二者択一を疑え

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復活ノート

「二者択一を疑え」
最近痛ましい交通事故が多発しています。亀岡の場合でも、高速バスの場合でも、加害者の責任は大きいのですが、それぞれ、「ガードレールがあれば」、「ガードレールと防音壁の隙間がなければ」、あそこまではならなかったそうです。
原発でも、電力会社の補助金や賄賂攻勢で、危険を指摘する人の声はかきけされたのです(ただ、国民も、自分の生活を維持したいがために、「プロ」の電力会社を疑わなかったのですが)。
だから、関電などは、原発以外のことは頭になく、「火力発電などは、メンテナンスに3年かかる」と言う始末です(これも、政府が、「もしものときに備えて、すぐに稼動できるようにしておけ」と言っておれば、そうあわてることはなかったはずです)。
そして、今度どうするのか、です。電力会社のほうは、政府、産業界以上に「原発稼動ありき」の立場でしょう(採算を考えて)。
無責任のようですが、反対派も、その「反対」の程度が少し変わるようです。
「どんなに不便でも、原発は反対だ」から、「活断層などのことを含めて、ストレステストに納得すれば、稼動を認める」などさまざまです。
さて、世の中は、あるいは、個人の人生でも、「最後は二者択一だ」ということをムーズしてきましたが、原発問題は、まさにそうです。
ただ、電力会社の思惑の二者択一です(大阪の市長も、敵を論破するために、そういうことをします)。
しかしながら、原発に関しては、反対派の粘り勝ちです。原発は、一旦止めると再稼動には時間がかかるようですし、夏を乗りきると、反対派が自信をもつからです。
この間に、風力発電、揚水発電、地熱発電などの新しい発電技術の開発、また、消費量の多いときに料金を上げ、夜間に下げるなどの政策などが行われると、原発再稼動か反対かという二者択一から飛びでることができるのです。
また、経営者もハムレットです。どちらにするべきかと悩むのです。
しかも、私たち中小企業者は、選択をまちがうと、命取りになる場合があります。
だから、蟻地獄にはまってしまい、自分には、どちらかしかないように思えてくるのです。
「苦しみながら、二者択一までもってきたのに、いまさら」という思いから脱却できるかどうかです。
また、「早くこの苦しみから逃れたい」という思いもありますから、安易な選択をする恐れがあります(それで、後悔するのです)。
社会には、様々な立場の人がいますから、逆に、他の選択肢が出てくるのですが、私たちの場合はそれがありません。自分が、他に意見を求めないかぎりは。
「二者択一を疑え」を、私たちの合言葉にしましょう。
もちろん、最後には二者択一になるのですが、この先はない二者択一にたどりつくまでが勝負です。