老婆は、一日にして成らず(1)
2017/02/23
今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~
「老婆は、一日にして成らず」(1)
格言は、「(他人に、あるいは自分に)言うは易し、するは難(かた)し」や。
「ローマは一日して成らず」は、誰でも小学生のときから聞いているやろ。
この格言やったら、苦労して国を作りあげて、そのあとは、めでたし、めでたしとゆう感じやけど、1000年以上続いたローマは、共和制じゃ、帝政じゃと政治方法は最後まで、どんどん変わっていくし、その度に分割や統合をくりかえしている。
「ローマは、一日も思うようにならず」が正しい。
「継続は力なり」とか、「今日できることは、明日に延ばすな」も「耳たこ」もんや。
また、「なせばなる、ナセルはアラブの大統領」とか、最近では、「壁に耳あり、クロード・チアリ」が有名や(みんな古いか)。
そのなかで、「老婆は、一日にして成らず」は、苦労もいらんような気がする。
その連れあいであるぼくらにも当てはまる(こんな格言、学校で教えてもらったことがないとゆう人は今おぼえて)。
上岡龍太郎は、ある日、鏡をのぞいたら、そこに、1人の老人が映っていたので、芸能界をやめることにした」とゆうていたけど、「工事中です。ご協力ください」の看板を見て、「『つるはし持って手伝え』ゆうんかい」とゆうような「天邪鬼」で有名やのに、自分の人生について正直にゆうたのには驚いたことがある。
若いときには、としよりをからかうのはおもろいもんや。としよりも、「ぼけてもうてな」と自分をからかう。
せやけど、昔、祖母とその妹が、久しぶりに会ったとき、ぼくは、中学生のぐらいやったけど、70過ぎの妹が、「何にもすることがなくて、2階から、下を通る車を数えている毎日じゃ」と泣きながらゆうていたのを思いだした。
なんでおばちゃんの「としよりくさい」言葉が50年後に出てきたのかわからん。
女やのに、近郷で一番賢いとゆわれていたんやでと聞いていたので、子供心に、頭がようて、ほがらかな、大好きなおばちゃんの言葉にショックを受けたんやろか。
そして、最近ぼく自身が経験したことが、心に中にある「老人」とゆうカテゴリーの中から見つけてきたんか。
ほとんどのもんが、老眼になる(なかには、90になっても、めがねなしで新聞が読めるゆう人がいるけど、漢字は忘れてへんのかいな)。
それで、若いときにはなかったことをしでかすようになる。先日、高速道路の料金所で、100円玉と1円玉をまちごうた。暗かったし、あわてていたしと、自分に言いわけをしても、プチショックが残るもんや。
ローマは、1000年以上続いたが、何百人とゆう王や貴族がいた。「老婆」や連れあいは、1人でせんとあかん。
こんな話は、1回で終わりたかったが、しゃあない、もう1回つきあって。