家長として
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復活ノート
「家長として」(2)
前回、突然会社が倒産したり、リストラに会ったりすることが他人事ではなくなりつつあるということを言いました。
最近のテレビニュースのトップは、株価や為替レートの変動から、中小企業の現状に移りつつあります。注文が減った、貸してくれないなど、経営者の悲鳴が聞えてきます。
そうなれば、大企業なら、まず派遣を減らしますが、中小企業は、中高年社員に目がつけられます。
私たち経営者の場合は、自業自得で職を失ったという面もあるのですが、サラリーマンの場合は、納得がいかないことも多いでしょう。
分別ある大人が、破廉恥な事件を起して警察に連行されるニュースが流れると、世間は、「奥さんや子供は辛いだろうな」と同情します。
私も、会社を破産させ、何もかも失いましたが、そんなニュースを見ると、自分がどこかに連行されているような気がしたものです。
時間が立てば、少しはショックも和らぎ、次の仕事への意欲もわいてくるでしょうが、これからしなければならないことはたくさんあります。
父親=家長としての仕事です。恥かしい気持ちを引きずって接するのは避けるべきです。
子供が、どう振舞うのか困ってしまいます。
私の場合は、4人の子供がいますが、父親が25才から30年間続けてきた事業がなくなったのですから、口には出さずともショックだったでしょう。
ただ、みんな大きいものですから、長男は大学院を無事卒業しましたし、中学生から引きこもりだった次男は、IT関連の営業をするようになりました(これにはびっくりしました)。高校をすぐにやめた長女は、調理師免許を取り仕事をした後、結婚しました。
次女も、ニュージーランドから帰国した後、仕事をしています。
恥辱と憎悪ではじまった5年間でしたが、それは、自分で世間を狭くしていたのです。
この間(かん)、ほんとにやりたいことが見つかり、なにより、子供が親の失敗にもかかわらず、いや、親の失敗を契機に、大きく成長してくれたことは収穫でした。
あのまま低空飛行のまま事業を続けていれば、まちがいなく脳梗塞か心筋梗塞で倒れていたと思います(毎日外食をしていましたので、中性脂肪が500以上あったのです)。
さらに、子供と顔を合わせても理解しあうこともなかったでしょう。
山道に迷った挙句、誰も知らなかった、すばらしい風景に出あうようなものだと思います。
私の関係者は、放漫経営をしたのが失敗の原因なのによく言うよと思うかもしれませんが、してしまったことは仕方がありません。それが、当時の自分の甲斐性だったのです。
そう、家長として求められる甲斐性は金儲けだけではありません。失敗を克服する力も含まれます。うじうじしている暇はありません。
生きることは夢を持つことであり、夢は、失敗したときこそ必要である。なぜなら、夢が生きるエネルギーになり、「道しるべ」になることを教えなければなりません。
しかし、人は、なぜ夢をあきらめるのかも大きなテーマになります。
私は、人生は、誰にでも平等に与えられた一日を大事なものの思うか、翌日には代わりのあるものと思うかで差が出るものだと思っていますが、これも、失敗をし、持ち時間が少なくなってきたからこそわかってきたのです。
子供といっしょに酒を飲みながらでも、失敗から学んだことを教えてください。