お盆で考えたこと(2)

   

今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~

「お盆で考えたこと」(2)
最近、テレビや週刊誌で、「最近葬式事情」みたいなもんを特集していたんやて(とゆうより、週刊誌や新聞が書いたことを、テレビが取りあげるとゆうだけのことやろけど)。
聞くところによると、親が病院で死んでも、家に連れて帰らずに(本人は、「家に帰りたい、家に帰りたい」と呪文のようにゆうていたはずや。ぼくの父親も、最後には、「これも、わしの運命や」とゆうていたけどな)、焼き場の霊安室に直行して、次の日に葬式をせんと、そのまま焼く(中には、「お骨もいらん」とゆう家族もいるらしい。ものすごい唯物論者なんなあ)。
ぼくの父親は、「坊主は、人が死ぬと、100年は商売しよる」とようゆうていたけど、父親も母親も、世間並みに葬式をしたけど、あっちでどう思うているやろ。
そうなったのは、費用が原因やろ。真言宗はぼんさん1人30万とか、天台宗は60万とか相場がある(その上、食事代とかお足代とかで1人10万は別にかかる。「3人行ってもいいですか」てな売りこみもある)。
せやから、ぼんさん1人の質素な葬式でも、100万はかかる。今は、給料がどんどん増えるとゆう時代でないし、本人の年金なども介護で使うたから、「もうええかな」となるのやろな。
田舎の場合は、親戚や近所の葬式奉行がいるし、あの葬式はどうやったとかこうやったとゆう評判が立つので、それやったら身内だけでとなる。
家族も、「ぼんさんが屁をこいた、ぼんさんが屁をこいた」と早うすませたいのや。
最近、死ぬ前に、自分の遺影や骨壷を用意するのがはやっているけど、あれはええことや
(「こんな服嫌いやのに勝手に合成しやがって」と思わんでもええし、まわりでバタバタされたら、ゆっくり寝ておられへんから、自分で先にしといたほうが気が楽や)。
ぼくは、「葬式や戒名はええわ」とゆうているけど、その日は、歌でもかけといてほしいなあ(知りあいは、父親の葬式に、「六甲おろし」をかけていたけど、それもなあ)。
「お父さんは、どんな歌が好きやったん?」
「知らんわ。オンチやったんは知っているけど」
そうゆうことになるやろから、これも自分で用意しとこ。
まず、「初恋」から始めて、「岬めぐり」、「チャンチキおけさ」、「オネスティ」とかけて。そうそう「池上線」も入れといてくれるか。
何でやいちいちゆわへんけど、湯割りの芋焼酎をやりながら、その歌を聴くと、よう泣ける。そうすると、もうちょっとがんばろうかと思えてきたんや(もっとも、1曲もおぼえれかったけどな)。
おいおい、死んでいるお父さんを、4人であんまり見んといて。恥かしいやんか~。死んでいても汗が出るやんか~(髭男爵か)。早うお母さんの手伝いしにいって。
まあ、これで「暑い、暑い」ゆわんでもええのが一番や。極楽には、涼しい風が吹いているようやけど、そこへいけるやろか。
パソコンに、売るほど文章があるけど(結局売れんかったけど)、暇ができたらプリントして読んどいて。
墓はええで。どうしてもやったら、そこらへんの石に、「転向生のようにしか生きられなかった男ここに眠る」とでも彫っといて。それじゃあ、またね。
なかなかお盆らしい時間が過ごせたもんや。

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