まず夢ありき

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復活ノート

「まず夢ありき」
今日アップルのウオッチ型の端末が発売されましたが、去年のアイフォーンのときのような混乱は起きていないようです(マスコミが一人空騒ぎしているようです)。
それは、予約販売をしたので行列が少なかったからだそうですが、しかし、ウオッチのような端末は、今のところ、「うれしがり」しか飛びつかないような気がします。
昔、アップルはマイクロソフトの後塵を拝していて、デザイナーなどのMACユーザーはいましたが、一般受けは少なかったので売り上げは伸びませんでした(今でも、初心者は、「ウインドウズ」に行くのではありませんか)。
だから、「あの人は今」的な状況になっていたように記憶しています。ジョブズのような革新的な人間がスマホに取りくみ、アップルを生きかえらせたのでしょう。
ただ、スマホの急激な成長はしばらくないような気がします。ある意味では行きつくところまで行ったように思えるのですがどうでしょう。
それと同時に、信州大学の総長のように、「スマホをやめますか。それと、信大生をやめますか」という人もいます。
また、私もそうしてしまいますが、何かわからないことがあると、とりあえずネット検索をしますが、それが気にくわない大学教授や評論家が、「ネットで安易に頼るな」と警告することがありますが、どちらも、ほどほどにということなのでしょう。
ほしかった「おもちゃ」を買ってもらった子供は、最初寝ても覚めてもそれをさわりたいものですが、いつかは放りっぱなしにするものです。スマホもいつかは、必需品ではあるが、「これがなければ」という熱は冷めるのでないかと思います(ただ、通信機能がついていますので、「スマホをやめる」わけにはいかないでしょう)。
とにかく、インターネットは文明そのものになってしましました。私たちがインターネットを歓迎する以上に、国家はインターネットなくして存在できなくなってしまいました。
日本は工業立国と言われながら、最近は出番が少なくなりました。そして、人口が多いためもありますが、経済指標で中国に抜かれることも出てきました。つまり、自ら開発したものがないと言うことではないでしょうか。
発電技術、自動車など有望なものはいくつもあるようですが、まだ、世界の生活や社会を変えるまでになっていません。
別に、いまいましい中国をぎゃふんと言わせたいわけではありませんが、原発など作らなくても、電気が自由に使えたらどんなにすばらしい社会になれるだろうかと思うのです。
私たちも、インターネットやケータイ、スマホのように(もちろん、それまでのラジオ、テレビのように)、少しでも生活や社会を変えるほどのものやサービスを考えましょう。
まずは、こんな生活をしてみたい、こんな社会になってほしいという夢をもつことです。それから、自分の立っているところからあたりを見たらいいのです。そこを埋めるにはどうするかになるのですが、どんな分野でもすぐにはできません。大抵のものはそこであきらめるのですが、小さなものからはじめるのなら、かなりのものができるかもしれません。
まずは自分のビジネスに対する夢を描いてください。まずはそこから。