のほほん丸」という声が聞こえた。
「おじいさん。おはようございます」
「ちょっと体を起こしてくれんか」
「はい。分かりました」ぼくはおじいさんの後ろに回って背中を起こした。
「テントには、わしも含めておまえが見たこともないような人間が出入りしているじゃ」と突然言いだした。
「そうですね」思わずそう答えた。
「しかし、世の中にはもっと見るべき人間がいる。そういう人間のほうが人生の役に立つぞ」
「はい」と答えたが、おじいさんはそれ以上言わずに、目をつぶってじっとしていた。
しゃかりき丸が戻ってきた。「おはよう。カズと会えたのか」ぼくは小さな声で聞いてみた。
「会えた。すぐに帰ってきた。でも、何もないよ。夕べぼくはいなくなった夢を見たらしいんだ。朝起きたらぼくがいなかったので慌てたようだ。ちゃんとメモを置いて出かけたのに」
ぼくはどこに行っていたんだなどとは聞かなかったが、しゃかりき丸は自分から話しはじめた。
「昔から一緒に遊んでいる連中4,5人が朝5時ごろに来たんだ。最近いつも留守なので少年院でも行っているのかと心配していたと言うので、悪いことはおまえたちと一緒にやってきたぜと答えると、久しぶりに話をしようとなってハンバーガー屋に行くことになった」としゃかりき丸は事情を説明した。
おじいさんがいるので、それ以上話は進まなかった。
しばらくすると、テツが帰ってきたので、しゃかりき丸は今の話をもう一度テツに言った。それから、二人でいつもの公園のベンチに行った。
しゃかりき丸は、今日のような煩わしいことから逃れるために早く冒険に行きたいようだった。
「いつ行くのか。今日でもいいよ」とぼくの目を見た。
「早く行くつもりだが、少し準備が残っている」
「そうだな。仕掛けを仕込んでいかなくてはならないもんな。どんなものがいるか教えてくれたら、仲間に聞くよ。何しろ空き巣狙い、こそ泥などを専門にしている仲間がいるからな」
「ありがとう。準備ができたら計画実行だ」
「一つだけ聞いていいか」
「どうぞ」
「女の人から預かったバッグの中身を確認してから、冒険に行ったほうがいいのじゃないか。相手が何を狙っているかわかるもの」
「それはそうだ。でも、冒険を完璧にするためには何も知らないほうがおもしろいと思う。わかったら推理だけだから」
「そうだったな。きみは冒険の専門家だ」
その晩どうしてこんな計画を立てたのか。あるいは、どうしても実行しなけ
ればならないのか自問した。
それは何回も頭に浮かんだことであるが、もう一度確認したのだ。
ぼくに、「バッグを預かってちょうだい。すぐに取りに来るから」と必死に頼んだ女の人はひょっとしてぼくのママかもしれないという思いが消えないのだ。
それなのに取りにはこなかった。しかも、バッグを取り戻そうとしている男たちには大きな組織があるのはまちがいないことが分かった。
ママかどうか確かめ、そして、ママを助けるのはぼくの個人的なことだ。
しかし、ぼくの身代わりになって捕まったしゃかりき丸はあの男たちに一泡吹かせたいのだ。
ぼくは必死だったが、しゃかりき丸にはゲームのように思えたのかもしれない。
それに、今回のことでテントに出入りするようになったが、しゃかりき丸はテントの住民に育てられているのだ。今はこうでも、おじいさんがいれば一人前の人間になるだろう。自分のことでしゃかりき丸を犠牲にするわけには行かない。
翌日から、しゃかりき丸が来ても二人で公園には行かず、最新道具を探してくると言って一人で出かけた。

のほほん丸の冒険
第1章29
ぼくは一人で新宿駅に向かった。しゃかりき丸はぼくと冒険をすることを楽しみにしているが、ぼくはどうしても彼を誘うことができなかった。
あのビルの脱出はうまくいったが、今度はそうは行かない。あいつらも、捕虜にした子供が消えたのだから、何が起きたのか狐につままれたような思いだろう。
あのビルで男が電話をしているのをちょっと聞いたが、バッグという言葉が何回も出ていた。しゃかりき丸は自分たちが追いかけた子供、つまりぼくではないことは分かっているだろうが、そうなると、何人も子供がいることは何かの組織があるかもしれないと考えているはずだ。
人間は、分からないことがあるとどんどん霧深い森に迷いこんでしまうものだ。
そうなっている個人や組織を扱うのは簡単だ。何らかの言葉だけで、さらに大きな妄想や疑心暗鬼に振りまわされるのだ。
ぼくは、それをある詐欺師のおじいさんからから聞いたことがある。「言葉をうまく使えば、国でもひっくり返すことができる。言葉はどんな大砲より威力がある時限爆弾なんだ。人の体の中で爆発するからな」と得意そうに話してくれた。
詐欺師のおじいさんは80才を越していたが、その時、罪も償ってある施設の
寮長のようなことをしていた。
所長がおじいさんが人柄がいいのと話がおもしろいので、悪さをしてきた少年の世話をしていたのだ。
少年たちは、「どんなに悪さをしてもいいが、悪さの天才がいる。そいつらに勝ってこないぞ」と言われると、だんだん悪さから遠ざかっていったと聞いたことがある。少年たちは施設を出ても、おじいさんと話をしたくてよく来ていた。ぼくは別に悪さをしていないが、なぜかよくかわいがってもらったものだ。おじいさんとは5,6年会っていないが、今こそおじいさんから教わったことを生かす時だと思った。
それに、あの女の人はママかもしれないという思いがどうしても消えないのだ。そんな荒唐無稽なことにしゃかりき丸も巻き込みたくない。
ぼくは、深呼吸を何回かして新宿駅に入った。ラッシュがすんだ時間なので、人は多くない。ぼくはあの日女の人が慌ててやってきた場所にすわった。
心臓が早鐘を打ちだした。近くを歩いている人が気づくのではないかと思うほどだ。「言葉だ。言葉をうまく使えよ」ぼくは自分に言った。
3時間ほど待ったが、男たちは来ない。仕方がないので、今日はテントに帰ることにした。
しゃかりき丸が待っていた。「おかえり」と言ってぼくを見た。
「ただいま。遅くなってごめん。新しいものがたくさんあって」ぼくは言いわけをした。
おじいさんとリュウが寝ていたので、「公園に行こうか」としゃかりき丸を誘った。
いつものベンチにすわると、「あのビルからの脱出はすごかった。まるでスパイ映画のようだった。あんなことは前にしたことはあるのか」と前に聞いたようなことを聞いてきた。
「初めてだよ。ほんとは怖くなったが、きみの姿が見えたので、身体が自然に動いた。
ビルに入っても、相手に気づかれないようにすることで頭がいっぱいだった。きみが男と同じ部屋にいたら助けることはできなかった。ほんとに幸運だった」
とぼくも前のように答えた。しゃかりき丸はうなずきながら聞いていた。
翌日、おじいさんに頼まれたことをした後、新宿駅に向かった。まだしゃかりき丸は来ていなかった。
駅について構内を見たが、速足で急ぐ人はいない。ぼくは大きく息をして、中に入った。そして、同じ場所にすわって本を読むことにした。
1時間ほどして、「おい」という声がした。顔を上げると3人の男がぼくを囲むように立っていた。
「なにか」ぼくは立ち上がった。「きみに話があるんだ。ちょっと来てくれないか」と言った。
「ここで聞きますよ」と言うと、「いや。向こうに行こう」と命令した。
ぼくは少し逃げるようにしたが、男たちはあわててぼくを捕まえて引っ張って。いった。

のほほん丸の冒険
第1章30
男たちはぼくの横に二人、後に一人おり、かなり強い力でぼくを押すように急がせた。
以前のようにぼくが逃げるのを警戒しているのははっきり分かる。一度逃げるふりをすると3人はあわててぼくの前に出てきたからだ。
ここまでは予定どおりだ。駅の外に出た。ここからどうするつもりか。そう思っていると、車が止まった。一人の男が急いでドアを開けた。ぼくは車に乗せられた。
一番若い男と2番目に若い男の間にすわらされた。一番年上の男は助手席にすった。
新宿は初めてなので方向がよく分からないので、風景を頭に入れることにした。
誰もしゃべらなかった。10分ほどすると、一番若そうな男が、「ぼく。女からバッグを預かったよね」と聞いてきた。
「ええ。預かりました」ぼくは何でないように答えた。
「あれはどうした。あれはおれたちのもので、あの女が奪っていったので、おれたちが追いかけていたんだ。女がぼくに渡すのを見ていたから返すように言ったんだ。何で逃げるんだ」と執拗に聞いてきた。
「女の人がすぐに戻るからと言うので待っていたんですけど、あなたたちが急に、『返せ』と言うものだから、本能的に逃げたんです」
「分かってくれたら返してほしいだけど」2番目に若い男が言った。
「警察に届けました」
「ほんとか」
「返そうと思って毎日駅に行ったのですが、女の人が来なかったので、警察に届けるのが一番早いと思って」
「どこの」
「近くの交番に」
「交番でどう言ったの」
「ありのままです。預かったけど、家に帰らなくてはならないのでお願いしますと頼みました。
「どうします。中を見ていますかね」二番目に若い男は助手席に座っていた一番年上の男に聞いた。
「見ても分からないだろう。多分機械的に処理をしているだけだ」
それを聞いて、一番若い男は「ぼくね。きみが返してくれたら、ここで降りてもらうつもりだったが、警察に届けたのなら、もう少し用事を頼まなくてはならない。誘拐なんてことはしたくないんだけど、家はどこ」
ぼくは、「父と母は研究のためにイギリスにいます。ぼくは日本にいたいので、長野県のおじさんの家にいます」と説明した。
「そうか。それならおじさんにどう言うかだな」
「おじさんはぼくが家にいようがいまいか気にしません。うちの家系は人のことはあまり考えないほうで」
3人は黙った。今どこを走っているのか確かめようとしたが、ずっと同じような風景が続いているので、よくわからなかった。
こいつらはぼくをどうするつもりだろうかと考えていると、一番若い男が、「それなら、申しわけないけどしばらくおれたちとつきあってもらうよ」と言った。
ぼくは、うれしそうに返事をするわけにはいかないので、黙っていた。
車はそれから30分以上走って、住宅地の中を入っていった。しばらくすると、ビルの中に入り、シャッタが閉まった。
「ぼく。降りてくれるか」一番若い男が言った。それから、階段を上がり、3階の部屋に入った。
会社の応接室のようだ。一番若い男と次の男がぼくとともに入ると、リュックサックを取り上げた。年上の男はどこかへ行ったようだ。
「ここにすわったらいいよ」と言うので、すわってあたりを見ていた。しかし、会社のことが分かるものは何もなかった。
ジュースを出してくれたので、それを飲んでいると、質問が続いた。
二人の男がぼくの前にすわったが、質問は若いほうの男がして、別の男はぼくを観察していた。
「学校はどうした」
「行ったり行かなかったりです。学校もぼくのことが分かっているので気にしていません。それまでは家の都合で施設のたらいまわしであちこち行っていました」
「それは変わった経験をしたんだな。ところで、きみがバッグを預かってから今日まで20日以上たっているけど、この間どこにいたんだ」
「4,5日は野宿のようなことをしていたけど、一旦家に帰り、また来たんです。
女の人が困っているのではないかと思って」
「責任感が強いんだな。でも、普通そんなことする子供いないぜ」
疑っているようだ。もっとうまく答えようと思った。

のほほん丸の冒険
第1章31
二人の若い男はぼくの顔をじっと見て、「女の人はきみの知り合いだったのか」と聞いた。
「いえ。初めて見る人です」
「そうか。きみがその女の人を心配する気持ちは分からんでもないが、おれたちのバッグを盗んだんだ」
「それはよくわかりません」ぼくははねつけた。
若い男は、うーんと唸ったままぼくを見た。
二人の困った顔を見ると、こいつらは次何を聞きたいのか考える余裕が出てきた。
案の定、「警察に届けたと言っていたが、そのとき『預かり証』をもらっただろう」と来た。
「もらいました。リュックにある財布の中に入れています」
別の男がすぐに出て言った。5,6分たって戻ってきて、「どこにもない」と言った。
「えっ。ほんとですか。おかしいなあ。一番大事なものですから気をつけていたのですが。ひょっとして家に置いてきてしまったかも知れません。
おじさんが医者に電話してくれと言ったのでそのままにしていたかもしれません。なんなら、今からおじさんに電話してきてみましょうか」と答えた。
「それは後でいいよ。しかし、おじさんの調子が悪いのによく東京に来れたな」
「おじさんは行ってきてもいいぞと言ってくれたので。ぼくがバッグことを気にしているのを知っていましたから」言いわけをしすぎたかどうか軽い咳払いをして二人をちらっと見た。まるっきり疑っているようではないが、まだ分からない。
何か拾って届けても、3か月間落とし主が出てこないと拾い主のものになることは調べていた。
男たちもそれは知っているだろう。届けた日を計算に入れたら、後2か月はどうすることもできないと考えているはずだ。ぼくの話を信じたらのことだけど。
ぼくとしては、この2か月の間に女の人を見つけなければならない。
二人の男は、「少し休憩しよう」と言って出ていった。ぼくは6畳ぐらいの部屋を見回した。これといったものがないので広く感じる。
三人がすわった小さな椅子三つと小さなテーブル。空っぽの小さな本棚。壁に立てかけてある簡易ベッドしかないのだ。窓はない。
そんなことはないだろうが、ここにずっといなければならないのなら頭がおかしくなるかもしれない。
そして、監視カメラをそれとなく調べたが、どこにもないようだ。少しほっとした。
ドアが開いた。二人が入ってきた。若い男が、「タカシ君」と呼んだ。
ようやく名前を呼んだ。ぼくは施設で仲がよかった「丸山隆」の名前を借りてリュックに書いていたのに、さっきは呼ばなかったので、どうしてだろうと思っていたのだ。名前で呼ぶと何かの感情が入るとでも考えたのかもしれない。
「はい」ぼくは、タカシと呼ばれる練習を繰りかえしていたので、自然に答えることができた。
「東京に戻ってきてからどこに泊まったんだい」と聞いてきた。
「はい。ホテルは子供だけなら断られますので、公園で休んでいました。朝は駅に行きました」
「10日前はどこにいた」
来た来た。ぼくは、「まだ長野にいました。学校にはあまり行かなかったですけど、仲のいい友だちがいたので遊んでいました」
思わずここで、「何かありましたか」と言いそうになったが、ぐっと言葉を飲み込んだ。男たちはしゃかりき丸がどうして逃げたかが頭から離れないはずだから、そんなことを聞けばぼくを疑うのは決まっているからだ。

のほほん丸の冒険
第1章32
「そうか」若い男は小さな声で言った。男が聞いたことにはアリバイを言うことができた。しかし、あまりにもアリバイがあるので逆におかしいと思わないだろうか。
実際、ぼくが通っていると言った小学校に問い合わせしたらどうなるのか心配になった。
しかし、すぐに第三者が電話などで学校に問い合わせをしても、今は犯罪を防ぐために答えないようにしていると聞いたことがある。
それなら安心だが、あまり調子に乗らないようにしなければならない。ぼくは、どうしたらいいのか困っている若い男を見ながらそう思った。
若い男が差し入れしてくれた本が数冊あったので、その中の理科の実験の本を読みはじめた。
しばらくすると、「ゆっくりしていて」と言って男が出ていった。
ぼくはまた部屋に中をそれとなく見回した。やはり特別な装置などはないようだ。
すると、隣の部屋らしき場所からガタガタという音がしてきた。何か家具を動かしているような音だ。すると隣の部屋に若い男がいるのか。
もし複数の人間がいれば話し声が聞こえるかもしれないが、一人しかいないようだ。うまくいけば何を話しているのか聞くことができる。ようやく攻撃する糸口を見つけたような気がした。
しかし、それからはどんな物事もきこえない。ぼくも実験の勉強を続けた。
夕方になって、ドアが開いて、同じ男が入ってきた。トレイにサンドイッチとジュースやバナナが乗っている。
「これは晩ご飯だ。トイレに行きたくなったら、受話器を取ってくれ。誰かがビルのトイレに案内する。
しばらく不便だがよろしくな。寝るときはこのベッドを使うんだ。毛布は後でもってくるから」と言って、また出ていった。
ぼくはサンドイッチを食べながら、しばらくこういう生活になるだろうが、絶対後悔しないことと自分に言った。パパは、この道を行こうと決めたら、その道がまちがっていても、何か得るものがあるからと言っていた。
翌日も朝食を持ってきた。それに追加の本も5,6冊あった。それらをポンとテーブルに置いて出ていくのだ。
3日もたつと、読書量はどんどん増えていった。今まで読んだ量をこの3日で読んだことになるかもしれない。食事ごとに本を持ってくるし、読書以外に時間をつぶすことがないからだ。
しかし、あきてきた。それで、「おじさんに電話をかけて、『預かり証』を置いていないか聞きましょうか」と聞いてやった。
若い男は驚いて、「あっ。そうだな。でも、今はいいよ。その時は頼むよ」と答えた。
今おじさんの家にあることが分かってもどうしようもないのだろう。拾い主であるぼくがバッグをもらえるようになったときに確認させればいいと判断したのだ。
今連絡させれば、おじさんが、「不審な電話があった」と警察に言うかもしれないし、そうなれば、ぼくの身に何かあったと捜査するかもしれないと警戒しているのか。
そうか。この状況を打ち破るには、相手の動きに合わすのではなく、こちらから仕掛けていけばいいのだ。
ただし、雑談などをするのではなく、男たちのことや組織について分かるようなことを聞くようにしなければならない。
それで、「みんなはここで寝泊まりしているのですか」と聞くと、「いや。担当がいるんだ。今は忙しいのでおれ一人だけど」と答えたが、すぐにまずいことを言ったかもしれないという顔をした。そうだ、この調子だ。
質問責めにすることはまた疑われるかもしれないから、相手の顔色を見て質問した。
それで、ぼくがいるビルは、以前はみんないたが、何らかの理由で他の場所に移ったらしい。
しかし、この組織がどういうものかとかあのバッグがどこで盗まれたのかとか、もちろん何が入っていたかなどはまったく分からない。これらは次の課題だ。

のほほん丸の冒険
第1章33
ただ窓もない狭い部屋に閉じ込められているので、何もしないと何も分からない。
カバンのことなどを聞き出そうとする若い男に何か聞いても当たりさわりのないことしか言わない。それこそぼくのまわりには高い壁があるだけだ。
数日は何もなかった。若い男が持ってくる食事を食べ、ときおり差し入れしてくれる本を読む生活が続いた。
男は、食事を持ってきたときなどに、すでに聞いたことを聞くことがあるが、ぼくは女の人からバックを預かった日からのことをすべて作りあげているので、何回聞かれても同じように答えることができた。
多分ぼくが嘘をついているのではないかと疑ってそうするのだろう。最近はそれも聞かなくなってきたが、逆に男との会話から情報を得る機会が少なくなってきたことになる。
今度同じように聞かれたら、前とちがう内容を話したほうがおもしろいかもしれない。
「前はそんなこと言っていなかったじゃないか」などと言いだすと、「そうでしたか。ちょっと思いだします」と答えるのだ。そこで、新しいことを言うとまた、話に乗ってくるだろう。餌をまいて新しい情報を集めるのだ。
しかし、あまりそれをすると、ぼくの話すべてを疑ってくるかもしれない恐れがある。「やぶへび」は避けなければならない。
ぼくは別の作戦をはじめた。ある日、男が夕食を持ってきたが、ぼくはそれに手をつけなかった。1時間後プレートを取りに来たとき、プレートは手つかずなのに気づいて、「どうした」と聞いた。
「いや。食欲がありません。それに、心臓がおかしいし、頭も痛いんです。どうしたらいいですか」とかぼそい声で聞いた。
男は心配そうにぼくを見てから、手首で脈を測ったり額に手を当てたりした。「別に異常はないようだけど、一度医者に診てもらったほうがいいか。おれ一人では決められないので聞いておく。
飯(めし)を置いておく。食べたくなったら食べろ。腹がいっぱいになったら、気が晴れるかもしれないからな」と言って出ていった。
ぼくは、とりあえずうまくいったと思った。男が持ってきた健康の本に運動不足のことが書いてあったので、それを使ったのだ。
お腹がすいて仕方がなかったが我慢した。作戦を遂行しなければならないのだ。翌日の朝、男が来たが、プレートはそのままなので、「調子は悪いか」と聞いた。
ぼくは、男が来る前に目をこすって赤くしていたので、目を見せながら、「はい。それに、よく眠れませんでした」と答えた。
男は、「待ってろよ」と言って出ていった。ぼくに何かあれば、バッグを取りもどせないにから慌てているのだろうと思った。
そして、息を止めたり額を叩いたりして、脈が早く、熱が上がるようにして男を待った。
男はドアを開けて、「今から医者に行こう」と言った。ぼくはふらふらと男についていった。
3階分ぐらいの階段を下りたので、地下に駐車場があるのかもしれない。そして車に乗った。車は大きなライトバンで窓にはブラインドがあり、また運転席のほうも見えないようになっていた。
今どこを走っているのか見たかったが、それもできないほど固く閉じられていた。
30分ほどして、どこかに着いた。ぼくはまた手を固く握ったり、息を止めたりして男についていった。
それから、小さな部屋が両脇に続いている場所に行った。しばらく行くとある部屋で止まった。そして、ノックをして、「先生。連れてきました」と男は声をかけた。ドアが開くと、目つきの悪い中年の男がこちらを見ていた。

のほほん丸の冒険
第1章34
最初その目つきにどぎまぎしたが、白衣を着ているので医者らしかった。
壁に向かった机にすわっていた。横に患者がすわるいすがあった。部屋は殺風景で、手前に小さな応接セットと奥に本棚があるだけだった。看護師などもいなかった。
こんな病院は見たことない。あやしい空気が流れていた。若い男は、「昨日話した子供です」と言って、ぼくをいすにすわらせた。
医者はしばらくぼくを見ていたが、「丸山隆君かね」と聞いた。声は案外やさしそうだ。
しかし、受け答えには気をつけなければならない。車の中で若い男に、「きみのことはこちらで説明しているから、症状だけを説明してくれ」と注意されていたので、「はい」とだけ答えて、次を待った。
「どんな様子だい」と聞いてきたので、「食欲がなくて、よく眠れません」と答えた。若い男が持ってきた病気の本に書いてあるように話した。
医者は、しばらく聴診器をぼくの胸に当てたり、脈を測ったりした。
それから、目の前にあるパソコンに打ち込んでから、立って後ろにいる若い男のそばに行った。
ぼくはふりかえることなく、背中で聞いていた。多分医者もぼくに背中を向けているようで、何を言っているかよくわからなかった。
しばらくして、「分かりました。ありがとうございます」と若い男の声が聞こえた。
医者も戻ってきて、「今後のことは説明しておいたから、今日はこれでいいよ」と言った。
ぼくは立ち上がって、男の後をついていった。車の中で、男は、「もう少し通院しなければならないようだ。とにかくしばらく今の生活に慣れるようにしてくれ」と言った。
ぼくは返事をしなかったが、あと一月ぐらいで、落とし主があらわれなかったら、あのバッグは、拾い主であるぼくのものになることを言っているのだろう。
そして、ぼくを監禁している間に、あの女の人とぼくが知りあいかどうか、ビルから逃げた子供は誰か、そして、助けたのは誰かなどを聞き出そうとしているのだ。
その夜から、うつ病患者になるために本格的な演技をはじめた。まず男が持ってくるプレートの食べものを残すことにした。お腹がすくのは辛いが仕方がない。病人になるための必須条件だ。
少し肌寒くなってきたが、男が待ってきたパジャマは着ないで寝た。風邪でも引けばさらに病人に見えるはずだ。これはかなり効果が出てきたようで、自分で体力がなくなってきているのが分かった。
若い男は、ぼくの顔を見るたびに、「大丈夫か」と心配してくれた。ぼくに何かあれば自分の責任になるかもしれないようで、パンやチョコレートなどを食事といっしょに持ってきて、「おやつは食べたほうがいいよ」と言った。
1週間後にも病院に行ったが、ぼくの体調はさらに悪くなっているようで、医者はぼくには何も言わずに若い男と話していた。
車の中で、男は「薬が出たから朝晩飲んでくれ。ほしものがあれば言ってくれたら用意するよ」と言った。
ぼくは、「ありがとうございます」と言ってから、「少しカーテンを開けてくれませんか」と頼んだ。
男は少し躊躇したが、これで気晴らしができたら思ったかぼくがすわっていた左側後部のカーテンをスイッチで開けてくれた。
ここはどこかわからないかとさりげなく外を見ていると、4,5人の子供が話をしていた。
ちょうど赤信号だったので、そこに目を向けると、一人と目が合った。ぼくは座席から落ちそうなぐらいびっくりした。それはしゃかりき丸だったのだ。
まさかと思ってもう一度見たが、車は走りだした。しかし、まちがいない。しゃかりき丸がぼくを探していたのだ。

のほほん丸の冒険
第1章35
心臓が激しく動いている。男に音が聞こえるのではないかと思えるほどだ。
これはこれでぼくの体調が尋常じゃないと思わせることができるかもしれないが、自分を落ち着かせようとじっと前を見た。男はぼくが落ち着いたようだと考えてカーテンを閉めた。
ビルに着くと、すぐに部屋に向かった。そして、ぼくと目が合ったのはしゃかりき丸だったかどうか思いだした。
しゃかりき丸がぼくを見て驚いた表情をしなかったがそれは当然だ。しゃかりき丸がここにいるということはぼくがこのビルにいることは分かっているからだし、喜んだような表情をしたら、男はそれを見て、自分たちが監禁した子供だと分かってしまうかもしれない。
やつらが、それでなくともせっかく監禁したのに逃げてしまったことに神経質になっているのはぼくに対する質問でもわかる。
結論として、さっき会った少年はどう考えてもしゃかりき丸に違いないし、相当作戦を考えているようだ。
それにしても、ぼくもよくあそこでカーテンを開けてほしいと頼んだものだと思った。偶然ではあるが、そこにはぼくとしゃかりき丸の強い気持ちがあるように思えた。いや、強い気持ちが偶然を呼ぶのだ。
そして、翌日これが証明された。朝若い男が朝食を持ってきたとき、新宿駅でぼくを捕まえた3人組の一人である少し年長の男が、ぼくの部屋に来て、若い男に、「ボスから電話だ。女のことで聞きたいそうだ」と言った。
二人はすぐに出て言ったが、ぼくは「女のこと」という言葉を聞きのがさなかった。
その「女」とはぼくにバッグを預けた女の人のことか。それはどうか分からないが、ぼくの部屋まで来て、思わず「女」と言ってしまったのはやつらにとって重要な「女」であるに違いない。
この出来事も偶然だろうが、それがぼくを奮い立たせた。つまり面白くなってきたということだ。
男が言っていた「女」は誰かだけでなく、このビルのどこかにいるのか、または別の場所にいるのか、これらの疑問を解くためにどうするべきか。
幸い病院にはまだ通院するようだし、しゃかりき丸も近くにいてくれる。後は二つのことをどう結びつけるかだ。
もう同じ場所でカーテンや窓を開けてくれとは言えない。どうしたらいいのか。ぼくはずっと考えた。そして、その方法を見つけたのだ。
それは、大人の人は知っているが、「あぶりだし」という遊びを使うのだ。
ある施設にいたとき、昔の遊びを教えに来ていたおじいさんに聞いたものだ。ミカンの果汁で紙に字などを書き、乾いた後それを熱すると、それが浮かびあがってくる昔から伝わる遊びだ。
「あぶりだし」をみんなでしたとき、おじいさんは、「これは忍者やスパイも使った方法だ」と言っていたのを思いだした。
若い男が持ってくる食事には、ときどきミカンがデザートとして添えられている。紙は、差し入れの本を少し破ればいいのだ。ペンは取り上げられているが、箸(はし)を加工すればいいのだ。
三日後ミカンが来た。食事は病人でいるために半分程度にしているが、ミカンは皮をむいて隠した。それから、割り箸を半分に折って、半分を箸入れに入れ、残りの半分は隠した。
男がプレートを持って帰ったので早速仕事に取りかかった。数冊の本があったが、一番厚い紙でできている数学の本を開き、裏表とも字がない部分を破った。割り箸はテーブルの足に置き、思いっきり力を加えた。先のほうが割れたので、そこを加工して筆のようにした。
準備はできた。ぼくは力を込めて、「女はこのビルにいるか」と書いた。
これが分かれば次の行動が決まってくるからだ。

のほほん丸の冒険
第1章36
しゃかりき丸はがぼくがいる場所を見つけてくれたのだ。どうして分かったのだろう。それはともかく、あとは「あぶりだし」をどう渡すかだ。
しかし、紙が「あぶりだし」というものだと気づいてくれるかは心配だが、紙の裏表に何も書いていなければ、何か秘密があると分かってくれるはずだ。
どう渡すかを考えた。あの医者の診察を受けにいく時しか外に出られないし、そして、チャンスは一つしかないことが分かった。
車に乗るとき、若い男はぼくを助手席側の後部座席に乗せてドアを閉める。そして、運転席のほうに行く。その10秒前後の間に、ドアをもう一度開けて紙を落とす。そして、ドアを閉めなおすのだ。
それまで頭の中でドアを開けて閉める練習を何回もした。ゆっくりドアを閉めるとうまく閉まらないこともあるので、それを重点的に練習した。
1週間後その日が来た。うまくいった。「今ドアを開けたか」などと疑われることもなかった。
医者は、「後2,3回来てくれるか」と言った。チャンスも2,3回しかないということだ。
その帰り、ビルに入るとき、ぼくは目を皿のようにして前方の地面を見た。
ない。風で動かないようになるべく厚手の紙を使ったが、それでも飛んだ可能性はあるが、とにかくない。しゃかりき丸が拾ってくれたことを祈った。
自分の部屋に帰ると、頑丈な作りの本をめくって、裏表に何も印刷されていないページを探した。
そして、風に飛ばされにくい折り方を考えた。息を吹きかけて実験をした結果、二つに折った紙の四辺をさらに小さく折って、風の力に耐えられるようにした。
そして、もう一度、「女はこのビルにいるか」と書いた。
これなら、風に飛ばされても、どこまでも行くということはないはずだ。
次の週、同じように男が車のまわりを回っている間に作戦を決行した。
紙はなかった。2回ともないということはしゃかりき丸が見つけてくれたのだ。後はしゃかりき丸からの返事を待つばかりだ。しかし、ぼくがしゃかりき丸であっても、これはむずかしい。眼の前を車が通るだけなのだから。しかも、また窓を開けるということはないのだ。
あまり食べていないこともあるが、考えすぎて体がぐったりした。しゃかりき丸はもっと疲れているだろうから、次の手を考えることにした。
次の週、これならどこから見ても病人だろうと思えるほど疲れていたが、医者は、「丸山君。とりあえず今日までにしとこうか」と言ったので、ぼくは、疲れているような声で、「先生。ありがとうございました。それなら、来週もう一回だけ来てはいけませんか」と言った。
「そうか。それならそうしようか」という返事だったので、ほっとした。それから、男に断りを入れて、いつものようにトイレに行った。
そして、個室のドアを開けて中に入った時、床に小さな紙が落ちているのに気づいた。
それを拾って広げると、「ビルにはいないようだ。トイレの用具室に行け」と書いてあった。
しゃかりき丸だ。しゃかりき丸がここにも来てくれたのだ。すぐに個室の隣の用具室を開けた。脚立やバケツやたわしなどをあった。そして、天井には修理などで使うための出入り口があった。
ぼくはすぐにトイレを出て、トイレの前にいた男の後についていき、車に乗った。

のほほん丸の冒険
第1章37
しゃかりき丸はがぼくが落とした紙を拾って、しかも、それが「あぶりだし」だと気づいてくれたのだ。そして、「女はこのビルにいるか」を読んで、すぐに動いてくれたのだ。
そう思うと飛び上がりたいほどの気持ちになったが、若い男は、時々ミラーでぼくを見ているので、顔の表情には気をつけなければならない。
自分の部屋に戻ると、次の作戦を練った。まず走りまわらなければならないので体力がいる。今晩からは出されたものはすべて食べることにした。
診療所ビルは表通りではなく、一つ入った道にあり、住宅も並んでいた。車で追いかけてくるから、狭い道を逃げる。
しかし、そのこともしゃかりき丸は考えてくれているはずだ。それにして、しゃかりき丸はどうしてぼくがここにいることが分かったのだろう。想像もつかない。それを聞くのが楽しみだ。
いよいよその日が来た。ぼくは若い男の後をついていき、車に乗った。
当然ながらいつのように診療所のビルに着き、医者の部屋に入った。いつもと同じように問診を受け、「おかげさまで気分はよくなってきました。食欲も出てきたのですべて食べています」と優等生の答えをした。
「それはよかった。これで、とりあえず終了とするから、また何かあれば連絡してくれたらいいよ」と目つきの悪い医者だと思っていたが、笑顔で言ってくれた。
1階に降りたので、ぼくはいつものように、「トイレに行かせてください」と男に言った。いつものことなので、男は、トイレの前にあるベンチにすわった。ぼくは、ゆっくりトイレに入り、急いで用具が置いてある個室を開けた。脚立を天井の点検口の下に置いてから広げた。
それに上り、点検口を押し開けて、天井に入った。中は暗いが外の光が見えた。
そちらにはっていった。そこは柵があったはずが、すぐに外に出られるように柵は取りはずされていた。もちろんしゃかりき丸がしてくれているのだ。
ぼくは足から外に出た。その時、「のほほん丸。飛び降りろ」という声が聞こえた。ぼくは飛び降りた。少し体がよろめいたが、誰かがぼくを支えた。
言わずと知れたしゃかりき丸だ。「さあ、逃げるぞ」その声で、二人はビルの表に行き、そのまま走った。もちろんぼくはしゃかりき丸についていった。
30分ほど走ると、裏通りから少し広い道に出た。「よし。ここからはゆっくり行こう。走ると目立つからな」しゃかりき丸廃棄が上がっていたが、ようやく声を出した。
「ありがとう。おかげで助かったよ」ぼくは礼を言った。
「ぼくを助けてくれたお返しだよ」
「でも、どうしてぼくが捕まったことを分かったんだい」ぼくは核心をついた。
「きみの言動を見ていると、これは何か一人でしでかすつもりだなと思ったのでな」しゃかりき丸は得意そうに言った。
「そうだったのか」
「それで、きみが一人で買いものをすると言って出かけると、おれはきみを尾行したんだ」
「気がつかなかったな」
「きみがやつらに捕まるところも見ていたんだ。でも、きみはわざと捕まったように見えたので、おれはきみの計画を助けようと決めたんだ」
「おかげで、多分まちがいないと思うが、ぼくにバッグを預けた女の人の存在が見えてきたようだ」
「夜きみがいたビルを見ていたが、3階は電気がついていたが、他の階はまったく電気がつかない。それで、きみは3階にいると思ったが、女の人は同じ階にはいないのではないかと判断した。まちがっているかもしれないが」
「それは正しいと思う。他の部屋で誰かがしゃべっていたら声は聞こえるから。でも、よく『あぶりだし』に気がついてくれたね」
「最近は、きみに影響を受けてスパイの勉強をしているんだ。それで、気がついた。それに、一度きみから『あぶりだし』のことを聞いたことがある」
「そうそう。それから、どうしてぼくがいたビルがわかったんだい」
「あれはGPSを使った位置情報装置というものだ。きみが乗った車の下に置いたのだ」
「きみはそんなものが使えるのか」
「おじいさんのまわりにはいろいろな大人がいる。弁護士。医者。コンピュータの技術者など多くの専門家がいるんだ。その人からこれを使えと教えてもらったんだ」しゃかりき丸は得意そうに言った。

のほほん丸の冒険
第1章38
「ありがとう。きみが助けてくれなかったら、どうなっていたことやら」
ぼくは礼を言ったが、しゃかりき丸は、「きみはどんなことでもうまくきりぬけるから、余計なお世話かもしれないと思ったんだ」と笑った。
「いやいや。あいつらは、バッグについてしつこく聞くから、往生した」
「それはそうだろう」
「『あのバッグを返してくれ」と言うので、『交番に届けた』と答えた。
そうしたら、『どこの交番だ』、『いつ届けたんだ』と聞くので、適当に答えた。
すると、「預り書を見せろ」と来た。ぼくは、『長野県のおじさんの家においてある。連絡します』と答えたんだが、『ちょっと待て』と言うんだ」
「どうしてだろう」
「多分、おじさんがぼくを行方不明になったと警察に連絡しているだろうから、バッグがぼくのものになる3か月きりきりにぼくを長野県に連れて行こうとする魂胆だと思う」
「なるほど。相当用心しているんだな」
「後10日ぐらいでその日が来る。女の人から預かった翌日に届けたと言っておいたから」
「二人も子供を逃して、今頃大騒ぎしているだろうな。それに、何が目的で子供がわざわざ捕まりにきたのかとも思っているだろう。子供の背後には大きな組織があるにちがいないと思っているのじゃないか」
「それはいいことだ。力のあるものと戦うときは、こっちを大きく見せるのは戦術の一つなんだ。源平合戦や戦国時代でも、その戦術で、兵力が劣るほうが勝ったことはいくらでもある。
自然界でも、イワシやアジが群れになるのは、自分らを大きく見せて天敵から身を守るためなんだ。動物でも、立ち上がって自分を大きく見せようとすることもある」
「きみは何でも知っているなあ」しゃかりき丸は感心した。
「偉そうに言っているけど、これはみんな聞いたことだよ。何でも教えてくれるおじいさんがいっぱいいたから」
「でも、よく覚えているなあ」
「一つだけよく覚えている。そうして勝っても、その戦術は一回きりにしておけということだ」
「どうして」
「無勢はどうしても無理がかかる。一人何役もこなさなくてはならないし、夜に攻撃なんかしたら疲れるから、結局いつかは負けてしまう。孟子(もうし)という中国のえらい人が言っているらしいよ」
「でも、ぼくらは2回勝った」
「そうだけど、女の人を助けるまでは気が抜けない。ところで、おじいさんはぼくのことをどう言っている」
「『のほほん丸は必ず帰ってくるから心配するな』と言っている。ぼくがきみが監禁されているビルのことを調べることは許してくれたけど、テツやリュウが何かするのはののほん丸の足を引っぱると言って認めなかった」
「よかった。『妙なことをするならここから出ていってくれ』と言われるかなと思っていたんだ。今からどうする」
「まずテントに帰ろう。多勢に勝つためには少し休まなければならないから」
しゃかりき丸の考えに賛同して、中央線国分寺駅から新宿に向った。
テントには、おじいさんとテツとリュウ以外に3,4人いた。
ぼくらを見ると、ウオーと立ち上がった。それはすごい歓迎ぶりだった。
その間をすり抜けて奥で寝ていたおじいさんに謝りに行った。
「よく帰ってきたな。心配していたが、必ず帰ってくると思っていた。
まだしたいことはあるじゃろ。ゆっくり休んで、慌てずにかかれ」と言ってくれた。
テツやリュウたちからは、芸能人のように何百という質問が飛んだけど、適当に答えた。
「次何をされるのですか」という質問には、しゃかりき丸が、「ノーコメント」とおどけていった。

のほほん丸の冒険
第1章39
テントにいた者は大騒ぎで帰ったが、いつものようにおじいさんの世話をするためにテツとリュウだけが残った。
テツが言った。「のほほん丸。よく帰ってきてくれた。ゆっくり休めよ。
しゃかりき丸が、『のほほん丸は自分から捕まりにいったようです』と言うので、心配していたんだ。
何を考えているんだと思ったが、助けなくてはいけないと考えて、じいさんに聞いたんだが、『あいつは冷静に考える子供だから、もう少し様子を見ろ』と言うので待っていたんだ」
ぼくは、「勝手なことをしてすみませんでした」と頭を下げるしかなかった。
「自分から捕まりにいったってほんとか」リュウが聞いた。
「まあ。あいつらはずっとぼくを探していたので、何とかしなくては思っていたんです。そのうち、しゃかりき丸が捕まったので、すぐに動こうと決めたんです」
「あいつらはバッグを返せと言っていたんだろう」
「そうです。『交番に届けた』と言ってやりました。それで、ぼくのものになるまで監禁しておくつもりだったと思います。
ずっと監禁されているだけでは情報が得られないので、身体がおかしいと言ったら診療所みたいなところに連れていってくれるようになりました」
「お互い駆け引きをしていたんだ。きみはすごいなあ!」リュウが身を乗りだした。
「ある日、あいつらが、『女の人を捕まえた』と話をしているのを耳にしたので、ひょっとしてと思って次のことを考えていました」
「それで、しゃかりき丸も忙しくなったんだな」
「ほんとに助かりました。新宿駅の駐車場であいつらの車に車の場所が分かる装置をつけてくれました」
「そうだ」とテツが言った。「しゃかりき丸から相談を受けて、じいさんに聞いたら、コンピュータに詳しいものを探せと言うので、急いで動いた。
仲間の名前も過去のことも聞かないことになっているけど、こんなことができるものはいないか聞くと一人手を上げてくれた」
「助かりました。診療所に行くのもそろそろ終わりというときに、しゃかりき丸がぼくを見つけてくれたのですから」
今までぼくとテツ、リュウの話を聞いていたしゃかりき丸が言った。
「おじいさんは、何もするなと言っていましたが、のほほん丸はぼくを助けてくれたので、何とかしたいと思っていたんだ。
そして、一人でどこかに行きたがっていたので、何かあるなと思ってずっと後をつけていた。女の人を探しにいっていたと思うけど、もしやつらに捕まったらと思うと気が気じゃなかった。それで、テツに相談した。
あの日、やつらが駅に来たが、のほほん丸は自分からやつらの前に行った。それで、急いで、駐車場に行き、ぼくが捕まったときの車を探した。ようやく見つけて、装置を車の下につけた。すぐにあいつらがのほほん丸を引っ張ってきたというわけだ」
「おまえもなかなかやるじゃないか」
「それと、のほほん丸にも言っていないことがあるんだ」しゃかりき丸はそう言うと、少し言葉を止めた。
「何だ。言ってみろ」リュウが言った。
「のほほん丸が乗せられた車がいるビルは分かったが、のほほん丸がいるかどうか分からないので、できるかぎり張り込んでいた。その車は出かけることがあったが、男一人だけで出かけて、数時間して一人で帰ってきた。
もう無理かと思いながら、朝早く見張っていたとき、自転車で新聞配達をしているおじさんに、『何をしているんだ』と声をかけられた。
ぼくは、『母はシングルマザーなんですが、付きあっていた男に金を騙しとられたんです。金を返してもらおうとずっと探していました。ようやくそいつの車がここに止まっているを見つけたんですが、何という会社にいるか見つけようと思って。でも、なかなか分からなくて』と答えた。
『それは困ったな。このビルには集金で行くから調べておいてやろう』と言ってくれたんです。
次の朝、おじさんが調べておいてくれて、『親しい人に聞いたらどうやら3階の貿易会社のものらしい。それで、そこに行ったら、出前の皿はあったが、人の出入りはなかった』と言ってくれた。
それを聞いてピンと来たが、その人を騙したようで、のほほん丸には言えなかった」
「それで、のほほん丸を助けることができたんだろう。おじさんも怒っていないよ」とリュウが慰めた。
「二人ですぐしなければならないことがあるんだろう」テツが急がした。

のほほん丸の冒険
第1章40
「そうなんです」しゃかりき丸がすぐに応じた。「おれとのほほん丸が乗せられた車は3軒のビルに行っていることが分かりました。
1軒はのほほん丸が監禁されていたビルでどうも女の人はいないようです。
それで、後2件を今日見にいくことにしているんです。なあ、のほほん丸」しゃかりき丸は力を込めていった。
「そうか。おれたちがすることはないのか」リュウがぼくが返事しない前に言った。
「ビルの様子を見るだけですから。でも、ほんとは中に入って会社を確認したいのですが」しゃかりき丸が止まらない。
「のほほん丸が監禁されていたは貿易会社と言っていたな。後の2件のビルに同じ会社があれば一歩前進だな」
「そうなんです」
「そのビルはトシから聞いているのだな」テツは車の追跡装置を渡した仲間の名前を出した。
「聞いています。のほほん丸が監禁されていたのは立川市。そして、八王子市と世田谷区です」
「おまえが監禁されていたのはどこだっけ」
「三鷹市です」
「そこは調べないのか」
「状況によっては調べますが、車はそこには行っていないようなので後回しです」
「そうしたら、おれがビルの中を調べようか」リュウが提案したが、テツが、「そんなことをしたら、不審者がいると警察に連絡されるぞ。サラーマン風のものを探しておく。一人か」と言った。
「二人いれば」ぼくが答えた。「車をどこかの駐車場に停めると思いますので、それを確認する役と、向かった部屋を探す役の人の二人がいればうまくいくと思います」
「なるほど。今日中に探す。それとトシも呼ぼうか」
「それはありがたいです。そうしてもらったらすぐに動けますから」
ぼくは自分のわがままで多くの迷惑をかけているという思いもあったけど、テツやリュウが動いてくれるので、とりあえず任そうと決めた。
昼前に、テツがトシと二人の男を連れてきた。電話で話しただけだが、ぼくらの師匠ともいうべきトシはすぐにわかった。痩せているが、科学者のような顔をしている。大きなカバンを下げていた。
他の二人は地味な背広を着ている。サラリーマンとしか見えない。さすがテツだ。ぼくらの意図を理解して、すぐに適役の人物を見つけてくれたようだ。
「こっちへ来るまでに大体のことを話しておいたから、すぐに動ける。こっちがミチ。こっちがハルだ」テツが紹介した。
ぼくが礼を言って、2軒のビルの場所を説明した。大きいほうのハルが立川のビルについて、「そのビルは行ったことがある。昔サラリーマンをしていた時だから、その貿易会社があったかどうかは定かではないがね」と言った。
その後、トシがコンピュータの基礎から応用について解説してくれた。すると、「おっ。動き出した」と叫んだ。ぼくらはパソコンの画面を見た。「立川通りに入ったな。八王子に行くようだ。どうする」
ぼくは「行きます」と立ち上がった。早く4人のチームワークを作り上げて女の人を見つけたいからだ。
ミチとハルはサラリーマンを20年以上していたそうだ。どうして安定していた生活を捨てておじいさんの仲間に入ったのか知らない。
おじいさんは、自分のことは自分にしか分からないので、自分のことを言う必要も、他人が聞く必要もないと言っている。それで、仲間同士は苗字も言うこともなく、おじいさんがつけてくれた名前で呼びあうだけである。それで、テツが配役を募集したら、希望する者は手を上げるのだ。そして、出番がきたのだ。4人は新宿駅に急いだ。

のほほん丸の冒険
第1章41
すぐに電車に乗り、八王子に向った。ぼくらについてきてくれたミチとハルは今から行く住所を確認した。ミチが、「ここなら駅から10分ほど歩いたところにある。そこに客がいたので、何回も行ったことがある。
しかし、その貿易会社は聞いたことないな。それに、おれが出入りしていたのはかなり前だからテナントはほとんど変わっているだろうな」と言った。
「結局バックに中には何が入っているんだろう」ハルが、ぼくが今まで何十回と聞かれたことを聞いてきた。
「何か本のようなものです。それ以上はわかりません」ぼくは答えた。
それが、木で鼻をくくるような返事になってしまったので、ハルは何も言わなかった。みんなしばらく黙って外を見ていたが、「もうすぐ八王子だ」とハルが言った。
「ビルは近くにある。まず携帯電話が使えるかどうか確認しておけよ」ミチの言葉で、みんな確認した。これはトシが渡してくれたものだ。
それに、二人はサラリーマンに見えるような背広やカバンももっていた。それも仲間のものだ。テツがそう言っていた。
「確かあのビルは、玄関の左側が地下駐車場になっていて、かなり勾配がきつい坂になっていたはずだ。4,5回建てのビルだったので、テナントも30ぐらいあったと思う。おれたちのほうが早く着くと思うので、車が来たらどうしたらいい?」とミチがぼくに聞いた。
「ミチとハルはビルに中に入っておいてください。そして、会社名を調べてください。同じ貿易会社があればいいのですが、もしなかったらどこの会社に行くか調べてほしいのです。車が来たら電話します」ぼくは二人に言った。
確かに10分ぐらいでビルに着いた。車がすでに着いているかどうか調べるために二人はビルに中に入った。ぼくとしゃかりき丸は大きな道の反対側のコンビニに入った。
5分ほどして電話が鳴った。ハルだ。「まだ来ていないな。まず、テナントを調べる」と言って電話が切れた。
本のコーナーで本を見ながらビルの様子を見ていたしゃかりき丸が、「来た」と小さな声で叫んだ。確かにぼくが診療所に行くために乗せられた車だ。運転しているのはあの若い男だ。すぐに電話をかけた。二人が出た。トシが同時に話ができる方法を教えてくれたのだ。ビルの中で携帯で話をしていても誰も疑うことはないだろう。
「車が来ました」ぼくはそう言って電話を切った。二人はエレベータの動きを確認して、若い男がどの部屋に行ったかを調べてくれるはずだ。
20分ほどで二人は出てきた。ぼくらは八王子駅のほうに歩きながら、ミチが説明した。「同じ会社はなかったが、若い男が入る部屋は分かった。社名は安田物産だ。どういうことをしているか帰って調べる。どうする?しばらく男が出てくるまで待ってみようか」
ぼくは少し考えたが、「いいえ。このまま帰りましょう。次どこかへ行っても同じことのように思います。女の人はこんな大きなビルには監禁されていないように思いますから」
「そうだな。今のことをトシに言っておくから、もしどこかへ行ったらまた連絡してもらおう」
「お願いします。その間に、ぼくらは世田谷のビルを見てきます」
「そうか。何かあったら、おれたちもすぐに行くから」ぼくとしゃかりき丸は1時間ほどして世田谷に着いた。駅からかなり歩いたが、ようやくビルに着いた。
3階建てだ。八王子のビルより小さいが、かなり新しい。
「おれ一人でビルを見てくる」しゃかりき丸はそう言うと走っていった。
5分ほどで出てきた。「入ったところにテナント名のリストがあったから、カメラで撮ってきた」と言った。これも、トシが教えてくれたのだ。
しゃかりき丸はそれを見ながら言った。「貿易会社はないな。どうする?」
「そうか。これで準備はできたということで、とりあえず帰ろう。ミチとハルが安田物産を調べてくれているはずだから、このビルに入っている会社との関係が分かるかもしれない」
おじいさんのテントに戻ると、トシ、ミチ、ハル、テツ、リュウがいた。
ミチが、「安田物産は小さな商社で、貿易会社とは同じようなことをしているようだ。それ以上は今のところわからない」と答えた。
しゃかりき丸が世田谷のビルのテナント写真を見せた。ミチはそれを見ながら、「ここにも、同じようなことをやっている会社があるな。どういうつながりがあるかもう少し調べてみよう」と言った。
ぼくは、「お願いします」と答えたが、これからすることが頭に浮かんだ。
それで、しゃかりき丸に「行くぞ」と誘った。

のほほん丸の冒険
第1章42
ぼくは、急いでテントを出た。しゃかりき丸はぼくより年上なのにえらそうな口をきいたと思ったので、どうしようかと思った。
しかし、急いでいるので、謝るのは帰ってきてからにしようと決めた。テツやリュウに話をしたら時間がかかるし、ミチやハルもついていくと言ったら断るのも面倒だと思ったからだ。
「きみが行きたいところはわかっているぜ」後ろからしゃかりき丸の声が聞こえた。
ぼくは、「ありがとうございます」と立ち止まって答えたが、「急ごう」と
しゃかりき丸はぼくを抜いていった。
しばらくして、「改札口を変えようか。いないと思うが、あいつら、おれたちが何回もいなくなったので、怒り狂っているかもしれないからな」
「そうしましょう。ぼくらはお尋ね者ですからね。人も増やして探しまくっているかもしれない」
「それじゃ。西口から行こうか」
西口には、それらしき男はいなかった。すぐに、三鷹行きの切符を買ってプラットホームに行った。
日曜日だったので大勢の家族連れがいた。その近くで電車を待った。電車の中でも家族連れの近くに行き、まわりの様子を見た。
駅についても用心しながら外に出た。「大丈夫そうだな。バスに乗ろうか」しゃかりき丸が言った。
「そうですね。念のため、一つ前の停留所で降りましょう。ビルの近くに停留所がありますから、もし鉢合わせしたら大変なことになります」
「それがいい」
ぼくらは一つ前の停留所で降りて、一つ裏の道に入った。しゃかりき丸を助けるためにあちこち歩いたので、町の様子は頭に入っていた。
「この道を入れば、ビルの裏に行く。塀があるが、例の裏庭が見えるよ。
庭の左側にビルから地下道でつながっているガレージがあるんだ」
ぼくらはさりげなく進んだ。三階建ての小さなビルがあった。庭とガレージもあった。しかし、ガレージに車がとまっているかは分からない。
ビルもすべての窓が閉まっている。もちろんノブを壊した勝手口のドアも屋上に上がるために割った明り取り窓も修理されているはずだ。
ちょっと様子を伺っていたが、静まりかえったままだ。「人の気配がない。取りあえず今は使っていないかもしれないが、もう少し様子を見ようか」としゃかりき丸に言った。
それで、ビルの前の道であるバス通りに向かうことにした。バス通りに出る前に歩道の様子を見たが、日曜日なので、案外人が歩いていた。助けるために何日も来たが、その時は夜だったので人はあまり歩いていなかったのだ。
ちょうど4,5人の子供が歩いてきたので、それに交じるようにしてビルの前を通った。
やはり窓は閉まっていた。男たちが出入りするビルはいくつかあるようなので、用心の悪いビルは使わないと思ったが、今後どうするかしゃかりき丸と話をするためにビルの前にあるカフェに行くことにした。
もちろん、ビルの様子を伺っただけでなく、そこのスタッフからビルのことを聞いたカフェである。
そこの若い女性スタッフが、ビルに出前して玄関を出たとき、先ほどお金を払った男が、すでにビルの外にいたことを話してくれたのだ。
そのスタッフが、店の他のスタッフにそのことを言うと、「きっと双子だったのよ」と大笑いされたそうだ。
ぼくは、どう助けたらいいか考えていたので、その話が気になった。それで、夜中ビルに忍び込んで、ビルとガレージは地下道でつながっていることに気づいたわけだ。
しゃかりき丸を助けても、ビルの玄関の玄関が閉まっていたら出られない。
ガレージのシャッターは簡単に開けておくことができたので、すぐに逃げられたのだった。
ぼくらはカフェに入った。以前のようにバス通りの向こうにあるビルを監視できるカウンターにすわった。
「何か注文しようか」と立ち上がった時、「あら」という声が聞こえた。
そちらを見ると、例の女性スタッフが目を丸くしてぼくを見ていた。「以前よく来てくれていたわね。でも、あの時は女の子だったじゃないの」と小さな声で言った。

のほほん丸の冒険
第1章43
しゃかりき丸も、のほほん丸が追いかけてくる男たちに見つからないように女の子の姿になっているのは知っていたし、このビルに監禁されていた自分をその恰好で助けてくれた後一緒に駅まで逃げたのも分かっていたが、見知らぬ人にそれを指摘されたので思わず笑ってしまったのだ。「ばれていたな」しゃかりき丸はのほほん丸に言った。
「だって、この人、2回トイレに行ったけど、いつも男子トイレだったのよ」そのスタッフもおかしそうに笑った。
「これから気をつけます」ぼくは謝るしかなかった。
「これからもするの。お母さんは見つかったの」若いスタッフはなかなか許してくれなかった。
「いや。まだなんです」
「それは心配ね。でも、少し情報があるから、また後でね」
ぼくらは、ビルのほうを見たが、昼過ぎでも静まりかえっている。
「情報ってなんだろう」と思いながら、二人はレジで注文をして、それを持って戻った。ちょうどビルの前だから、二人いれば、ビルに動きがあれば見逃すことはない。
「三階にきみの姿をちらっと見えたから、ぼくはドキドキしたよ」としゃかりき丸に説明した。
「一日一回空気を入れ替えていたからね。男が、カーテンを閉めてから、窓を開けるようにしていたが、それを忘れていたんだろう」しゃかりき丸が説明した。
そのとき、先ほどのスタッフが戻ってきた。二人は、スタッフを見た。
「この前、久しぶりに出前を頼んでくれたビルの人が、二人連れできたの。
横を通ったとき、聞くとはなしに聞いたんだけど、『どうしてあそこから逃げたんだろう』としゃべっていたような気がする」
ぼくらは緊張した。「それで、逃げたのはあなたのお母さんのことに違いないと思ったわけ。
トイレの一件のことがあるから、他のスタッフと、『よかったわね』と話していたの。
でも、今そうじゃないことがわかったので、男の人が何を言っているのか分からなくなったけどね」
「ありがとうございます。その後店に来ますか」ぼくは聞いた。
「その後は誰も店に来ないし、ビルのことも気をつけて見なくなった」
「そうですよね。ぼくらも久しぶりです」
「じゃ。お母さんはまだこのビルにいるの」
「分かりませんけど、今の話を聞いたら、いないと思います」
「でも、どうしてここに来たの。あら、警察のようになってしまったね。ごめん。ごめん。ゆっくりしてね」スタッフは退散した。
「今の話、どう思う」しゃかりき丸が聞いた。
「ガレージにつながる地下道はなぜわかったのかと疑心暗鬼になっているんだ。だから、それが分からないとこのビルは使わないだろう」
「それなら、今ビルに出入りする人間はいないということか」
「そうかもしれない。もう少し見張って、何も動きがないのなら、ここをあきらめるしかないかな」
そう話している間も、ぼくらは、何一つ見逃さないとい気持ちで、前のビルを見続けた。
例のスタッフもぼくらの横を通ることがあったけど、ぼくらの気配を感じて、言葉をかけることはなかった。
5時になった。やはりこのビルを使っていないようだと判断して帰ることにした。
店を出るとき、あの若いスタッフが近づいてきて、「もし何かあったら、連絡しようか」と聞いてきた。ぼくがトシから借りている携帯電話の番号を教えた。
次の日は今後の作戦を考えながら、トシから最新の通信器具の使い方を聞いた。夕方、携帯電話が鳴った。「来たわよ!」若い女性の声が聞こえた。
ぼくは、「すぐに行きます」と立ち上がった。

のほほん丸の冒険
第1章44
ぼくらは急いで新宿から三鷹に行き、そこからバスでカフェに向った。
カフェに飛び込むと、スタッフ全員が笑顔で迎えてくれた。電話をかけてきた若い女性スタッフはすぐにスタッフの休憩室に入れてくれた。
そして、すぐにしゃべりはじめた。「夕べの11時ごろに、わたしが自分のアパートからビルを見ていたら、車が来たようだったので、急いでビルまで行ったの。
そうそう、店は10時までなので閉まっているけど、アパートの部屋からビルが少し見えるのよ。家があって全部は見えないけど、上のほうだけね。
以前それに気づいたので、ソファの向きを変えて音楽を聴きながら監視することにしていたの」
「どうでしたか」話が長くなりそうだったので聞くことにした。
「ビルやそのまわりは真っ暗だけど、何かライトが光ったように見えたの。すぐに行ったけど、暗いままなのでまちがったかなと思いながらも、カフェのほうを何回か行き来していたら、3階の部屋に電気がついたの」
ぼくらは黙ってスタッフを見た。「お母さんも三階にいたのよね」
「そうです」
「確かに人が動いているようだったけど、カーテンが閉まったままなので、誰だか分からない。ずっと見ていたけど、1時間ぐらいで電気が消えた。
しばらくして玄関から人が出てきた。どうも女の人らしかった。それから、裏手に回って、止めていた車に乗って出ていっただけど、ナンバーは調べておいたわよ」
「そうでしたか。ありがとうございます」
「前にナンバーのことを言っていたから、調べておいたほうがいいと思って、こそっと車に近づいてメモしておいたよ」スタッフはそう言ってメモを渡してくれた。
ナンバーを見ると、今までの2台とも違っていた。それに女の人が運転していたということだ。
「いただいていいですか」
「いいわよ。何か役に立つかな」
「もちろんです。少し知り合いに電話してもいいですか」
「じゃ。私は仕事をしてくるから、しばらくしてまた戻ってくるわね」スタッフは出ていった。
「女がいるんだ」しゃかりき丸が言った。
「重点的に調べる必要があるね」ぼくは、そう答えてからトシに電話した。
トシがすぐに出たが、「今電話しようと思っていたんだ」と言った。
トシは、2台に付けていた追跡装置が機能しなくなっている。つまり、外されていると言った。
「見つかったんですね」
「そうだ。自分らのまわりで起きる不審なことから気づいたんだろう」
「少し考えてみます」そう言って切ってから、しゃかりき丸に説明した。
「これからやつらも警戒してくるなあ」
「油断しないようにしなくては」
「これからどうする」
「せっかくだからあのスタッフに頼みたいことがある」
ちょうどスタッフが来たので、ぼくは、「お願いがあるんですが」と頼んだ。
「何でもするわよ」女性スタッフはすぐに答えた。
「ありがとうございます。また車が来たら、これを車の下のつけてほしいのです」とリュックから取り出した追跡装置を渡した。
しゃかりき丸は驚いてぼくを見た。「これは車がどこに向かっているか、どこに停車したか分かる装置です」
「知っているよ。お客さんがよくしゃべっているから。それを車に付けてくれないかということ」
「そうですが,今まで2台に付けたのですが、外されてしまったので、今度は車の後ろではなく、前のほうにつけてhそいいのです」
「なるほど。相手の裏を書こうというわけね」
「そうなんですが、夜に、しかも女の人なら、後ろの下を見ても前のほうは見ないかもしれません。とにかく、ここを出てどこに行くか知りたいのです。
翌日外されても仕方ありません。敵は手ごわいと思わせるだけでも効果があります」それを聞いた女性スタッフはいたずらっぽくうなずいた。

のほほん丸の冒険
第1章45
「きみら、子供なのに大人と戦っているんだね。お父さんは怒らないの」女性スタッフが聞いた。
「気をつけろと言いますので、気をつけてやっています」と答えた
「なるほど。責任をもってやっているのなら構わないけど。私もこんなの好きだけどね」
「じゃあ。お願いします」
「分かりました」女性スタッフは追跡装置を預かってくれた。
ぼくらはカフェを出た。「後は連絡を待つだけだな」しゃかりき丸が言った。
「そうだ。そして、トシからすぐに連絡が来るだろう」
ぼくらはテントでおじいさんの世話をしながら連絡を待った。
リュウが、「今後どうするか焦らず考えたほうがいいぞ。まちがった作戦ではいくら努力しても実らないからな」とアドバイスしてくれた。
「じいさんがいつもそう言っているやつだな。おれたちを早く娑婆に戻そうとしているんだ。とくにリュウがしょっちゅう言われている」
「じいさん、いびきをかいて寝ているから、おれが代わりに言ってやったのさ」
「ありがとうございます。二人でゆっくり作戦を練ります」
三日後の午後10時20分。携帯電話が鳴った。女性スタッフからだ。慌てた声で、「さっき来たよ。アパートから車のライトが見えたので急いで来たの。
前と同じ車にまちがいないわ。ビルを見ていると、3階に明かりがついたので、すぐに追跡装置を前につけたよ」
「ありがとうございます。追跡装置を見てくれている人がいるから、もうすぐ連絡が来ると思います。ありがとうございました」ぼくは礼を言って、電話を切った。
案の定、電話が鳴った。トシに違いない。「動き出したな。しばらく様子を見る。停まったら連絡する」電話はすぐに切れた。
「いよいよだな」しゃかりき丸が興奮した。
小一時間が過ぎたころ、また携帯電話が鳴った。「停まったぞ。練馬区向山(こうやま)だ」
住所を聞いて、地図を見てから、電車を調べた。乗車時間は20分弱だ。やつらは大体このあたりにいるようだ。そして、始発を調べて休むことにした。
西武池袋線の中村橋に着いてから、トシに電話して、その車はまだそこにいるか聞いた。
「おまえら。もうそこにいるのか」と驚いたようだが、「そこにいる」という返事だった。
ぼくらは中村橋から走ってその場所に向った。そして、午前6時前には現場に着いた。白い3階建てのマンションだ。まだ早いので道路にもマンションにも人の姿は見えない。
「さあ、どうしようか」しゃかりき丸が聞いた。
「小さなマンションなので誰でも出入りできるだろう。まず車だ」
「裏手が駐車場になっているはずだ」玄関横から裏に回った。確かに10台近くの車が留まっている。
「スタッフの話では、この車かもしれない」ぼくはすばやくその車の前を探った。追跡装置があった。それを取って、すぐにリュックにしまいこんだ。
「ここまではうまくいった。この車の持ち主がどの部屋にいるかだな」しゃかりき丸がうなずきながら言った。
「こんな早朝に子供がマンションのまわりをうろついていては怪しまれる。中に入ろう」
マンションにはすぐ入れた。右手に郵便受けがあるが、どこにも名前は書いていない。
ただ、新聞が入っているので、もうそろそろ取りに来る人がいるだろう。
エレベータはなく階段だけだ。さっき車を見に行ったとき、玄関の反対側には非常階段があったようなので、そこにいるのが一番目立たないと思った。
「1階の通路を通って一番奥まで行った。そこのドアも開いていた。
やはり建物の奥に非常階段があった。それを登って3階まで行った。幸い階段の手すりの半分ぐらいまでカバーがあったので、そこにすわっていれば外から見られないようになっていた。
「ここからあの車に乗る人を見つけるのか」しゃかりき丸が聞いた。
「それはそうだが、その女の人がどの部屋にいるのか知りたいな」
「うーん」二人は考え込んだ。「こいつは厄介だな。1階に4部屋ある。合計12部屋か」
「そうだ。こうしよう」しゃかりき丸が提案した。
「きみは1階を担当して、おれが2階と3階を担当する。出勤や何かでドアが開く音がする。その音を聞いたら非常階段からそっと見る。男や子供は違うだろうからその部屋を覚えておく。
バスで出勤する人も多いだろうが、車の人もいる。どの車に乗るかも確認する。そうしたら、怪しい部屋はかなり減ってくる」
「それはすごいアイデアだ。ありがとう」ぼくはしゃかりき丸に礼を言った。
「いや。きみから教えてもらったように考えただけだ。それじゃ、配置につこう」

のほほん丸の冒険
第1章46
ぼくは、駐車場ある女の人が乗ってきた車に行き、前部に追跡装置をつけてから、玄関には行かず、外から玄関と反対側のほうに向かった。ドアはあったが自由に出入りできるようになっていた。
しゃかりき丸は、2階と3階の両方を見るというので、玄関を入ったところにある階段を急いで上がった。
ぼくが配置に着いたときには、2階の非常階段に出ていた。しかし、お互い顔を見合わすということもせず、自分の担当の階に集中した。
6個10分だった。物事一つしない。しかし、気が抜けない。6時30分に1階でガチャッと音がして、ドアが開いたようだ。
ぼくはすぐに覗いた。玄関から2番目の部屋からスーツ姿の男が出てきた。かなり若そうだ。これは関係ない人だ。
しばらくすると、2階か3階で音がした。朝なのでよく聞こえる。しゃかりき丸が2階の非常階段のドアをそっと開いた。それからすぐに3階の非常階段に上がった。ドアを開けて確認したが、すぐに非常階段を下りてきたので、どちらも関係ないようだ。
それから、7時前まで動きがなかった。しかし、油断はできない。これから、通勤通学の時間がはじまる。
案の定、一階のドアが開いたようだ。ぼくは気をつけて見たが二部屋から人が出てきた。
玄関に一番近い部屋からは男の人と中学生らしき男の子で、3番目の部屋からは母親らしき女の人と小学生ぐらいの女の子が出てきた。女の人を観察したがぼくが探している人よりは若い。挨拶をして出ていった。
すると、ぼくから一番近い部屋が残ったわけだ。これなら集中しやすい。
チラッと上を見た。しゃかりき丸がドアをそっと開けることがあったがすぐに、ドアを閉めた。
マンションの前の道には車が増えてきた。子供の声も聞こえる。しゃかりき丸が降りてきた。「どうだ?」と聞いた。
「この部屋以外は人が出てきた」ぼくは部屋を指さした。「しかし、この部屋は静まり帰っている」ぼくは小さな声で答えた。
「2階は一部屋。3階は二部屋に動きがない。もう少しがんばろう」と言って2階に上がった。ぼくは耳をそばだてて手前の部屋の様子に集中した。
その時、非常階段を急いで降りる音が聞こえた。もちろんしゃかりき丸だ。
「今出てきた女が怪しい」ぼくらは駐車場のほうに行き建物から覗いた。
「車に乗り込んだ」二人は同時に小さな声で叫んだ。追跡装置をつけた車はすぐに駐車場を出た。
「すぐにトシに連絡する」ぼくはすぐ電話をかけた。トシも、「そうみたいだな。追跡する」と分かっていたようだ。
「どの部屋か分かったか」ぼくは聞いた。
「もちろん。3階の玄関側から2番目だ。だから様子を調べにくいな」
「どうしようか」
「まず正攻法でインターホンを押してみようか」しゃかりき丸が提案した。
ぼくらは3階に行き、インターホンを鳴らしたが、部屋で鳴っている様子はない。
「切られているようだ」
そこで、ぼくは軽くノックをしたが、これにも返答がない。
「そうだ。駐車場の向こうに公園のようなものがあった。あそこに行ってみよう」
確かにあったが、児童公園のような小さな公園だった。まわりには民家が並んでいた。
昼に子供がいるのは怪しまれるかもしれないが、木がかなり生い茂っているので、人目にはつきにくい。とにかくしばらく様子を見ることにした。
公園側の部屋にはカーテンがかかっている。相変わらず人がいるようには見えないが、ぼくら二人とも監禁されていたので、あそこにぼくらが探している女の人がいるなら今何をしたらいいのかと話しあった。
「部屋が屋上でもないし、左右に別の部屋があるけど、ベランダ側の窓から入ることだよ」
「同じ考えだ。夜もう一度来て明かりがついているかどうか見てみよう」

のほほん丸の冒険
第1章47
ぼくらは町の様子を見ながら中村橋駅に向かった。おじいさんのテントに戻ってから出直すつもりだったが、トシから連絡が来たらすぐにそれに対応しなければならないので、とりあえず駅に行くことにした。
午前10時を過ぎているので駅に向かうサラリーマンや学生は少なかったが、駅前通りには人が出ていた。
ようやくトシから電話があった。車はやはりぼくが監禁されていたビルに停まったようだ。
「どうしようか」しゃかりき丸が聞いた。
「別のビルに行くのを待とう。今車を追っても新しい情報は出てこないような気がする」
「そうだな。それなら、今のアパートの近くにいたほうがいいな」
「そうだ。あの女は昨夜はずっといたはずだ。あそこに住んでいるのかもしれないが、それをまず確認しなければ」
「しかし、監禁されている人はいるのだろうか。助けを求めているような気配はなかったな」
「そこを重点的に調べよう。ひどいことをされていなかったらいいが」
結局、ここでトシからの連絡を待つことになった。もし車が動いたら、先回りにアパートに行くことにした。
午後5時になった。トシからは2回連絡があったが、車はまったく動いていないというのだ。
「あいつら、ひょっとしてぼくらの裏を掻こうとしているのかもしれないぞ」ぼくが大きな声を出した。
「どういうことだ」しゃかりき丸が聞いた。
「すでに追跡装置を見つけているから、用心してどの車も探しているはずだ。それで、今度の車も装置を見つけて、かなり用心しているはずなので、装置をそのままにしてこっちを撹乱(かくらん)しているのだ」
「そうか。どの車にも装置がいつのまにかついているので、敵は近くにいることがわかったので、わざとつけたままにしているというのか」
「そのとおり」
「それなら、すぐアパートに戻ろう。もし君が探している女の人が監禁されていたら、どこかに連れていくことが考えられる」
ぼくらはアパートまで走った。30分走りつづけてアパートに戻って駐車場を見ると、その場所にはどの車も停まっていなかった。
「君は車を見張っていてくれ。ぼくが3階に言ってくる」
「何をするんだ」
「誰か監禁されていないか調べてくる」ぼくは急いで3階に上がり、女が出てきた部屋の前にいって、新聞受けを開けて中をのぞいた。真っ暗だ。そして、何度もノックをしたが返事はない。
6時前なので誰かが帰ってくる気配があるが、仕方がない。ぼくは、「渡辺さん」と何回も呼んだ。返事はないし、物音もしない。やはり誰もいないのか。
その時、背後から、「どうしたの?」という声が聞こえた。
ぼくは飛び上がるほど驚いて振り返った。女の人がぼくを見ていた。まさかこの部屋の女かと構えたが、「ごめんなさい。このアパートによその人が来ることはあまりないので、何か困っているのかなと思って声をかけたの」
「すみません。この部屋の方ですか」
「いいえ。隣よ」
「そうですか。この部屋に渡辺さんいますか」
「それがわからないの。このアパートは転勤で来ている人が多いようで、お互い干渉しないからね」
ぼくは困って、「誰かいますか」と聞いた。
「あまり気にしたことないけど、夜も明かりがついていないかもしれない。
でも、どうしたの?」隣の女の人の目が光った。

のほほん丸の冒険
第1章47
「ママを探しています」
「家出しちゃったの」
「家出ではないのですが、いなくなったのです」
女の人はこれ以上聞くのは悪いと思ったようで、「いずれ帰ってくるわよ」と慰めるように言ったが、「でも、どうしてここがわかったの」と聞かずにはおれなかったようだ。
ぼくは、これ幸いと話を続けることにした。「ちょっと困っているんです」
女の人はまわりをちらっと見てから、「それならわたしの家に来る」と言った。
玄関に入ると、さらに奥に来るように言われたので、食卓で話をすることになった。
「それは困ったわねえ」と、ジュースを出しながらぼくの顔を見た。
「何かあったのかな」
「学校からから帰るとママがいなくなっていたんです。用心深くて、誰だか確認しないと絶対開けないのに。それから、学校を休んで探しています。
「警察に電話したんでしょう」
「いいえ。していません」
「どうしてすぐに電話しないの」
「そうしたいのですが、ちょっとできない理由があって」
女の人は黙ってぼくを見ていた。ぼくも女の人を見てから話を続けた。
「絶対人に言ってはいけないと言われていたんですが、パパは、ある国際機関で研究しています。何を研究しているのかはよく知らないのですが、人類が滅亡しないためにはどうしても必要な研究だと聞いています。
でも、世界の国は相手の国を破壊して、自分の国だけが生きのびたらいいという考えです。
だから、世界の同じ考えの研究者が集まって研究しています。だから、どこからも怪しまれないように秘密のルートで外国に行きました。
そこはどこかはぼくも、ひょっとしてママも知らないかもしれません。
『見つかったら別の国に行くらしいわ』とママが言っていました。
だから、こちらからパパに連絡できなしし、パパからもほとんど連絡が来ません」
ぼくはまた女の人の顔を見た。ぼくを見ているのだが、目が合っていないようだ。少し刺激が強すぎたかもしれない。
「実はぼくも後をつけられていました。攻撃は最大の防御ですから、ぼくか
ら仕掛けてママを助けようと考えました。
友だちのパパに相談すると、『車に追跡装置をつけたらどこに行くか分かるから』と追跡装置を貸してくれました。するとこのマンションに止まったのです」
「ほんとなの。するとお隣さんが!」女の人は大きな声を上げた。
「いや、それはわかりません」
「2,3回見かけたけど、おとなしそうな女の人だったよ。そんな世界平和とか研究とか関係ないように見えたけど。それにあまりいないような気がするんだけど」
「ぼくも自信がないんですが、早くママを助けたい一念で思い切ってインターホンを押しました」
女の人は、「わたしは何をしたらいい?」と小さな声で聞いた。
「友だちのパパに相談していますが、ここに誰かいるようだったら、ぼくに電話してくれませんか」
「それくらいならわたしにもできるよ。物音がしたらすぐに連絡するから」

「ありがとうございます」ぼくは電話番号を伝えてその家を出た。
しゃかりき丸は、通りで駐車場を見張っていてくれた。「帰ってこないな。しかし、長かったじゃないか」
ぼくは、声をかけたが応答はなかったこと、隣の人がぼくに声をかけたこと、そして、その家で話したことを説明した。
「お隣さんが見張ってくれることになった。これはありがたい」
「一つのきっかけでそこまでできるのは君だけだ。おじいさんは、なぜ君をのほほん丸と名づけたんだろう。
ああ、そうか。ばたばた慌てなさんなということか。それなら、ぼくは反対か」
しゃかりき丸は笑った。
「とにかく帰ろう」ぼくはしゃかりき丸を急がせた。

のほほん丸の冒険
第1章48
テントに帰ると、おじいさんは寝ていたが、テツとリュウが迎えてくれた。
「何かあったか」テツが聞いた。ぼくは、アパートのことを大体話した。
「その人が見張ってくれたらうまくいくんじゃないか。見知らぬ者がうろつくと怪しまれるからな」
「君は知らない人を味方にするのがうまいなあ」とリュウが感心したように言った。
「そうでしょう。うまいこと言うんですよ」しゃかり丸はぼくの顔をにやにや見ながら二人に言った。
「どうするんだい」リュウがすぐに聞いた。
「怪しい部屋の前で『渡辺さん』とか呼んで、隣の人が出てくると、『ママを探しています』と答えたそうですよ」
「それで、何かしてやらなくては思うのか。うまく同情を引くんだな」リュウがにやりと笑った。
「最初からそんなこと考えていませんよ。急に声をかけられたので」ぼくはあわてて言いわけをした。
目が覚めていたらしいおじいさんが、「本人は必死なんだから、おまえたちも手助けしろ」と助け舟を出してくれたので助かった。
とにかく、2台の車は追跡装置を外したらしいので動きがつかめなくなったし、アパートもうろうろできなくなったので、すぐに動けなくなった。
「下手に動くと今までのことが台無しになるぞ」テツが忠告してくれたので、ぼくとしゃかりき丸はおじいさんの世話をして過ごした。
4日目の朝早く電話が鳴った。例のアパートで知りあった村上さんだった。
「ありがとうございます」ぼくはそう言って次を待った。
「さっき、ベランダで洗濯物をほしていると隣の人が別の女の人を連れて車に乗り込んだの。多分運転は男の人のようだったわ」息を切らして話した。
「ほんとですか!女の人はどんな感じでしたか」
「すぐに車が動いたからよくわからなかったの。それに、うつむいていたので顔をよく見えなかったけど、髪の毛は長かった」
「多分ママだと思います」
「ごめんなさい。気がつくのが遅くて追跡装置をつけられなかったの」
「そんなことは気にしないでください」
「でも、慌てて下に下りて車が行く方向を確かめたから」
車は黒色のミニバンで、ナンバーは見てくれていた。それを聞くとぼくが診療所に行くために乗せられた車だった。
車は西の方向を行ったという。それなら、ぼくが監禁されていたビルの方向ではないようだ。
「これしか分からないんだけど」
「いや。十分です。多分村上さんの隣にはママが閉じ込められていたような気がします。無事なことが分かっただけでも安心しました。
あきらめずに探します。また何かあったらよろしくお願いします」
「今度こそ追跡装置をつけるわね」
ぼくは、じっと聞いていた3人に電話の内容を話した。
「何か気配を感じたかもしれないな」
「二人でちょろちょろしたから」
「ののほん丸が言っていたように、女の人がいたのはまちがいないようだ。
「焦るなよ。急いては事を仕損じる、だ。おれたちに何でも言ってくれ」
「そうだ。わざと捕まりにいくのだけはやめたほうがいいぞ。向こうは子供でも今度は容赦しないからな」
ぼくたち4人は長い間話しあった。しかし、待つ以外の方法が見つからなかったので、
これからもお互い気がついたことを提案することになった。
翌日、横に寝ていたしゃかり丸がいなかった。トイレでも行っているのかと思って、おじいさんの世話をしながら待った。
1時間ほどして、テツとリュウが来たので、事情を話すと、リュウが探しにいった。
テツは最近持つようになった携帯電話であちこち連絡した。
ぼくは胸が押しつぶされそうになった。

第1章49
僕が知らない大人もテントを出入りした。おじいさんに挨拶したが、おじいさんは寝たままうなずくだけだった。
それから、テツとリュウと打ち合わせをして出ていった。
テツが一人になると、おじいさんは、「どうじゃ」と聞くことがあった。
「まだ見つかっていませんけど、そう無茶なことはしないでしょう」とテツは答えていた。
「一度懲りているから、同じことはしないじゃろ」
「そう思います。多分例のビルやアパートに行っているんでしょう。仲間がそれとなく探しに行っています。見つけたらすぐ連れもどします」
「よく見てやってくれ」
「わかりました」
その日も見つからなかったようだ。しかし、ぼくはどこにも行くなと言われているので、ここで待っているしかない。
そして、四日目、朝早くテントの出入り口が開く気配があった。体を起こして、そっちを見ると、何としゃかりき丸が入ってきた。
「帰ってきたか」ぼくはすぐに起きて、しゃかり丸を抱きしめた。
おじいさんも気がついて、「よく帰ってきたな」と声をかけた。何が起きてもほとんど起きないおじいさんが体を起こしている。
しゃかりき丸もおじいさんのそばに行き、「心配かけました」と頭を下げた。
「けがはしていないか」
「していません」
「それならゆっくり休め」
しゃかりき丸はぼくのところに戻ってきて、「みんな怒っているだろう」と聞いた。
「怒っていないけど、心配していた」とぼくが答えたとき、入口が開いて誰かが入ってきた。
「しゃかりき丸!」リュウが叫んだ。「どこへ行っていたんだ。心配していたぞ」おじいさんの世話をするために早めに来たのだ。
「すみません」しゃかりき丸は小さくなって答えた。
その時テツも遅れてきた。「テツ!しゃかりき丸が帰っています」リュウがあわてて立ち上がった。
「しゃかりき丸。帰ってきたか。みんなだいぶ探したぞ」テツは冷静に言った。
「すみませんでした」しゃかりき丸はさらに小さくなって謝った。
「ところで、どこへ行っていたんだ。みんな、またあいつらの探りに行っているはずだと言っていたがな」リュウが聞いた。
しゃかりき丸は、ぼくをちらっと見て、「そうです」と答えた。
「やはりな。何か分かったのか」リュウはさらに尋問した。
そのとき、しゃかりき丸の顔が赤くなったのが分かった。これはしゃかりき丸の癖だ。何か自分の思いを話すときはいつもそうなるのだ。
「のほほん丸には悪いことしたんです」
「どういうことだ」
「おれがあのアパートで見張っているとき、4階の通路の角を回ったとき、女とぶつかりそうになったんです。
おれは慌てて下に下りたんですが、その女があの部屋に住んでいるのならぼくの様子から何か感づいたかもしれないと思います。
案の定、その部屋から出て行ったようですから、まちがいなくおれの責任です。それで、責任を取ろうと思ったんです」
「それで、あちこちのビルにいたんだな」リュウが聞いた。
「そうです」
「それでどうなったんだ」
「ののほん丸が監禁されていたビルにアパートで見た車が停まっていました。
それで、昔悪さしていた時に覚えた技術でトランクを開けて中に入り込みました。
「技術か。しかし、トランクを開けられたときはどうするつもりだったんだ」
「まあ。そこはイチかバチかで。うまくいかないときもありますよ」
「こいつ。調子に乗ってきたぜ」
「1時間ほどすると、人の気配がして誰か乗ってきました。咳払いで女だと分かりました。
大きな声でラジオがかかっていたので、ごそごそしても大丈夫でしたが、トランクが開かないように持っているのは疲れた」
ぼくらは身を乗り出して、ますます顔を赤くしたしゃかりき丸の話を待った。

のほほん丸の冒険
第1章50
「そのまま1時間ぐらい走ったかな。最後はかなり坂道を上っていきましたね。
トランクの中で転がりそうになったので必死に押さえたものだから、今も腕の筋肉が痛くてしょうがない」
「着いたのか」
「着きました。着きました。ここで見つかるとみんな水の泡だから、トランクから出るタイミングを考えました。
エンジンを切ると音に気づかれるし、バックで駐車するのなら、後ろを見ないか心配しましたが、幸いそのまま車が停まったので、トランクを少し開けて転がりでました。そして、トランクをそっと閉めて無我夢中で逃げました。外は真っ暗だったのがよかった」
「やはり山だったのか」
「そうです。あとで分かったのですが、別荘地とゆうやつですね。あちこちにすごい家が建っていましたよ。家と家の間は林になっていたので、隠れるのにはもってこいでした」
「それから」
「木の陰から、車が停まった家を見ましたけど、シーンとしていましたから、うまく行ったなと思いました。
しかし、この家が単なる知り合いの家だったら仕方がないので、何とか家の中を調べたいと思ってゆっくり近づきましたが、監視カメラを見つけて慌てて隠れましたが、木に登って覗いてやろうと思いました」
「それはいい考えだ。見えたか」
「見えました。あいつらがいましたよ。おれを監禁したやつとのほほん丸を監禁したやつ。そして女。多分運転していた女でしょう」
「そこがアジトなのか。どんな様子だった」
「慣れているような感じでした。3人とも自分の家のように動いていましたから。何か飲むながら話していましたね。もちろん内容はわからないけど」
「すると、そこにののほん丸が探している女の人がいるのか」
「それはわからないままです。二階建てで部屋はかなりあるようでしたが、みんながいる部屋以外は雨戸がしてあったもので」
4人は黙ったが、しゃかりき丸はぼくをちらっと見た。しゃかりき丸が何を言いたいのかよくわかった。
しばらくして、テツが、「お前はずっといたのか」と聞いた。
「もちろん。時計がないんで時間はわからなかったが、朝までいる覚悟でした。
でも、あたりは暗くて静まりかえっていたが、ホーホーと鳴くやつがいて、気味悪かったですね」
「フクロウだな。何か動きはあったのか」
「それから1時間ほどして、車が1台出ました。ふいに横から出たので誰が乗っているのか分かりませんでした。
おれが乗ってきたのは停まったままですから、女とは違うでしょう。どうしようかと考えていたら、明かりが消えたので木から降りました。
家のまわりには明かりとカメラがあるので近づけないのでお手上げです。
ここにのほほん丸がいたらどうするだろうかと考えましたよ」
「いや。よくやったよ。なあ、ののほん丸」テツが慰めた。
「よく帰ってくれましたよ。今度監禁されたらと思うとぼくにはできません」とぼくは率直に答えた。
「こんなことはみんなののほん丸に教えてもらったことだけどね。
とにかく朝まで見張ることにしました」
「動きはあったのか」
「まったく動きはなかったし、腹がへったのと眠たいので出直すことにしました。すみません」
「おまえのおかげでアジトらしきものが見つかった。でも、よく帰れたな」
「夜が少し明けてきたのでとにかく歩こうと思いました。1時間ほど歩くと大きな道に出ました。多分ここを歩いていけば町に出るだろうと思って歩きました。
でも、下っていけばまた上りでずっと山の中ですよ。途中疲れて歩けなくなったので少し休んで、また歩くということを続けていました。
ときおり途中何台か車と出会いましたが、誰も止まってくれません。ようやくトラックが止まってくれたときは泣きそうになりましたね」
「乗せてもらったのか」
「そうです。別荘で親とけんかして先に家に帰ると言って出たのですが、財布を忘れたのでバスにも乗れないと言うと駅まで送ろうと言ってくれました」
「ののほん丸のようだな」
「まあね。途中食堂でめしをごちそうしてくれて、向こうの都合があって八王子駅まで送ってくれました」

のほほん丸の冒険
第1章51
「アジトはそっちだったのか」
「そうです。しかし、駅から2時間ぐらいかかったような気がします」
「場所は分かるか」
「途中にあった目印は覚えました。おれは親と喧嘩して一人で帰ったということにしていたので、『ここはどこですか』と聞くと運転手に怪しまれるので聞けなかったんですよ」
「金持ちの坊ちゃんになっていたんだな。よく見たら本物か偽物か分かりそうなものだけどな。
とにかくおれたちが止めても、おまえたちは行くつもりなんだろう」
「それはまちがいないと思います」しゃかりき丸がにやりと笑った。
「開き直ったな。とにかくじいさんに言っておけよ」テツが話を収めた。
おじいさんを見ると寝ているようだ。ぼくとしゃかりき丸は公園に行くことにした。
歩きながら、「すごいことをやってくれたね。もうあきらめるしかないのかと思っていた」とぼくはしゃかりき丸に礼を言った。
「いやあ。きみのようには行かないけど無我夢中だった。しかし、今回はうまく行ったけど、もしばれたら取り返しがつかないことになっていたかもしれないと反省しているんだ。今後はきみに相談する」
「いやあ。ぼくこそ頼りにしているよ」
公園は大通りのすぐそばにあるのに、犬の散歩する人ぐらいで人は少なかった。しかし、奥のベンチに行くことにした。通りから見えるベンチにいると警察官に職務質問されることがあるのだ。
ベンチにすわってすぐに計画を練ることにした。まずしゃかりき丸に、建物のまわりの様子などを聞いた。それぞれの別荘は木に囲まれていて好都合なことがわかった。
それにしゃかりき丸がしたように木に登ればどんな計画も考えられる。
そして、2,30分離れた大きな道路にはバスが通っているらしいので、その最終時間を調べてから開始時間を決めるのだ。後はそこに女の人がいるかどうかだ。
今午前10時だ。そろそろ向かうことにした。早く行くと人に怪しまれるかもしれないが、今ならちょうどいい。それに、高尾山は」行楽客が多いのでkども二人が歩いていても大丈夫だ。
ぼくらはテントに戻り、ガラス切りやロープなどを準備した。そして、おじいさんに挨拶した。
「おまえたち二人でやれば大丈夫だが、焦ることは禁物じゃ」おじいさんは体を起こして言ってくれた。
「分かりました。気をつけます」ぼくらはそう答えてテントを出た。
電車で新宿から高尾山口まで行くことにした。1時間ぐらいかかったが駅に着くと、大勢の人がいる。
ぼくらはバス道路を歩くことにした。「ここをどんどん歩けばいいんだ。ぼくが乗せてもらったトラックはどこかに寄り道をして荷物を載せたが、またこの道に戻ってきたから」
「よし歩こう」
「かなり坂道だぜ」
「そのくらいなんでもないよ」
ぼくらはとにかく歩いた。途中は坂道であったが山の中ではなく田舎のような風景が続いていた。何十件の家が一塊に立っているのがあちこちにあった。
子どもたちが遊んでいる。ぼくらはそこを急いで歩いた。確かにバスも時々通る。
ようやくその風景が切れて道の両側に木が立っているようになった。
「いよいよ山に入るようだ」
「この蕎麦屋の看板はあったな。ここからでもかなり時間がかかったような気がする」
時々向こうから歩いてくる人とすれちがうことがある。これならやつらの車が横を通っても気がつかないだろう。
山の中を30分ほど歩くと時々山の中に行く道があった。
「こんな感じの道があった。もちろんおれは道は通らないで木の間を走ったけど」
「別荘に行くための道なんだな。どの道に入るかだ」
「それだ。バス道に出たところに大きな岩があった」
「いい目印だ」
午後4時だ。二人は休まずに歩いた。そして、岩を見つけた。横3メートル縦2メートルぐらいある巨大な岩だ。「ここ、ここ」
すぐに左側の林の中に入った。木が密生していて暗い。「もうすぐだ」しゃかりき丸はどんどん進んだ。

のほほん丸の冒険
第1章52
別荘を出入りする道は危険なので林を進んだのだが、どちらに向かっているのかわからなくなったことがあった。木が多くてまっすぐ進めないからだ。
「ちょっとここで待っていてくれないか」しゃかりき丸がそう言って一人で探した。
しかも、別荘は規則正しく建っていないようだ。なかなか帰ってこない時もあった。
時間がかかっているときは、声を出すことができないので落ちている枝で木を叩いた。どこかにいる鳥が驚いて飛びたつことがあった。
しばらくすると、がさがさという音ともにしゃかりき丸があらわれるのだ。
「どうも道が曲がったり分かれたりしているようだ。それに木が多いの方向が分からなくなる」しゃかりき丸は言いわけをした。
「時間は十分あるから、慌てることはない。その家からバス道まで行ったときはどのくらいかかった。そこから考えよう」とアドバイスをした。
「そうだな。無我夢中だったが、10分ぐらいかな」
「ぼくらも、バス道からここまで10分ぐらいかかったからかなり近くに来ているはずだよ」
「なるほど。近づいているのまちがいないということだな」
「それでもわからないときは、暗くなってから別荘の道に出て探してもいいのだ。街灯はあまりないようだから、車のヘッドライトが見えたら林に隠れたら、安全だ」
「しかし、今までも、次の日に行くと、相手が先に行動を起こしていたことがあった。
今回もそんなことがあればもう見つからないぜ。『善は急げ』で今日決行する。もっとも家が分からないのはおれの責任だけど」
「分かった。とにかくゆっくり探したらいい」
しゃかりき丸は一人で探しつづけた。ぼくも一緒に探そうかと言ったが、一人のほうが集中できると言うのでぼくはここで待つことにした。
そして、30分後に、「見つけた。車もある。例の車だ」しゃかりき丸は興奮して戻ってきた。
「枝分かれしている道がまた枝分かれしている。そして、それぞれの道は林の中を通っているから、何重もの迷路に迷いこんだようになっている」
「よく見つけたな。ここから遠いのか」
「まあ、10分ぐらいかな」
「案内するよ。何か所の目印を頭に入れているから迷わずに行ける」
確かに林を出てすぐの別荘の横の道を進み、交差する道を右に行き、次を左に行くのだ。
ただ、別荘と別荘の間は何回も言うが林があるので、他の建物が見えないので、道があるかどうか分からないのだ。それに道を渡るときは気づかれないようにしなければならない。
しゃかりき丸はぼくのほうを振り返った。近づいたようだ。林に入った。
木の陰に行って、「あれだ!」と小さな声で行った。
木造の2階建てだ。屋根は赤く、壁は白い。他の家には裏にサンデッキと言われるものがあるがそれはないので、別荘らしい華やかさはない。
玄関が見えるほうに行くと黒っぽい車が停まっていた。
横からは監視カメラは1台しか見えないが、しゃかりき丸の話では、玄関と向こう側にあり、合計3台あるようだ。
「車があるということはあの女がいるということだな」
「そして、監禁されている人がいる可能性が高いということだ」
「これからどうする」
「救出作戦を練る。あの2階の窓近くまで枝が伸びている木を使うことにするよ」
「そうだ。おれもあの木に登って2階を覗いた。そして、人影が動くのを見た」
「あの木をうまく使うのが作戦の成否を決める」
「でも、この家の2階にはベランダなんかない。どうして窓ガラスまで行くのだ。
屋根もかなりの傾斜になっている。屋根に上れるのか」
ぼくはわざと芝居がかった口調で言った。「しゃかりき丸の見てのとおりだ。でも、ぼくには秘策がある」ほんとはどうしたらいいのか迷っていた。

のほほん丸の冒険
第1章53
「先にすることがある」ぼくは言った。
「なんだよ」
「助けた後、すぐにバスが来るとはかぎらない。また、遅らせたほうがいいかもしれないから、バスの時間を調べに行こう。それに、一番近いバス停は避けることも考えられる」
「そうしよう。それならルートももう一度確認できる」
用心しながらバス通りまで行って、一つ手前のバス停を探した。
そちらのほうが近くに倉庫があったので隠れることができた。始発は7時20分だ。
このあたりは住んでいる人がいないらしく、バスは頻繁に走っていないことも分かった。
次は隠れ場所だ。これなら、長時間隠れていなければならない。また戻ることにした。
ところどころ明かりがついている別荘もあったので、その近くは避けることにした。ようやく一帯が無人で床が高い別荘を見つけた。
これで、助けた後隠れる場所とバス停に行くルートを確認することができた。
元の場所に戻ってきたので、これから最後の作戦準備をした。
2階の窓は横1メートル縦50センチぐらいありそうだが、つかまるところは窓の上の庇と窓枠だけだ。
あそこまでどう行くか。一番近い木は、しゃかりき丸が登った木で、窓まで3メートルぐらいあり、枝は1メートルぐらいまで近づけるが細くて使うことができない。
窓から5メートルぐらい離れている大きな木は、枝も折れる心配がなさそうだが屋根ぐらいの高さだ。
ぼくはリュックサックの中身を確認して、それらの木をもう一度見た。
決まった。その時、ものすごい鳥の鳴き声がして枝が揺れた。鳥がこのあたりの木をねぐらにしているようだ。この2本にもとまったがそんなに多くはないようだ。
しゃかりき丸が、「この前も鳥がいたがこれほどとはな。気づかれてしまわないか」
「いや。大丈夫だ。これのほうが好都合だ」
「わかった。物音を消してしまうか。ぼくも決まったぜ。でも、おれはいつはじめたらいいんだ」
「ぼくがフクロウの鳴き声をする。その時だ」
「でも、本物のフクロウだったら作戦失敗する」
「なるほど。それなら、ぼくの鳴き声を聞いてくれ」
ぼくは小さな声でフクロウの真似をした。「へたくそだな。これならまちがえようがないよ」二人で笑った。
「もう一度作戦のタイミングを確認するよ。というのは、きみが言っていたように、窓を破ったりしても、女の人が監禁されていなかったら今後やつらがここに出入りしなくなる。そうなると女の人を助けることは永遠にできなくなるかもしれない。それは絶対避けなければならない。
それで、鳥が騒がしいときに窓に近づき様子を見る。そして、いると分かったら、フクロウの真似をするから、相手を玄関までおびきよせtrくれないか。
その間にぼくは窓を破って女の人を助ける。多分数分で助けられると思う。
すぐに隠れ場所に行く。きみは一人で隠れ場所に来てくれないか」
「OK。ドキドキしてきたぜ」二人で気を堕ちつかせている間に少し暗くなってきた。
2階の明かりがついた。さらに別の一団が帰ってきて騒がしく鳴いてあちこちの木の枝にとまった。
しゃかりき丸は監視カメラに中止ながら玄関のほうに行った。ぼくは黒くなってきた木を見てその形を頭に入れた。
そして、リュックサックを背負って短いロープで太い木を登った。決めていた枝まで行き、そこの幹に長いロープを2本きつく結んだ。確認してから2本のロープを持って枝を進んだ。
それから枝を伝っていき分かれ目のところから、2本のロープを下に垂らした。
一度失敗したが、2回目にしゃかりき丸が登った木の枝の分かれ目に入れることができた。
2本のロープを持ってそこに下りた。少し枝が揺れた。そこにいた鳥が鳴いて枝から離れたが、そう多くいなかったので気にならなかった。
ぼくは窓まで1メートル半ぐらいにいる。ただ、カーテンが下りているので中は見えない。
息をひそめていると話し声がするような気がした。ただ、電話で話をしているだけかもしれないので気をつけなければならない。
10分ほどすると影が見えた。それも二つだ。いる。まちがいない。
ぼくは息を深く吸ってフクロウの真似をした。

のほほん丸の冒険
第1章54
そして、息を止めて窓を見た。心臓が飛び出すのではないかと思うほど激しく打った。
しかし、カーテンに影など映らないので、フクロウの声が聞こえていないのかと思っていると、かすかに音が聞こえたような気がした。さらに、もう少しはっきりした音がしだした。
すぐさま窓の上についている庇(ひさし)の上を狙って矢を放った。
トンという音がした。矢についていたロープを引っ張った。うまく壁に食い込んでいるようだ。これなら、ロープを伝っていっても大丈夫だろう。
用心しながら窓まで行った。すぐにポケットに入れていた工具を使って音がしないように窓ガラスを割った。
破片を下に落としてから、左手で庇をつかんで右足を窓の桟(さん)にかけてさらにガラス片を取りのぞき、「誰かいますか。助けに来ました」と声を潜めて言った。
誰か急いで来た。女の人のようだ。ぼくは、「この窓から出て、ロープを持って下に降りてください。ぼくもすぐ降りますから」ともう一本のロープを渡した。
女の人は、「分かりました」と言って窓から体を出してロープを伝って降りていった。
ぼくは矢についているロープをナイフで切り、そのロープで下に降りた。
女の人は無事に降りたようでぼくを待っていた。「さあ。逃げましょう」ぼくは先に走りだした。
無我夢中で走りつづけ、ようやく決めていた別荘の床下に潜り込んだ。二人とも肩で息をして、物を言うことができなかった。
ようやく、女の人が「ありがとう」と声を出したが、まだ大きく息をしながらだった。
ぼくも、「いいえ」と答えたが、それ以上は言葉が出なかった。
少し落ち着いてきたが、床下は暗くて、この人が新宿駅でぼくにバッグを預けた人かどうかは分からなかった。
「どうして助けてくれたの」女の人は落ち着いた声で言った。
ぼくも、「新宿駅で子供にバッグを預けたことがありませんか」と聞いた。
「えっ!」という声が聞こえた。「あります。一人ですわっていた男の子に、すぐに取りに来るからと言って預かってもらったことがあります。でも、取りに行けなくなってしまって・・・」
「そうでしたか。その子供がぼくです」
「えっ!」今度もそういったまま黙ってしまった。
今このまま話を続けると女の人も困るだろうと思って、「もうすぐぼくより少し大きい子供が来ます。二人で救出作戦を考えました」と話題を変えた。
その時、「ののほん丸。いるか」という小さな声が聞こえた。
「こっちだ」ぼくは声をかけた。
「お互いうまく行ったな」しゃかりき丸はそう言いながらぼくらのそばに来た。
「こちらは監禁されていた女の人だ」
「ありがとうございました」女の人は年上と聞いたのか丁寧に礼を言った。
「いや。ののほんまるが考えた作戦ですよ。言い忘れましたが、おれはしゃかりき丸です。それと、こいつはののほん丸です。
聞いているかもしれませんが、なんでこんな変な名前かと言いますと、おじいさんがつけてくれたので仕方がないです。
おれたちの仲間はほとんどおじいさんにつけてもらっていまますのでね。誰も仲間の本名なんかわからないです。
おじいさんは、おれたちが堅気(かたぎ)の人間に戻った時のために親がつけてくれた名前を使うことを禁止しているんです」しゃかりき丸は饒舌だった。ぼくらが考えた作戦がうまく行ったからだろう。
ぼくは、「やはりこの人は新宿でバッグを預けた人だったよ」としゃかりき丸に言った。
「ほんとか。作戦は何かも成功したんだ」
「ありがとうございます。わたしはミチコと申します」
「今頃やつらは慌てているだろうな」しゃかりき丸は自分のしたことを言いたそうだった。
「どんなことをしたんだ」
「きみがフクロウの真似をしただろう。おれは気合を入れてインターホンを押した。ドアが開くまで心臓が口から出てきそうだったぜ」

のほほん丸の冒険
第1章55
「階段を降りる音がした。そして、玄関が開いて女が顔を出した。
暗くてよくわからないが、若くはない。おれが子供だと分かって、『どうしたの?』と聞いた。
『突然すみません。パパと別荘に向かっていたのですが、パパが、今車の中で、『胸が苦しい』と言って運転できなくなったんです」おれは必死に言った。
『それは大変じゃないの。どこかにぶつからなかった』
『それはありませんが、声をかけてもぐったりして返事しないんです』
『早く救急車を呼ばなきゃ』
『そうなんですが、後から来るママの車に荷物を全部をおいてきたんです。
それまで待てないので、明かりがついている家で電話を借りようとしたんですがなかなくて。ようやくここを見つけたのでインターホンを押しました』おれはさらに必死で言った。
『分かったわ。少し待って』女は家に入りそうになったので慌てて止めた。
とにかく10分稼げとののほん丸に言われていたのでな」
「それでどうした」ぼくが聞いた
しゃかりき丸は一息入れた。ぼくが次を聞きたくて体を乗り出したことが分かったんだろう。
「『すみません。お聞きしたいことがあります』おれは戻ろうとする女を引きとめたさ。
『なんなの』
『このあたりの住所を教えてください。救急車に言わなくてはなりませんので』
おれは住所を聞きだして、『すぐそこですからパパの様子を見て戻りますので』と言ってそこを離れた。
多分女は携帯を取りに行ったのだろうが、おれはそのままここに来たんだ」しゃかりき丸は作戦を説明した。
「なかなか上手な芝居をしたね」
「きみにはかなわないど、相当考えたぜ」
少し間をおいて、ミチコが、「そこまでしてわたしを助けてくれたんですね」
と言った。
「いやいや。作戦どおりにいけば楽しいもんで」しゃかりき丸は上機嫌だ。
「ところで、どうしてわたしが新宿でバッグを預けたことが分かったの」
これはぼくが答えなければならない。「あなたに返さなくては思って毎日駅に行ったんですよ。
そうしたら、やつらはあなたがぼくにバッグを預けたところを見ていたようで、ぼくを見つけてバッグはどうしたんだと聞いてきたんです。
それで逃げたんですが、今度はぼくがあいつらはどうしてバッグを取り戻したいのか知りたくなったんです」
「おれは、のほほん丸の代わりにやつらのことを調べるための影武者として連れてこられたんですがやつらに捕まってしまったです。
でも、ののほん丸に助けてもらったんですが、今度はののほん丸が捕まってぼくが助けたりしている間に、ののほん丸はやつらから多くの情報を集めたんです。そうだな、ののほん丸」
「そうです。やつらには大きな秘密があると感じて追いつめていくことにしたんです。
そして、しゃかりき丸が車のトランクに潜り込んでここを見つけたんです」
「よくわかりました。わたしがあなたにバッグを預けたばっかりにお二人に大変な目に合わせました。ほんとにごめんなさい」ミチコは涙ぐみながら謝った。
「そんなことはないです。おれはののほん丸と知り合いになって頭を使えば、人生はおもしろくなるということを覚えましたから。
それまで、大人からちゃんと生きろと説教されても親もいないのにそんなことできるかと思っていました」しゃかりき丸も真面目に自分のことを言ったので驚いた。
ぼくは、「あなたが見つかってよかったです。バッグは帰ったらすぐに返します」と話題を変えた。
しゃかりき丸も、「やつらは今頃慌てているぜ。2階の窓が破られて人がいなくなっているんだから。『また子供か』てなもんだよ」とくすっと笑った。

のほほん丸の冒険
第1章56
バッグを返すためにはどうしても聞いておかなければならないことがあったので、「お聞きしてもいいですか。もし都合が悪いのなら答えなくてもかまいませんが」とミチコに言った。
ミチコは、「何でしょうか。なんでもお答えします」とすぐに答えた。
ぼくも、「あのバッグは誰のものですか」と単刀直入に聞いた。
「ごめんなさい。それを早く言わなければならなかったわね。
男らはあれだけ必死でバッグを取り戻そうとしてるのだから、私が盗んだものと思われても仕方ないですもの」
「いいえ。そういうことではないのですが」ぼくはそう答えざるをえなかった。
「あれは私のものではありません。しかし、バッグは私のものです。中身はちがいます」と言ってから、「バッグの中身は見ましたか」と聞いた。
「いいえ。鍵がかかっていましたので見ていません」
「ほんとはこれ以上迷惑をかけたくないので言いたくないのですが、あなたたちは命がけでバッグを守ってくれたのですから言います」
ぼくらは黙っていた。「中身は自分のものではないといっても盗んだものではありません。中身は私の叔父の書いた研究論文です。男らがそれを盗みに来たので叔父の指示でバッグに入れて逃げたのです」
「叔父さんは研究者ですか」ぼくは聞いた。
「そうです。自分の研究を続けたくて大学を辞めて一人で研究していました」
「それを取られそうになったのですね」
「そうです。教授のときから親しくしていた新聞記者がよく訪ねてきていました。叔父も研究などの話し相手がいなかったものですから、叔父が呼んだのでしょう。
新聞記者は、話の中で研究の秘密を聞いたのだと思います。そして、彼が誰かに話したようで、どこかの国がそれを欲しがりました。
男らの会社が叔父に交渉したけど、叔父は断りました。それで、男らは研究論文を盗もうとしたわけです。
叔父はパソコンなどを別の場所に隠して、その論文を私が持っているように言ったのです。
ところが男らは私の家を見つけて論文を取ろうとしたので、バッグに入れて逃げましたが、新宿駅でつかまってしまったんです」
「それはどんな内容ですか」しゃかり丸は好奇心を抑えられなかった。
ミチコはしばらく黙っていたが、「悪用すれば人類が絶滅します」と言った。
「えっ!」しゃかりき丸が叫んだので、ぼくは、「静かに」と制した。
「ただ、叔父は悪魔の発明をしようとしたのではなく、地球を守るための電力供給を考えたのです。地域ごとに発電できるので、自然を破壊することもありません。
しかし、悪用すれば、持ち運びできる核兵器になるので、それを欲しがる人間や国がいるわけです」
「叔父さんが心配ですね」ぼくは思わず聞いた。
「そうなんです。今はどこにいるか、あるいは・・・」ミチコは黙った。
「おれたちが見てきますよ」予想どおりしゃかりき丸が言った。
それはぼくも同じ考えだ。ミチコはママかもしれないという考えは合っているのかどうかはまだわからないからだ。それがはっきりするまでミチコのそばにいたい。
ママは今何才なのかはパパから聞いたことがないが、ミチコはママと同じぐらいだ。
ミチコは、「ありがとう」と答えたが、具体的なことは誰も言わなかった。
疲れがどっと来た。ライトで腕時計を見ると、午前1時40分だ。バスの時間は7時20分なので、かなり時間がある。
ぼくは、ビニールシートを出して、ミチコとしゃかりき丸に渡して、「明日は忙しくなるので、少し休もう」と言った。
それぞれ少し離れて休むことになったが、しゃかりき丸はぼくのそばに来て、「やつら、『また子供か』」と慌てているぜ」と笑ったが、すぐにいびきをかきはじめた。
のほほん丸の冒険

第1章57
目が覚めた。しかし、しばらくは動かずに様子をうかがうことにした。
真っ暗だ。目を動かしてみたが何も見えないが、どうしてここにいるかはっきりわかった。しゃかりき丸とミチコはまだ寝ているようだ。
半ズボンから出ている足がかゆい。何かに刺されたようだ。そっと掻いていると、近くでごそっという音がした。しゃかりき丸が寝返りを打ったようだ。
遠くで鳥が鳴いている。頭を打たないように体を少し起こして外を見た。
まだ暗そうだ。しかし、鳥の声が聞こえるということは深夜ではないだろうと思って腕時計のライトをつけた。4時30分だ。バスの時間まではかなりある。
どうしようか。この時間にぼくたちを探していることはないだろうが、外に出るのはやめることにした。
もう一度横になったが、直接地面に寝ていたためか体が痛い。それで、横向きになって今日どうするかを考えることにした。
ミチコはママなのだろうかと考えた。ぼくが2,3歳のとき、どこかの駅のプラットホームで、パパが、「向こうにいるのがママだよ」と言ったので、10メートルほど離れたところに立っている女の人に向かって走っていったのを覚えている。
ぼくを抱き上げて泣いていた女の人はここにいるミチコなのか。でも、ぼくはどうしてミチコをママと思ってしまったのだろうか。
3か月前、施設を出てパパの親戚に行くために新宿駅に行ったが、時間があるので、柱にもたれてつい寝てしまったが、駅にいることを意識していたためかママに抱かれたことを夢に見たようだ。
ちょうどその時、ミチコが慌てて「バッグを預かってください」と声をかけてきたのだった。その声は、泣きながらぼくの名前を呼んだママの声と同じだと思ってしまったからだ。ミチコがほんとのママである確率はほとんどないのかもしれない。
はっきりしたいのなら、ミチコ本人に聞いてみたらと自分に言った。それ以外方法はないよ。横にした顔から涙が落ちるのが分かった。
ぼくは手で涙を拭いて、今からどうするか考えることにした。近くでごそごそ音がした。ミチコが起きたのだろう。外を見るとかなり明るくなっている。
ぼくは体を起こして、「おはようございます」と声をかけた。
ミチコも、「おはようございます」と言った。「昨日はありがとうございました。これからどうなるのだろうと不安で不安でたまりませんでした。
ののほん丸さんのおかげです」
「ののほん丸と言ってください。すぐに戻りますからと言われたので、いつの間にか3か月たってしまいましたね。とにかく返すことができてほっとしています」と答えた。
「ほんとにご迷惑かけました」
「いいえ。親戚に行くことになっていたんですが、あまり気乗りがしなかったので、ぼくも用事ができてよかったです」
時計を見ると6時だ。しゃかりき丸を見るとまだ寝ている。そろそろ起こさなければならないと思っていると、「どの道を通ってバス停まで行ったらいいか調べてきたぜ」と寝たまましゃかりき丸が言った。
「いつ」
「夜中さ。犬がいないルートを探した。犬を連れてきているのが多いからな」
「ありがとう。ここからどのくらい時間がかかる」
「まあ20分だな」
「それじゃ、6時50分に出ようか」
「それよりもっと大事な話がある」僕は身構えた。
しゃかりき丸は声を潜めて続けた。「八王子で降りるより終点の高尾まで行くほうが安全だと思う。そこからも新宿行きのバスがある。もしやつらが待ち伏せしているのなら八王子にいるだろうからその裏をかけばいい。ののほん丸はどう思う」
「なるほど。きみの言うとおりだ」ぼくは感心して言った。
それから、ミチコを加えて細かい打ち合わせをして、7時5分前に床下を出た。

のほほん丸の冒険

第1章58
あたりを見て、しゃかりき丸が見つけていてくれた道を用心しながら進んだ。道ではなく、家と家の間を通るから15分で着いた。
バス停は道路を渡らなければならないので、あいつらがいるのではないか用心しながら渡った。ミチコを助け出したのは昨晩だから、このあたりにはいないだろうが念には念をいれなければならない。
バス停は案内板があるだけだが、奥に小さな小屋があるのは分かっていたので、その陰に急いだ。
その小屋は道路工事のための工具など置いてあるようだった。鍵がかかっているので中には入れないが、小屋の前には木が数本あるので車などでは見つけにくい。
しゃかりき丸が、「道がカーブしているところまで見てくる。バスが来たらすぐに走って戻ってくる」
「どうしてそんなことをするんだ」とぼくは聞いた。
「不審な車がいないか見るんだ。もしいたらバスには乗らない」しゃかりき丸はそう言うと、バス道ではなく林の中を走っていった。
「しゃかりき丸はすごいわね」ミチコが感心して言った。
「そうでょう。ぼくもしゃかりき丸がいなかったら、あなたを助けることができませんでした。
やつらの車のトランクに入るなんてことはぼくにはできません」と答えた。
「二人が助けあってわたしを助けてくれたんですね」
「うまくいってよかったです。おっともうバスが来る時間です。しゃかりき丸が帰ってこない。どうしたんだろう」ぼくらは腰をかがめてバス停に行った。
バスが来るほうを見ると、200メートルぐらい離れたところにあるカーブをバスが見えた。
「これはやつらがいるということか」ぼくは迷った。「でも、しゃかりき丸が帰ってこないのはおかしい。つかまったのか」そう思っていると、バスが止まりドアが開いた。
しゃかりき丸が顔を出し、「おい。早く乗らないか」と早口で言った。
ぼくはミチコを乗せて急いで乗った。バスはすぐ走りだした。
しゃかりき丸は運転手に、「ありがとうございます。これで、速く病院に行けます」と話している。「ははあ。やってくれたな」と思って後ろに向かった。
客は2,3人しかいなかったが、一番後ろの席にすわり、体を低くした。しゃかりき丸が来て、「そういうこと」と笑った。
バスの前後を見たが、やつらがいる形跡はなく、バスは順調に高尾に着いた。時間まで駅から少し離れたところで待った。その間は話をすることもなく、あたりの様子をうかがった。20分ぐらいで新宿行のバスが来たのですぐに飛び乗った。
バスはかなり混んでいたがすわることができたので、体を低くして寝た。
新宿に着くと急いでおじいさんがいるテントに向かった。
「ただいま」しゃかりき丸が最初に飛びこむと、「おっ」という声が上がった。
最初ミチコは躊躇していたが、ぼくは、「早く入ってください」と急がした。
「帰ってきたか」テツとリュウが立ちあがって迎えてくれた。
二人はミチコをちらっと見たので、「ぼくにバッグを預けた人です」と紹介した。
二人は、「この度はどうも」と挨拶したが、それ以上言わないので、「ミチコさんです。ここの流儀に従って名前しか聞いていません」と紹介した。
テツとリュウも名前だけを名乗った。それからテツは、奥で寝ているおじいさんのところに行き、しゃかりき丸とぼくが帰ってきたことを報告した。
テツは、「じいさんが呼んでいる」と言ったので、3人で行った。おじいさんは体を起こしていたので挨拶した。
ミチコは、「お二人に助けていただきました。皆さんには大変ご迷惑をかけました」と丁寧に礼を言った。
「ミチコさん」とおじいさんは言った。「この度は災難でしたな。ここにあなたのバッグがあります。お返ししておきます。念のために中をあらためてくだされ」
ミチコはバッグを受け取り、頭を下げた。「ありがとうございます。ただ、鍵を取られたので開けることができません。だから、元のままだと思います」と言った。
「それならいいが。今後は取られないようになさい」とおじいさんはやさしく言った。
ぼくらはテツとリュウが待っているとところへ戻った。「じゃ、ミチコさんはお帰りですか」とテツが聞いた。
ミチコは言いよどんだので、「まだ一仕事ありますよ」としゃかりき丸が口をはさんだ。
「何があるんだ」リュウが不足そうに聞いた。「それはこのバッグの中身ですよ」しゃかりき丸がにやりと笑った。
ぼくとミチコは顔を見合わせて笑いを殺した。

のほほん丸の冒険

第1章59
「高価なダイヤモンドでも入っているのか」リュウが聞いた。
「具体的なことは言えませんけどね、それよりもっと大事なものかもしれませんぜ。
そのことでミチコさんが心配していることがありますから、その手伝いをするんですよ」
テツとリュウは苦笑いをしてうなずくだけだった。こいつらは相変わらず何かしたがっているという顔はしていたけど。
「そうしたら、これからどうするんだ」とテツが聞いた。
「それはミチコさんとおれたちが考えます」しゃかりき丸の説明が漠然としているのでミチコが口をはさんだ。
「このバッグの中身は私の叔父のものなんです。叔父に届けるまでお手伝いしますよと二人が言ってくれているのです」
「そうでしたか。おれたちも何かあったらお手伝いしますから遠慮なく言ってください」とテツが言った。
「ありがとうございます」ミチコは頭を下げた。
とりあえずミチコに休んでもらうためにビジネスホテルを探すことにした。
ミチコは長い間監禁されていたので疲れがたまっている。まずは休まなければならないのだ。それから、テントに戻って、少し休むことにした。
テントを出る時、ミチコは、おじいさんに「もう少しバッグを預かっていただけませんか」と聞いた。
おじいさんは、「構わない。必要なときに取りにきたらいい。それから、困ったことがあれば遠慮なく来なさい」とミチコを安心せた。
いつも行く公園の近くにホテルがあったので、そこに泊まることにした。
手続きをするとき、ミチコは、「必ずお返しします」と言ったが、ぼくは、「大丈夫です。パパの代理人が送金してくれますが、ぼくはあまり使わないんで」と答えた。ミチコをエレベータまで送ってから、テントで休むことにした。
横になると、すぐに寝てしまった。起きると午後5時だった。
その日はリョウがおじいさんの世話をする担当だったので、ぼくとしゃかりき丸はその手伝いしてから夕食を食べることにした。
昼食も食べていなかったからかなり空腹だった。それでコンビニで買って公園に行った。大人がいないときは、店に入らないことにしていのだ。
しばらく無言で腹を満たした後、しゃかりき丸が聞いた。「ミチコは、きみがバッグを預かった日からつかまっていたのだろうか」
「多分そうだと思う」
「すると一月以上監禁されていたことになる。ぼくは、4,5日監禁されていたけど、死ぬほど苦しかったもんなあ」
「ぼくもそうだ。ただ、ぼくの場合は、病院のようなところに何回か行ったから、少し息抜きできたからよかったけど」
「ミチコはこれからどうするのかな」しゃかりき丸がまた聞いた。
「叔父さんの研究所は新宿にあると言っていたから、まずそこを調べたいだろうが、あいつらもミチコを探している可能性はある」
「鉢合わせしたらまずいな」
「それが心配だけど、研究所には叔父さんはいないような気がするんだ。
ミチコが一月以上も監禁されていたということは、やつらも叔父さんの所在が分からないということかもしれないよ」
「なるほど。論文を書いた本人を監禁していれば、本人に内容を聞けばいいんだものな。
つまり、わざわざ秘書をしていたミチコを監禁しておく意味がないというわけだな」
「そうだ。ミチコも、やつらは自分を探しているということは分かっているから、用心しているはずだ」
その時、携帯が鳴った。ミチコだった。「今から会いたい」ということだったので、すぐに迎えに行った。
ミチコは少し疲れが取れたように見えた。午前中はぐっすり寝て、午後から研究所や親戚などに電話したそうだ。
研究所の電話は切られていて、親戚はどこも叔父さんから連絡はないし、来てもいないということだったそうだ。叔父さんは元々親戚づきあいが嫌いで必要なことはすべてミチコがしていたそうだから、連絡がないのは不思議なことではないのだ。
しゃかりき丸が、「おれたちが研究所を見てきますよ」と言った。

のほほん丸の冒険

第1章60
しゃかりき丸は、ミチコを助けた勢いを続けたいようだ。
「あいつらが来ていなくても、子供一人でビルの中をうろつくの目立ちすぎるよ」ぼくは、しゃかりき丸を制した。
「それなら、どうしたらいいんだ」と不服そうに聞いた。
「テツに頼もう。手助けしてやると何回も言ってくれているからここで頼むんだ」
「テツなら背広が似合うかな。それならいいが」しゃかりき丸が納得した。
所在地やビルの様子は、直接テツに説明することになった。それで、テントに戻ると、テツとリュウがいたので、そのことを相談した。
「そうだろう。おれたちがいないと事は進まないだろう」リュウが大きな声で自慢した。
「おまえが行くんじゃないよ。前に行ったやつの面が割れることはないだろうが、念には念を入れておれが行くよ」テツが言った。
「おれはどうしたらいいんだ」テツが聞いた。
「もしテツに何かあったら助けてくださいよ」ぼくはリュウに頼んだ。
リュウも納得して、5人で話をした。
研究所が入っていたビルはここから歩いて30分ぐらいにあった。
電話をしてもつながらないのであれば多分他のテナントが入っているか、空室のままだろうと思って、ぼくは、「その部屋を近所のビルから見えますか」とミチコに聞いた。
「そうだ。おれたちは監禁されたからよくわかる。ののほん丸がどの部屋にいるかはビルから離れて調べないと分からないからな。ミチコさんの場合は木に登って調べたけどね」しゃかりき丸が賛同してくれた。
ミチコは少し考えていたが、「近所はビルだけですが、確か2,3軒離れたビルが高くて、その屋上で昼休みなどに社員がいるのが見えましたね。そこからなら逆に研究所が見えると思います」と言った。「部外者でも上がれたらいいのですが」
しばらくその他のことも話し合い、それぞれ自分の役割を確認しあった。
現地にはテツ、リュウ、ミチコの3人で行くことになった。テツはビルに入り、リュウとミチコは近くのカフェで待つ。
もし緊急事態が起こればリュウが助けに行くことになった。ミチコは研究所が見えるビルに案内するのだ。
そして、ぼくとしゃかりき丸はおじいさんの世話をすることになった。
「これで作戦会議は終わり。今から仲間に背広を借りてくる。昼から決行だ」とテツが言った。
結局、部屋は閉まっていた上に、社名のプレートもなかったのであきらめざるをえなかった。
そこで、研究の部屋が見える近所のビルに行ったが、警備員がいたので、ミチコが入ることになった。部屋は見えたが、研究所はブラインドが下りていたそうだ。
その帰り、ミチコは新宿警察に行き、叔父さんの消息を調べてもらえないか聞いた。
しかし、担当者は丁寧に聞いてくれて、長時間調べてくれたが、身元不明者は分からなかった。叔父さんの知りあいや友だちに連絡したら何か分かりませんかね。あるいは、自宅がある警察なら何かしてくれるかもしれませんとアドバイスしてくれたそうだ。
ミチコは、ホテルに戻って不動産屋を調べることにした。ミチコが秘書として研究所に来たのは、すでに準備がすんだ後だったので、不動産屋のことは分からなかった。
ビルの所有者の会社や新宿のあちこちの不動産屋に連絡して、ようやく見つけることができた。
しかし、その部屋を担当した社員はすでに退職していたので、詳しくは分からないが、関係者と名乗る男がが解約手続きをしていたそうだ。残る家賃も払い、荷物もすべて運んだそうだ。
事情を話して、その関係者の名前と住所や電話番号を聞いた。最初は躊躇していたが、ようやく話してくれたが、心当たりはない。思い切って電話をしたが、つながらなかった。
「やはり叔父さんは連れ去られた可能性はあるな」しゃかりき丸がそう言うと、みんなうなずいた。
ミチコは途方に暮れていたので、ぼくは、「その住所も調べなくてはいけませんが、まず叔父さんの自宅に行きませんか」と提案した。

のほほん丸の冒険

第1章60
しゃかりき丸は、ミチコを助けた勢いを続けたいようだ。
「あいつらが来ていなくても、子供一人でビルの中をうろつくの目立ちすぎるよ」ぼくは、しゃかりき丸を制した。
「それなら、どうしたらいいんだ」と不服そうに聞いた。
「テツに頼もう。手助けしてやると何回も言ってくれているからここで頼むんだ」
「テツなら背広が似合うかな。それならいいが」しゃかりき丸が納得した。
所在地やビルの様子は、直接テツに説明することになった。それで、テントに戻ると、テツとリュウがいたので、そのことを相談した。
「そうだろう。おれたちがいないと事は進まないだろう」リュウが大きな声で自慢した。
「おまえが行くんじゃないよ。前に行ったやつの面が割れることはないだろうが、念には念を入れておれが行くよ」テツが言った。
「おれはどうしたらいいんだ」テツが聞いた。
「もしテツに何かあったら助けてくださいよ」ぼくはリュウに頼んだ。
リュウも納得して、5人で話をした。
研究所が入っていたビルはここから歩いて30分ぐらいにあった。
電話をしてもつながらないのであれば多分他のテナントが入っているか、空室のままだろうと思って、ぼくは、「その部屋を近所のビルから見えますか」とミチコに聞いた。
「そうだ。おれたちは監禁されたからよくわかる。ののほん丸がどの部屋にいるかはビルから離れて調べないと分からないからな。ミチコさんの場合は木に登って調べたけどね」しゃかりき丸が賛同してくれた。
ミチコは少し考えていたが、「近所はビルだけですが、確か2,3軒離れたビルが高くて、その屋上で昼休みなどに社員がいるのが見えましたね。そこからなら逆に研究所が見えると思います」と言った。「部外者でも上がれたらいいのですが」
しばらくその他のことも話し合い、それぞれ自分の役割を確認しあった。
現地にはテツ、リュウ、ミチコの3人で行くことになった。テツはビルに入り、リュウとミチコは近くのカフェで待つ。
もし緊急事態が起こればリュウが助けに行くことになった。ミチコは研究所が見えるビルに案内するのだ。
そして、ぼくとしゃかりき丸はおじいさんの世話をすることになった。
「これで作戦会議は終わり。今から仲間に背広を借りてくる。昼から決行だ」とテツが言った。
結局、部屋は閉まっていた上に、社名のプレートもなかったのであきらめざるをえなかった。
そこで、研究の部屋が見える近所のビルに行ったが、警備員がいたので、ミチコが入ることになった。部屋は見えたが、研究所はブラインドが下りていたそうだ。
その帰り、ミチコは新宿警察に行き、叔父さんの消息を調べてもらえないか聞いた。
しかし、担当者は丁寧に聞いてくれて、長時間調べてくれたが、身元不明者は分からなかった。叔父さんの知りあいや友だちに連絡したら何か分かりませんかね。あるいは、自宅がある警察なら何かしてくれるかもしれませんとアドバイスしてくれたそうだ。
ミチコは、ホテルに戻って不動産屋を調べることにした。ミチコが秘書として研究所に来たのは、すでに準備がすんだ後だったので、不動産屋のことは分からなかった。
ビルの所有者の会社や新宿のあちこちの不動産屋に連絡して、ようやく見つけることができた。
しかし、その部屋を担当した社員はすでに退職していたので、詳しくは分からないが、関係者と名乗る男がが解約手続きをしていたそうだ。残る家賃も払い、荷物もすべて運んだそうだ。
事情を話して、その関係者の名前と住所や電話番号を聞いた。最初は躊躇していたが、ようやく話してくれたが、心当たりはない。思い切って電話をしたが、つながらなかった。
「やはり叔父さんは連れ去られた可能性はあるな」しゃかりき丸がそう言うと、みんなうなずいた。
ミチコは途方に暮れていたので、ぼくは、「その住所も調べなくてはいけませんが、まず叔父さんの自宅に行きませんか」と提案した。

のほほん丸の冒険

第1章61
「私も折を見て行こうと考えていました。しかし、研究所には誰かが入り込んだわけですから、自宅も荒らされているかもしれません。
それに、監禁されているときに、私の家を聞かれたときは、叔父の自宅の住所を言いました」
「なるほど。それなら大きなヒントがあるかもしれないので早く行ったほうがいいと思います」
「分かりました。埼玉県の田舎です。近くには親戚などもありますので叔父のことを聞いてみます。ただ、叔父は近所づきあいや親戚づきあいをしないので無理かもしれませんが」
「それじゃ、今から行きましょう」
「おれも行くぞ」しゃかりき丸が慌てて言った。
「もちろんだよ」
ぼくらは急いで荷物をまとめて新宿駅に向かった。
電車の中で、ぼくは、「カギはありますか」と聞き忘れていたことを思いだした。
「家のカギは預かっていませんが、昔の家ですから勝手口から入れると思います。つっかい棒を立てかけているだけです。
叔父は、忙しいときは近くのビジネスホテルを利用していましたが、自宅に帰るときに鍵を研究所に置きわすれても、勝手口をどんと叩けばつっかい棒は外れるんだと笑っていました」
「大事な書類はどこに置いていたのですか」
「書類は研究所に置いていました。自宅には大量の本を置いていました。
今言ったように、自宅は不用心ですから」
「それなら安心です。それと、ビジネスホテルはどこか分かりますか」
「2,3あります。名前も場所も分かっています」
「明日でも、そこへ行って、叔父さんはいつから来なくなったか聞いてもらえませんか」
「わかりました。
電車からバスに乗り換えてようやく自宅のバス停に着いた。あたりは畑や田んぼが広がる住宅地だった。
どの家も両隣とはかなり離れている。これなら隣に何かあっても気づきにくだろう。
家に着き、玄関を開けようとしたが、やはり閉まっている。ミチコは横の勝手口に行った。そして、上がガラスの戸を揺すった。すると、ガタンという音がした。
ミチコは、「開きました」と言ってぼくらを振り返った。得意そうな顔をしている。
しゃかりき丸が、「おれは誰か来ないか見ている」と玄関のほうに戻った。
戸を開けると、台所になっている。ただ、食卓と食器棚ぐらいしかない。
ミチコはすぐ書斎に向かった。確かに本は多い。ミチコは机にある本立てを見たり、書棚の引き出しを調べたりした。
それから、居間や寝室を見た。そして、「乱暴に開けたりした様子はありませんね。来ていないんでしょうか」と言った。
「勝手口のつっかい棒は元通りの場所にありましたね。それを元に戻すことはしないでしょうから、多分来ていないのでしょう。
それなら、ちかぢか来るかもしれません。いったん外に出ましょう」
ミチコは、元のようにつっかい棒を壁と戸の間に斜めに置いてゆっくり閉めた。確認すると戸は開かない。
しゃかりき丸は庭にある木のそばにいた。ミチコは、「それじゃ、私は親戚の家に行ってきます」と言ったので、「向こうに神社があるようなので、あそこにいます」と待ち合わせの場所を決めた。
ミチコが細い道を行くのを確認してから神社に急いだ。ぼくは家の中の様子をしゃかりき丸に説明した。
「来てないのか」しゃかりき丸が驚いて言った。
「多分来ていない。引き出しなどを開けた様子はない。もちろん、田舎の家の鍵なんてすぐに開けたり閉めたりできるから分からないけど」
「どうして来なかったんだろう」
「多分、ぼくが預かったバッグをどう取り返すかで頭が一杯だったんだろう」
ミチコが帰ってきた。親戚が3軒あるが、1軒だけ聞くことができたそうだ。
やはり「こちらから行くこともないし、向こうから来ることもない」ということだった。
今日は引き上げることにした。バスはあと30分待たなければならない。そこでぼくは、「何か気になるから、しばらくここにいる」と言った。
しゃかりき丸が、「じゃあ、おれもいる」と言ったが、ぼくは、「ミチコさんを守っていてほしいんだ。それに、おじいさんの世話もある」と答えた。

のほほん丸の冒険

第1章62
しゃかりき丸はしばらく黙っていたが、ようやく納得して、「何かあったらすぐ連絡してくれないか。すぐに駆けつけるから」と言った。
「ありがとう。やつらが来るかどうか分からないので一人で待ってみるよ。
おじいさんの世話を一人でしなければならないけどごめん」
「いやいや。大丈夫だよ」
「私もしますから」ミチコが言った。
「それは安心です。おじいさんも喜びます。2,3日の間、何も起こらなければすぐに帰るから」ぼくは、バス停に向かう二人に言った。
それから、もう一度叔父さんの家に向かった。誰も来ていないようだ。
家のまわりを調べながら、やつらが来なかったら叔父さんは捕まっている。来たら、やつらも叔父さんを探しているだろうと考えた。
とにかく家に入らなければやつらの話は聞けない。勝手口を揺すってつっかい棒を外して中に入った。
もう一度部屋の配置を確認することにした。台所の左は土間で、その前に8畳ぐらいの部屋がある。客が来たらそこに上がるのだろう。その奥は仏壇がある部屋がある。
台所の奥は居間のようだ。そして、右手は二つ部屋があって寝室になっていたようだが、今は叔父さんは二つとも書斎として使っている。専門的な本が山のようにある。
やつらが来たら、まずここを調べるだろう。それなら、ここにいればやつらの話を聞くことができるが、押し入れに隠れることは無理だ。
ぼくはあたりを見回したがどうもわからない。ようやく天井に上るしかないと思ったが、さて、どうするべきか。
ようやく押し入れの天井から入ることができそうだ。しかも、ふとんがあるので、うまく上がることができる。
天井は涼しくて、木造の家独特のにおいがする。懐中電灯を照らすと、屋根の骨組みがあるだけだ。ただ、動物のフンがかなりある。
頭を打たないよう骨組みを頭に入れた。懐中電灯が使えないからだ。
それから、下に降りて書斎を調べた。暗くなった6時頃に天井に上がった。
下の様子をうかがったが音はしない。ところが天井で音がする。ネズミだ。
かなり走っている。
これはぼくにとっていいことだ。やつらが天井の音を聞いてもネズミだと思ってしまうからだ。
結局その日は誰も来なかったが、今晩もここにいることに決めた。買い物に行き、準備をした。
夜来るとは限らないので、下にいてもすぐに天井に隠れる準備をした。
午後5時ごろだった。玄関のほうで何かの気配を感じた。がたがた音がしている。鍵を使っているのか。
ぼくは慌てて天井に上がり、しばらく様子をうかがった。確かに人がいる。
天井板の割れ目から下を見た。男の声がしている。やつらか。書斎に来た。あの声はぼくを監禁した若い男のようだ。
ぼくは隙間に目を近づけて見た。やはりあの若い男だ。すると、もう一人の男はしゃかりき丸の監禁に関係した男か。
腰をかがめて何をしているのか見ていると態勢を変えたときに、手が柱に当たってしまった。ぼくはそのまま動かなかったが、心臓が激しく打つのが分かった。
「何だ、あれは」若い男が天井を見あげた。「ネズミだよ。日頃誰もいないので、好き放題走りまわっているんだろう」もう一人の男が答えた。
「とにかく、手紙やはがきを探そう。親戚に連絡してるはずだから」
それから、二人は小一時間ぐらい調べた。何かをカバンに入れていたようだがが、それが手紙やはがきかは分からなかった。
しかし、ぼくは二人が話すことを一言も漏らさないように聞いた。
二人は帰ったので、天井から出た。
やはり、叔父さんを監禁していないようだ。ミチコにも逃げられたので、叔父さんの居所をどうしても知りたいわけだ。とにかく、バッグの中身を喉から手が出るほどほしいんだろう。
今午後8時だがバスはないので、朝のバスまで待つことにした。

のほほん丸の冒険

第1章63
ミチコの叔父さんの家でバスを待つ間にしゃかりき丸に電話をして、やつらが来たことを報告した。
しゃかりき丸は興奮して、「どうだった。どうだった」と聞きたがったが、やつらが戻ってきたり、このあたりの人に聞かれたりすることがあるのですぐ切った。
ようやく朝になったので注意しながらバス停に向かった。そして、2時間後にテントに戻ることができた。
ミチコとしゃかりき丸はぼくが無事に帰ってきたことを喜んでくれた。しゃかりき丸がテツに連絡してくれていたので、テツとリュウも待っていてくれた。
ぼくは、天井に上がり、あちこちにある穴から下を見る練習をしたことを説明した。案の定しゃかりき丸は目を輝かせて身を乗り出してきた。
ぼくは話しつづけた。「二日目に玄関のほうで誰かいるような気がした。耳をそばだてると、がちゃという音がしたので、すぐに書斎にある押し入れから天井に上った」
「合鍵を作っているんだな」テツが口をはさんだ。
「そうだと思います。話し声が聞こえていましたので、何人かいるんだなと思いましたが、明かりがついたので、書斎に来たのでよく見ると、一人は監禁されたときぼくを見張っていた若い男で、もう一人はしゃかりき丸を見張っていた男のようでした。こちらは少し年上のようでした。
他の部屋も見ていたようですが、大体書斎を中心に何か探していました。
その間に話をしていたのを聞いたのですが、ミチコさんを逃したことを上司からかなり怒られたそうです。
『あの子供らがしでかしたことだろうな』とか、『ずっと子供らから見張られている気がする』とか言っていました。
その時、天井をネズミが走りました。すると、『子供がいるんですかね。確かめましょうか』と若い男が聞いたので、ぼくは体が固まりましたが、年上の男が、『ばか言え。ネズミじゃないか』と言ったのでほっとしました。
それから、しばらく二人は何かを懸命に探していました。
また、若い男が、『やはり女と子供は知りあいで、最初から新宿駅でバッグを渡すことにしていたんですかね』と聞きました。
年上の男は、『親子か何かしらないが、たぶんそうだろう。そうでないと子供らがここまでしつこくおれたちのことを調べないだろう』とも言っていました」そう話すとしゃかりき丸が笑顔でうなずいた。
「結局あいつらは何を探していたんだ」テツが聞いた。
「そうですね。名刺入れなどはすでに持っていっていますが、親戚や知りあいなどの情報だと思います。天井からはよく見えませんでしたが、書類入れみたいなものをカバンに入れていましたから」
「何の目的だ」
「たぶんミチコさんやぼくらを監禁していたのはバッグを取りもどすためでしょうが、それができなくなったので肝心の叔父さんの所在を知るためだと思います」
「つまり、やつらも叔父さんを探してるのか」
「そうです。ミチコさんもやつらも叔父さんを探しているのです」
「そういうことか!」リュウが叫んだ。
「そうです。それと、はっきりは分からないのですが、そういうことを指示した黒幕みたいなものかあるような気がしてならないのです。個人か組織かは分かりませんが」
「そんなことを言っていたか」テツが聞いた。
「『社長が向こうに話したが、絶対見つけろと言われた』とか何回も言っていましたから」
「話が複雑になってきたな」
「叔父さんの研究を知っているはずですからね。それについてはミチコさんに一度聞いてみようと考えていました」
「私も用事があるときだけ呼ばれたので、すべての来客については分かりません。
今回も、のほほん丸としゃかりき丸を監禁した会社名を聞きましたが、初めて聞く会社でした。しかし、思い出してみます」ミチコが力強く言った。

ののほん丸の冒険

第1章64
ミチコはおじいさんの世話を毎日続けた。洗濯機はないので手洗いで洗濯をし、料理もした。
ただし、料理をするための家電はあまりなく、バッテリの冷蔵庫とガスボンベのコンロぐらいしかなかった。テツが鍋とか包丁や皿、そして、食材や調味料などを買ってきた。
ミチコはてきぱきと調理をしたが、おじいさんは、「これはうまい」と喜んだ。
ぼくらもご相伴にあずかったが、テツは、「おふくろの味だ」と叫んだ。
ぼくとしゃかりき丸やリュウは、「おふくろの味」という言葉は聞いたことなかったが、野菜をたっぷり使っていたので、やさしい味でおいしかった。
それで、「おふくろの味」とは野菜をたっぷり使った料理のことかと思った。ミチコの動き回る姿を見るにつれ、ミチコがぼくのママであればどれだけいいだろうかと思った。
しかも、その可能性は多分にあるのだ。ぼくが新宿駅で、花壇の端にすわってこのまま叔父さんの家に行くべきかどうか思案している時、思わずうつらうつらしてママの夢を見ていると、声をかけてくれたのがミチコだったからだ。
もちろん「このバッグを預かってくれない。すぐに取りに来るから」という切羽詰まった内容ではあったが、ミチコの出現はとても偶然とは思えないのだ。
ぼくとしゃかりき丸もおじいさんの世話を熱心にした。もちろん、時間があれば、ミチコの叔父さんをどう見つけるか毎日作戦を練った。
しばらくして、ミチコから話があると言ったので、3人で公園に行った。
「以前も言ったけど、来客があれば叔父から連絡があって研究室行くことになっていたの。研究室の掃除をしたりお茶を出したりしていました。
もちろん、予定の管理などもありましたが、電話で確認していました」
ここで、ミチコに聞きたいことがあったが黙っていた。
「来客は元々の知りあいや友人ですから、そう気をつかうこともありませんでしたね。
たまたま私が用事で行けなかったときに、来客があったそうです。その客がおいていったおみやげがあって、次行ったときに、叔父が、「これ作ってくれよ」と言いました。
『味噌煮込みうどん』だったと思います。叔父はうどんが好きだったのですが、
それを知っている人だったかもしれませんが、誰かは聞いていません。
来客を思いだしていたのですが、いろいろあったのであまりおぼえていません。おみやげを持ってくる客はあまりないので、思いだしたのかもしれませんが、私は見ていませんので、役に立つかわかりませんが・・・」
「味噌煮込みうどんってどこのおみやげですか」ぼくは聞いた。
「多分名古屋だと思います」ミチコが答えると、しゃかりき丸が、「名古屋の会社を調べるべきだな」とすぐに言った。
「二人で来ていたらしいですが、叔父に、『いくらでも資金を用意しますから、
こちらで研究してくれませんか』と言ったそうですが、叔父は絶対そのような話には乗りません。
今までもそう言われたことは何回もあるようですがすべて断ってきました。意にそぐわない研究はしないと言っていましたから。その後、その人たちが来たかどうかは聞いていません」
「その人間がぼくらを監禁した者と関係があるかどうかですね」ぼくは言った。
「やはりおみやげから調べるべきだよ」しゃかりき丸が持論を述べた。
「でも、味噌煮込みうどんはどこでも売っているんじゃないか」とぼくが言うと、しゃかりき丸が、「今の段階ではこれしかヒントはないよ」と譲らない。
「うどんが入っていた手提げバッグはおぼえていますか。その店で買ったのとどこかの駅のおみやげコーナーで買ったのとはバッグが違うような気がするのですが」ぼくはミチコに聞いた。
ミチコはしばらく考えていたが、「それはまったくおぼえていないですねえ」と申しわけなさそうに言った。
ののほん丸の冒険

第1章65
3人ともしばらく黙っていたが、ミチコが「ひょっとして包装袋に大きなお城があったかもしれないです」と言った。
「お城ですか」とぼくは聞いた。
「味噌煮込みうどんにお城なら名古屋城だ!」しゃかりき丸が叫んだ。
「うろ覚えですが、お城だったと思います」
「それなら、名古屋で買ったんでしょうね」
「名古屋の会社を調べようぜ」
「どんな会社を調べたらいいですか」
「ぼくらを監禁した会社は貿易会社でしたね。貿易会社や商社など同じような会社から調べたらどうでしょうか」
「調べてから、おれたちはどうしたらいいんだ」
「まだ分からないな。ぼくにお金を振り込んでくれる弁護士の先生に、『パパに連絡をして、軍事などを研究している会社を聞いてほしい』と連絡しているんだ。
それで、何か分かったら、そこと名古屋の会社と関係があるかどうか調べるんだよ」とぼくは説明した。
「なるほど。わかった。すると、おじさんは外国に連れていかれているかもしれないということか」
「そうかもしれないが、一番いいのはおじさんが自分でどこかに隠れていることだ。
それなら、おじさんは、ミチコさんに連絡を取りだろうな。しかし、ミチコさんはあいつらに捕まる寸前に携帯を捨てた」
「そうです。それに、親戚づきあいを嫌っていた叔父ですから親戚の電話番号を知りませんが、何らかの方法で親戚の電話番号を調べて電話をかけたかもしれませんから、親戚には私から電話をしました。
まだ叔父からは電話がないようですが、叔父から電話があれば連絡してほしいと頼んでいます」とミチコが説明した。
今のところはとりあえず名古屋の商社や貿易会社を調べることにしてテントに戻った。
いつものように3人でおじいさんの世話をしてから、ミチコはホテルに帰り、ぼくとしゃかりき丸はテントで休んだ。夕方、テツが一人で来て、おじいさんと話をした。
おじいさんが寝てからも、3人で話した。テツはおじさんの行方について話を聞いてくれた。
「外国に連れていかれたとなると、なかなか厄介なことだな。じいさんは、おまえたちの話を聞いて、自分で判断してあきらめることはいけないが、どんなことでも思うようになるまでは時間がかかるものだと言っていた。
困ったことがあれば、できるだけのことをしてやれとのことだから、遠慮なく言ってくれよ」とテツが励ましてくれた。
翌日からミチコは二日間用事があると言ってテントに来なかったが、三日目来てくれた。そして、「仕事がすんだら話しましょう」と言った。
おじいさんにお昼ごはんを出してから、また3人で公園に行った。
ミチコは、「名古屋の貿易会社を調べました。大きな会社は5社あって、全部世界的な商社の名古屋支店です。
その中の五大物産に知りあいがいたことを思い出したので、会社に電話しました。
まだ在籍していて、彼女が自宅に帰ってから話をしました。貿易会社のことはよくわからないが、どこの商社にも軍事部門はあるはずだと言っていました。それで、さりげなく上司に聞いておくと言ってくれました」
それに、携帯は監禁されたときに取り上げられた上に、自宅にもあいつらが来るかもしれないので、帰ることはできないが、何とか携帯を作ったそうだ。
さあ、後はパパからの連絡を待つばかりだ。

ののほん丸の冒険

第1章66
翌日、ミチコはおじいさんの世話が一段落すると、「公園に行きましょう」とぼくらを誘った。
「夕べ、五大物産にいる知りあいから電話があっていろいろ教えてくれました」とミチコが話しはじめた。
「部長の話では、どこの商社も防衛用の部品などを扱っているそうです。それを製造している軍需企業に売るわけです。
だから、商社が研究者を求めることはありません。それに、あなたの叔父さんは戦闘機とか戦車とかを研究しているわけではなく、核融合を研究しているので、どこかの大学や企業に頼まれたかもしれないとのことでしたね」。
「それなら、商社じゃなかったかもしれないわけですね」ぼくは言った。
「そうかもしれませんね。そのときのことをもう少し思い出すようにします」ミチコは申しわけなさそうに言った。
「叔父さんは外国に行くなどとは言っておられなかったのですか」しゃかりき丸が聞いた。
「ああ。そうですね。その時は聞いていなかったと思いますが、いつか「外国で研究したいと言うことはありましたね。『おまえも秘書としてついてきてくれるか』とか」
「ミチコさんはどう答えたのですか」ぼくが聞いた。
「『しばらくならいいですよ』と答えた気がします」
「日本にいるのか外国にいるのか分かったら動けるのになあ」しゃかりき丸が大きく出た。
「ミチコさんの叔父さんは味噌うどんが好きなことを知っていたということは研究室に何回も顔を見せているということになりませんか」ぼくは聞いた。
「そうですね。もう一度自分のメモを見たいです」
「それはどこにあるのですか」
「私の自宅です。でも、危険なので行けないんです」
「それはおれたちが得意とする分野ですよ。行きましょう」
「逃げてからかなり日数が立っていますから大丈夫ですよ」
「ありがとうございます。今まで友だちにお金を借りたりしていましたから、通帳を取りに自宅に帰らなくてはと思っているのですが」
「それなら、早く帰りましょう」
「そうですね。おじいさんの世話の間に帰ります」
翌日ミチコは、「こんな記事を見つけました」と言って新聞を見せてくれた。
そこには、「ドイツ警察は、ベルヒテスガーデンで国際テロ組織のアジトを見つけた」と書いてあった。何でもかつてないほどの広大な武器の製造工場があったそうだ。
しかも、そこでは小型の核兵器が作られていて、最終段階まで行っていたそうだ。さらに驚くべきことに世界中から大勢の研究者が集まっていて、アジア系の人間も3人いたと書かれていた。
「アジア系の人間の名前はまだ出ていませんが、ちょっと心配になっています」とミチコは言った。
「テロ組織って何だい」としゃかりき丸が聞いた。
「ぼくもよくわからないけど、密かに国内や外国で破壊活動をして、相手を混乱させる組織じゃないかな」
「じゃ、それを核兵器でしようとしていたのか」
「多分そうだ。そんなことが起きたら、社会はとんでもないことになる」
「でも、そんな組織にミチコさんの叔父さんがいるわけないぜ」
「そう思いたいです」
「叔父さんの研究は核兵器に関係することだったのですか」ぼくは尋ねた。
「詳しいことは分かりませんが、石油などの化石燃料を使わずに電力を作る研究だと言っていました。
ただ、『恐ろしいものができたけど、誰にも言わないことにする』と小さな声で言っていたことを思い出しました。
しかし、叔父は天才ですから、私が聞いても分からないので、どんなことかは聞きませんでした。
それに、もしアジア人の中に叔父がいたら、逮捕されるでしょうから、いずれ日本に帰ってくるかもしれないと思います」
ぼくは、ミチコはぼくらを安心させるためそう言ったと思った。しかし、違ったのだ。

ののほん丸の冒険

第1章67
ドイツで摘発された国際テロ組織のニュースは毎日流れた。ミチコはホテルのテレビを見るだけでなく、テントに来るときに新聞を買ってきた。
ぼくらはそれを隅から隅まで読んだが、組織そのものについては新しく分かったことは書かれていたが、そこにいる研究員のことはまだ捜査中なのか新しいことは書かれていなかった。
三日後、世界から10人の研究員がいたことが報道された。アジア人は3人で、中国人、インド人、日本人それぞれ一人ずつだった。しかし、3人とも名前はなく、年令だけで、日本人は36才だった。ミチコの叔父さんは68才なので、本人とはちがうようだ。
ぼくらはミチコにどういう言葉をかけたらいいのか分からなかったが、まだ新しいことが出てくるはずだから待っているしかないのだ。
その晩夢を見た。ぼくはミチコ二人でドイツにいた。どこかの街からバスに乗った。車内はもちろん外国人ばかりでほぼ満員だった。みんな楽しそうにしゃべっているので、それとなく見ると、どこかに観光に行く団体のようだった。
ぼくらも、登山をする恰好をしていたので、親子で山に行くのだろうと思われているはずだ。ただ、ぼくとミチコだけが黙って前を向いている。
バスは郊外に出て、住宅地から広々とした平野を走った。遠くに山が見える。それに向かって走り続けている。
やがてバスは曲がりくねった坂を上りはじめた。いつの間にか森の間を進んだ。
バスの中が静かにになったので、ちらっと見ると、みんな寝ているようだ。
「この山の中にあるのでしょうか」とぼくは小さな声でミチコに聞いた。
「多分そうね」ミチコも小さい声で答えた。
ミチコと二人でドイツにあるアジトに向かっているのだ。名古屋にある商社の知りあいから電話があり、摘発されたアジトからかなり離れた場所にも核兵器の研究所があると車内でうわさになっていると言うのだ。
もし中心の研究所が見つかっても、予備のための研究所を作っているらしい。
そこに連れてこられた研究者がいれば、叔父さんもいるかもしれないと知りあいは言っているのだが、そんなことはあるのだろうかと思ったが、「それなら、そこに行きましょうか」とミチコに言ったのだった。
ミチコは、道路に表示があれば、すぐに手元の地図を見た。やがて、運転手のところに行って降ろすように頼んだ。ぼくらが降りる時、乗客全員は別れを惜しんでくれた。
道路はまだ登り坂が続いていた。どこにも建物はなく、両脇は木が密生していた。
しばらくバスの後を追うように歩いたが、標識が立っているのを確認すると、ミチコは地図を見た。左に車一台通れるぐらいの細い道があったので、「この道を行くようよ」と言った。
バス道を車が通らないか確認して、さっと細い道に入った。ぼくは、「どのくらい歩きますか」と聞くと、ミチコは、「5キロあるから、1時間ちょっと歩くわね」と言った。それから、お互い何も言わずに黙々と歩いた。
ミチコの話では、道からは見えにくい場所に第二の研究所はあるらしい。しかも、建物は平屋で草に覆われるように立っているとのことだ。どうして名古屋の商社でうわさになっているのかは知らないが、そこにミチコの叔父さんがいるかもしれないというのだ。
二人は見逃さないように歩いた。しかし、頭の中でドイツの空港でのことを思い出した。ぼくのパスポートをミチコに預ける時、ぼくの本名を見たはずだが、ミチコは何も言わなかった。ミチコがぼくのほんとのママなら、何か感じて、ぼくを見直すはずだと思ったが、そんなことはなかった。
突然、ミチコがぼくを制した。道の横に入り大きな木に隠れた。「あそこ」ミチコが指さすほうに、確かに人口物らしきものがあった。
ぼくは、「見てきますから、ここで待っていてください」と言って一人で密生している木の間を進んだ。
確かに背の低い灰色の建物があった。用心しながら進んだが有刺鉄線で囲まれているので、近くまではいけないことが分かった。
目を凝らしてみていると、いくつもの人影が動いている。ぼくは、ここにミチコの叔父さんだけでなく、パパもいるような気がしてきた。
急いでミチコがいるところに戻ろうとした。すると、遠くで犬が激しく鳴いているのが聞こえた。ミチコさん!と叫んだ時、夢が覚めた。
ののほん丸の冒険

第1章68
ののほん丸は、目が覚めるとふっーと息を吐いた。しばらく何も考えられなかったが、もう一度息を大きく吐くと、少し考えられるようになった。
夢というものはいつも突然はじまり、突然終わるものだ。しかも、訳も分からない話が続くが、心のどこかに引っかかっている人や物が出てくる。
逆に言えば、その人や物が夢を見させているのではないかと思えるのだ。
ミチコの叔父さんは、きっとミチコの夢にも出てきてるだろう。それなら、ミチコの叔父さんはドイツにいるかもしれない。
新宿駅でうつらうつらした時もぼくの夢にママが出てきた。ママがミチコかもしれないと自分で思うきっかけも夢を見たからだ。夢の中でぼくの名前を呼んだママの声と、ぼくを見て、「このバッグを預かって」と言ってどこかに走っていったミチコの声はそっくりだった。
ぼくは家族と離れ、ずっと施設にいたから、夢に特別な意味をもとうとしているだけかもしれない。
施設の先生は、夢を持ちつづけていれば、必ず実現すると言っていたが、寝て見る夢はどうなのだろうか。それを信じて行動をすればいいのか。
それは分からないので、とにかくミチコの様子をそれとなく見ることにした。朝からミチコはおじいさんの世話を一生懸命していた。ぼくは、すきを見て、「いつでも家に行けますよ」と声をかけた。
「ありがとう。夕べまた知りあいから電話があったのでお話しします」と答えたので、テツやリュウが来ると、3人で公園に行くことにした。
「夕べの電話では、誰かが研究者を集めていたらしいという話です」
「叔父さんの場合と同じですね。どこの会社か分かりましたか」ぼくは聞いた。
「具体的なことは分からないようです。大学や企業に属している研究者ではなく、フリーで研究している人をターゲットにしているようなので、商社などは直接会うことはあまりないので、それ以上は分からないそうですが」
「叔父さんと同じような立場の研究者を知っていますか」
「研究所に個人の人が来た記憶はないですね」
「その人が分かれば、その人に連絡すれば何かわかるかもしれませんよ」
「そうですね」
「明日行きましょう。実は夕べ叔父さんを助ける夢を見たんですよ」しゃかりき丸がそう言ったので、ぼくは思わずしゃかりき丸の顔を見た。
「おれとののほん丸の二人でドイツのアジトに乗りこみましたよ。トロリストたちは慌てておれたちを機関銃のようなもので攻撃してきました。
おれたちも機関銃で応戦しました。10人近くいたテロリストが逃げたので、二人で叔父さんが監禁されている部屋を探したのですがまったくわかりません。
ただ、他の研究者たちは助けることができました。
またやつらが戻ってくる音が聞こえたのであわてているところで目が覚めた」しゃかりき丸はなぜか得意そうにぼくを見た。
ぼくはそれには答えないで、「テントに戻ったら、テツに明日おじいさんの世話を頼みますよ」とミチコに言った。
「わかりました」とミチコは納得した。
テツは、「お安いご用だ。元々おれたちがやっていたことをミチコさんにお願いしているのだから、何でもないよ」と心安く承諾してくれた。
ミチコの家は町田市にあり、新宿から40分で着いた。
電車の中で、「家は親戚から借りています。家賃は少し払っていますが、この2か月は払えなかったので親戚に電話すると、『そんなことはどうでもいいよ。何かあったのか心配だったので見に行こうと思っていた』と言っていました。
監禁されていたと言うとびっくりしていましたね。『よく助かったわね。警察に行ったの』と聞いていたので、お二人に助けてもらったことを説明しました。
叔父のことも心配して、『早く警察に行かなきゃ』と言っていましたので、家を見てからそうします」と話した。
駅前からバスに乗り20分ぐらいで住宅地に着いた。「あの青い屋根の家です」とミチコは言った。

ののほん丸の冒険

第1章69
ぼくらはミチコの家に向かったが、走ったりしないようにした。そこは住宅地なので人や車の往来は少なかったが、この近くに住んでいる親子が歩いているようにしたかったのだ。
昼間からやつらが来るとは思えないけど、用心には用心しておかなければならない。
家に近づくと、家のまわりは高さ1メートルぐらいの石垣があり、その上にも短い木が植えてあった。そして、門扉がある。ぼくはミチコに、「どうして家に入れますか」と聞いた。
「門扉のキーと玄関のキーは取られてしまったのでないのですが、スペアは置いています。玄関の左側に植木鉢が4つあります。右から2番目の植木鉢を上げてもらうとビニール袋があります。そこに入れています」
「それなら、おれが取ってくる」としゃかり丸が道を渡った。そして、あたりを見てから石垣の上に飛び乗り庭に降りた。
そして、すぐに出てきた。「あった、あった」と小さな声で言って、ミチコに渡した。
「ありましたか。すぐに見てきます」ミチコは急いで家に向かった。ぼくらも道を渡った。
門扉はすぐに開いたので、ミチコはすぐに入った。ぼくらも続いて入り、門扉を閉めて、錠を回した。
それからミチコは玄関のキーをそっと回した。玄関も開いた。そのまま家に入った。
ぼくとしゃかりき丸は、門扉の左右に分かれて身をかがめた。
10分ぐらいで玄関がゆっくり開いてミチコが出てきた。旅行バッグを持っている。しゃかりき丸がすぐにそれを取った。それから、門扉を少し開けて前や左右を見て外に出た。
3人は何も言わず、今度は速足でバス停に戻った。バス停に着くと、4,5人の人がバスを待っていた。
ぼくらはその陰に隠れるように立った。ミチコは「ありました。誰も来ていないようです」と小さい声で言った。ぼくとしゃかり丸は黙って頷いた。
5分ほど待つとバスが来た。バスの中でも何も話さなかった。
電車に乗ると乗客が少なかったので、しゃかりき丸はあたりを見て、「やつらは来ていないみたいですか」と小さな声で聞いた。
「そうです。荒らされた形跡はまったくありませんでした。それで、急いでメモとか服をカバンに詰めてきました」とミチコが答えた。
「携帯は取られたんですよね」しゃかりき丸がまた聞いた。
「そうです。電話番号も見たでしょうが、友人の番号しか入れていないのであきらめたかもしれませんね。
それに、監禁されている間は、叔父のことを自分の父親と言いつづけていたので、それ以上携帯を調べなかったのかもしれませんね。
とにかく私の口から聞きだそうとしたのでしょうが、ほんとに私もわからないのですから、相手も困っていたようです」ミチコは少し笑顔で答えた。
「それはうまくいきましたね」ぼくも笑顔で言った。
ミチコはしばらく自分のメモを見ていたが、「叔父と同じように一人で研究していた人が3人ほどおられましたが、幸い電話番号も書いていましたので、後で電話してみます」と言った。
ぼくらは、そのままテントに戻っておじいさんの世話をすることにした。
テツとリュウがいたので、ミチコの家のことを話した。
テツは、「それはよかった。何か分かるかもしれないな」と喜んでくれた。
翌日、おじいさんの世話がすむと、ミチコが、「公園に行きましょう」と誘った。
「二人が電話に出ました。叔父のことを心配してくれました。ただ、二人とも
それぞれ別の研究をしているので、叔父の研究は詳しくありません。
それに、自分の研究について話すことはあまりなかったようです。お互い研究の邪魔をしないようにしていたようです。時々、息抜きのために世間話をしていたようです。
私が研究所にいる時に3人の誰かから電話がかかってくることがありましたし、また、叔父に、誰かに電話するように言われることもありました。
しかし、3人目の方は、何回かけても電話に出られないのでちょっと心配しています」ミチコの顔が曇った。

ののほん丸の冒険

第1章70
ミチコはそれから何回も電話をしたそうだが、誰も出なかった。
ぼくは、「どこの人ですか」と聞いた。
「北海道です」
「北海道ですか。少し遠いですね。でも、行きませんか」とぼくはすぐに言った。
ミチコは驚いた顔をしてぼくを見た。「しかし、費用がかかりすぎます。ずっと電話しますから」
その日はそのままテントに帰って、おじいさんの世話をした。それから、数日、ミチコは電話をしたが、連絡は取れなかったようだ。
不確かなことでお金を使うことを遠慮しているはずだから、ぼくは北海道に行くことを強く勧めることにした。
案の定、ミチコは「これ以上お金を出していただくことはできません。返すと言っても受け取らないのですから。それに、住所もはっきりおぼえていません
」と断った。
よく聞くと、5,6年前、ミチコの叔父さんがその人に北海道まで遊びに来るように言われたとき、「何かのビルを右に曲がり、それから、次を左に10分ぐらい歩いた小さなビル」と言っていたような気がすると言ったので、それなら、時間をかければ見つかりますよ。
お金はパパが送ってくれたのがありますから大丈夫です。ここで寝泊まりさせていただいているので、使うこともありませんから」とミチコが断れないように言った。
ようやく、ミチコは自分一人で行くことで了承した。一番心配していたおじいさんの世話も、ぼくらがすることで納得したのだった。
ほんとは、ミチコと、ぼく、しゃかりき丸の3人で行きたかったけど、仕方がない。ミチコからの報告を待つことにした。その結果にしゃかりき丸はとても残念な顔していた。
ぼくは、行くことに決めた以上は飛行機で行くべきだと主張したので、ミチコはそうした。
翌日の夜電話があった。「昨日は昼過ぎについたのでよく調べられませんでしたが、今日は朝から歩いて、見つけましたよ」と声が弾んでいた。
「ほんとですか。研究所はあったんですか」と聞くと、「ありました。でも、誰もいませんでした。それで、管理会社に連絡すると、『解約はされていません』と言うので、事情を話して、借主を教えてもらいました。叔父の友だちでしたのでまちがいありません。
しかし、契約書の住所を教えてくれたのですが、電話ができたい番号なので、本人と連絡は取れていません。それで、明日、自宅らしき家に行ってきます」
と報告した。
「ミチコさんはすごいな。どんどんやっている。後は明日の結果待ちだ」しゃかりき丸も聞き耳を立てていたのだ。
翌日午後8時。いつものように定時にミチコから電話が来た。「札幌から電車で2時間ほどかかりましたが、奥様と会えました」と言ったので、しゃかりき丸が急いでぼくのそばに来た。
「奥様がいました。70才ぐらいの上品な方です。最初不安そうな顔をされていましたが、訪問の理由を言うと、『すぐ上がって』と言われました。
それから、奥様はご主人がいなくなったことを話してくれました。帰らなかった日は、私がののほん丸にバッグを預けた後監禁された日の数日後だったようです。
帰らないので心配になって電話しても出ないので、夜遅く研究所まで行かれたそうです。
ドアは閉まっていたので、スペアキーで開けたそうですが、どこも異常がなかったということです。
年に一回ぐらい、アイデアが浮かぶと家に帰る途中でも電車を降りて近くのホテルに泊まってアイデアをまとめることがあったそうですが、そんなときでも、
時間がたっても電話がかかったのですが、その日からまったく電話もないとおっしゃっていました。
すでに電話は呼び出しもできないし、知りあいに位置情報を調べてもらっても、分からないようです。
警察に行方不明の捜索を頼んだのですが、事件性がないということで受理されませんでした。ただ、身元が分からない死亡者がいれば連絡しますという返事だったそうです」
「叔父さんと一緒ですね」ぼくは答えた。
「そうですね。それから、行方不明になる日の前後のことも聞きました」

ののほん丸の冒険

第1章71
ミチコは、「詳しいことは帰ってから話します」と言って電話を切った。
次の晩かかってきた電話では、「ご主人が行方不明になる1か月ほど前に、叔父が言われたような話があったと奥様が思いだしてくれました」と切り出した。
『主人から聞いたのですが、誰かが研究所に来て、ある研究所で自由に研究しませんか』と言われたそうです。
ご主人は誰からも制約されずに研究したいと言って大学をやめたそうですから、奥様は、そんな誘いを聞いても絶対受けないだろうと思っていたので、『断ったの』と軽く聞いたそうです。
『大学は雑用が多いから辞めたんだが、話では、そこは民間の研究所で、予算はいくらでも出すと言っているんだよ』と少し迷っているようにも見えたそうです。
ご主人は一度決めたら絶対考えを変えない性格だそうで、奥様は何も言わなかったら、ご主人は、『日本ではないらしいけど、契約は3年で、それがすんだら日本に戻ってもいいらしいよ』と、奥様の考えを求めるような雰囲気で聞いてきたそうです。
それで、『大丈夫なの。研究が戦争とかに使われたりしないの』と聞くと、『それはないそうだよ。もう少し詳しく聞いてみるけど』で話は終ったそうです。
それからは何も言わなくなったので、奥様もその話はすっかり忘れていたらしいけど、私が、『行方不明の前に何か心当たりはありませんでしたか』と聞いてたので、思いだしたようです。
それから1か月ぐらいして、ご主人が、突然行方不明になったんです」
「ほんとに叔父さんの場合とよく似ていますね。誰が誘ったのか分からないですか」とぼくは聞いた。
「それも聞いたのですが、ちゃんと聞いていなかったと言っておられました」
「名刺などは残っていないのでしょうか」
「行方不明になってから、気が動転して警察に行ったり、知りあいに聞いたりしたので、どこからか連絡がないか家で待っていたようです。
それで、叔父もまだ見つかっていませんが、メモで叔父を誘ったかもしれない会社の連絡先があったので、今調べているところですと言いました。
それに、私の場合は、研究論文が入ったバッグを取ろうとする男に誘拐されてしまったのですが、直前にバッグを預けた少年に私も監禁された家から助けだしてもらったことも説明しました。
お互いあきらめずにがんばりましょうと言うと、奥様は泣きだされて、何度も
頭を下げられました。
それで、幸い研究所には誰も入った様子はないようなので、名刺があるかもしれないと言うと、『一緒に探してくれませんか』と頼まれましたが、どうしましょうか」
ぼくは、「一緒に探してください。おじいさんのことを心配されているようですが大丈夫ですよ。
テツやリュウだけでなく他の人も来ておじいさんの世話をしています。
ぼくとしゃかりき丸は少しずつ料理もしています。おじいさんも、うまいと言ってくれています。もっとも、おじいさんが、うまいと言うのは、デパートの割引弁当を食べた時だとテツに言われましたが」と言った。
翌日の夕方、ミチコが帰ってきた。「ありがとうございました」とおじいさんやぼくらにお礼を言って、すぐ片付けなどをした。それから、近所のカフェに行くことにした。
「それらしき名刺がありました」とミチコが言った。ぼくとしゃかりき丸は、思わず、「えっ!」と叫んだ。
ミチコは、「部屋の中はかなり乱雑になっていたので、二人で3時間以上かけて片付けて、ようやく名刺箱を見つけました」そこまで言ってから、あたりをチラッと見て、1枚の名刺を取り出した。そこには、「藤沢健人 モンド商事名古屋支店」と書かれていた。
「こいつがその人を誘ったのですか」しゃかりき丸が聞いた。
「確かではないですが、お土産に持っていった味噌煮込みうどんから名古屋付近の会社ではないかと思って、名古屋の別の貿易会社にいる知りあいに連絡した時にも、この会社の名前が出ていました。
他にも10件近くの会社がありますが、同じ行方不明の人の研究所にもあったのですから、とりあえず調べなければならないかと思いました」
「そうですね。ぼくらを監禁したものと関係があるかどうかですね」と僕が答えると、しゃかりき丸が、「こりゃ。おもしろくなってきたぞ」と小さな声で叫んだ。
「奥様とも常に連絡を取りましょうと約束してきました」ミチコも力強く言った。

ののほん丸の冒険

第1章72
ミチコが札幌にいる間に、奥さんに、ようやく見つけた名刺の相手に連絡しましょうかと聞くと、奥さんは、「もう少し調べてから私から電話します」と答えたようだ。
研究者の主人が行方不明になったことと名古屋の会社の名刺があることは関係がないかもしれないので、奥さんが、もう少し調べます、もう少し待ちますと答えたのは正しいことだと思ったミチコは、「何か困ったら連絡してください」と言って帰ってきたのだ。
数日後、奥さんから電話があった。ミチコの話では、奥さんは、同じ階にある三つの会社に出向いて、事情を話して何か知らないかを聞いた。
ご主人はつきあいをしないほうなので、どの会社も分からないと答えたが、ある会社の女性社員が、共同給湯室に行ったとき、日本人と外国人の二人が研究所に入るのを見たと言った。それは行方不明になる1か月ぐらい前で、しかも、
同じ日本人と外国人を1週間後ぐらいにもう一度見たそうだ。
それで、奥さんは名刺の電話番号に思いきって電話した。すると、用件を聞いた担当者は、「確かに藤沢健人は在籍していますが、今はハンブルグに転勤になったという返事だった。
仕方がないので、奥さんは、「どういことで来られたのか分かりますか」と聞くと、「本人でなければ分かりません」というばかりで、「外国人を連れてこられていましたが」と聞いても、「そういうこともあります」とつれない返事だったそうだ。
ぼくとしゃかりき丸はじっと聞いていたが、奥さんが気の毒になった。
ぼくは、「ミチコさんの話を聞いて、自分も何とかしようと考えたんですね」と言った。
ミチコは、「いいえ。私の場合は、あなたたち二人が助けてくれたから、今日までやってこられました。
それは奥様にも言いました。『みんなで助け合っていきましょう。そうすれば奇跡が起きるかもしれませんから』と」と慌てて言った。
「おれたちは何でもしますよ。でも、もう少しとっかかりがほしいなあ」としゃかりき丸が悔しそうに言った。
「名古屋の知りあいに、この会社のことを聞くつもりです」ミチコが答えた。
しばらく、北海道からも名古屋からも連絡が来ず、3人は、お爺さんの世話などを黙々と続けた。
ただ、ミチコは、ぼくらに、「自分の将来を考えてくださいよ。おじいさんも一人前の大人になるように願っているのですから」と言うことがあった。
自分たちのことで大切な時間を台無しにしてほしくないのだろうと思うが、今目にある問題の解き方はどの学校に行っても教えてもらえないはずだ。しかもこの問題には、多くのことが絡みなっているので、それらを一つ一つほどいていかなければならないのだ。
これはミチコには言えないけど、学校よりよほどおもしろいし、よほど役に立つ。
昔、施設にいた時、「学校の勉強は社会で役に立つのか」と言う勉強嫌いがいたけど、学校の勉強より役に立つことはあるような気がする。それに、ミチコがぼくのほんとのママかどうかもまだ謎のままだ。
テツが、ぼくらのことを心配して、「今どうなっているんだ」と聞いてきたことがある。ぼくらは、札幌のことも含めて説明した。
数日後、テツが、「じいさんが話があると言っている」と呼んだ。
3人でおじいさんのところに行った。おじいさんは体を起こしてぼくらを待っていた。
「ミチコさん。いつもうまいものを作ってくれてありがとうな」と言った。
「テツから聞いたが、北海道にも行方不明になった人がいるそうじゃな。
ミチコさんは叔父さんのこともあるのに、その奥さんのために北海道にも行ったと聞いている。
苦しい毎日を送っていることと思う。ただ、物事が進展しないと誰もがやきもきするものであるが、それを無駄な時間だと思うことはない。
この世に存在するものは、途方もない時間をかけて今のような形になっている。物事もしかり。時間をかけて動く。
そのときのために、今日何をすべきか考えることじゃ」おじいさんはぼくらにそう教えてくれた。それから数日後、物事が動いた。

ののほん丸の冒険

第1章73
ミチコは、名古屋の商社にいる知りあいからが驚くべき情報を聞いたのだ。
それによると、摘発されたドイツのテロ組織に関係している者が日本に来ているのではないかというのだ。
会社の上司の話では、東京本社に警察から電話があってあるドイツ人を知らないかと聞いてきたそうだ。その時、警察はドイツのテロ組織の関係者だと言ったようだ。
しかし、名古屋支社は国際取引はあまりしていないので、そう大きな話題にはならなかった。
だから、上司は、名前などの具体的なことは言わなかったので、知りあいもそれ以上は分からないとのことだった。
しゃかりき丸とぼくは、遠くで起きていることが突然目の前にあらわれたような気道になった。
「どうして日本に来たのだろう」しゃかりき丸が聞いた。
「何か急ぐ理由があるはずだ」ぼくもそうとしか言えなかった。
「そうそう。偽名を使っているとか言っていましたね」ミチコが言った。
「最近はテロ組織の記事は少なくなってきているんですか」とぼくはミチコに聞いた。
「そうですね。私は英語も分かりませんから、日本の新聞をいくつかホテルで見るのですが、最近はあまりありません。
知りあいは英語が堪能ですから、聞いてみたいのですが、そうそう連絡もできませんので困っていました。
その話が本当なら、どうして日本に来たのか知りたいですね」
「そうだよな。日本はテロとはあまり関係ないし、それにドイツ人なら日本では目立ってしまう。それが分かっていてなぜ日本に来たのか」しゃかりき丸は推理をはじめた。
「わかったぞ。ミチコさんの叔父さんも北海道の研究者もまだ日本のどこかにいるということだ」
「つまり」とぼくが聞いた。
「つまりだ。ドイツのアジトはなくなったので、今日本のどこかで監禁している二人、あるいはそれ以上の研究者を新しいアジトに連れていくために来たのだ」
「それは考えられるな」ぼくはしゃかりき丸の推理に驚いた。絵に描いたような流れだったからだ。
「そうだろう」しゃかりき丸は得意そうに言った。
「日本の警察がそのテロリストを捕まえて、すべて白状したら、全員解放されるはずだ」
「でも、うまくいくかどうか。テロリストは厳格な訓練を受けていると聞いたことがある。捕まったとしても、そう簡単には自供しないだろう。
しかし、ドイツから連絡が来たのだろうが、そのドイツ人がテロリストだと分かったのはすごいことだ」
その夜、北海道の奥さんから、また驚くべき情報が来た。見知らぬ外国人が家に来て、片言の日本語で、「ご主人はどこにいますか」と聞いたそうだ。
奥さんが、「いませんが、あなたは誰ですか」と聞くと、「ジェームズ・ミラーと言います。
大学の用事で札幌に来たので、研究所に寄ってみました。しかし、留守なので、ご自宅にお邪魔しました」と言った。
奥さんは少し迷ったが、主人のことで何か情報を押せてくれるかもしれないと思って、1か月以上行方不明であることを伝えた。
それを聞いたジェームズ・ミラーと名乗る男はひどく動揺したそうだ。
ようやく、自分のほうでも調べてから、あさってもう一度来ると言って帰っていった。
「自分らで誘拐したのではなかったのか。それとも芝居をしているのか」しゃかりき丸も不思議がった。
遠く外国で起きていた事件が急に目の前に来たようだった。
「自分らが誘拐していたのなら、わざわざ家まで来ないような気がしますね。
それとも、何か探(さぐ)っているのだろうか」ぼくは自分の考えを言った。
「どんなことを」
「たとえば、警察が捜査しているのかどうか」
「なるほどね。警察が捜査していないのなら動きやすくなるな。とにかく、あさってもう一度来るらしい」
「よし。明日北海道へ行こう」ぼくは二人に言った。

ののほん丸の冒険

第1章74
ぼくが、「明日北海道へ行こう」と言うと、しゃかりき丸は、すぐさま「賛成。おれもそう思っていたんだ」と大きな声で言った。
しゃかりき丸がそう言うのは予想していたが、ミチコがぼくらが北海道でとんでもないことをしでかすのではないかという心配を払拭させなければならない。
それで、「待てば海路の日和ありという言葉あるけど、今チャンスが来たと思うんだ」ぼくは、ミチコを見ながら言った。
「それはどういう意味だ」案の定、しゃかりき丸が聞いてくれた。
「意味はよくわからないが、この前、おじいさんが言っていた。多分何事もあせるな。待っていれば必ずチャンスがあるという意味だと思うけど、そのチャンスが今なんだ。だから、今急がなければならないんだ。そうですよね、ミチコさん」
ミチコは、「意味はそうだと思います」と認めざるをえなかった。
ミチコの後押しで、ぼくは話を続けた。「ミチコさんは奥さんにぼくらが行くことを連絡しておいてくれますか。そして、成功するためのは多くの情報を集めることが必要ですから、いろいろ聞きたいことがあります」
ミチコから、研究所の場所や自宅など聞いてから、ありとあらゆることを想定して作戦を練った。
「何人いるのだろうか」
「警察も追っているから、そんなに人数はいないだろう」
「でも、元々日本の研究者を集めていたなら、そういう連絡場所もあるはずだから、人数もある程度いるだろう」
「肝心なことは何しに来るのかということだ」
「ドイツのアジトが摘発されたので、ドイツか他の国にあるアジトに連れていくのだ」
「それじゃ。叔父さんやご主人は日本のどこにいるかもしれない」
「それより、そのテロリストが叔父さんたちの居場所が分かっていたら、研究所や自宅に行くのはおかしくないか」
「なるほど。分からないから来ているのか」
「うーん。何が起きているのか。まったく予想がつかないない。ミチコさんはどう思いますか」
「研究所の中は誰かが入った様子はないと奥さんは言っていましたね。すると、監禁場所は分かっているかもしれませんね」
「今回はぼくらが子供であることが有利に働くかもしれないな」
「それは言える。ただし、ぼくらを監禁したものと関係がなかったらの話だけど」
「それは言える」
「一つ気になるのだけど、警察に連絡しなくてもいいのかしら」
「ぼくも、それをちらっと考えましたけど、警察が追ってるというテロリストと奥さんの家に来た外国人が同一人物か分かりませんから、それを確認できるまで時間がかかります。
明後日その外国人が来るのですから時間がありません。とにかく調べなければなりません。
もちろん同一人物なら警察でないと逮捕できませんから、すぐに警察に連絡をするつもりです。それで、ミチコさんお願いがあります。このまま北海道に行きますから、後を頼みます」ぼくはミチコに頼んだ。
ミチコはぼくの勢いに押されて、「分かりました。おじいさんには私から言っておきます。とにかく無理をしないで」と答えた。
ぼくとしゃかりき丸は急いで羽田空港に向かった。ようやく羽田空港に着いたが、今度は飛行機のチケットを買わなければならない。まずここで子供であることを利用することにした。
案内所に行って、「出張先のパパが危篤になったので急いで札幌に行きたいのですが、チケットの買い方がわかりません。千歳空港にはママが待っていてくれます。何とかなりませんか」と頼むことにした。
スタッフはあちこち電話してすぐ出発する飛行機を調べてくれた。チケットもすぐに買うことができた。
出発時間は10分遅れたが、2時間後には新千歳空港に着いた。急いで到着ゲートを出ると、年輩の女の人が近づいてきた。

ののほん丸の冒険

第1章75
おばあさんと言ってもいい女の人が小走りで目の前にあらわれた。「ののほん丸としゃかりき丸ですか」と笑顔で聞いた。
「そうです。おれがしゃかりき丸で、こっちがののほん丸です」としゃかりき丸が答えた。
女の人は笑顔のままで、「わざわざ来てくれてありがとうございます。ミチコさんからはお二人のことをはよく聞いています。あっ、私は佐々木です。よろしくお願いします」と言ってから、「ここでは何ですから、どこかで話しましょう。何しろ、私たちはお尋ね者ですからね」と笑った。
そこで、空港の端にあるカフェで話をすることになった。ぼくらは、改めて挨拶したが、明日の昼にはテロリストかもしれない外国人がもう一度家に来るということが三人の頭に浮かんで緊張した雰囲気になった。
ぼくは小さな声で、午前中、ミチコさんと話しあったことを佐々木さんに説明した。
そして、「どんな外国人でしたか」と聞いた。
「男は40才前後で、ジェームズ・ミラーと自己紹介して、『アメリカ人です』と言っていました。日本語は上手でしたので、主人がいなくなったことを話しました。ひじょうにびっくりしていましたが、『警察に届けたか』を何回も言っていましたので、私は事件かどうか分からないので警察は受けつけてくれないと答えました。今考えたら、どうして警察のことを何回も聞いたのか不思議に思いますけど」
「そこなんですよ。警察は慎重ですから、あの外国人はテロリストかもしれないと言っても、警察はすぐには動いてくれないと思うんです。まずそこをぼくらでやろうと思うんです」
「ミチコさんから聞いていたとおりですね」佐々木さんは目をきらきらさせて言った。
「あなたたちは、監禁された時も、相手を翻弄して逃げたそうですね。そして、ミチコさんも見つけ出して助けたのね。
ミチコさんはほんとに感謝していました。それで、あなたたちのことを聞いたとき、主人を助けてもらえるかもしれないと期待しました。
でも、テロリストと聞くと、お二人にそんな恐ろしい目に合わせたくないからお断りしたほうがいのではないかと思うようになっているんです」
「もしテロリストなら問答無用で目的を達成するイメージがありますから、心配しますよね。
ぼくらが監禁された時も殺されるのではないかとびくびくしていました。しばらくして、相手はなぜぼくを監禁したのか考えるようになって、それをうまく使ったら殺されたりはしないと気がついたんです。そして、相手の隙を見つけて逃げることができたわけです。
おじいさんに、あっ、ミチコさんが世話をしているおじいさんに言われたことですが、そのおじいさんに、『おまえは、敵を知り己を知れば百戦危うからずという孫子の教訓を生かしたんじゃ』と言われました」
「おじいさんのことはミチコさんから聞いていますよ。早く一人前になるようにおじいさんがつけた名前でしか呼ばせないようにしているのよね」
しゃかりき丸が口を挟んだ。「そうです。『早く親がつけた名前で生きていけるように苦労せよ』ということです。
おれは親の顔をあまり覚えていませんけどね。とにかく、ご主人を救えるチャンスをつぶさないようにしようと二人で決めているので安心してください」
「ありがとうございます。それで聞きたいのだけど、ジェームズ・ミラーがテロリストとして指名手配されているのに、どうして主人に会いに来たのでしょうか」
「そこです。ドイツのアジトは摘発されたけど、別のアジトに連れていこうとしているのではないかと3人で話していたんです」
「アジトは日本にもあるのでしょう」
「いや。それはわかりません。外国に連れて行かれたら探すのはちょっと無理かもしれません。
それに、ぼくが思うには、ご主人は今どこにいるのかは分かりませんが、何かの研究させるつもりですから丁寧に扱っているはずです」
「安心しました。お二人はほんとによく現実を見ていますね」奥さんは感心して言った。
「ののほん丸がいるから、おれもがむしゃらに行けるんですよ」
「それじゃ。明日私はどうしましょうか」奥さんは力強く言った。

ののほん丸の冒険

第1章76
「自然にふるまってください。何かあれば、ぼくらが親戚の子供が偶然来たというように奥さんを助けますから」
「なるほどね。それじゃ、私は、『あら。来てくれたの。何か用事?』とでも相手をしたらいいんですね」
「そうです。何か急用ができたとか言います。それから、ジェームズ・ミラーの後をつけます」
「それはすごいね。それじゃ、今から家に来てくれませんか」奥さんは乗り気になってきた。、
空港から電車やバスを使って2時間ぐらいで家に着いた。古い町並にある二階建ての家だった。
家だけでなく、近所の様子も案内してもらって作戦を練った。
多分、最初から手荒な真似はしないだろうと思って、ぼくが二階で、しゃかりき丸が、応接間の隣の和室にいて話を聞くことになった。
暗くなったので帰ろうとしたが、叔母さんがどうしても泊まってほしいと言うので、泊まらせてもらうことにした。
食事の後も、3人で話をした。奥さんはぼくらのことをとても興味を持ち、ぼくらも自分の生い立ちなどを話した。
しかし、ミチコさんから頼まれている以上、いや、はっきり頼まれたわけではないが期待されている以上奥さんを監禁などから守らなければならないので、常にそれを考えていた。
それで、二階にはふた部屋があり、応接間の上に和室になっていたので、そこの畳を上げることを提案した。応接間の声をはっきり聞くためである。
応接間で二人がすわる場所を確認してどこが一番聞こえるか調べた。また、コップを板に耳をつける方法も試した。奥さんにも手伝ってもpらったが、確かによく聞こえることが分かった。
準備はできたので、明日の午前中に備えて二人で二階のその部屋で寝ることにした。
二人とも緊張してなかなか寝られなかったが、ともかく日があけた。奥さんも含めて昨日のようには話をしなかった。午前10時になった。3人とも定位置に着いた。
ぼくは二階から通りを見ていた。時々車が通るがそのまま通り過ぎていった。
すると、青いタクシーが家の前で止まった。ぼくは決めていたように、床をどんどん叩いた。
そして、見つからないようにベランダから頭だけを出してした下を見た。
髪の毛は金髪だがかなり頭の薄い外国人が下りてきた。ジェームス・ミラーだ。スーツ姿で、ショルダーバッグのようなものを持っている。
すぐに門扉のインターホンを押した。1分ほどすると奥さんが出てきて、門扉を開けた。
ミラーは何か言って中に入った。ぼくもベランダから部屋に入ろうとしたとき、家から100メートルぐらいの道に車が停まったことに気づいた。
しかし、偶然止まったのだろうと思って、すぐにベランダから部屋に入り、ガラス窓を閉めた。そして、畳のない床にかがんだ。
しかし、はっきり聞こえない。意識して大きな声を出さないと無理か。ただ、奥さんはかなり大きな声で、しかもゆっくり話しているから、かなり分かる。「ほんとですか。元気ですか」とか「もちろんです」と言っているような気がした。
すると、ご主人は見つかったのか。さらに耳をそばだてたが、何も聞こえなかった。どうしたのかと思っていたら、玄関が開く音がした。
急いで、しかし、注意しながら下を見た。すると、ジェームス・ミラーと奥さんが出てきた。
すると、車が近づいてきた。さっき止まった車にちがいない。ジェームス・ミラーが後部ドアを開けて奥さんを入れた。そして、ジェームス・ミラーも乗り込むと車は走り出した。ぼくは急いで下に下りた。

ののほん丸の冒険

第1章77
ぼくが急いで会談を下りようとすると、しゃかりき丸は階段を上ろうとする直前だった。ぼくはそのまま下りながら、「奥さんは出ていったな」と聞いた。
しゃかりき丸は階段を下りて、「そ、そうなんだ。ミラーが、『ご主人が見つかりました。すぐ行きましょう』と言った。すると、奥さんも、『わかりました』と答えて、慌ててついていった。
おれは親戚の子供として出ていくべきか考えたけど、二人は急いで出ていってしまったんだ」しゃかりき丸は珍しく動揺していた。
「いや。それがほんとなら一件落着だよ」ぼくは慰めた。
「そうであってほしいよ」
「ただ、ミラーがテロリストかもしれないということが引っかかる」
「どうしよう。電話しようか」
「もう少し待とう。ミラーはタクシーで来たが、近くに別の車が停まった。二人が外に出てきた時にその車が家の前まで来て、二人はそれに乗った。
今電話をしたら奥さんに何かあるといけない。ナンバーはおぼえている」
「そんなことがあったのか。ちょっと怪しい動きをしているな」
3時間後の午後12時になっても奥さんから電話がなかったので、こちらから電話をすることになった。しかし、コールをするが奥さんは電話に出ない。
もう少し待とうと思った時、携帯が鳴った。奥さんだった。「奥さん、大丈夫ですか」ぼくは叫んだ。
「すみません。二人がいる間は電話を切っていましたが。先ほど別れたので、電話をオンにしたら、電話をくれたのが分かりました」奥さんは恐縮して言った。
「ご主人は見つかりましたか」ぼくは急いで聞いた。
「それがだめでした。ミラーが、車の中で誰かと電話しました。英語で話していたのでわかりませんでしたが、電話が終わると、『奥さん、大変なことになりました。ご主人が誰かに連れ去られました』と言うのです。
どういうことですかと聞くと、『ご主人は、ヨーロッパで研究をする準備のために、他の研究者と一緒に一時的にある場所にいたのですが、今朝スタッフがいないことに気づきました。他の研究者もどこに行ったか分からないそうです。今スタッフが心当たりのところに連絡していますのちょっと待ってください』と言うものですから、すぐにそこにつれていってくださいと頼みましたが、『今全員出払っているので少し待ってください。それで、研究所に戻られるかもしれないので、そこで待ちましょう』ということで研究所に行くことになりました。
私が主人はどこに行くことになっていたんですかと聞いても、『分からない』と言うので、あなたはその組織にいるんではないですかと聞くと、『そうです。しかし、グループごとに計画が決まっているだけでなく、他のグループに細かいことを話してはならないという規則があります。だから、ご主人がどこに行くか知りませんでした』ミラーは私を心配しているように見えますが、どうも話をはぐらかしている印象をもったので黙っていました。
すると、『きのう奥様とお会いした後、すぐに本部に連絡して、奥様が心配されているから、ご主人から奥様に今後どうするか話をする必要があるから、いったん帰宅させてあげるように言いました。すると、本部からOKが出ました。
そして今向かっていると連絡したら、スタッフはご主人がいなくなったと慌てているので、すぐ調べろと言って電話を切ったところです』と申しわけなさそうな顔をしていましたが、それは困ります。警察に連絡しますから、住所を教えてくださいと頼んでも、どうのこうの言って教えてくれません。
『とりあえず研究所に行ってご主人を待ちましょう。そちらに帰られるかもしれません』と言うので、研究所に行きました」
「電話では相手と何か言っていませんでしたか」
「なにぶん英語なのでよくわかりませんでしたが、ポリスと何回か言っていたかもしれません」
「警察ですか」
「そう聞こえました」
「ミラーは研究所の中をいろいろ見ていました。名刺を見たいんですが」と聞くので、私はここにあまり来たことがないので分かりませんと答えました。
それから、ミラーはいろいろメモをしていましたね。
ミラーはしばらくしてから、『自分もご主人を探してきます。もし何か分かったら佐々木から電話させます』と言って運転役の若い日本人を紹介しました。
佐々木は30才前後です。それまで一言もしゃべりませんでしたが、私の電話番号を聞くと、『何かあればすぐに連絡します』と言うと、二人とも帰りました。それが今です」
「ご主人が見つかればいいのですが、どこまでほんとのことか分かりませんね」ぼくは率直な感想を言うだけだった。
「そうですね。私に黙って外国に行くことなんてありえません」奥さんも半信半疑だった。
「これからぼくらはどうしたらいいですか」
「とりあえず私が帰るまで待っていてください」奥さんは電話を切った。

ののほん丸の冒険

第1章78
奥さんは2時間後に返ってきた。かなり疲れていたが、丁寧にお礼を言ってくれた。
ぼくらが、「どうでしたか」と聞くと、「狐につままれたようでした。
私に誰かよく来ていましたかと聞いたり、二人で研究所の中を夢中で何か探していたりしていましたから主人の居場所を知らないのは演技ではないと思いますが、ミラーが途中でいなくなったのは最初から計画していたことなのか、実際何か起きたからなのかはさっぱりわかりません。
二人で帰った後、もし主人を連れてきてくれるかもわからないと思って、ずっと待っていましたが、佐々木からは連絡がありませんでした」
「それは大変でしたね。ご主人がいるところが分かっていたかどうかもあやしいものですね」とぼくが言うと、しゃかりき丸も、「ミラーが途中でいなくなったのも分からないな」と不思議がった。
「そうなんですよ。電話がかかってきたとき、ミラーと佐々木は慌てて帰りましたね」
「そうですか。緊急の用事ができたのはまちがいないようですね」
そのとき、奥さんは、「お腹がすいたでしょう。今から作りますから、ちょっと待ってください。それから、今晩も泊まっていってください」と言って立ち上がった。
寝る前にも3人で話しあったが、とりあえず佐々木からの電話を待つしかないということになった。
翌朝6時ミチコから電話があった。「テロリストが捕まったそうです。これはミラーではないですか」
ぼくは奥さんをすぐ起こした。朝刊を見ると、確かに交際テロリストが捕まったと報じていた。そこにはユルゲン・ヴォルフというひげ面の男の写真が出ていた。目や鼻はまちがいなくジェームス・ミラーだった。
「ミラーですね。まちがいないわ。すると、きのう電話がかかってきたのは、逃げろという連絡だった可能性がありますね」
「そうかもしれませんね」きのう4時ごろに札幌駅で逮捕したという内容だったのでまちがいないだろう。
男はなぜ日本に来たのか確認するために、警察はしばらく様子を見ていたようだ。
東京から北海道まですぐに飛行機で向かったので、北海道の警察が動いていたが、相手は訓練を受けたテロリストなので、いつの間にか行方が分からなくなった。
しかし、札幌駅で多くの外国人の中にユルゲン・ヴォルフがいるのを警官が見つけて確保したということだ。
しばらく3人とも何も言わなかった。このことはご主人やミチコの叔父さんが見つかることに結びつくのかどうかすぐにわからなかったからだ。
「どうしたらいいのでしょうか」奥さんが聞いた。
「警察に行かれたらどうでしょうか。捕まるまで奥さんと研究所にいたのですから、警察も非常に参考になると思います。それに、佐々木という日本人の存在が出てきたのですから、国内の組織も発見されるかもしれません。もちろんご主人のことも捜査するように頼んだらいいですね」
「そうですね。早速行ってきます。私が帰ってくるまで待っていてくれますか」奥さんは、そう言って警察に向かった。
ぼくはすぐにミチコに電話をしてこちらのことを説明した。「それはいいですね。一網打尽にテロリストが摘発されたらご主人や叔父を助けることができるかもしれません」
「奥さんが帰ってきたらまた電話します」
奥さんは、午後4時前に帰ってきた。疲れているだろうが、少し進展したのかほっとした様子だった。「しばらく時間がかかりましたが話を聞いてくれました。ののほん丸に聞いた車のナンバーも、私が見たと言って教えました。さっそく車を調べるようです。
それから、研究所に行きたいと言うので、パトカーでない車で研究所に行きました。そこで、またミラーが何をしたかを話しました。もちろん佐々木のことも言っています。
後は警察からの連絡を待つだけです。お二人を独り占めしていましたが、今回のことはミチコさんの叔父様とも関係がありそうなので、帰ってあげてください」奥さんは頭を下げた。

ののほん丸の冒険

第1章79
ぼくとしゃかり丸は顔を見合わせた。もし日本でテロリストの組織が見つかれば奥さんのご主人やミチコの叔父さんだけでなく、他の研究者も見つかるかもしれないと思ったのだ。それに備えておじいさんのテントに早く戻ったほうがいいのかもしれない。
「ミチコさんに連絡しますが、もし東京に帰っても、もし何かあればすぐ来ます」
ミチコは、「奥さんの様子を見て判断してください」と言ったが、ぼくらはとりあえず帰ることにした。
その日遅くテントに戻った。テントにはおじいさんとミチコだけでなく、テツとリュウも走って迎えてくれた。
おじいさんは体を起こして、「よく無事で帰ってきたな」と喜んでくれた。
「テロリストが捕まったな」リュウがさっそく聞いてきた。
「そうなんです。これでご主人が見つかればいいですけどね」しゃかりき丸が得意げに言った。
「お前たちはそいつを見たんだろう」
「見ました。おれは戸の隙間から、ののほん丸はベランダからですけど、はっきり顔を見ましたよ。怖そうじゃなかったな。ののほん丸」
「そうですね。奥さんが言っていたとおり、いつも笑顔で優しそうでした」
「それがあいつらの手だ。目立たないようにひっそりと隠れているんだ。でもすごいじゃないか。まるでスパイ映画のようだな」
「奥さんはがんばりましたね」ミチコが言った。
「そうですね。何が起きても慌てなかったですね。テロリストは最初ご主人が見つかったので迎えに行きましょうと言っていましたが、車の中でご主人が行方不明になったという連絡が来たというのですからね。
「それはどうも怪しいな」テツが言った。
「テロリストはいつも人を騙すからな」リュウはテロリストの話が好きだ。
「新聞では新しいことは書いてませんか」ぼくはミチコに聞いた。
「ホテルの新聞を全部見ていますが、新しいことは載っていませんね。捜査は行われているでしょうが。
奥さんが警察に行ったと聞いて、私も、今日叔父のことでもう一度警察に行ってきました」
「どうでしたか」
「奥さんのご主人のことを言ったから、少しは前より話を聞いてくれましたが、国際的な事件ですので、警察庁などからの指示がないと動けないと言っていましたね。『もし指示があればすぐ連絡します』で終わりました」
「他に行方不明の研究者の家族が名乗り出てくれたら、警察も本腰を入れてくれるでしょうね」ぼくはミチコを慰めるしかなかった。
警察はテロリストを送還する前に、日本国内にテロ組織があるかどうかを調べているのはまちがいないだろう。
翌日奥さんから電話があって、警察がもう一度研究所を調べたそうだ。
奥さんが、ジェームス・ミラーと名乗るユルゲン・ヴォルフというテロリストと会ったのは今回が初めてだったが、写真を他の部屋の人に見せると数人の人がまちがいないと答えた。
つまり、ユルゲン・ヴォルフは何らかの目的を持って何回も日本に来ていたのだ。
これはすぐにでも何らかの動きがあるかもしれないとみんなで話し合っていたが、新聞には出ていなかった。
テロリストというものは、リュウが言うとおり、相当訓練を受けていて都合の悪いことは絶対言わないものかもしれない。顔なども整形して別人になることもあるようだ。とにかく今は警察からの連絡を待つしかないのだ。
数日後奥さんから連絡があった。なんとユルゲン・ヴォルフと行動を共にしていた佐々木から連絡があったのだ。
もちろん、奥さんは警察にも佐々木のことは言っていた。ぼくが覚えていた車のナンバーも警察に報告していたが、盗まれたナンバーだったかもしれないが、
佐々木のことも車のことも連絡がなかった。
その佐々木から連絡があったのだ。
「何と言っていましたか」ぼくは慌てて聞いた。「『ご主人は見つかりましたか』と聞くのよ。
思わずユルゲン・ヴォルフというテロリストが捕まったでしょ。ジェームス・ミラーのことよねと聞いたの。佐々木は、『いいえ。違います。ミラーは急用でアメリカに帰りましたよ。
『奥さんが心配でご主人は見つかったか聞いておいてくれ』と言うので、電話しました」と答えたの」ぼくは返事に詰まった。

ののほん丸の冒険

第1章80
まさか、あのジェームス・ミラーがテロリストのユルゲン・ヴォルフと別人なんて、そんなことはありえないだろうと思った。
実際ぼくらも顔を見ているし、新聞に載っていた顔写真は、ひげを取れば同じ顔だ。
それに、ユルゲン・ヴォルフは奥さんの家に来た翌日に札幌駅近くで捕まったのだ。テロリストだから警察が研究所に何回も来て調べたのではなかったのか。
奥さんは何か聞き違いをしているのではないかと疑った。そう思ったが、すぐに佐々木が芝居をしているかもしれないということも思った。
「佐々木は、他に何か言っていましたか」と聞いた。
「それだけ言うと、『またかけます』と言って切りました」とのことだった。
「どうしてこんな電話をかけてきたんでしょうか。ひょっとして何か企んでいるかもしれませんね」
「そうでしょう。私もそんなことを思いました。私のような年寄りは新聞を読んでいないだろうとかまをかけてきたかもしれないと思いました。また、電話をかけてきたら、相手の話に乗って見ましょうか」
「それはおもしろいですね。そうしたら、佐々木の目的がわかるかもしれません。でも、相手が気づいたら危ないことになるかもしれません」
ぼくは、さっそくしゃかりき丸とミチコに奥さんからの電話の内容を伝えた。
二人とも驚いてぼくの顔を見た。「佐々木のほうが次の手を打ってきたかもしれないな」としゃかりき丸が目を輝かせた。
ミチコは、「奥さんが怖がらずに、佐々木の話に乗ってみますなんて、二人の影響を受けているようですね」と言った。
三日後、また佐々木から電話があった。その後の様子を聞いてきたそうだが、奥さんは、警察から、ご主人らしい人が見つかったが、かなり衰弱していて、今病院にいるという連絡があったと答えたそうだ。
ぼくはそれを聞いて、「すごいことを言いましたね。佐々木はどう言っていましたか」とびっくりして聞いた。
「佐々木はひじょうに驚いていましたね。えっと言ったまましばらく黙っていました。その沈黙の間なんでこんなことを言ってしまたんだろうと後悔しましたが、言ってしまった以上仕方がないと覚悟を決めて、次に佐々木が聞いてくることを予想して待ちました。
案の定、どこで見つかったんですかとか、どこの病院ですかとか聞いてきましたので、警察はまだ捜査していますが、できおるだけ早く連絡しますとだけ言って切りましたよと言ってやりました。
それで、これからどう話を進めていけばいいのかののほん丸に教えてもらおうと思って電話をかけました」
「分かりました。3人で相談してすぐに連絡します」と言って電話を切った。
しゃかりき丸とミチコは体を乗り出してきた。「すごいことになってきたな。奥さんは勇気があるなあ。でも、飛んで火に入る夏の虫になるかもしれないぞ」しゃかりき丸は得意の言葉を放った。
ミチコは、「佐々木はどう思っているんでしょうね」と聞いた。
「佐々木のほうもご主人を探しているのなら、これは朗報と思っているかもしれませんね。そうじゃなければ、テロリストが捕まった後、ご主人をあきらめて電話をかけてくることはないと思うんですが」ぼくは自分の考えを言った。
「これで話が複雑になってきましたね。奥さんは二人を待っているでしょうね」
その言葉にしゃかりき丸が反応した。「とにかく、すぐに札幌に行こう」
ぼくもそう思っていたので、二人は急いで旅支度をしてから、おじいさんに挨拶をして、空港に向かった。
その日の夕方に奥さんの家に着いた。連絡をしていたので、夕食も作っていてた。
ぼくは、「それにしてもすごいことを言いましたね」と笑いながら言った。
「そうでしょう。私も、どうしてこんな嘘をついたのか不思議なんですよ」と
笑顔で答えた。
「でも、まだ何も分からないと答えておけば、相手は何回も電話してきますよ。これはすごい技術だとののほん丸と話していたんです」しゃかりき丸も奥さんを褒めた。
「あまりうれしくないですが」奥さんは照れて言った。
「とにかく、いつ佐々木から連絡が来るかもしれないので3人で打ち合わせをしておきましょう」ぼくは二人に言った。

ののほん丸の冒険

第1章81
「佐々木の動きを見ていると、ご主人を連れ去ったのは、佐々木のグループとは別の組織だということでいいのか。ののほん丸」
「もう一度奥さんにご主人の消息を聞いてきたら、まちがいないと思う」
「テロ組織がいくつも日本にあるのでしょうか」
「よくわかりませんけど、直接敵国を攻撃するテロ組織ではなくて、そういう組織に武器を売りつける会社などがいくつかあるような気がするんです」
「金儲けのために、専門家に武器を研究させるのか」
「そうなんだろうな」
「でも、主人はそんなことをするために大学を辞めたのではないんです。
このままでは地球は住めない星になる。何とか子孫のために元の地球を残すために邪魔されずに研究をしたいと言っていました」
「ミチコさんの叔父さんも同じことを言っておられたようです。そういう善意の研究者の仕事を人殺しの武器に利用しようとするものが世界中にいるような気がします」
「つまり、研究者の取り合いをしているのだな」
「それでは佐々木がどこの会社に属しているのか見つけるのが第一歩です」
「そうです。ご主人や叔父さんが国外に連れだされていないことを祈ります」
「まず佐々木が何回もかけてくるようにもっていくべきだな」しゃかりき丸が得意そうに言った。
「確かにそうだ。まず相手が何を考えているのか知るのが先決だけど」ぼくはそう答えたが、奥さんにプレッシャーを与えていないか心配になったので、それ以上は言わないことにした。
翌日、奥さんの家で朝食を食べているとき、電話が鳴った。三人で顔を見合わせた。しかし、奥さんはすぐに電話に出た。ぼくとしゃかりき丸は聞き耳を立ててじっとしていた。奥さんがこちらを見た。佐々木にちがいない。
すると、奥さんは驚くべきこと言った。「警察から電話があって、主人が見つかりました。しかし、意識がないので入院しています」
「今は面会謝絶なので会うことができないんです。それも言ってくれないんですよ。はい。分かりました」と言って電話が終わった。
ぼくとしゃかりき丸は奥さんを見た。奥さんは、「と言うことです」と少し笑顔で言った。
「相手は佐々木ですよね。どう言っていましたか」とぼくは聞いた。
「私が見つかったと言ったら、ええっーって驚いていましたね。あの驚きようは信じていると思いますよ。絶対またかけてくると思います」
「そうだ。絶対かけてくる。今頃は慌てふためいているんじゃないのか。しかし、奥さんはうまくうそをつきますね。いや、相手を翻弄しますね」しゃかりき丸は思わず本音を言ってしまったのか顔を赤くした。
「お二人の話を聞いて、頭の中に流れができているからですよ」奥さんは巣k祖い恥ずかしそうに言った。
「今度かかってきたらどう言うかですね。ぼくが一つ気がかりなのは佐々木がなぜ驚いたのかです」
「それはご主人が見つかったからじゃないのか」しゃかりき丸はすぐに答えた。
「たぶんそうだろうけど、他の理由があるかもしれない」
「どんな理由があるんだ」
「よくわからないけど、佐々木のほうではご主人がどこにいるか分かっていることも考えられる」
奥さんは話題を変えて、「病院ですね。どの病院に入院しているか決めておかなくては疑われますね」と言った。
「そうですね。たぶん、佐々木は病院まで送りますとか言うはずです。そうなればこっちのものです」
「どうするのですか」
「車にある装置をつけます。そして、東京の仲間が車の行先きを調べてくれるんです」
「そんなことができるんですか」
「これで、ミチコさんも助けました」

ののほん丸の冒険

第1章82
奥さんは、車ににつける追跡機を手に取って見ていた。
しゃかりき丸は、「車の背後に回って見つからないつけるんですよ。
そうすると、東京にいるおれたちの先輩が、今車はどこを走っているか、どこに停まったか教えてくれるんです」と説明した。
「便利なものですね。後はどうつけるかですね」
「おれたちは何回もつけました。ただ、こういう機械があるのはみんな知っていますから、警戒して車を調べるんです。だから、ずっとつけていれば見つかってしまいます。実際そういうことがありました。そうすると、誰かに調べられているとなって、向こうは警戒します。
つまり、目的を達成すれば、すぐに外さなければならないんです」
「なるほど。分かりました」しゃかりき丸が分かりやすく話したので、奥さんは安心してうなずいた。
それから、佐々木がどう出るか遅くまで話しあった。まずどこの病院にするか
ということだった。
「北海道には警察病院はないのですか」とぼくは聞いた。
「多分ないと思います。どうしたらいいですか」
「お家からそう遠くなくて、施設が充実している病院はないですか」
「そうですね。白石区にある札幌病院は、主人の友だちが院長をしていたはずです」
「それは好都合です。もし何か起きても対応してくれるかもしれません」
翌日は佐々木から電話がなかった。それで、ぼくとしゃかりき丸は病院に向かうことにした。
バスを降りると目の前に大きな病院があった。1階の受付は広く、すでに多くの患者がいた。これなら、佐々木が奥さんについてきても、ぼくらに気がつくことはないだろう。
ただ、奥さんがどう動くかはわからないので、病院の内部の様子を覚えることにした。
翌日の昼頃電話がかかってきた。奥さんはすぐに出て、「警察から連絡がありました。『ただ、意識はまだ戻っていませんが顔を見に来てください』とのことです」と答えた。
その後、佐々木の話を聞いて、「はい。わかりました。よろしくお願いします」と言って切った。
奥さんはぼくらを見て、「かかってきましたよ」と言って、少し笑顔になった。「病院名を言うと、『お連れします』と言うので、午前10時に決めました。ののほん丸の話では、午前中は患者が多くいたらしいので、そう言いました」
「それじゃ、おれたちは9時すぐに行っておこう。佐々木が奥さんについていったら、車につけるのは簡単だ」しゃかりき丸も笑顔で言った。
それから、ぼくは、「佐々木がICUなどにもついてきそうなら、『警官が案内してくれるようなので受付で待っていてください』とか言ったほうがいいですよ」と気がついたことを言った。
翌日、ぼくとしゃかりき丸は8時すぎに病院に向かった。病院につくと、バスやタクシーで来た人が次々病院に入っていた。
玄関の前はタクシー乗り場だが、駐車場は建物の左側だが、すでに多くの車が
駐車していた。
念には念を入れてもしそこの駐車場が満杯になれば、予備の駐車場がないかを調べた。建物の裏手にあることがすぐ分かった。
さらに、別の車で来ることも考えられるので、佐々木と奥さんが乗っている車を見つけなくてはならない。
幸い、車は駐車場に入る前に入場券を取るために発券機で止まらなければならないから佐々木の車かどうか確認できる。それに、発券機の反対側に少し広場があるので、そこにいれば見つかることもない。
8時40分になった。ぼくとしゃかりき丸は木の陰から発券機のそばに止まる車を見た。
9時すぎ見たことのあるような車が来た。佐々木だ。後部座席に奥さんがいるようだ。しかし、ぼくは小さな声でしゃかりき丸に叫んだ。「奥さんの横にもう一人男がいる!」

ののほん丸の冒険

第1章83
「ほんとか」しゃかりき丸も目を皿のようにして車の中を見た。「まちがいなく佐々木だな。仲間を連れてきたのか」
「そうだろう。佐々木は奥さんと顔なじみなので話し相手をしているのだな」
「どうしようか」
「とにかく二人で車を見張ろう」
「いや。ののほん丸は病院の中に行ってくれないか」
「大丈夫か」
「おれは大丈夫だ。そして、病院で二人を見張ってくれ。何か起きるかもしれないから」しゃかりき丸はぼくの気持ちを分かっているようだ。
「ありがとう。そうする」
車は駐車場に向かってゆっくり来た。ぼくは急いで病院の建物に急いだ。
まだ朝が早いために受けつけには人は少なかった。100人以上すわれる椅子があるのに、10人ぐらいしかいなかった。すでにそれぞれの科の受付に行ったのだろう。
ぼくは、受付から少し離れた場所におじいさんが一人ですわっているのに気づいてたので、その横にすわった。おじいさんと孫と見られるようにしたのだ。
ときおり玄関がある後ろをそっと見た。4,5分たった頃、奥さんと佐々木が入ってきた。ぼくはおじいさんの陰から二人をじっと見た。
奥さんは緊張しているように見えた。二人は「初診受付」と書いてある場所の近くにすわった。
それから、奥さんは佐々木に何か言うと、一人で受付に向かった。奥さんが受付のスタッフに何か言うと、スタッフは奥に入った。すぐに年輩の男の人と二人で出てきた。
奥さんはその男の人に何か言うと、男の人はどこかに電話した。多分病院内のどこかに連絡しているのだろう。男の人は電話がすむと奥さんに何か話した。
奥さんは佐々木がいる場所に戻って何か言うと、そのままエレベータのところに行った。佐々木も奥さんについていった。エレベータの前には数人の人が待っていた。
しかし、佐々木はエレベータに乗らず、奥さんだけが乗った。佐々木は奥さんがどこで降りるか確認しているようだったが、エレベータは、3階,5階、6階に止まった。
3階にICUがあることは調べていたが、奥さんはそこで降りたのだろうか。
奥さんはここまではうまく佐々木をまいたが、これからどうするのだろうと考えると気が気でなかった。佐々木を見ると誰かと話していた。
20分以上たった。奥さんは降りてこない。ひょっとしてどこかの裏口から病院を出たのか。しゃかりき丸が装置をつけてくれていたら、それはそれでいい。
そう思った時、エレベータの扉が開いて奥さんが出てきた。佐々木がすぐに行った。奥さんと佐々木はまたすわって話をはじめた。
10分ぐらい話をすると二人は立ち上がった。佐々木が何か言った。奥さんが答えると、佐々木一人で出ていった。
ぼくは佐々木が玄関を出たのを確認して、奥さんの斜め後ろにすわった。
奥さんはぼくに気がついたが、前を向いたまま「とにかく終りました」と小さな声で言った。
「受付に行くとき、佐々木がついていこうとしたのでドキッとしました」
「私も困ったと思ったのですが、警察が迎えに来ていると言えばついてこないはずと考えて、そう言ってやりました。
案の定離れていたでしょう。それに、ここの院長は主人の知りあいということを聞いていたので、これも使えると考えていました。ただ、院長を辞めていたら万事休すと思っていたのですが、今も在籍されていて、幸運なことに主人のことで話があると言ったら会ってくれました」
「それを受付で言ったのですね」
「そうです。何もかもうまく行きました」奥さんは初めてぼくのほうをふりかえって笑顔で言った。
「しゃかりき丸はもう来ると思います」とぼくも笑顔で答えた。しゃかりき丸が来たら、奥さんの機転について話してやろうと考えていたが、しゃかりき丸が来ない。もう小一時間たっているのにどうしたのだろう。
だんだん不安になってきた。佐々木の車はもう出ているはずだ。そこで、「ちょっと見てきます」と言って外に出た。しゃかりき丸はいない。
駐車場はほぼ満車になっていたので、すべての車を見ることにした。しかし、佐々木の車は見つけられなかった。
それなら、しゃかりき丸はどこに行ったのだろうか。ぼくは、テツに電話をして、車の追跡が行われているか聞いた。
テツはテントに来ている仲間の専門家に聞いたが、「まだはじまっていないそうだ」と言った。
ぼくは、「分かりました。また後で電話します」と急いで切った。

ののほん丸の冒険

第1章84          
ぼくは、「しゃかりき丸に携帯を渡しておけばよかった」と悔やみながら、奥さんがいるところに戻った。
「どうでしたか」奥さんはぼくを見ると立ち上がって聞いた。
「しゃかりき丸はどこにもいません。車も駐車場にはありませんし、追跡機は作動していないようです」
「それなら、ミチコさんを助けた時のように、トランクに入って追いかけているのでしょうか」
「そうかもしれません。それなら連絡が来るまでしばらくここで待っていましょうか」
ぼくと奥さんは玄関が見える場所でしゃかりき丸を待つことにした。奥さんが言っていたように、うまくトランクに入れたのならいいけど、追跡機をつける時に見つかっていたらまずいなと思った。1時間待っても連絡はなかった。
奥さんも不安そうな顔をしていた。それで、「北海道は広いですから、1時間以上のところに行くかもしれません」ぼくは奥さんに声をかけた。
「そうですね。無事に逃げられたらいいですが」奥さんもうなずいて答えた。
午後2時近くになったので、「とりあえず帰りましょうか。しゃかりき丸はもちろん携帯番号を知っているので、どこからか電話してくると思います」
「大丈夫でしょうか。病院近くにいるということはないですか」
「もしそうなら、すぐに引き返します」
ぼくはもう一度佐々木ともう一人の男に注意しながら、病院の中や外を見て回った。しかし、患者は少なくなっていたし、それにつれて、車は減っていたが、佐々木の車もしゃかりき丸も見つからなかった。
病院前のバス停からバスに乗り、そして電車とまたバス乗り、奥さんの家に戻った。
ぼくは、テツに電話した。しゃかりき丸がいなくなった状況をすべて話した。
テツは、「調子に乗りすぎたな」と言ってから、「車のナンバーはおぼえていたな」と聞いた。
ぼくは、「おぼえています。しかし、今は普通では教えてもらいないようです」と答えた。
テツは、「そうだ。今からみんなと相談するから、明日電話する」と言って切った。
奥さんは心配そうに聞いていたので、ぼくは、「テツが考えてくれていますので大丈夫です。ぼくらはしゃかりき丸からの連絡を待っていましょう」と言った。
奥さんは、「私が勝手なことをしたばっかりに皆様に迷惑をかけてしまいました」と謝った。
「いや。しゃかりき丸は今懸命に任務を遂行しているのでしょう。佐々木たちの正体を突き止めたら、連絡してきますよ」と慰めた。
しかし、一晩待ったが連絡は来なかった。奥さんに心配かけないように不安を顔に出さないように気をつけた。
午前11時携帯が鳴った。ぼくは慌てて電話を取ったが、テツからだった。
「しゃかりき丸から連絡が来たか」と聞いてきた。ぼくは、「まだです」と答えると、「ある弁護士に頼んだが、その番号は盗難届が出ているようだ。だから、そっちの警察に連絡してくれたが、その車も盗まれていたら、すぐには分からないとのことだった」テツは残念そうに言った。
「ありがとうございました。しゃかりき丸からの電話を待っています」ぼくは奥さんの顔を見ながら切った。
「警察に行ってきてもいいですか」と奥さんが言うので、理由を聞くと、「親戚の子供がいなくなったと言えば探してくれると思うのですとのことだった。ぼくは少し考えてから、「人がいなくなるということは大事件ですから、警察も相当聞いてくると思いますから、芝居することはかなりむずかしいと思います」と答えた。
「確かにそうですね。しゃかりき丸がいなくなった状況を信用してくれるか分からないですね」と奥さんは納得してくれた。
「しゃかりき丸からだけでなく、テツからの連絡を少し待ちましょう。それと、佐々木から連絡があるかどうかで今後どうするか決まります」
「私もそれが気になっていました。佐々木から連絡が来ないということはしゃかりき丸が見つかってしまったということですね。今頃、ひどい目にあっていないか心配です」
「そうですね。しかし、しゃかりき丸はすばしっこいですから、そう簡単につかまりませんよ」ぼくは自分にもそう言い聞かせた。

ののほん丸の冒険

第1章85          
電話を待ちながら、毎日これからどうするか二人で話し合った。
奥さんは、こうなったのは自分が悪いと悔やんだが、ぼくは、「そんなことはないですよ。3人で作戦を考えたのですから。それに、しゃかりき丸はピンチになれば余計に闘志を燃やすんですよ。ミチコさんを助けた時もそうでした。だから、そう心配しないでください」と慰めた。
奥さんはうなずいたので、「次からは、失敗したときのことも考えて行動しましょう」と提案した。
翌日から、ときおり奥さんの家に無言電話が回かかってくるようになった。呼びかけたらすぐに切れるそうだ。
「佐々木でしょうか」
「何回もかかるのはおかしいですね。ぼくも、佐々木のような気がしますが、焦っているかもしれないですね。
奥さんから、『主人はICUにいる』と聞いていたのに名前を名乗って電話してこないのは、やはり追跡機を取りつけようとしていたしゃかりき丸を取り押さえたからでしょう。しかも、それが子供だったので何が起きているのか混乱しているのだと思います」
「しゃかりき丸は大丈夫でしょうか」奥さんはまた聞いた。
「しゃかりき丸は問いつめられたでしょうが、あいつのことですから、歩いていたら知らない人に車につけてくれと頼まれたとか答えたはずですよ。
それで、どんなやつに頼まれたのかしつこく聞かれても、しゃかりき丸はぬらりくらり答えたと思います」
「早く帰ってきてほしいです」
「そうですね。すぐに開放されなかったのは少し気がかりですが、佐々木らは、しゃかりき丸の話を聞くしかないので、無茶なことはしないと思います」
「やはり、佐々木も主人を探しているのですね」
「そうでしょう。ぼくもそれをうまく利用できないか考えているんです」
「佐々木はすでに主人は帰ってきているのではないかと疑っていませんか」奥さんは目を輝かせて言った。
「そうかもしれません。家の様子を見に来ているかもしれませんし、研究所に行っているかもしれませんね」
「それじゃ、研究所に行って、隣の事務所の人に聞いてみてはどうでしょうかそれに、みんな心配してくれていましたから」
ぼくらはご主人の研究所に向かった。ビルに近づくとかなり緊張した。大通りを左に曲がるとすぐにビルがあるのだが、車が駐車していないか遠くから確認した。
プレートを盗むぐらいだから、車を盗んでいるかもしれない。だから、覚えている車とちがう車を使っているかもしれないと思ったのだ。
ビルの前に青い車が一台停まっていた。もちろん覚えている車とちがう。
「誰も乗っていないようですね。あの車が行くまで待ちましょうか」
10分後にそのビルから男が出てきて車に乗り込んだ。「佐々木とはちがうようです」
車が走り出してから、ビルに入った。そっと研究所のドアを開けた。奥さんは一つ一つ見たが、以前来た時と変わりがなかった。「誰も入っていないようですね。元に戻したかもしれませんが」
奥さんは、両隣や前の事務所に行き、研究所に誰か来ていなかったか聞いた。
誰も見たことがないという答えだった。もし見かけたら連絡してほしいと頼んで帰ることにした。
帰り道、奥さんはこんなことを言った。札幌病院に行くために佐々木と車に乗っていた時、途中佐々木は運転をしていた男のほうに身体を伸ばして、小さな声で、どこからか連絡がなかったかと聞いたというのだ。
「私は顔を外に向けて、話を聞いていないようにして、一言も逃さないように聞いていました。運転手は、まだ連絡がありませんとか答えていたようですが、
二人も、私を警戒して小さな声で話していたのでよく聞こえませんでした。
肝心の名前はよく聞き取れなかったのですが、なんとなく耳に入りました」
「それはすごいじゃないですか。手掛かりになりますよ」
「数日前にそのことを思いだしましたので、名前を思い出したら言おうと考えていたんですが、まだ出てこないんです」

ののほん丸の冒険

第1章86          
翌日テツから電話があった。「おれたちは、カズという仲間をしゃかりき丸の父親ということにして、カズから、北海道のあちこちの警察に、『こんな子供が見つかっていませんか』と聞いているんだ。カズは昔小学校の先生をしていたので適任もし見つかったらカズの携帯電話にかけてくれるように頼んでいる。
しゃかりき丸は捕まっても何とか逃げるだろうが、もし事故か何かでしゃべれない場合のためにな」。
ミチコからも電話があった。ミチコはとんでもないことをはじめていた。
ぼくが監禁されていたビルで掃除婦の仕事をしているのだ。しゃかりき丸はそのビルから出たきた車のトランクルームに入りこみ、ミチコを助けることができたので、ほんとはその貿易会社を調べたいのだが、ぼくやしゃかりき丸のような子供がビルに入ると怪しまれるのであきらめざるをえなかった。
しかし、ミチコの顔を知っている者がいるはずなので、ぼくは「それは危険ですよ」と大きな声で言った。
「おじいさんの世話はちゃんとしていますから心配しないでね。テツやリュウにはこのことは言っていませんけど、二人とも毎日テントに来て、一緒に世話をしてくれるからそんなに時間がかかりません。
私もしゃかりき丸のことが心配で、東京でできることはないかとずっと考えていたの。
それで、ののほん丸がよく言っているように、虎穴に入らずんば虎子を得ずを実践しようと思ったわけです。
それで、ビルの管理会社に電話をしたら、ちょうど一人辞めたので探しているということだったので、翌日から仕事をしています。
それに、マスクをしていますし、ほとんど下を向いて仕事をしますので、気づかれることはないと思います」
「気をつけてくださいよ。でも、どんなことをするのですか」
「ビルの地下にテナントの駐車場があったでしょう。その奥にごみ置き場があるんですよ。貿易会社は3台置けるようになっていますので、ゴミ置き場に行き来したときに車のナンバーをメモしています。それをまとめてテツに渡すつもりです。一個ずつならテツも困るだろうと思います。
そして、同僚は後二人いるのですが、信頼できるかどうか分かってから、私が休みの時にメモしてもらったらすべての車を調べることができると思います。
貿易会社に来た車の中に北海道と関係があれば、しゃかりき丸だけでなく、ご主人や叔父の行方に結びつくことができるのではないかと希望を持っています」
ミチコが心配だけど、その発想には驚いた。確かにバッグを探しているのはこの貿易会社だからだ。ぼくももっと前に進む努力をしなければならない。
翌日、奥さんが、佐々木が運転手に小さな声で聞いた名前を思い出したと言うのだ。ぼくは体を固くして奥さんの発言を聞いた。
「佐々木は運転手に、『コーズモスから連絡があったか』と聞きました」
「コーズモスですか」
「はい。コーズモスです。まちがいないと思います。私は耳をそばたてて佐々木の言うことを聞いていました。病院で佐々木が何をしたいか知っておかなければなりませんでしたから」
「そうでしたね。コーズモスとは人の名前ででしょうか」
「それはわからないですね。運転手は、『まだ来ていません』と短く答えただけです」
その後、ぼくはミチコに電話をして、コーズモスなる言葉が人の名前かどうか名古屋にいる友だちに聞いてもらった。
翌日、ミチコから電話があり、友だちの話ではそういう名前の会社があるとは知っていたが、友だちの会社は取引がないので調べてくれるそうだ。
「そういう名前の会社があるみたいです」と奥さんに答えた。
「これだけみんなががんばっているのですから、私も負けるわけにはいきません」奥さんは唇を噛んでぼくを見た。

ののほん丸の冒険

第1章87          
また奥さんは何か考えるのでないかと思ったので、「もう少し様子を見ましょう」と声をかけた。
そういうぼくもしゃかりき丸を助けるために何かできないか考えていたが、ぼくが留守にすると、奥さんの身に何かあるとどうするんだという思いがあった。
ミチコから連絡が来た。「コーズモスという名前が少し分かりました」というのだ。名古屋の商社に勤めている友だちが、上司などに聞いてくれたのだ。
それによると、研究者を大学や企業に斡旋している組織らしい。研究というものは外部に漏れないように行われるものだが、研究が実ることはそう多くない。
しかし、一つの研究に将来をかけている企業にとっては絶対成功しなければならない。そういうときは、多少研究の内容が漏れる危険があっても、外部からその研究に精通している専門家を集めざるをえなくなる。
その仲介やあっせんをしているのがコーズモスという組織だというのだ。
そういう組織は世界にはいくらでもあるが、コーズモスは有力な組織の一つらしい。ドイツで摘発されたテロ組織にも仲介していたので、警察に捜査されたそうだ。
「佐々木が、『コーズモスから連絡があったか』と言ったのはそういう流れだったのでしょうか」ぼくはミチコに言った。
「流れ?」
「コーズモスが日本の研究者を探すように佐々木が属している会社に頼んだかもしれませんね」
「それなら、お二人や私を監禁したのも佐々木の会社でしょうか」
「かもしれませんね。それで、子供がちょろちょろしているという情報が伝わっていて、しゃかりき丸の背後にあるものを聞き出そうとしているのかな」
「友だちはこれからも情報を集めると言ってくれているので、それを待っています。それと私がメモしたナンバーから何かわかるかもしれません」
「ナンバーはテツに渡したのですね」
「そうです。テツは車の所有者も調べてくれています。今のところは怪しい車はないそうです」
ミチコと話したことはすべて奥さんに伝えた。奥さんは、「ミチコさんは叔父さんを助けるためにがんばっていますね」と言ったので、「奥さんも立派に耐えておられますよ。必ずご主人としゃかりき丸は見つかります」と励ますしかなかった。
その言葉が効いたのか、翌日待ちに待っていた電話が来た。しゃかりき丸だった。
「おい。おれだ。心配していただろう」しゃかりき丸の声は案外明るい。
「しゃかりき丸!生きていたか」ぼくは大きな声で叫んだ。ぼくの声に驚いて奥さんが慌てて居間に入ってきたので、ぼくは、「しゃかりき丸が生きていました」と奥さんに伝えてから、しゃかりき丸に、「どこにいるんだ」と聞いた。
「東別という町だ。そこで、三上というおじさんの家にいる」
「佐々木と関係があるのか」と聞いたが、まったく関係がないと言うのだ。
「とにかく迎えに行く」
「少し待て。まず今までのことを説明する」としゃかりき丸が言った。

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