虎屋のよーかん

   

今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~

「虎屋のよーかん」
今年も、なんやかやがあったけど、紅白の時期になった。
凋落気味の視聴率は、今年は去年よりええのんとちがうか(ぼくは、今の歌は聴かへんからどうでもええけどな。「ゆず」とか「こぶくろ」は、デートしても、どの料理を食べようとか、この娘をどのように料理しようとか自分で決められへん男の歌やと思うている。「バンプ オブ チキン」や「スピッツ」の独演会にはいっぺん行きたいけど)。
視聴率が高くなる理由は、先行きが不安になって、社会は、「恒例」のことに安心する気分が出てくるのと、森進一の「おふくろさん」が聴けるからや。
今年も、B’zや竹内まりやなどの大物にはふられたけど、ミスチルは、付きあいで出てもらうことになった。
初めて出るジェロは、「ゲテモノ」枠やて(そうゆえば、サザンもそうやったし、その森進一と青江三奈がコンビで出てきたときも、みんな、あの声に大笑いしていた。「ゲテモノ」は、大物の登竜門かも知れんな。おまえは井上公造かてか)。
とかかく森進一は、今年はよかったんちがうの。嫁はん使うて営業していたけど、それもあかんようになって、しかも、病気やなんやかやで人相が悪くなったしもうた(自業自得とゆうことやろけど)。
そして、「おふくろさん」騒動や。雪の中を、川内康範の家がある青森まで、「虎屋のよーかん」をもって謝りにいった(世間を意識してやろな。そうやないと、「川口浩冒険隊」みたいに、カメラがついてきているわけがない)。
そのときは、中継であったように会えんかったけど、めでたく会えても、「先生、こらえてください。よーかんは、よーかんで」とかゆうたんとちがうか。
先生は、また怒ったはずや。「そういうできあいのシャレしかゆわれへんのか。許したろと思うたけど、もう絶対許さん!わしの耳は毛だらけやけど、心の底からゆうているかどうかわかるんじゃ、ボケッ」
家に帰って、「飲む、打つ、買う」、あ、ちがうた、「飯、風呂、寝る」としかゆわんもんでも、相手と関係があれば、それがうっとうしい関係でも、自分が動かんでも、ビールが勝ってに出てきて、風呂の湯ぅもわく(もっとも、そんなことばっかりしていたら、嫁はんは、いつのまにか言葉なしで消えていくけど)。
そもそも森進一が、「『おふくろさん』は、ぼくの歌ですよ」とかゆうたのが、こじれた発端やろ。
言葉には、言霊(ことだま)ゆうのがあって、言葉にすれば、物事が願いどおりになると信じられていたけど、どうもリミットがあるようやで。
何本もっていったか知らんけど、1本3000円近い「虎屋のよーかん」でも言霊の効き目がなかった。
森進一を見ていると(実際見たことないけど)、ゆうていることと腹に持っていることはちがうような気がする。
他人事やない。思うていることはどうしようもない。ぼくらも、「唇寒し」にならんように気をつけまひょ。
森進一の場合は、「ぼくは弁護士ですから」と何回もくりかえす川内の息子に間に入ってもろうて助かったけど。

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