ゲームビジネス

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復活ノート

「ゲームビジネス」
昔、ロシアの小説家は、「アネクドート(逸話)がほしい」と日記に書いていました。
それがあれば、小説に膨らませることができ、読者を「巻を置くに能(あた)わず」にすることができるのでしょう。
「ハリー・ポッター」というシリーズも、魔法学校のアネクドートで、あれだけの長編になったのです。
「事実は、小説より奇なり」という言葉があります。
つまり、いかに想像力がたくましい人間でも、大勢の人間の感情がぶつかる「事実」を作ることはできないからでしょうか。
今回の世界的金融危機も、100年に一度あるかどうかと言われていますが、世界中の投資家の思惑でできあがった「事実」です。規模といい、複雑さといい、なかなかの出来ば
えと評価されるはずです。
また、小説(fiction)は、「事実」に影響を与えます。
不可解な事件が起きると、「あの小説とそっくり」というように言われることがあります。
その究極が戦争です。
小説をゲームと置きかえると、今の戦争は、イラク戦争を見てもわかるように、「直接人間が傷つかないようにして、相手を殺す」というゲームを真似ています。
お茶の間で、コーヒーでも飲みながら、ボタン一つで相手を殺すことができるのです(しかし、「事実」は、朝鮮戦争以来のアメリカ兵の戦死者が出ているそうですから、「事実」の方が上手《うわて》なのかも知れません)。
ゲームは、コンピュータが開発されてから、一気に発展しました。警察につかまえることなく「人殺し」ができるし、家を出ることなく「冒険」をすることができます。
「現実にできないこと」がテーマなら、昔のアメリカのパロディはどうですか。
何百年後かは、世界は殺伐になり、人は、お互い殺しあうようになっています。
家庭も油断ができません。母親が、小学生の子供を起すとき、「てめえ、早く起きろ。ぶっころすぞ」とライフルをつきつけるのが当たり前です。
その世界の子供もゲームが大好きで、通学の途中で出あった人に、いかに上手に「おはようございますか」というゲームが人気です。
今(事実)とまったく反対ですか、似通っているところもありますか。
人が、そんなにゲームが好きなら、ゲームビジネスはいかがですか。ただし、コンピュータゲームは、何十億とかかりますから(ほとんど人件費でしょうが)、それは大企業に任せて、いわゆるアナログに徹するのです。
私は、おとしよりのスポーツも提案していますが、軌を一にするものです。
おとしよりも、人を殺したいし、冒険もしたいのです。