
時間
{ }
復活ノート
「時間」
一日が瞬く間に過ぎるように感じることもありますし、「開かずの踏み切り」で、いつまでも電車を待っているように思うこともあります。
一日が積みかさなった一週間、一月、一年という時間の場合もそうです。
日本で(今、「日本で」といえばたいてい「世界で」ということですが)一番長生きしている人に、テレビのアナウンサーが、「人生は、どうでしたか?」と聞けば、「短かったような、長かったような」という答えが返ってきます。
私たちも、100年は無理としても、最期になれば、「短いような、長いような」と感じるのでしょう。
誰でも、人生において、些細なことから一生に一度というようなことまで、無数のことをします。たとえば、毎晩の晩酌や、定年までの会社勤めなどをして、時間が立っていきます。
そして、それぞれに対する思いがちがっているので、人生は、「短いような、長いような」となるのでしょう。
復活をめざすようになって、4,5年立ちましたが、毎日コツコツこなしている部分は、長く感じ、早く復活したいと思うと、時間は、私を待ってくれません。
そう考えれば、私たちは、時間を時間だけで捕らえるのではなく、何かをしている時間として考えているようです。
桂枝雀は、自分の暗い性格を変えるために、常に笑っていようと考えたと言っています。そんなふうに懸命に努力したのに、心の病にかかってしまいました。
ようやく病も癒え、社会復帰をしようという矢先に、自ら命を落としました。
心の病にかかった場合には、こういうことはよくあるようで、玄関を出るときになると、自分は、たいへんな遅刻をしているとあせるのかもしれません。
私たちも、最初の事業計画から見れば、遅れに遅れています。
あせったばかりに、無理なノルマを自分に課して、絶望の淵に、自らを追いやるということにもなります。
順調に事業を進めた経験に、今失敗から学んでいる知恵を加えると、あなたの最高の能力が生まれます。そのことを忘れないでください。
以前、一日が、下り坂のように感じたら、あせっている証拠だし、上り坂なら、あきらめているかもしれない。平坦な道であれば、復活をめざして、着実に歩いているのだと言ったことがあります。
「一日をどう感じる」が復活の基本だと思います。
自分に課したノルマができなかったとしても、次の一日、次の一月、次の一年があります。
私は、スクワットなど、金のかからない運動を毎日していますが、「あと40回もあるのか」などと思わずに、「さあ160回したぞ」と必ず考えるようにしています。
枝雀が、笑顔を絶やさなかったように、私も、「まだ先は長い」などと思いがちな性格を出さないように気をつけています。