わたしは誰?

   

今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~

「わたしは誰?」
数日前の朝7時ごろ、私鉄に乗ろうと道を急いでいると、後ろから大きな声が聞こえてきた。子供の声や。しかも、声はどんどん大きくなる。
ちらっと振り返ると、4,5人の子供がそれぞれ自転車に乗っている。しかも、この道は下り坂で幅が狭い。
心の中で、「頼むからぶつからんといてくれよ」と祈った。最近、三木市でクラブ活動帰りの女子高校生二人の自転車がぶつかって、一人は意識不明になっているとニュースで見た。
多分並んで、いろいろ話しながら走っていたんやろ(ぼくも、高校のとき、国鉄の駅から自転車やったけど、友だちの自転車がぶつかってきて左の手首を折ったことがある。昔は、アスファルト舗装やったけど、夏は溶けるからかしらんけど、その上に砂を撒いとった。それで、傾斜があれば自転車はずるっと行くのや)。
数年前も、兵庫県で中学生がおばあさんにぶつかって意識不明になっている事故があって、億単位の賠償金を払えとゆう判決があった。せやけど、母子家族のようで、なんぼ裁判に勝っても払うてもらえんやろ(兵庫県が自転車の賠償保険を義務にしたのはええことや)。これも最近やけど、交通事故の目撃者情報の立て看板に、「自転車同士の事故」とゆうのを初めて見たけど、こんな田舎でも、みんな飛ばしているんやな。
しかもや。この2,3年の間に、車に乗っているとき、3回自転車にぶつけられた。こっちは止まって左右の車を見ているときに、どかんと来た。
3人とも学生やと思うけど、特に、小学生の男の子は、立ち上がってから、平身低頭で、「ごめんなさい」と謝ってくれた。その様子を見ると、「親呼んでこい」とかゆわれんで。
「大丈夫か。今後気ぃつけよ」と別れたが、車は大丈夫やない。中古の軽の前がぼこんとへこんでいる。直す金も時間もない(保険使うたら掛け金上がる)。結局は泣き寝入りや。
そんなこんなで、自転車のキィ、キィゆう音を聞くと、ひやっとする。
そのときは、はしゃぎながらも、一列になってすれすれを通りすぎてくれた。みんな大声でしゃべっている。
そいつらを見送りながら、今日は月曜日で、私服で、しかも、学校と反対やでと考えていると、わかった!あいつらは小学校を卒業したとこなんや。
せやせや。50数年前の今頃、ぼくも同級生5,6人と自転車で近所を走りまわったもんや。別にどこに行こうとゆうことはなかったが、とにかく動きたいんや。そして、あんなふうに大声で叫びたいんや。「今小学生でもないし中学生もないんやあ」、「ほんまや」、「ほんまや」。小学校の卒業式が終わったが、中学校の入学式はまだやから、一体ぼくらは何もん?
小学校と中学校は100メートルぐらいしか離れてなかったけど、それでも、気分は最高やったな。今CMで使われたりしているからか、カラオケでもよう歌われている♪おとなの階段の~ぼる♪の第一歩やったんや。
どちらでもないことに不安も心配もない。未来は約束されていた。中学と高校の間にも夢があった。
しかし、それからは夢も陰りはじめたな。高校から大学は階段が一つ外れていた(浪人したのでな)。大学から社会人の時は自分で外した(わざと5回生まで行ったのでな)。
それからは、誰でも、「おとなの階段」とゆうより「自分の階段」を上る人生が続くわけやけど、「今は小学生でも、中学生もない」とゆう「不安定」に興奮するどころか、それに耐えられないので、階段を足早に上ろうとするわけや。それで、こけたり、別の階段を上ったりするのやろか。
去年の今ごろは、心臓の調子が悪くなって、ホルタ―検査ゆうのを受けた。体に着けて1日生活するやつ。特に階段を上る時にどうなるか調べるんやろ(そのときは心臓で死ぬんかと思うた)。
電気ショック療法の予約日も決まっていたが、その前日に診てもろうたら、あ~ら不思議、不整脈がなくなっていた。
それから、階段は上るためでなく,下りるためにもあるもんや(当たり前やけど)。
ぼくは、会社をつぶしたとき、下りるとゆうより、下されたと思うていたが、「階段まちごうたことに気づいて、下りたのやと思えるようになった。
そして、50数年たって、またあの「不安定」な立場になってもうた。もちろん、あのときのように無邪気には喜べんけど、そうあわてんでもええやろ。「生きているのか死んでいるのかわからん」とゆわれても、それを楽しみながら、自分の階段を上りたいもんや。

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