お盆で考えたこと(1)
今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~
「お盆で考えたこと」(1)
「ぼんさんが屁をこいた」と坊さんは数えへんらしい(この前、「探偵ナイトスクープ」で、「オコーコを音を立てずに食べる方法」とゆう依頼で、小枝が、高野山の坊さんをいじっていたが、そのとき、若いぼんは、「そんなこと言いません」とちょっと怒って答えていたから)。
もちろん、早く10数えても時間そのものは短縮できへん(オニは、子を捕まえる前に、100数えんとあかんから、早う数えるために考えだされたんやろ。「だるまさんがころんだ」とかいっぱいある)。
とにかく、誰でも、早う時間が立たんかなと思うことがある。
今やったら、フジテレビのイケメンアナウンサーが、そう思うているはずや。
「早う北京オリンピックが始まったたらええのに。そうなったら、日本で、針のむしろにすわらんでもええし、仕事ぶりで汚名返上ができるかもわからへん。
後は、嫁はんにどんな土産を買うかだけや。ぼんさんが屁をこいた、ぼんさんが屁をこいた・・・」
IT企業の革命児も、ファンドの主催者も、駅前留学の社長も、早う裁判が終らんかなと願って、「ぼんさんが屁をこいた」と数えているやろ。
ぼくも、あちゃこっちゃから呼びだしをくろうけど、その日まで待っているのはうっとうしいもんや。
「大きな地震か火事が起きへんやろか。そうしたら、書類は全部なくなる」とか「意識不明の病気になったら先延ばしできる。そのうち、みんな忘れてくれるやろ」などと、女々しいことを考えるけど、結局、早く裁判でも何でもやってくれと開きなおるようになった。
嫌なことをどう待つかで、その人の「人となり」が決まる(究極は死ぬときやけど、「死にたい、死にたい」ゆうているもんでも、本音は死ぬのは恐いからややこしい)。
ところで、そのぼんさんが、「ぼんさんが屁をこいた」と数えたいやろなと思う場面を目撃したことがある。
これはどこかでゆうたけど、去年のお盆、70過ぎのぼんさんが、車で檀家回りをしているときに、ぼくの店の横に信号もない細い四つ角があるのやけど、そこで、車にぶつかった。
警察が来るまで、「時間がない、早う警察来んかい」とばかりに、うろうろしていた。
と、今度は近くの空き地で、すわって、お経を上げはじめた。お経の声は聞えなかったけど、きっと「ぼんさんが屁をこいた。ぼんさんが屁をこいた」と念じていたにちがいない(そのうち、警察も来たけど、家族も来て、現場検証が終ると連れてかえった)。
お盆は、ぼんさんも、丁稚も、死んだ人も忙しい時期や(サラリーマンだけは、ガソリンが高くなって忙しいないかもしれへんけど。今年の小仏トンネル、蝉丸トンネルの混み具合は、どんなもんやろな)。
それでゆうたら、葬式を出すのも忙しいもんや(昔は、「忙しい」とゆうことを「あつかましい」とゆうていた。落語でも、「あのうどん屋は、いつでもあつかましいで」などと出てくる)。
どうして、そういう意味があるのかしらんけど、こっちが忙しいときに、足元を見るあつかましいのが出てくる。
「花は松・竹・梅のコースがあります。竹以上は、ドライアイスをサービスします」
「納棺の時間です。仏様の顔をさわってあげてください・・・黙祷」
「他人(ひと)の親のことほっとけ」と怒鳴りたいけど、頼んだのはこっちやし、みんな見ているから、そうゆうこともでけん。
お盆やから、もうちょっとゆっくりした葬式はでけんもんか考えよか。
何にもすることないしな。