見るべきほどのこと
今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~
「見るべきほどのこと」
童話ばっかり考えとったら、テレビで、「年金は75才から」ゆうとるやないか。
こりゃえらいこっちゃとボリュームを上げると、一律に75才から支給するのではなく、遅うもろたら1回の支払額は上がるでゆうだけのことやった(そりゃそうやろ、5年間の分があるのやから)。
今でも70才からの繰り下げ制度があるそうやけど、そうしている人は、該当者の数%しかいないそうや(それがわかっているのに、なんで75才なんてゆうのや。途中で死んでくれたらとゆう魂胆やな。DHCの会長みたいなもんはそうおらんや)。
ぼくも、50歳ごろまでは、収入の加減で死ぬまで年金はもらえんやろと調子こいていたが、今は、偶数月の15日が待ち遠しくてたまらん。
しかも、60才からもらえる「特別支給の老齢厚生年金」や。これも、あと1回で終わる。その後は、晴れてほんまの年金生活者や。ほんまは情けないわ。
「人生、谷あり、崖あり」や。がんばって谷の渡り方、崖の登り方をおぼえたら、年金を返上できるようになるかもしれん。
せやけど、この5年間年金がなかったら,まちがいなく首くくっていたと思うけど、そんな鬱陶しい話がやめるとして、やっぱり少しゆうけど、テレビで、「75才まで云々」のニュースをゆうときは、必ず平均寿命の話が出ていたやろ。つまり、「75才からでは、5年間しか支給がないわけです」と。
そうやったんか。「全国に100才以上の人が何万人います」とかゆうても、男の(女ちがうで)の平均寿命は80に行ってへんそうや。そうしたら、ぼくも、後10年そこそこか。
平均値とゆうもんはくせもんで(この場合、全人口が分母になるので)、あまり意味がないけど、ぼくの父親や叔父を見たら、ぴったり合うている(しかも、70すぎから、病気の連続やった)。
年金も心配やけど、こっちの方がもっと心配になってきた。でも、なんで人は死ぬのが恐いのか、長生きしたいのやろか。
人それぞれの理由があるやろけど、まだ十分生きつくしていないと思いもあるんとちがうか(ごちそうを食べつくしたら、もう当分ええとなるのとおなじか)。
平知盛は、「見るべきほどのことは見つ」とゆうて、壇ノ浦に飛び込んだ。知盛の場合は、平家の盛衰のことやけど、これも、人それぞれで0がぎょうさんついた自分名義の預金通帳を見たい人もいるやろし、自分の名前が書かれた何かすごい賞を見たい人もいるやろ。
みんな、自分の「見るべきほどのこと」求めて生きているわけや。
日常生活でも、自分も含めてみんなにこにこしているのを見たいはずやけど、そうはいかんわな(人を怒らして喜ぶやつもいるけど)。
テレビは、世界中の目を吊りあげたり、脅したりする映像ばっかりやないか(韓国の沈没船の映像は辛い)。しかも、それがひどくなっているように思えへんか。
生きつくしたいのに時代が悪いなんてゆうたらあかん。100年前までは、日本でもずっと内乱が続いていたのや。
何か騒動があれば、朝玄関を開けたら、人が切り殺されていたわけや。それがなくなったら、海を越えて人殺しに行った(父親もそうさせられた)。
今度は集団的自衛権と来たで。もし何かあったら、原発や、大事な大事な東京を攻撃されてもしらんで(それに、大地震が来るかもしれへんとゆわれているのに、首都機能を分散するとか対策を考えるべきやのに、東京だけでええねんやて)。
世界を知らんとあかんゆうて、むなくそ悪いニュースを、しかも、何回も何回も見んでよろしい。
生きつくしたかったら、自分の「見るべきほどのこと」をチョイスして、とことん見るんや。
酒もたばこも女もせずに百まで生きたあほがいるとゆう、川柳か都都逸があるけど(ばかにしているけど、少しはうらやましいような)、その人が、他のもんに見向きもしないほど自分の「見るべきほどのこと」を見る天才やったらすごいわ。
ぼくは、あっちも見たい、こっちも見たいと目移りする性分やから、一つのことを十分見られんかもしれんけど、残り10年を悔いが残らんように見るつもりや。