
思秋期ビジネス
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復活ノート
「思秋期ビジネス」
日曜日の新聞は新刊の書評だけでなく、本の広告もあふれています。ただ、出版不況なので、大きな広告は、人生、人間関係、仕事、そして、健康に関する本が中心です。
「どう生きるか」も含めて、「ハウツー本」のオンパレードと言えるでしょうが、それらが現代人の悩みなのでしょう。以前言いましたが、私は、広告に載っている本の目次を見て、その本を読んだことにしています。
たとえば、「思秋期の生き方」という副題がついた新刊の広告が載っています。
「思秋期?聞いたことあるが」と思って、ネットで調べました。
なるほど。中高年に差しかかり、今までの人生を振りかえったときの後悔などで不安になることとあります。
思春期ならば、将来に対する不安だけでしょうが、思秋期は、将来に対する不安も根底にあるでしょうから、人によっては、人生経験があっても、思春期以上の不安に苛まれるかもしれません(芥川龍之介が感じた「漠然たる不安」以上の不安かもしれません)。
私の場合は、気に病む性格なのに、ノーテンキな部分もあって、今の状況に慣れてきたこともあってか、将来にはあまり不安をもっていません。
今は、「特別支給の老齢厚生年金」だけだが、来年からは、国民年金=基礎年金も入るようになるので、飲みに行ける回数も増えもんねと考えています。
さらに、最近亡くなった「やなせたかし」がなかなか芽が出なかったときに、「一寸先は光」と自分を励ましたそうですが、今は、それを私の「合言葉」にしています(どこかの出版社が、「へんな童話」を出しましょうと言ってくるのが、私の光です。出版不況ですので無理かな)。
ただ、早朝、昔のいやなことが「勝手」に浮かんでくるのは閉口します(理由はわかっています。暗記力テストをしているので、海馬から、いやなことが一緒に出てくるのです)。
そんなときは、人関係で起きたことは取りけすことはできないと自分に言い聞かせていますが、「ああしておけばよかった」ということは、「それもすだな」と自分に同調します。それで、今からできることはないかと考えます。
英文科を出ているのに英語を話せない。多分、後20年は生きられる。英語を流暢に話しす友だちに聞いたら、「アメリカに4年いたら、誰でも話せる」と言っていたっけ。
このまま死んだら、「金に目がくらんで何もかも失った愚か者」という烙印を押される。
よし、誰か65才以上のホームスティビジネスを考えてくれませんか。
もちろん、外国から来た同年代の「意識人」(知識人に非ず)には、私の家で預かります。
会員同士のバーター契約なら年金でやっていけるでしょう。
人生の三分の一以上を悔やみながら生きていくのはあまりにもばからしいものです。
東京オリオンピックで通訳のボランティアをしたいので、それに間にあうようにしてくれませんか。