時代のビジネス

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復活ノート

「時代のビジネス」
今年も台風や温暖化が油断なりません。この前までの猛烈な寒さも、温暖化が原因だという話もあって、これでは、1年365日24時間温暖化の営業日となるようです。
熱中症で死亡する人の数も、マスコミで知るかぎりかなり増えているようです(ただし、ネットで、このことについて、数字のマジックだという批判があるので、具体的な数字は出しませんが)。
ただ、暑さに倒れたとしよりがまわりには多いので、昔とはちがうなと実感しています(先日の新聞記事では、熱中症になると、体の細胞が卵の白身のようになるらしいので、回復は相当遅れるそうです)。
時代どころか、気候が劇的に変わってきていることはガッテンせざるをえません。
成人病を生活習慣病と変わって久しいですが、これはうまい命名だと思います(今や30代、40代から脳梗塞を起こす人がいるのですから)。
さらに言えば、生活習慣には、食べ物や運動だけでなく、生き方も入るようにしたらいいと思います。
田舎の話で恐縮ですが、私の親の世代以上は、田植えがすめば、お日さんがぎらついても、大雨でも田んぼの草取りをするのが人間の勤めだと教え諭されていますから、被害にあいます(近所の目もあります)。
また、道路も本来人間が通るところで、車は人間に気をつけて通るべきだと覚えていますから、交通事故にあいます。
少し大げさですが、人間そのものは変わる部分は少ないでしょうが、生活そのものは変えざるをえなくなっています。
どの時代のとしよりも、それは頭で分かっていても、体が分かっていないのです。今、熱中症で倒れるのは、それが原因なのです。
また、社会構造も、私の若いときはちがってきています。当時は、ほとんど家庭が貧しかったように思いますが、「格差社会」という言葉はありませんでした。
真面目に働けば、何とかなるという空気がありましたが、最近は、貧富が固定してきているのです。
社会を敵と思うようになった若者が、凶悪な事件を起こす背景には、出口が見つからない焦燥感があるのです。
数年すると、一滴の血液でガンの検査ができるそうです。それで救われる命はかなりあると思いますが(検査料は数百円ですむそうですから、私も心待ちにしています)。
しかしながら、社会を変えないと、長生きしても、それに比例して辛いことも増えるだけではないですか。
それは個人の責任だ。景気を上げているじゃないかというのが今の政府の考えですが、それでは、温暖化で責任をなすりつけていることと同じです。
多くのとしよりだけでなく、将来のある若者も、生きつづける希望をもつことができません。
社会にいる者が、もちろんビジネスとして、格差社会に立ち向かうことができないか考えたらどうでしょう。
今取り組んでいるビジネスの一環として、あるいは、新たなビジネスとして、自分は一人ではないと思えるようなビジネスはありませんか。
自分が生きているのが精いっぱいと言うかもしれませんが、誰も経験したことのない時代になっているのです。
ネット社会、国際社会になって、肝心の国が存在意義を失くしています。このままでは国民は国に息の根を止められてしまいます。ある意味、これほど新しいビジネスが待たれている時代はないと思います。