コメンテータ(2)
今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~
「コメンテータ」(2)
事件には事欠かかん世の中から、ワイドショーも大賑わいや。そうなりゃ、コメンテータが足らなくなる。裁判員も素人が出てくるようになったから、コメンテータも有名人でなくてもできるかもしれん。
ニュースの語源は、「新しいことの集まり」とか「東西南北の最初のアルファベット」とかゆわれているけど、確かに、今は「東西南北のこと」があっとゆう間に集まるけど、「新しいこと」はどうかと思う。
国内だけでなく、外国の事件でも、どこかで聞いたことばっかりや。汚職や殺人も、ワンパターンの芝居を見ているようやないか(ハリウッド映画も商売繁盛で、「焼きなおし」か「パクリ」が多いけど)。まあ、人間性が変わってないからやろな。
コメンテータは、それについて「コメント」するわけやから、それはそれでたいへんや。
それで、最近は、売れんロッカーとか女子ゴルファーの父親とかが並んでいる(今度は、参院選挙にも立候補するらしい)。
また、プロ野球を引退して、コメンテータですわっているもんがいる(テレビ局は、いろいろ仕事をさすのや)。政治の話のときは、教室で「当てんといてほしい」と願っている勉強嫌いの小学生のような表情がたまらん。
たまに聞かれると、「世界の人は、みんな仲よくしてほしいと思います」と、これまた小学生のようなことをゆう。そして、専門の野球のことになると、「ミミズを得た魚(水か)」のようになって、「ボールをライトのほうに打ってあげてですね」と大声や(せやけど、若乃花は、結局解説もでけんで、「ちゃんこ鍋屋」の広告塔になっているけど)。
そんなんはご愛嬌やけど、なんかかんちがいしてるもんがいるな。「わしが社会の木鐸(ぼくたく)や」とか「庶民の代表や」ちゅうような。
意見や世論の「オピニオン」は「オニオン」と語源がいっしょで、「かたまったもの」の意味やとおぼえた。せやけど、むいていくと、オピニオンは、最後には、「嫉妬」が出てくるような気がする。
せやから、「飛ぶ鳥落す勢い」のもんが「落ちる」と、正義の顔の下に、「ざまー見ろ」ゆう気持ちを隠して、なんやかやゆうわけや。そうなると、「この人は、いつも正しいことゆわはる」となる。
最近の事件でゆうたら、「介護で儲けやがって」とか「介護は福祉や」となっているけど、「介護で儲けてください。20世紀最後のビジネスで、16兆円の市場です。ヘルパーは、ごろごろいる失業者を使ってください」ゆうたのは国やで。
もっとも、今度の件は、やり方をまちがっていたのがあるけど、破綻は介護保険は儲からんシステムやとゆうことに気がつかなんだことや(松下幸之助は、[儲からんことには、社会の役に立てへん]とゆうとったけど)。
年金問題でも環境問題でもゆいたいことがあるけど、もうやめとこ。
大阪・ディープサウス(西成一帯)の飲み屋はすごいで。そこの客は、テレビで出ているコメンテータより人間の本質を突いている。ここではあんまりゆえんゆいかたをするけどな(「放送禁止用語」ゆう言葉があるけど、あれは、もうギャグになっている。それにもゆいたいことがあるけど時間がない)。
ただ、みんないっしょに大声でしゃべるから、何をゆうているかわからんときがあるから、よう聞いてや。
とにかく、コメンテータでも誰でも、他人の話は聞かんとあかんけど、自分が思うていることに自信を持ったらええねん。それが自分や。そこから、他人の心も見えてくるやろ。