何かが右からやってくる・・・
今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~
「何かが右からやってくる・・・」
何かは、右だけでなく左からも来るけど、どちらから来るにしろ、急に来るから、それが来ると、受け流すしかないか、受け止めても、どうしたらええかわからんことがある。
この前、ある薬局の大型チェーン店のレジに行こうとしたら、二十歳前後の若い男が先に並んだ。
若い男は、小さな箱を一つ買っていた。あれは何やろとなにげなく見ていたら、「そうや、あれや」と気がついた。「そうそう、エイズにならんためのもんや。昔は、もっとたいへんなことにならんためや」とピンときた(今もそうやろけど)。
別に珍しいもんではないけど、昔、ぼくも、そうゆうもんを買うたような、買わんような遠い記憶の中にしかないから、不意をつかれた。
薬局のレジは、ふつう女の人やないか。そのときは、めずらしくバイトらしい若い男やった。
ぼくの悪い癖で、それから目が離れへんようになった(他人の顔にあるホクロをじっとみつめてしまうことがある)。
ぼくの後に並んだ中年の男も、ぼくの背後から、それをじっと見ているようや(そんな気がした)。
その成り行きを見ている間に、頭の中は、ぐるぐる回っていた。
「あれだけを買うと、茶色の紙袋に入れるのやな。せやけど、最近のレジ袋は、透明やから、いろいろ買うても、あれは袋に入れるのやろか。
スーパーでも、その気になれば、他人の袋の中身がわかる。『ぎょうさんインスタントラーメン買うとるな。そんなん夜食に食べとるから、あんな体になるんや』、『こいつは、半額シール狙いで来たんや』てなもんや」
若い男は、精算して、すっと出ていった。
レジの若い男も、その男の後姿をちらっと見送ったのを、ぼくは見逃さなかった。「あいつ、4組のやつやなかったか」とゆうように。
そのとき、ぼくは、遠い目をしていた、なんちゃって(うらやましいのか)。
そして、ぼくは思うた。「もし、ぼくが若くて、後30分後に、それを使う計画を立てていても、あれだけ買うやろか。栄養ドリンクでも買うやろ。あかん、あかん。そんなことをしたら、余計に腹で笑われる。それでは、サロンパスは?これも、『何張り切っているねん』とかんぐられるかもしれん。もっとさりげないもん、たとえば洗剤は?そうや洗剤にしよう。いつかは使うもんやからな」
あれ専門の店が、原宿にあるやろ。いつも、若い女の子でいっぱいや。
大勢いると「ほたえる」のは関西人だけやない。東北のおっさん、おばはんもやっている。漫画が描いてあるやつを見て、「これ、今度母ちゃんに使うべ」、「おまえの母ちゃん、生のほうが喜ぶべ」などとやっている。
そして、レジのまわりは、日常がもどった。ぼくは、ネズミを追い払うエサと、「あせも」の軟膏を出した(情けない)。
他人やまわりを見ていると、砂の中で砂金を見つけるように、キラッと光るもんがある。
賢人は、日常の中に、たとえば、風呂に入っていても、りんごが落ちるのを見ても、真理を発見する(もっとも、ぼくは、「自分が年取ったなあ」と発見したわけやけど)。
せやから、毎日、同じことの繰り返しに耐えられるかどうかが、その人の人生を決めると思う。織田信長でも、ナポレオンでも、毎日戦っていたわけやないやろ。
今は、老いも若きも、寸暇を惜しんで、メールをする(あれは、ようするに「うだ話」やろ)。
中田ひでのように、「人生は旅」ゆうて、自分探しをするために、飛行機のチケットを買わんでもええわけや(「人生は旅」は、湯川秀樹のパクリやないか)。
「今日も退屈やなあ。なんかおもろいことないんかいなあ」などと思うていると、嫁はんから、「あのさ、前から決めていたんだけど」と、「離婚届」の用紙をもらうこともあるやろ。
何かは、急に、右や左から来るで。ひょっとして背後からも。貴殿は、受け流せるか、それとも、受け止めてひっくりかえるか。
日常の中に、非日常がある。ちょっと涼しくなった?これは、ぼくの暑中見舞いや。