未来予想図

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復活ノート

「未来予想図」
わざと卒業を1年遅らせて、昭和47年(1972年)に大阪の会社に就職しました。
京都で学生生活を送りましたが、電車で小一時間の距離なのに、そのちがいに、「お上りさん」のように驚く毎日でした。
何分、ビンボーだったので、三畳一間のアパートには、テレビ、冷蔵庫、風呂などなくて(私だけではありませんでしたが)、「世事に疎い」というより、世事に背を向けた生活を送っていたものですから(これも、私だけではありませんでしたが)、なおさらそうでした。
とにかく、髪の毛を耳が見えるまで切らされ(!)、無我夢中で上司の言うことを聞いていました。
京都とのちがいで、一番びっくりしたのは、阿波座の風景でした。
中央大通の上には、阪神高速の環状線と神戸線が立体的に、しかも、ループ状に重なっているのです。
今は、首都圏などではめずらしくはないでしょうが、宇宙都市のように思えました。
当時でも、子供のようにびっくりするものはいなかったので、家族や同僚などにも話したことはありませんでしたが、どこかで見たような風景のような気がしてなりませんでした。
それは、昭和30年過ぎに流行った「空想科学漫画」で見たものに似ていたのです。
当時は、「戦後は終わった」と国が宣言した時代ですから、明るい将来が見えてきたという喜びが国全体に広がっていたようです。
科学的なことはさておいて、このまま進めば、日本どころか、地球さえ狭くなるぞと思うようなことだったのでしょうか。「宇宙カルタ」では、みんな宇宙基地で働いていました。
田舎生まれの私も、まだおやつさえままならない時代でしたが、「大人になれば、こんな時代になるんや」と、小松崎茂や山川惣治の世界に夢中でした。
特に小松崎茂は、戦前から「戦争もの」を描いていましたが、戦後、子供たちに夢を与えるために、「空想科学」に力を入れるようになったようです。
それなら、今もまた、子供たちに夢を与える時代ではないでしょうか。
日本の復興、再建のために、政治家や企業家、学者が動いていますが、ほとんどが、自分たちの利益を最優先する「ムラ人」なので、話がまとまりません。
私の思うところ、「空想科学」のプロを入れるべきです。「空想科学のプロ」は、「国民の、特に子供の生活しか考えない人」だからです。
雑誌社は、その特集をするべきです。それまで、私がその代役を。
再生可能エネルギーは、太陽光や風力など、いくつもありますが、地熱発電に重きをおきます(もちろん、地域が、共有で使用します)。
家は、「きのこ」のような形をした「ツリーハウス」です。太い柱の中は、電力供給装置とエレベーターが入っています。しかも、地震や津波からも守る材質でできています(長さは、その地域にあわせることができます)。
それ以外の敷地には、何もありませんから、芝生で覆われています。
もちろん屋根にはソーラーパネルがありますから、核由来の電気は不要で、しかも、天災や防犯上の安全はパーフェクトです。自然を傷つけることなく、自然に囲まれた生活です。夢物語こそ、すべてのエネルギーの源です。さあ、次はプロが・・・。