何でダイワハウスなんだ?(1)

   

今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~

「なんでダイワハウスなんだ?」(1)
おとしより向けの弁当屋もしていることは何回もゆうた。
先日も、声から判断して70代の男性から、「福祉から聞きましたんやけど、女房が、家事がでけんようになったんで弁当をお願いします」ゆう電話を受けた。
スタッフに、その内容を連絡するとき言葉が詰まった。みんな、「また『感情失禁』がはじまった」ゆう顔で見ている(感情失禁は、ムーズで取あげたことがあるけど、泣くのは、別に悲しいからやない。単なる反応や、と思いたい。自分の心にある「犬のシッポ」、わだかまりや気にしていることを踏んだからやろけど)。
まあ、二日酔いのときみたいに急にウッとなる感覚や(最近は、「今日は飲むで」と意気ごんでも、すぐに飲まれへんようになるけど)。
この場合を自己分析すると、自分の家庭に異変が起きたときのどこかのおじいさん(今は、本人の顔も奥さんも家も知っているけど)の対応に感動したらしい。
長い人生や。自分にも、家族にも、社会にも(今ほど異変が起きそうな時代はないようや。せやけど、石油や石炭などの化石燃料を使かわんかった2,300年前までに戻るだけかもしれんけど)、何事かが起きる。「何事も起こりませんように」と祈っても、何事かは必ず起こる。
家庭内でも、何事かがどうせ起きるのなら、奥さんより、主人が倒れたほうが何事かの度合いは少なくすむ(あくまで年取ってからの話やけど)。
ぼくは、そのおじいさんの、何事かに対しての坦々とした対応にぐっときてしもうた。
「えらいことになってもうた。これからわしの世話は誰がしてくれるねん。息子は、枚方に家を買うたから帰ってくるつもりはないやろ。大体嫁と女房はうまくいってへんからな。
東京にいる娘かって、遠いし子供も小さいから無理や」とお先真っ暗になるおじいさんもいる。
他人にそんなことゆうかいなと思われる向きもあるやろ。確かに男と女は、他人に対する対応がちがう。男は、「カッコ悪いとこを見せたくない」とゆうのがあるけど、心の雰囲気は、どこかに出るもんや。
毎日、店の前を、杖を突きながらリハビリに通っているおばあさんがいる。こちらが「こんにちは」と声をかけることがある。そのときに、おばあさんの心がいっぱいになっていると、店に入ってきて、しゃべるしゃべる。まるでランボーが持っているSACO M60ゆう機関銃のようや。それも家のこと、家族のことが99.8%や。普段はおそるおそる歩いているけど、しゃべるときは、サッカーのヒデ(「自分探しの旅をする」とゆうていたけど、「女とコネ探しの旅」やったんかいなと悪口ゆうもんもいる)が、ニワトリのごとく首をクルックルッと動かして、見方がいるところを見つけて、ボールを蹴るように、自分の話をじゃまされんところへもって行く。
こっちが聞くのに疲れても、ボールをすぐにゴールに入れずに、ドリブルして遊んでいる始末や。
この前、空港に行くためにリムジンバスに乗った。ぼくと同い年の奥さんと同席した。
30分ぐらいの間に、その奥さんのことは大体わかった。主人は、今インドネシアの日系企業に勤めている(2前までマレーシアやった。現地の社員は、最初給料貰ってありがたいとゆうているけど、すぐに「これだけかいな」ゆう顔をするようになる。今は奥さんより料理がうまくなった。後1年で定年やけど、日本に帰ってきてすることがないゆうている)。
奥さんは、結婚しても家の事情で実家に帰ることはなかったのに、娘二人は、何かにつけ、すぐに帰ってくる(東大阪と八尾やから近い)。子供は、家に帰りたいもんやゆうことがはじめてわかった(「奥さんがやさしいからですよ」とゆうといた)。
今から、仙台で、ヨガ教師の大会があるので行きます(これは持ちまわり)。主人が留守の間、ヨガと出あわなかったら、つまらない人生だったと思います。それでは、娘さんによろしくと言って走っていった(長女の嫁ぎ先の実家に招待されたことをゆうたので)。
みんな自分の人生を話したくて仕方がないんや。
次回は、自分のことを少し(いつもゆうているてか)。

 -