身の上相談
今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~
「身の上相談」
旨加棒喰界(うまかぼうくうかい)じゃ。しばし寺にこもっておった。
世の安寧(あんねい)を願って、夜を徹して祈願し、翌日は夜を徹して熟睡するとゆう生活であった。
今年は、ことのほか寒いようで、新聞を時々広げたが、その都度、「寒さのピーク」と書いてあった。まるで「癇癪もちのこめかみ」のようじゃった(ピク、ピクするのでな。おもしろくないか)。
しかしながら、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」と申すように、雲雀(ひばり)のせわしない声がどこからか聞こえてくるようになった。春が来たことを知らせてくれるようじゃった。そこで、世情を知るために、町に下りていった。
町の様子はそう変わらなかったが、「教習車」とゆう張り紙をつけている路線バスが走っておる。また、駅前の不動産屋からは、子供を抱いた夫婦もんが出てきて、店の車でどこかへ行った。新しい門出の準備をしているのじゃろ。
数件のコンビニが店を閉じ、「貸し物件」となっていたが、見たところ真新しい紙に書いてある。
コンビニの契約は10年ほどであろうから、10年ほど前の春に新しい出発をしたが、今般やむなく解約をしたのであろうか。前途に幸あれと祈るのみである。
町を一巡りした後、郵便局に寄った。修行中、わし宛の郵便物を預かってもらっていたのででな。
寺の郵便受けが山のようになっていては、「あの坊主、孤独死か」とあわてさせるのもなんなので、いつもそうしておる(ただし、貴殿たちの近所で、郵便受けがたまっている家があれば、すぐ声を掛けるべきである。震災の仮設住宅だけでなく、都会の孤独死も問題となっておるようじゃから。人助けこそ、生かされていることへの恩返しであるぞ)。
さて、郵便物には、「金(きん)を売らないか」あるいは、「買わないか」などとゆう広告に混じって、おのれの悩みを綴っている手紙もあった。
「龍角散の上手な飲む方を教えてほしい」とゆう甘えた相談もあった。「オブラートに包めば、こぼさずに飲めるが、それでは、肝心の場所を素通りする。それで、スプーンを口にもってくるのではなく、スプーンの下に口をもっていけ。
ただし、服にこぼさずとも、においでわかる。『年寄りくさく思われたくない』とゆう虚栄心を取るのか、あるいは、喉をなおして、はっきり自分の思いを伝えるのかは、おまえの決断じゃ」と、オブラートに包まずに言ってやった。
相談のほとんどは老後の不安じゃった。人生経験とゆうが、その経験とは、ある意味「世間知」であって、心根(こころね)の根幹をなすものではない。
平易にゆえば、「馬鹿は、死ななきゃなおらない」とゆうことであるが、死ねばなおるかは不明である。
それはさておき、誰にとっても、今の年齢は、人生最初で最後の年令であるから、年寄りになろうが、同じことである。
相談をまとめれば、マスクをしたままお茶を飲んで、家人に叱られるとか、ひらがなの「や」と「な」の区別がつかなくなったとかあるな。
なかには、「韓国ドラマが好きだけど、韓流(はんりゅう)スターの名前が覚えられなくて、みんなから除け者にされている」とゆう相談もあった(「ムンフバティーン ダワージャルガル」はわかるかな?白鵬の本名じゃ。イ ビョンホンよりむずかしいぞ。名前など覚えられなくとも、自分なりに楽しめばよい)
切実なものもある。夫の会社を継いでいる68才の女性じゃな。
「会社もうまくいき、子供や孫にも恵まれ、何不自由なく生活をしております。
しかし、最近人に言えないようなことがあります。車で通勤をしていますが、途中踏切がございます。電車が来るときは、ご存知のように遮断機の棒が、両方から下りますが、それが、ビョン、ビヨンといやらしい動きをします。そんなときは、指示器を出しても、チ×コ、チ×コと聞こえるのでございます。わたしは、どうなったのでしょうか」と、元長野県知事、今や国会議員の田中康夫の小説に出てくるような相談もあった。
軽々に答えることは失礼であるので、今考えている最中であるが、何才になっても悩みを尽きないものである。
自分のずぼらを、年のせいにする輩(やから)がいるが、老化もある程度まで進めば、老眼も止まるようだし、歯が全部なくなっても、入れ歯があるから、乳首でも噛める。失礼、口がすべったわい。
とにかく、人生はすばらしい。年を取ることはもっとすばらしいと思うことが生きるコツじゃ。まずは自分の悩みに乾杯せよ。それは人生の同行者だからな。
さて、久しぶりに藤あや子似のママの顔を見にいくとするか。