
なんでもやりたい
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復活ノート
「なんでもやりたい」
「見るべき程の事は全て見つ」とは、平知盛が壇ノ浦の合戦に負けて入水(じゅすい)するときに残した言葉ですが、彼の場合はもちろん平家の盛衰を言っています。
どんな国も、どんな武将もいつかはどこかに、あるいは誰かに取ってかわられることは歴史が教えてくれますが、勇猛であり賢明である知盛は、それは仕方がないことと思っていたかもしれません。だから、一通り見たと。
私たちも、事業を開始してから、油断、怠慢、高慢というものを経て、「没落」を迎えたのですが、もう一度やりなおそうという意欲が残っているのはすばらしいことだと思います。
しかし、社員の離反や裏切りというものを相手になすりつけるのではなくて、自分に責任があると反省しなければなりません。
つまり、過去の事業での「見るべき程の事」は全て自分の「不出来」なのです。まわりが自分を見る以上に、自分が自分を見ることを少し怠ったのはまちがいありませんが、はじめてのことでは失敗はありがちですから、次は気をつけましょう。
また、事業の復活はむずかしいとしても、人生では必ず復活しなければなりません。
まず自分の言動を見て、直すべき点は直さなけれなりません(性格は、そう簡単になりませんから、それを補うようにするのが人生の知恵です)。
そして、人生では、「見るべき程の事」も大事ですが、「するべき程の事」のほうが重要です。
私も、「口ばっかり」と陰で言われてきたような気がしますが、このままでは死にたくありません。
しかし、今さら、「さすが」と人から言われてもおもしろくありません(もちろん、65才になって驚くようなことはできません)。
生きていくための拠り所は、評価ではなくて、自信です。もっと具体的に言えば、「好きな
こと」をもっているということです。
「自信」という言葉は、使う人によっては「妄想」と紙一重です(「自信家」という言葉があります)。
「するべき程の事」をするには何をするのか。最初は、昔からしたかったが、人間関係が苦手でできなかったことです(人間関係は死ぬまでついてきます)。
私なら、農業全般かな(花植えも)。私は農家の子供で、田んぼや畑もありますが、都会で事業をしたのと、実家の近所の人間が苦手なので、何もできないのです。自分で米や野菜を作ったりすると、何事も動じない余裕ができるような気がします。また、マージャンや将棋、碁もおぼえたい。これだけやれば、世間並みの老人になれるかもしれません。
とにかく、何にもできないのです。「人がやることは自分もやってみたい。でも、人が嫌い」のとしよりは多いはずです。何しろ団塊世代ですから。
私自身の人嫌いは、かなり収まったような気がします。こんな老人のための講座はありませんか。