クセ
今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~
「クセ」
京都に、弁護士で作家の有名なセンセがいるけど、しょっちゅうお手伝いさんを募集している。
京都の人間は、特に女性は、そのまた特に看護師やヘルパーなどの仕事をしている女性は、その求人広告を見て、「あっ、また出してはる」ゆうて、にやにやしている。
なんで3ヶ月、半年に1回募集しているのか知らんけど、そこに勤めていた人の話が都に広がっている。
シュとした顔で、インテリやから、まさか上田吉二郎みたいなことはしてはらへんやろけど、とにかく京都では有名らしいで。
そのセンセとまったく関係ないけど、介護ヘルパーで、体をさわられへんもんはいないやろ。
ぼくもやると思う。確信がある。手がだめなら、足でやってやる(このじじい、頭おかしくなったで)。
自分の手クセ、足クセは死ぬまでなおらんことをゆいたくて、えらいセンセまで引っ張りだしたけど、みんな誰にもゆわんといてな(向こうは弁護士や。名誉毀損で訴えられても、ぼくお金ないから)。
5月15日号の週刊朝日に、大江健三郎と井上ひさしの対談が載っているけど、「クセ」とゆう言葉は、「くさい」から来ていてようで、「悪いクセ」とゆうても、「ええクセ」ゆうのはちょっとおかしいらしいな。
確かに、「ひとクセもふたクセもある」とか「あいつはちょっとクセがあるからなあ」とかゆう(人間性についてのことやろ)。
せやけど、日常生活は、クセとゆうか行動パターンでできている。
ぼくは、昼ごろ地方都市を走りまわっているけど、ある商業施設の駐車場のあるスペースには、いつもある製薬会社のプロパー(今は、MRとゆうているけど)の軽自動車がとまっているし、ある公園沿いの道のある場所では、社名はないけど、赤い車が止まっている。
いっぺん何をしているか見たろと思うて、ゆっくり走ると、運転席側にカーテンをかけて、若い男がメールをしていた。その場所は、弁当食べたり、メールしたりできる自分の部屋なんやな。
前にもゆうたけど、会社の近くに変形したYの字の中になった裏道がある。そのYの字の中に家があって、そこは信号がないから、ゆっくり確認をせんとあかん。すると、その家の洗濯もんが目の流れの中にある。80すぎの母親と息子の二人暮らしで、その息子の白いパンツが、よう乾くようにいつも一番前に干してある(最近は、干してなかったら心配するようになった。ヘンタイか)。
この地方では、二階のベランダは柵ではなくて、高さ80センチぐらいの塀で囲まれている家が多い。それで、バスタオルなんかをその塀に掛けるおばあさんがいる。何十枚も掛けているのは変やけど、よう乾くようにしているのやろな(虫がつかへんか心配になるけど)。
これも、クセや。他人になんとゆわれようと、自分が気持ちよかったら、それでええのやろ。
「人の運命はわからん」とゆうけど、多分、何百とゆう自分のクセで決まるような気がする。
ぼくも、早うクセをつけようと思うていることがあるねん。血圧が高いから水を取れとゆわれているから、毎日仕事の合間に自動販売機で「リアルゴールド」を飲むようにしている。それで、コインを入れたあと、まず「氷なし」のボタンを押すことや(すぐ忘れる)。
このボタンで運命が変るかもわからんからな(ケチだけか)