社会作り

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復活ノート

「社会作り」
起業コンサルタントだけでなく、介護コンサルタントをしていますので、障害児の家庭で話を聞くことがあります。
一般の学校に行っていても、両親が仕事をしていれば、下校すれば、そのまま施設に直行します。つまり、学校に行かす費用だけでなく、施設の費用もかかってきます。
また、学校にも行けないほど重い障害があれば、一晩中親が交代で世話をする場合もあります。
それが、何年も続くのです。ヘルパーが来ても、利用する時間数も限られていますし、夜中は家族が見なければなりません。
子供が、そのまま20代、30代になれば、親も年を取ります。私が知っている家庭では、筋ジスの子供は30代で、世話をしている親は70代です。二人が、深夜でも子供が何か言えば起きなければならなのです。
もちろん、筋ジスでも一人暮らしをしている人もいますし、病院にいる人もいます。
この家庭は、自宅で一緒に暮らしたいという選択をしたのです。
どの家庭も、経済的に逼迫していますし、いつ倒れてもおかしくないという状況です。
私やスタッフも、別の病院や施設の状況を話すぐらいのことしかできないのが正直なところです。もちろん、世間話をして、少し肩の力を抜いてもらえるようにしていますが。
震災後、日本人は、新しい社会をめざしているという説がありますが、ほんとでしょうか。
そうであっても、国家財政が破綻寸前にもかかわらず、震災復興資金をこそっと調査捕鯨に使うような国は、ちゃんとした道筋を作ることができるのでしょうか。
こうなったら、私たちで作りましょう。心が病んでいる人に、「生きなおし」という治療があります。もう一度生きれば、自分を取りもどすことができるというのです。
社会の「作りなおし」です。「ぼくの前に道がない ぼくの後ろに道は出来る」という高村光太郎の詩がありますが、みんなが、それぞれ歩けば、道は重なり、また、広くなっていくわけです。
そして、もう道ではないほど大きくなれば,広場と呼ばれ、社会となるのです。
自分たちが作った広場=社会ならば、自分たちが主人公です。障害児(者)も老人も主人公です。なぜなら、その人たちも道を作ったからです。
まず「公園で遊びましょう」と呼びかけて、家に閉じこまざるをえない人を引っぱりだしましょう。公園では、催しものなどはせず、ただのんびりするだけです。
最初は来る人が少なくても、だんだん増えてきます。噂になれば、人も来ますが、市から何か言ってくるかもしれません(「ゆるキャラ」は何の意味があるのかと言えばいいのです)。
みんなが、雰囲気に慣れてくれば、障害者が障害者を世話することも出てきます。
今、障害者が出てくるNHK番組に人気があります。最初は、その姿に不意を突かれても、その人が、たどたどしくとも話しだすと、おしゃれが好きの女の子だとわかるようになります。お互いが、それに慣れれば、何でもないのです。
自前の公園もいいですね。資金は集まります。国境で揉めている島を買うお金が何十億と集まったそうですから、社会を作るお金ぐらいすぐ集まります。
アメリカの家庭の70%がカツカツの生活という調査結果があります。日本はもっとひどいかもしれません。社会が出る番です。