素性(2)

   

今日もムーズが降りてきた~きみと漫才を~

「素性」(2)
前回、風景だけの写真より、全く知らん人でも人が写っているのを見るのが好きやゆうた。
しかも笑顔の人より、照れたりブスッとしているほうがええ。つぎどんなことをゆうのか考えるのがおもろい。
ぼくは、誰かと話をしていても、その人の足を踏んだり、コーヒーを頭からかけたら、どうなるのやろと思うことがある。まっ、恐いくせに蛇をつついて遊ぶようなもんか(実存主義的な嗜好やな。何のこっちゃわからんが、そんなことゆうているから、嫌われるんやろ)。
ところで、明治、大正、昭和の元町商店街の写真に写っている建物の説明に目が留まった。
「この建物は、〇〇洋服店で、今もある」、「このコーヒー店は、今もにぎわっている」などといっしょに、「奥に見える建物は、現在の〇〇銀行の前身の一つである〇〇銀行の前身の〇〇銀行である」、「この建物は、現在の〇〇銀行の前身の一つである〇〇銀行の前身の一つである〇〇銀行の前身の〇〇銀行である」・・・。
そんな説明を見るのは初めてやった。誰が書いたか知らんけど、よう覚えている上に、几帳面な性格やと感心した。
明治、大正、昭和初期の建物は、今のビルのように、愛想もくそもない、つるんとした建物ではなく、ヨーロッパ建築を真似ているから、装飾も施されていて、堂々としている。せやけど、神戸の人が畏敬をこめて見上げた当時は、自分が、こんなに合併や吸収をする運命が待っているとは知る由もなかったやろ。
それを考えていたら、建物が人のように思えてきた。元町は、前回書いたように、ブラジルなどへ移住するための中心地やった。ぼくの友だちの田中君も、家族とともに移住したんやけど、ここで、どんな運命が待っているのやろかと、子供心に考えたやろな。
ぼくらは、これからの運命を気にかけるが、今までのこと、つまり、親やその前、また、その前の世代の運命で自分がいるのはあんまり考えへん。
せやけど、それを知りたくて仕方がない人もいる。「ルーツ」のクンタ・キンテや、中国に取り残された人も、必死で自分の過去を探す。ブラザー・トムが父親を探すのも、ドキュメンタリーでやってたやろ(小柳トムゆう名前で、警官の格好をしてコントやっていたのに、いつのまにか歌手になっていた)。
もちろん、中国に残された人は、日本で、身内を探さんとあかんゆう切実な理由があるけど、誰でも、自分の親のことは知っておきたいとゆう本能的な気持ちがあるのやろな(ぼくらは、簡単に親が嫌いになるけど)。
ところで、ぼくらのように、下々(しもじも)のもんは、ひいじいさん、ひいばあさんのことはわからん。つまり、孫の子供ぐらいになると、ぼくらは闇の中や。死んでからも覚えててもらえるのは、50年ぐらいか。
田舎の葬式なんかで、近所のとしよりから、「あんた、どこの子や」、「ああそうか、あれの孫か」、「あそこにすわっているとしよりは、あんたのおじいさんのいことや」とかゆわれる。自分が、ジグソーパズルの一つのピースになったような気がする。若い頃は、他人に自分の素性(そんな大層なもんやないけど)を知られていることはいややった。60近くになると、そうゆうことをゆわれると、何か安心するところがある。氏神さんに守っていてもらえるような気がするようになった。
人間ゆうもんは、年をとると、自分の居場所にもどるもんやろか。「プチ」クンタ・キンテのようや。せやけど、親の世代も、だんだんいなくなり、同級生も、そこまで知ってへん。
今年も終わりに近づいてきた。30年前に死んだおばあちゃんと今年死んだ母親のことを思い出すようにするか。二人とも、元町商店街で見た昔の銀行のように、紆余曲折などなく、平凡な人生を送ったけど。

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