団塊の世代(3)
今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~
「団塊の世代」(3)
ぼくら「団塊の世代」が子供のときは、まだ根性論がまかりとおっていた。
「スポーツのときは絶対水を飲むな」とゆうのは当たり前やった。「なんで?」と聞くもんはいなかった。「体が悪くなる」か「性根(しょうね)が足らん」とゆわれるのに決まっていたからな(昔は、マラソンでも水を飲まんかったらしい)。
「タバコをすうな」も昔からあった。停学などの処分があったけど、これも、当時は、すうたあかん理由は不明やった。学生の分際で、大人のまねをするなとゆうことやったんやろ(健康との関係で喫煙が問題になったのは、この20年ほどやろ)。
とにかく、男女同権・民主主義がはじまったけど、しばらくすると、国は、「期待される人間像」とかゆう妙なもんを出してきたな。ぼくの中学の校長は、「あほの一つおぼえ」でこればっかりゆうとったな。「おはよう。期待される人間像」、「がんばれ。期待される人間像」てな調子やった。せやから、ぼくらは、「個性」ゆうもんの出し方がわからんかった。
田舎では、ニュースはNHK、ビールはキリンビール(缶ビールが出てきたときも、田舎では、客にそんなん出すのは失礼やった)、新聞は朝日(ちょっと左やけど、他の新聞では頭悪いと思われる)などと、すべて決まり(?)があった。
小学生の頃は、男が赤い服を着ることは考えられんかった。「女色の服なんか着て」と冷やかされた。あるおしゃれな(だから、毎日服を変えてくる)男の教師は、「伊達(だて)**」(**は、苗字の一部)とゆうあだ名がついていて、他の教師や父兄から、あんまりええ評価をされんかった(そんなことに頭使わんと、仕事をせえゆうことやったんやろ)。
とにかく、世の中は動き、ぼくらも大きくなっていった。「人は時代の子」とゆわれるけど、「人は土地の子」でもある。大学の友だちは、全共闘で活動していたけど、日頃、おしゃれで、バンファッションで決めていた。土方才三のようなやさおとこやったけど、彼女が運転免許を取るゆうたとき反対した。「ぼくの存在がうすれるからな」とゆうたので、びっくりした。土佐の生まれやったから、「男ちゅうもんは」と教えられとったんやろか。
爾来40年。満員電車に乗っても、手の置き場所に悩んだ自意識過剰の青年も、「エロいやらしい」おっさんになったけど、それも、自然の摂理や。
これから、楽しみやで。定年になったからゆうても、働かなあかん人も多いやろけど、自分は、どう生きていくべきかを決める経験も体力も残っている。つまり、大人として求められるもんを、全部持っているような気がする(少なくとも、大人とは何かは知っている)。
ぼくら「団塊の世代」は、戦前世代と戦後世代の間にいる。単に「団塊」(かたまり)とゆうだけでなく、古いもんは捨て、大事なもんを伝える役目がある。つまり、「境界」をなくす「断界の世代」や。
ぼくら♪今年六十のおじいさん~♪になっても、自分たちの子供を小船に乗せて、ギッチラギッチラ向こう岸までは連れていったあとは、その小船で、自分の冒険に出ようやないか。