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復活ノート
「iPadビジネス」
としよりは天邪鬼です。食べ物でも着る物でも、いくら便利とわかっていても、今までの自分の歴史になかった物には抵抗があります。
「いまさら」ということが先に立って、それと折りあいをつけるのがしんどいのです。
いや、自分のプライドを傷つけられたようにさえ思うのです。
なぜわかるかって?私も天邪鬼だからです。しかも、若い頃からの筋金入りです。
夏目漱石の「坊っちゃん」ではないですが、それで「損ばかりして」きています。
ボーリングやカラオケのブームのときは、「人がしているものはしない」主義だからと言って、まわりの人間を興ざめさせました。
だから、人が寄りつかない、後からはじめても技術がない、人を誘えないという「デフレスパイラル」の人生です。
しかし、人がやっていないことをしたり、人が持っていないものを持ったりするのは、いくら金をかけても惜しくないのです(我ながら人に好かれない性格に生まれたものです)。
今のように、次から次へと新しい物が出てく時代に若くなくてよかったと思います。
ハイブリッドカー、3Dテレビ、iPod、iPad・・・。もう出つくしましたか。 そんなことはないでしょうね。
それにしても日本のメーカーはどうしたんでしょう。テレビのシェアは韓国がトップですし、ケータイは、「ガラパゴス化」といわれています(しかし、その言葉はおかしいと思います。古い技術のままではないのですから)。
ウォークマンの後がないのですね(長野オリンピックのときに見た腕時計式のケータイはどうなったのでしょう)。
ハイブリッドカーも油断できません。中国やアメリカには新興メーカーが次々生まれています(トヨタは、アメリカの企業と提携しました)。
生まれつきの天邪鬼でも、IPadには興味があります(「取説」がないといことも理由です)。
先日、テレビで、80歳のおばあさんがiPadが使えるようになるかという「おちゃらけ」をやっていましたが、案外使えるようになりました(それより孫やその友だちが見にきてにぎやかでした。50年前のテレビのようでした)。
としよりでも使えるのはわかりましたが、後は何のために使うかだけです。
ところで、大勢のおとしよりを知っていますが、ほとんどの人が自分ほど不幸な人間はいないと感じています。
私は、年を取ることは不幸ではないと言っています。年を取るのは生きているからです。
少しぐらい動きが悪くなるのは仕方がないことです。
早く死にたいというのも本音ではありません。百まで元気で生きてころっと死にたいと言って、「勝手なこと言うな」と医者に怒られたとしよりがいました。
生きるということは、自分や物事を分析して、自分が進むべき道を見つけることだと思うのですが、その手伝いをすることにiPadを使えませんか。
どのように会員を集めるかは自分で判断していただくとして、としよりにこそ、「健全な精神は健全な肉体に宿る」(ほんとは「健全な精神と健全な肉体が大事」ということらしいですが)を実感してもらう必要があります。それは、悩める若い人にも役に立ちます。